第5話 囚われた勇者

 ロボットには夢があった。父がよく夢のある話を聞かせてくれたから。

 だから、自分が異世界に召喚されて魔王と戦ってくれと言われても、どこか当然のように感じていた。

 自分がヒーローとして戦って魔王を倒して、みんなが幸せになってくれればいい。当たり前のように世界を救うつもりになって、ロボットに乗り込んだ。

 だが、クリムゾンレッドは強かった。こんなことで魔王に勝てるのだろうか。

 勇希は夢の中で迷う。そうしてどれだけの時間が経っただろう。勇希の意識は段々と現実に戻ってきた。

 自分は寝ていて体の上に何か重い物が乗っているのを感じた。

 目を開けるとそこは知らない部屋だった。立派な城の中の一室のようだったが、勇希の知っている王国の城では無かった。明るく華やかな印象を受けたあの城と比べて、この城はどこか陰気な薄暗さを感じさせた。

 勇希は大きな天蓋付きのベッドで寝ていて、体の上では知らない長い黒髪の少女が抱き着くように眠っていた。

「き、君だれ!?」

 勇希は少女を起こさないようにどけようかと彼女の肩に手を触れようとしたのだが、その手が触れる前に彼女がぱっちりと目を開いて勇希の顔を見上げてきた。吸い込まれそうな綺麗な黒い瞳だと勇希は思った。

 彼女が口を開く。囁くように、だがはっきりと聞き取れる声で言った。

「目が覚めたのか」

「うん、覚めたけど」

 勇希は何かを聞こうとしたが突然の状況に思考が追いつかずに戸惑ってしまった。とりあえず肩に触れようとしていた手を下ろすことにした。

 勇希が迷っている間に少女は再び勇希の胸に顔をくっつけてしまった。

「これが異世界の者の鼓動、ぬくもり、匂いなのだな」

「ああ、うん、そうだね」

「わたしはもっとお前のことを感じていたい」

「…………」

 何だろう。この状況はとてもまずい気がする。少女にくっつかれて、子供のように幼さを感じさせる少女なのに妙にドキドキしてしまう。

 勇希は彼女の頭を見下ろし、視線をそらして彷徨わせ、思考をフル動員させた。

 パニックになりかけながらも言葉を引き寄せた。

「君、名前は?」

「わたしはエミレールだ」

 勇希の質問に少女は顔を上げて答えた。

「僕は勇希です」

「分かった」

 よし、言葉が通じるぞ。小さな一歩だったが、勇希は確かな手応えを感じていた。

 緊張のあまり明らかに年下に見える少女相手につい敬語が出てしまったが。

 さて、この状況をどうしようか。思いつく前に少女が何かに気づいたようだ。

「ん、これは……」

「な、何かな?」

 勇希は緊張を隠せずに訊いてしまう。彼女は何でもないことのように答える。

「立っているな」

「何が立っているのかな?」

「触っていいか?」

「あ、そこは、ひゃん」

 勇希が止める間もなく、少女はそこを触り始めてしまった。

 朝から元気に立っているそこを女の子に触ってもらうのがこんなに気持ちいいとは思わなかった。だが、このままでは駄目だ。このままでは駄目な人間になってしまう。勇希は心を鬼にすることにした。

「駄目だよ。女の子がそんなところを触っちゃあ」

「駄目か? わたしは触りたいのだ。お前は嫌なのか?」

「嫌じゃないけど、気持ちいいけど」

「気持ちいいならいいのではないか? お前の顔は喜んでいるぞ」

「喜んでないよ!」

「そうか? そうなのか……」

「いい? エミレール。男の子は女の子の前ではかっこを付けたい生き物なんだ。女の子に頭を撫でられて喜ぶ男子なんていないんだよ」

「ん、分かった」

 勇希がはっきりと断りの意見を言うと、エミレールは素直に勇希の朝からピンと立っていた頭の寝癖を触っていた手を引いてくれた。

 名残惜しい気もするが、その頃には勇希の意識もかなり戻ってきていた。

「僕の体の上からどいてくれるかな?」

 勇希がお願いすると、エミレールは素直に起き上がって身を引いてくれた。勇希も起き上がって、お互いにベッドの上で座って向かい合う。

 勇希は目の前で身じろぎせずに座っている少女を見ながら考える。エミレールと名乗ったこの少女は何者なのだろう。ここはどこなのだろう。考えても仕方ないので訊くことにした。

「君、ここがどこだか分かる?」

「ここはわたしの城だ」

 少女の声は控えめながらもしっかりしていた。勇希はその言葉を受け取って考えた。

 わたしの城と来ましたか。そう主張したい年頃なのだろうか。それともどこか大金持ちの娘さんなのだろうか。目の前の少女はわりと無表情でほとんど感情を顔に出さないので何とも推測することは出来なかったが。

「他に何か訊きたいことは無いか? わたしはもっとお前と話をしたい」

 勇希が黙って少女の顔を見つめていると、エミレールが先を促してきた。

「訊きたいことか……」

 勇希は考えて、こんなことを少女に訊ねてどうするのだろうと思いつつ、少しでも情報が得られればと思って訊ねた。

「魔王っていう奴がどこにいるか知ってる?」

「知っている」

「知ってるの!?」

 勇希は思わず驚いて立ち上がろうとしてしまった。だが、続く言葉を聞いて気が抜けて座り込んでしまった。

「お前の前にいる。わたしが魔王エミレールだ」

「いやいや、違うでしょ」

「違うと言われても困る。わたしが魔王だ」

 少女は勘違いをしているのだろうか。それともそう思い込みたい年頃なのだろうか。少女は相変わらず無表情で、真面目なのか冗談を言っているのかよく分からなかった。

 だが、おかしいというのは分かっている。勇希が聞いていた魔王の特徴と彼女は何一つ合致していないし、勇者が前にいても彼女は敵意一つ見せていない。それにこんな可愛い女の子が世界を脅かす魔王のはずがない。

 勇希はとりあえず彼女の誤解を解こうと思った。前に聞いたことを思い出しながら言う。

「いい? 魔王っていうのは黄金の瞳は見た者全てを震え上がらせ、裂けた口から吐かれた息はマグマとなって全てを焼き尽くし、大きな爪は全てを打ち砕く……だったっけ。とにかくそういうおっかない奴のことなんだ」

「お前の言っているのは父の事だな」

「父?」

 勇希は首を傾げた。少女は相変わらずマイペースに答えた。

「父はもう魔王を引退した。お前の会いたがっていたのは父だったのだな。父が今どこにいるのかはわたしも知らないんだ。力になれなくてすまない」

「いや、別にそこまで会いたいかったわけじゃないんだけど」

 彼女がどこまで本気で本当のことを話しているのか勇希は計りかねていた。だからこちらから本気で本当のことを話して揺さぶりをかけることにした。

「実は僕は魔王を倒すためにここへ来たんだ。だから君が自分が魔王だと言い張るなら、僕は君を倒さなければいけないんだけど」

「お前はわたしを倒したいのか?」

「そう……なるのかな?」

 勇希は思わず言いよどんでしまった。確かに勇希は魔王を倒しに来たのだが、別に目の前の少女を倒したいわけでは無かった。

 彼女は相変わらずマイペースに淡々と言葉を紡ぐ。

「倒さないのか?」

「…………」

 この子はベッドの上でポツンと座って何を言っているのだろうか。倒されたいのだろうか。

 倒せれば楽なのだろうがこんな少女を相手にそんなことをする度胸が勇希にあるわけもなかった。

 それに魔王がこんな無防備に自分を倒せなどと言うはずがない。考えれば分かることだ。この状況はおかしい。

 とにかく今は情報が無さすぎた。勇希は結論を付けることにした。

「今日のところは帰ることにするよ。帰り道を教えてくれると助かるんだけど」

「お前にはもっとここにいて欲しい」

「そういうわけにはいかないよ。みんなが心配していると思うんだ」

「そうか。お前は帰りたいのだな。なら、廊下に出て突き当たって右の階段を地下まで降りればいい。そこにお前のロボットが留めてある。案内をしようか?」

「いや、いいよ。それに出来れば誰にも見つからずに辿りつける道を教えて欲しいんだけど」

「城の者にはお前の通る場所には近づかないように言っておこう」

「ありがとう」

 彼女が城のお嬢様というのはどうやら本当のようだった。だから世間知らずに自分が魔王などとも言ってしまうのだろうか。勇希には分からなかったけれど。

 少女の瞳に見送られて勇希はその部屋を後にした。目の前には豪奢な絨毯の敷かれた殺風景な廊下が真っ直ぐに伸びている。

 エミレールがもう人払いの手を回してくれたのか、人の気配は無い。でも、一応は気を付けながら勇希は言われた道順を辿った。

 地下まで行くとそこは広い格納庫でゴッドジャスティスが留めてあった。

『勇希か。お前無事だったか』

「そっちこそ。ここはどこなんだ?」

『分からない。だが、さっきまでこの辺りを悪魔が巡回していたんだ。魔王絡みの施設であることは推測できるのだが』

「魔王か……」

『何かあったのか?』

「いや、何でもない。今はとにかく早くみんなのところへ帰ろう」

 勇希はゴッドジャスティスに乗って飛び立つ。地上には不気味な城があり、周囲には不穏な魔界の大地が広がっていた。

「あの子、何だったんだろう」

 気になることはあったが、今は早くみんなのところへ帰ろう。

 勇希はそう意識を向けて帰路についた。


 しばらく後、魔王城の大広間では魔宰相ザメクが警備の悪魔達を呼び出して叱責する声が響いていた。

「何をしている! なぜ捕まえた勇者をみすみす逃がしているのだ!」

 飛び去っていく勇者のロボを偶然見かけたのがついさっきのことだった。それからのザメクの行動は速かった。警備の悪魔達は困惑するようにお互いの顔を見てから言った。

「それがエミレール様の指示でして……」

「なあ?」

「エミレール様がそんなおかしな指示をされるはずがないだろう!」

 そんな叱責の様子をドラゴンは広間の隅の柱にもたれてたいして興味も無さそうに聞いていた。

 呼び出された悪魔達の間には困惑が広がっていた。ザメクがさらに苛立ちをぶつけようとすると、そこに少女の声が入ってきた。

「帰りたいと言ったから帰したのだ。何か問題があったのか?」

「問題は……って、エミレール様あ!?」

 姿を現した黒髪の少女にザメクはびっくりして飛び下がって平伏した。大の大人のみっともない姿に、エミレールは全く表情を崩さずに話を進めた。

「お前ならわたしの望みに賛同してくれると思ったのだが。何か不手際があったのか?」

「不手際などとんでもない。エミレール様のされることに間違いなどあるはずがございません」

「そうか」

 態度を変えてペコペコする魔宰相に悪魔達は白けた目を向けたが、エミレールが歩みを進めたのを見て、すぐに敬礼の姿勢を取った。

 少女はそうするのが当然といった自然な態度で魔王の玉座についた。

 その前にザメクとドラゴンがひざまづき、さらに配下の悪魔達がひざまづいた。

 エミレールは魔王として強い口調で宣言する。

「ザメク、わたしは勇者に会って決めたぞ。異世界に行く」

「異世界に……ですか?」

 ザメクは目をぱちくりさせてしまう。エミレールは次にその隣にいるドラゴンに目を向けた。

「ドラゴン、王女の杖が異世界への道を開く鍵となっているのは確かなのか?」

「はい、自分はこの目で見ておりますので。神から与えられた物ゆえ簡単には渡さぬでしょうが。ザメク殿も考えは同じと思います」

「ザメク、同じなのか?」

「はい、ドラゴンの情報はおそらく正しいでしょう」

 城には神の張ったと思われる結界があって、ザメクの水晶玉でも中を覗くことは出来なかったのだが、無能と思われたくなければここは悔しくても賛同を見せるしかなかった。

「そうか」

 エミレールは少し考えるように口を噤み、言った。

「王女の杖を取りに行く。デスヴレイズを出す。お前達も出発の準備をしろ」

「エミレール様自らが出撃なさるのですか?」

 驚くザメクにエミレールは冷静な目を向けた。

「これはわたしの望みだからな。わたしはみんなで異世界に行きたい。お前は行きたくないのか?」

「とんでもない。エミレール様の行くところ、この私もどこまでもお伴いたします。皆の物、エミレール様の御威光を異世界にまで知らしめるのだ!」

「「「おお!」」」

 ザメクの号令に集まっていた悪魔達の声が呼応した。

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