B 私の苗字も変わりました

 ――それから一年後の木蓮の季節。


「智樹さんは、二五歳、私は、一六歳になったわ。そろそろ……」

 白蓮の髪も肩下まで伸びた。


「ああ、友達以上に思っている。そう新美家のお父さんが眠る墓前で言ったよ」


「え! それって、プロポーズなの?」

 白蓮は顔に手を当てた。

「何もおかしくないでしょう。そのままを言ったよ。指輪もいつか作ろうよ」


「そ、そうね……。身の丈に合わせるわ」


 二人は籍を入れ、白蓮は、夢咲白蓮となった。


「新美の家庭の事情は承知した。しかし、派手にされては困る。これだけは、本校としても釘を刺すよ」


 結婚式を挙げられなかったが、後で挙げられると思っていた。


  * *


 ――更に半年後。


 以前から企画していた白蓮の写真集、『Commeコム d'habitudeダビトゥードゥ』がやっと完成し、出版された。


「ねえねえ、智樹さん。これ!」

 学生通りの金沢書店の店頭ではしゃぐ白蓮。

「ああ、やっと、二人での初仕事だな」

 智樹は満更でもない顔でちょっとにやついている。


「買う人、居るのかな? 智樹」

 白蓮が語り掛ける傍から、智樹が耳元をくすぐるように囁いた。

「当たり前だろ。お前、喰いたいもん……」

「おばか、智樹」

 照れて智樹の鼻をピシャンと叩いた。


「エプロン一枚の写真撮ったろ。あれ、そそられるぜ……」

 意外にマジな顔で苛める智樹。

「や、やだあ」

 耳まで真っ赤になった。


「夫婦になってから初めての仕事だよな。二人の……」

 ついこの間まで、編集に追われて疲れ果てていたのが嘘の様であった。

「だよね~。苦労したもの……」

 白蓮は、三キロダイエットしたのだった。それが、彼女にとって、ちょっとした苦労なのかも知れなかった。


「白蓮は寝てただけだろう?」

 くすくすと笑ってからかう智樹。

「やだやだ! ちょっとうたた寝しちゃっただけじゃない!」

 肩をパシパシと叩く。白蓮には何かあると叩く癖があるらしい。


「なーんて冗句だよ。白蓮は真面目にやってたさ。ちょっと良いショットあったけどなあ~」

 空を見つめてちろりと横の白蓮を見た。

「もう! それはー、智樹さんだから撮れたの! 他の人には見せない顔だもん。ぷんだ」

 智樹はふくれっ面も可愛くて仕様がなくて、笑いを堪えていた。


「分かってるって……! まあまあ、お嬢様、貴女の好きな珈琲でも飲んで行かない?」

「うん!」


  * *


 喫茶「めるすぃー」の扉をガランと開けた。

 いつもの席が待っていた。

 窓際の良く通りが見える小さな白いテーブルだ。


「マスター、モカ二つお願いね」

 智樹の声を聞いて向こうで明るい返事が来た。


「ねえ、私達、結婚式できなかったじゃない? お金も貯まって来たし、世間的にも智樹さんのお仕事認められて来たじゃない? 智樹さんのお父様もうんと言って下さると思うの。どうかな?」


 智樹は暫く窓の向こうの景色を頬杖をついて見ていた。

「うんって言ってあげたいけれども、それはちょっと難しいな……。ごめんね」

 智樹は静かに首を垂れた。

 哀しそうな顔で白蓮は呟く。

「な、な……んで?」


「仕様がないよ。僕達は時期を逃してしまったんだ」

 智樹は、君が学生だから、高校生だから。それに君よりも俺の稼ぎは少ないから、式や披露宴は無理だとは言えなかった。


「酷いよ、智樹さん……! ウエディングドレスだって着たいし、指輪だって皆の前で交換したかったよ!」


「困ちゃったなあ……。ごめんね。勘弁してよ。結婚できただけで良いじゃない。もっと大変な人達いるよ。ごめんね。俺が悪い事にしていいからさ。俺は白蓮と結婚して……」


「やだやだ……!」

 智樹の話が終わる前に白蓮は頭をバシバシ叩いて出て行ってしまった。


「あ……。白蓮……」

 止める術もなく、暫くして、冷めたモカを二杯飲んだ。

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