第16話 by Hinata.S

 呼吸音や、書類をめくる音すらはばかられるような緊張感がそこにはありました。きっと隣にいらっしゃる有砂様もそう思っていらっしゃることでしょうけど、わたくしも有砂様も一切の表情を消してここに座っていました。

 奥の扉が開き、大庭元帥がいらっしゃいました。ここにいる軍人が全員立ち上がり、一斉に敬礼を行います。一糸乱れぬ敬礼に、元帥は満足されたのか何も言わずに席に座られました。

「……さて今回、貴殿らを呼んだのは他でもない」

 元帥が手元のリモコンを操作されました。モニターに映し出されたのは、先日わたくしが拝見した少女の写真。

「先日、この少女が本部前に倒れていたので陸軍大本営で保護。少女の意識は回復。最初は怯えていたようだが、ここが特別陸軍であることや危害を加えないことなどを約束して毎日相手をしていたところ、少しは心を開いてくれたようだ。彼女の名前は早苗さなえというらしい。年齢は十二歳。家から去った姉二人を探していたが、力尽きて倒れてしまったらしい」

 淡々とお話される元帥のお言葉を、聞き逃さまいと耳を傾けます。大庭隊の皆様にはお話をしているのでこの後の展開は存じておりますが、少女の情報は今まで全く知らされていません。

「姉二人が家出をしたのか、はたまた誘拐でもされたのか……今は情報が全くない。保護したときは栄養失調気味であった。スパイの線も疑ったが、さすがにスパイが武器も食料も持たずに単身乗り込んでくるとは思わない」

「元帥、スパイとは……?」

「昨今の未確認生物は、ヒト型のものや知能を持つものもいるらしい。もしかすると少女も……と疑ったまでだ」

 軍人の質問に、元帥が丁寧にお答えなさいました。ちなみに未確認生物にヒト型のものもいる、と解明したのは、我々大庭隊の研究室組。特に万意葉様は自分から戦場に行くこともあるので、早々に解明ができたと言っておりました。

「我々特別陸軍大本営は、この少女を陸軍で保護することに決定。今日からこの少女は、〈特別陸軍保護対象者〉とする所存である。で、その預ける先であるが、大庭隊で頼もうと思う」

「「はい」」

 わたくしと有砂様が同時に立ち上がり、敬礼をしました。さすがに大体の軍人はどうして我々大庭隊に少女を預けるのかわかってくれたようですが、何か文句を言いたいような軍人が数人いるように見えました。元帥がそれを察してくださったのか、口を開きました。

「……貴殿ら、相手は十二歳の少女だ。もし身体の変化があった場合の対処は? そもそも怯えられ、会話ができないとなれば? ……忘れるな。我々軍人の仕事は、国民を守ること。少女の肉体的、精神的健康や生活がおびやかされてはならんのだ」

 文句を言いたそうにしていた軍人が、元帥のお言葉にバツが悪そうに目線を逸らしました。元帥も奥様を亡くされ、七歳の友里様を育てられた経験がおありなので、きっと男手一人で女の子を育てる苦労を理解していらっしゃるのでしょう。

「大庭隊准尉、白藤ひなた」

「は、はい!」

 突然元帥からお名前を呼ばれ、わたくしは弾かれたように立ち上がりました。元帥は少し悲しそうな、申し訳なさそうな、そのような目でわたくしと目を合わせました。

「……今日から貴殿が、少女の保護者だ」

「と、申しますと?」

「少女の傍で、少女を守ってやってほしい。そのために……できるだけ出撃も控え、本来少女が学ぶはずであった勉強を教えてやってくれ。親のように」

「え……」

 思わず口から声が漏れました。真っ白になった頭が、この場にしっかり立っていることだけを命令しています。

 子どもも生んだことのないわたくしが、少女の、親とはどういうことでしょうか?

「軍人として、出撃制限をかけられるというのは屈辱かもしれない。だが本官としては、白藤准尉の働きっぷりは正当に評価しているつもりだ。どうか、頼まれてはくれまいか」

 座ったまま、元帥は音もなく頭をお下げになりました。上司、それも元帥に頭を下げさせておきながら、わたくしは薄情にも迷っていました。

 わたくしが軍隊に入った本当の目的。出撃制限をされてしまうと、目的を果たすことができなくなってしまいます。わたくしはあのお方のため、一体でも多く、未確認生物を殺して殺して殺して殺して殺さないといけないのです。それがわたくしに遺された、せめてもの――いえ、もしかするとわたくしには、十二歳とまではいかなくとも、一般的に言う小学校入学くらいの年齢の子どもがいたのかもしれないのですから、これは何かの思し召しなのかもしれません。

 あのお方が生きられなかった未来で、わたくしが少女に親のように振る舞う。少しでもまやかしの幸せを味わっておけという、あのお方からのメッセージなのでしょうか。……あなたがいらっしゃらないと意味がないのに、あなたはそれをお分かりでないのですね。

 思ったより長く考えこんでいたようでした。有砂様が心配そうにわたくしめをご覧になっています。

「大庭隊准尉白藤ひなた。謹んで引き受けさせていただきます」

「ありがとう。少女を頼む。他の者は解散していいぞ。そこの二人は少女を連れて帰るように」

 元帥が側に立っていた軍人に目くばせをしました。元帥がいらっしゃった奥の扉が開き、先ほどまで写真で見ていた少女が姿を現しました。

 二つに括られた髪が肩先で揺れています。栄養失調気味とは聞いていましたが、顔色や体つきもひどくはないようで安心しました。愛くるしい、くりんとした目がわたくしと有砂様を捉え、見せた笑顔は花が綻ぶようで、わたくしの心が温かくなりました。少女がこちらに駆けてきます。

「早苗です! 早苗の面倒を見てくれるのは、お姉ちゃんたちだって聞きました。えっと……」

「大庭隊准尉の、白藤ひなたと申します」

「ひなたさん! よろしくね!」

「よろしくお願い致しますね、早苗様」

「早苗様!? お嬢様になったみたーい!」

 早苗様がプッと吹き出しました。様をお付けするのはわたくしの癖のようなものなので、慣れていただけるとありがたいです。

 隣にいた有砂様が、早苗様に目線を合わせるようにしゃがみました。まるで慈しむような優しい目で、早苗様を見つめます。わたくしより有砂様のほうが親に向いているのでは、という言葉は飲み込み、わたくしは有砂様の行動を拝見しました。

「……

「?」

「サケイ? 早苗だよ?」

 有砂様の謎の発言に首を傾げながら、早苗様がご自分のお名前を訂正しました。有砂様がハッとした表情で早苗様を見ます。普段拳銃を握られている手は、早苗様の頭を優しく撫でられました。

「ごめんなさい、早苗。あたしは大庭隊少尉の佐々倉有砂よ。……お友達にはありちゃんって呼ばれているわ」

 お友達、と少し考えたあと、それが我が大庭隊の隊長である友里様であることと気が付いて、吹き出しそうになるのを抑えました。ここにいない友里様のことを説明することを遠慮したのだと思いますが、お二人が友人関係……。想像すると思った以上に面白いです。

「そうなの? じゃあありちゃんって呼ぶね!」

「ええ、あたしは早苗と呼び捨てで呼んでいいかしら?」

「うん! おねーちゃんから呼ばれてるみたいで嬉しいな」

「お姉ちゃん? 早苗にはお姉ちゃんがいるの?」

 話をしながら、有砂様がさりげなく早苗様を誘導し、部屋から大庭隊の部屋に案内しています。先ほどまでの会議の関係で人が多かったので、早苗様に何かあってはいけないと早苗様に手を差し出すと、早苗様は笑顔で手を握り返してくださいました。

 早苗様にお姉様がいらっしゃるお話は、元帥がおっしゃっていましたが、早苗様の口から聞きたかったのでしょう。早苗様も有砂様にお姉様のお話をすることはいとわないご様子でした。

「あのね、おねーちゃんが二人! ありちゃんみたいなおねーちゃんはいなかったけど……でも、えっと……みたいなおねーちゃんはいた!」

 ひなちゃん。ひなちゃん。この呼ばれ方、思ったより嬉しいですね。少し不安げな早苗様に微笑み返します。

「わたくしのようなお姉様、ですか。なんというお名前をだったのですか?」

「サユキおねーちゃん。一番上のおねーちゃんはサギリって名前だったよ」

「皆さん、サから始まるお名前だったのですね」

「うん! あのね、あのね、それでね、ありちゃんとひなちゃんにお願いがあるの」

「なんでしょう?」

 今日初めて会って、お願いごとをされるというのは信頼されているのでしょうか。早苗様がわたくしたちを見上げて言います。

「早苗のおねーちゃんを、探して」


「えっと……えっと……」

「大丈夫ですよ早苗様。ゆっくり覚えていきましょうね」

「ええ、早苗ちゃんが覚えるまでは、皆に名札をつけてもらってもいいのではなくて?」

「そうですね。わたし、大庭中尉に言ってきます」

「お願いしますわ」

 早苗様がおっしゃった、お姉様を探してほしい、というお願いに対しては、今は情報が少なすぎるので情報を集めてからということになりました。うちには優秀な後方支援部の方々がいらっしゃるので、情報さえ揃えば、あとは容易いでしょう。

 大庭隊に帰ってから、待ち受けていた皆さまが早苗様にご挨拶をしたので、早苗様はお名前を覚えるのに苦労されているご様子でした。早苗様のお部屋として看護科の空いていた一室を使わせてもらうことにしたので、今ここには看護師の露木菜美がいます。もう一人の看護師である志保様は、友里様のところへ向かわれたようでした。

「ありちゃん、ひなちゃん、しほちゃん、ゆりちゃん……は覚えたよ」

「もう四人も覚えたのですね、すごいですわ! わたしの名前はわかりまして?」

「ゆきちゃん!」

「……間違ってないですわね」

「露木ですものね。わたくしが露木と呼んでいたら、早苗様が勘違いされるでしょうか」

「わたしのことを露木と呼ぶのは白藤、あなたくらいですわ。大丈夫ではなくて?」

 わたくしと、看護師長の露木菜美は同い年です。さらにわたくしのほうが少しだけ入隊が早かったということで、唯一彼女のことだけは「露木」と呼び捨てしています。「同じ年なのに様付けは止めてくださいません?」と、露木本人に言われたことがきっかけです。

 露木本人もわたくしのことを苗字で呼び捨てしているので、いつしかわたくしたち二十四歳二人を指すときは「白露しらつゆ」と言われるようになりました。

「ところで早苗ちゃん、お姉ちゃんのことで一個聞きますわ」

「うん、何?」

「……お姉ちゃんというか、早苗ちゃんにも関わることですわ。苗字を教えてほしいのです」

「……ここの人は、みんな名前を教えてくれたからいいか! お姉ちゃんには、『苗字と名前を両方教えてくれる人にじゃないと、名前をちゃんと教えてはダメだよ』って言われてたから、おじさんたちには言わなかったけどね」

 お姉様からの教えを守って、元帥たちにはお教えしなかったのですね。元帥が早苗様の苗字をおっしゃらなかったのは、早苗様がお教えしていなかったからなのですね。

「神様の神に……えっと、なんか難しい字で『カミゼ』っていうの」

「カミゼ、ですわね。こういう字ではなくて?」

 露木が白衣の中から取り出したペンとメモ帳に、「神瀬かみぜ」と書きました。瀬の字は確かに難しいです。

「うん、この字! なみちゃんすごーい!」

「いえ、それほどでもありませんわ。これ、他の人に教えてもいいですか?」

「おじさんたちたちには教えないで。今日名前教えてくれた人たちだけ!」

「わかりましたわ。必ず守りますわ」

 早苗様のお姉様は、見つかるのでしょうか?

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