昼休み 鯛の釣り針亭、ランチ始めました




「そりゃ、サキちゃんが悪いでしょ」



目の前の、テーブルについてジンジャーエールをストローですすっている黒髪ツインテールの少女にあたしは言う。年は十三歳、だっけ?

黒の半袖シャツに黒のミニスカートに黒のサイハイといういでたちの少女は、心外な、という表情をした。

「でもわたしはそのおじさんを助けようと思ってとっさに」

「相手が悪すぎる。そして運も悪すぎる」

あたしはピシャリと言い放つ。

あたしの名前はデイジー。居酒屋『鯛の釣り針亭』のウエイトレスだ。

背中まで伸びたウェーブのブロンド。

ミニスカートのフリルドレス。

ドレスは胸の部分を強調するデザインになっている。まあ、強調する必要ないくらいのサイズはあると思うけど。

時刻は昼過ぎ。

鯛の釣り針亭は最近、店長の提案でランチ営業を始めた。昼休みの労働者の客を取り込もうという考えだそうだ。

しかし、狙いは外れ、閑古鳥が鳴いていた。そんな時にふらりと訪れた客が目の前の少女、サキちゃんだった。

テーブルとカウンター合わせて四十人ほどが入れる石造りの店内には、客はサキちゃんだけである。

あたしは暇だったし、せっかく彼女が来てくれたので、話を聞くついでにジンジャーエールを奢ってあげた(まだお酒はだめ)。

彼女は数日前、道端で青年に襲われている中年男性を助けようとしたことを、ガムにひどく叱られた、とこぼした。

ちなみにガムというのは彼女の雇い主の男のことで、傭兵事務所を営んでいる。そしてこの店の常連だ。サキちゃんはガムの知り合いの家の娘で、社会勉強のためにガムの元で助手をしているという。

彼女の話を聞いて「人助けしようとして立派じゃん、ガムのアホンダラはなんでサキちゃんを褒めてあげないのよ」と心の中で呟いた。

しかし、中年男性を襲っていたのがイザヤだと聞いた。しかも二回。

そうしてあたしは百八十度意見を変えた。

「イザヤは自然災害と一緒だから、逃げなきゃダメ」

「うー、でも……」

「あたしの友達の間でも有名だよ?

『ひときわ静かな路地にはヤツがいる、踏み込んではいけない。迷い込んでも見てはいけない。目が合ったとしても無視して通り過ぎろ。それが唯一助かる方法だ』って」

「そんなに?」

「今あたしが話してるサキちゃんは幽霊じゃないよね?」

「そんなわけないじゃない」

彼女は立ち上がり、片膝を上げて見せた。

ミニスカートとサイハイの間の白い太ももがたまらんですなあ。

あたしがじっとサキちゃんの太ももを見つめていると

「あの、じっと見つめられると恥ずかしいんだけど……」

と言って、彼女はそそくさと席に着いた。

むぅ、もうちょっと見たかった。

「わたしが間違ってたのかしら……」

うなだれ、しゅんとする彼女。

「人を助けたい、って思いは間違ってないよ」

「そうよね!」

がばっと顔をあげ、目を輝かせるサキちゃん。

犬みたいだな、この子。

「でも、絶対に相手をしちゃいけない人間っているの。そんなヤツに二度も遭遇して生きて帰ってるんだから、そんだけで儲けもんよ?」

「デイジーさんはイザヤに会ったことはあるの?」

「ないない。これから先も絶対会いたくない。そんな歩く災害みたいなヤツ」

「それじゃあ、イザヤと渡り合ってたガムはけっこうすごいのかも」

「渡り合ってた?」

「防戦一方だったけど」

うへぇ、あいつ危ない橋渡ってんなあ。

「でもサキちゃん、あなたまだ子どもなんだから、夜遅くに出歩いちゃダメだよ?

怖い人間がいっぱいいるんだから」

すると彼女はぷぅ、と頬を膨らませ

「ガムにもおんなじこと言われた。わたしを子ども扱いして……」

と不満を露わにした。ふくれっ面もキュートだわー。

「子ども扱いされときなさいな」

「え?」

「まだ子どもなんだから。

サキちゃんは鋭いナイフみたいな印象があるからかな。甘えるのが下手そう」

「……」

「これは言うなって言われてたんだけど。サキちゃんがイザヤと遭遇したっていう日の夜、ガムがここに来たのよ。『サキのやつが来てないか』って。ぜえぜえ息切らしてたから、あちこち探し回ってたんじゃない?」

「そうなの……?」

「そのあとガムがあなたをぶったのも、アイツなりの優しさだと思う。サキちゃんが今後危ない目に遭わないようにっていう。

まあ、吹っ飛ぶほどぶつのはやりすぎだと思うけど」

こんな美少女になんてことするんだあのアホは。

あたしだったらおしりペンペンする。

生で。

「いよいよ危なくなった時も、サキちゃんを抱えて逃げてくれたんでしょ?

普通なら一人で逃げ出すよ。相手がイザヤならなおさら」

「それは……そうだけど」

「だけど、何? まだ文句があるの?」

「……いえ。ごめんなさい」

しゅんとして俯くサキちゃん。少し詰めすぎたか。

「まあ、そこはガムに感謝しな?

そのおかげでこうしてジンジャーエール飲めてるんだから。あたしの奢りで」

ジト目であたしを睨むサキちゃん。

むぅ、少し調子に乗ってしまったか。

人生の先輩として威厳がなくなってしまいそうだ。

「でも、あのおじさんは……」

見捨てることになってしまった中年男性のことを呟くサキちゃん。

先日、新聞にその男性が殺害されたという記事が載っていた。記事を読む限り、その男は父親としてロクでもない人間のようだった。自分の娘、正確には妻の連れ子を酷い虐待の上、死なせていた。

だけどサキちゃんはそんな男のために胸を痛めていた。

もう、そんな顔をされると。

「えいっ」

あたしはサキちゃんの後頭部に両手を回し、胸に引き寄せた。

「ちょっ、デイジーさ……!」

突然のことにびっくりするサキちゃん。

「よしよし、おねーさんの胸で気が済むまで泣きなさいな」

「ちょ、いきが……ふっ……! ……っ!!」

「誰もいないから、何も気にしないでいいのよ」

あたしはサキちゃんの頭をぎゅっと抱きしめ、後頭部をなでなでする。

あたしの背後から店長の咳払いの音が聞こえてきた気がしたが無視。

しばらくして、あたしを突き飛ばすようにしてサキちゃんはあたしから離れた。ぜえぜえと肩で息をしている。顔も真っ赤だった。そんなに照れなくても。

「遠慮しなくていいのに」

あたしはちぇー、と口を尖らす。

「……いや、息が……。そのおっぱ……はんそく……」

きっと後ろの店長が気になって続けられなくなったのだろう。今度は二人きりの時にやってあげよう。

「サキちゃんはさぁ、もっとガムに甘えな? ガムの助手かもしれないけど、女の子でもあるんだから。欲しいものがあったらねだるといいよ」

「え? でも給料もらってるのにそんな」

「おバカ」

「え」

「子どもはそんなこと考えなくていいの。欲しいものを見かけたら『あれ買って!』って言ってみな? 困った顔しながらも渋々買ってくれるから」

というか、こんな美少女のお願いを聞けない男はクズだ。

ね、とあたしはウインクする。

「……うん。やってみる」

「そうそう。それでいいの」

サキちゃんはグラスを傾け、ジンジャーエールを飲み干す。

「そろそろ帰るわ。ジュース、ありがとう」

微笑むサキちゃん。ジュースを奢った甲斐があったというもんだ。

「ん、また来なね」

「ところでデイジーさん」

「ん?」

「お客さん、いないね」

「そうなのよー。参っちゃう」

「じゃあ、またね」

「まいどー」

あたしはひらひらと手を振る。サキちゃんはあたしに背を向け、店を出た。

小ぶりないいお尻だー。どう育つのか楽しみである。



◆◆◆



翌日の昼間。再び鯛の釣り針亭にて。


「そりゃ、ガムが悪いでしょ」


あたしは目の前の黒髪ツンツンの筋肉質の長身男にピシャリと言う。

年の頃は二十代後半。

黒いボタンシャツに茶の綿パンという出で立ちだ。ちなみに彼がサキちゃんの雇い主である。

店内に彼の他に客はいなかった。

テーブルについてエールを呷っていた彼は心外な、という顔をしていた。

彼は先日、サキちゃんと交戦していたイザヤと遭遇したという。イザヤと戦っている最中に敵わないと思ったガムはサキちゃんを抱えて逃げた。

その後こっぴどくサキちゃんを説教した結果、彼女が口を聞いてくれなくなったというのだ。

彼はジョッキのエールを飲み干し、嘆きながら言う。

「あの年頃の女の子は何考えてるかわからん」

「おいおいマジかガムよ」

嘆きたいのはこっちだ。あたしはわざと大きくため息をつき、ガムをジト目で睨む。

「年のせいじゃないわよ。あんた、サキちゃんが大事だって本人にちゃんと伝えてる?」

「そりゃまあ、よその家の子だから、あんまり荒っぽいことには関わらせないよう……」

「そうじゃないだろアホ」

あたしが諫めると、ガムは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「お前そんなに口が悪かったか? 普段はもっと丁寧な口調だったろ」

「あれは営業用だっつーの」

「今も営業中だろうが」

「客は今ガム一人だから構わないでしょ?」

「構うわ。丁寧に接客しろ」

「酒を飲みながら美人ウエイトレスと対面でお喋り出来て、これ以上何を望む?」

「じゃあ、とりあえずもう一杯おかわり」

「喜んで〜♪」

あたしは満面の笑みでエールのおかわりを注ぎに行く。ガムのそういうノリのいいところは好きである。

自慢ではないが、あたしはエールを注ぐのが得意だ。瓶からジョッキに注ぐ際、エール液と泡が七対三になるようにする。すると見栄えが良くなり、味も美味しくなる、らしい。客の話ではあるが。

あたしは彼のテーブルにジョッキを運び、彼の対面に腰掛ける。

彼はエールを一口飲むと

「それで、そうじゃないっていうのはなんだ?」

と聞いてきた。

「ああ、それね」

あたしは間を置き、ガムに言う。

「あんた自身にとってサキちゃんが大事かどうかよ。

有り体に言えば、あんたがサキちゃんを愛してるかどうかって話よ」

「なんだそりゃ。俺はガキには興味ねえ。俺が愛してるのはナイスバディの美人だ」

「気持ち悪いこと言ってんじゃねえバカ。そういう意味の愛じゃねえよ。

あんたはサキちゃんを慈しんでるかって聞いてんの」

「慈しむ? なんだそりゃ?」

「性欲抜きで相手を愛すること」

「……一応よその子だから、ある程度の距離を取って接しているんだが」

「そんなんだから口を聞いてもらえなくなるんだよ」

「じゃあ、どうしろと」

「あんた、普段チギリには偉そうに恋愛指南してるくせに、自分のことは全然わかってないじゃない。

事情はよく知らないけど、サキちゃん訳ありなんでしょ?

時々すごく寂しそうな顔するもの。

そんな時、あんたは黙ってサキちゃんをぎゅっと抱きしめてあげればいいんだよ」

「そうなのか?」

「そうだよ」

「でも、よくわからないから手本を示してくれないか?」

鼻の下を伸ばしてテーブルから身を乗り出すガム。

「調子に乗ってんじゃねえアホ」

あたしはガムの頭を抑え、押し戻す。

「ちぇ、作戦失敗」

「あたしがそんな安い女に見えるなら、その作戦を立てた司令官をクビにしろ」

「いやいや、やつにはまだ当分活躍してもらわなきゃならんからな」

そう嘯くと、ガムはエールを飲み干した。

そして代金を置き、席を立つ。

「話、聞いてくれてありがとな。また来るよ」

「まいどー」

あたしは手をひらひらと振り、ガムを見送る。どこか寂しげな背中で店を出る彼。

「……あんたがどうしようもなく寂しくなったときは、ね」

あたしはぽつりと呟く。

ガムが利用していたテーブルの上を片付け、ふきんで拭く。

昨日の昼間はサキちゃん一人。今日の昼間はガム一人。

あたしはカウンターの奥で鼻歌混じりにグラスを磨いている店長に向かって言った。


「ランチ営業、やめましょう」





              ―――鯛の釣り針亭、ランチ始めました―――END

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