第21話 序章4の5 ベアディグングスグロッケ

 墓地の戦闘は、既に終わりを迎えていた。

 最後の1体の吸血鬼ヴァンピールは四肢を斬られ、地面に横たわっていた。

 いくら強靭な腕力と脚力を持っていたとしても、手足そのものが無ければ発揮の仕様がなかった。

 しかし、何度でも再生できる吸血鬼を前に、ヴォルターは決定力に欠いていた。

 故に彼はこうして吸血鬼を無力化し、リーザの帰還を待っていた。


「もう、お父さんったら・・・。残酷なんだから。」


 ふいに、彼の後ろから声が聞こえた。


「仕方ないだろう。私ではコレを滅し切れないからな。」


 ヴォルターは後ろを振り返ることなく、地面に倒れ伏すものを見下ろしていた。


「それじゃ、早く終わらせますか。」


 軽い調子で、リーザは手をソレにかざす。


 吸血鬼は、己の逃れられない絶対的な終焉が、消滅犇々ひしひしとにじり寄るのを感じていた。

 そしてソレは、一際大きな叫び声を上げる。

 迫り来る死に対する反逆か、はたまた悪足掻きか。

 吸血鬼はつんざく様な断末魔の咆哮を上げた。

 その咆哮は、夜空に、森に、地の中に響き、浸み渡っていった。


 その時、異変が生じた。


 空が震えた。

 地がうねりを上げた。

 空に、一つ、二つ、三つ、・・・、と次々に幽霊が出現し、集まり始める。

 地面からも霊魂が次々に這い上がり、瞬く間にその数は膨れ上がっていった。

 森の中からは、蛾を始めとする無数の羽虫が飛び出してきた。

 そして土中から出てくるモノの中には、更に数体の吸血鬼も混ざっていた。

 

「あらあら、これはちょっと・・・。」


「良くない状況だな。」


 二人は、周囲に目を遣る。

 そうしている間も、その数は瞬く間に増えていく。

 再び足元の吸血鬼に目を戻すと、未だに空気を揺るがすような咆哮を上げていた。

 二人の視線に気が付いたソレは、ニヤリと顔を歪ませた。

 明らかな悪意の籠った、嗤いだった。


「お父さん、子供達をお願い。」


 リーザは、足下で嘲笑を浮かべる吸血鬼へ火を放つ。

 たちまちに、巨大な火柱となってソレは燃え上がった。

 

「わかった。やり過ぎるなよ。」


 彼女の意図を理解したヴォルターは、再び森へ向かって駆け出す。


「やれやれ、今夜は大盤振る舞いね。」


 足下の吸血鬼は既に灰燼と化し、その咆哮も止んでいた。

 リーザはその灰に一瞥をくれることもなく、教会へと向かった。


 召集を掛けていた大元を絶った為、亡霊や亡者の増加は止まったが、それでも既に相当な数に達してた。


「それじゃあ、最後の一仕事と行きましょうか。」


 周囲を埋め尽くさんばかりに蠢く大群を前に、リーザは不敵に笑う。

 そして、


「”Kling' die Nacht durch, klinge, süßen Frieden bringe dem, für wen du tönst!”(さあ、鐘よ鳴り響け、夜半よわの彼方まで響き渡れ。君の音色に酔い痴れる者たちに、穏やかなる安息をもたらそう。)」


 歌が紡がれた。

 その透き通った歌声は、悪鬼共の上げる悍ましい呻き声や、群れを成す羽虫の不快な羽音に一切穢されることなく、墓地に響き渡った。

 再び黒煙へと変化したリーザは空に舞い、吸血鬼の脇をすり抜け、幽霊や羽虫共の合い間を縫って飛び回った。

 まるで悪戯好きの妖精アールヴのように、魍魎もうりょうの群れを揶揄からかいながら飛行した黒煙は、やがて協会の鐘楼のもとに降り立った。


「”Kling' in weite Ferne, so du Pilger gerne mit der Welt versöhnst!”(さあ鐘よ、更に更に響き渡るのだ。遙か遠く、地平の果てまでも。さすれば君は、世界と旅人を結ぶ絆となれるのだから。)」


 鐘楼の下に広がる光景は、常人からしたら目を覆いたくなるような、地獄の釜が開いたかのような悍ましい光景だった。


 それでも猶、歌声は響き渡った。

 心の底からの楽し気な歌声だった。

 歌を奏でる彼女の顔には、恐怖や不安は一切が浮かんでいなかった。

 どこまでも穏やかな顔だった。

 リーザは、鐘の鎖を握り、力を込めた。

 

「”Es klingt so lauter, wie ein Gottvertrauter seine Laufbahn schließt.”(その弔鐘は、遠く、深く、果ての果てまで響き渡る。まるで敬虔な旅人が、己が巡礼の終焉を迎えるように。)」


 彼女の動きに合わせて鐘楼のぜつが動き始める。

 本来であれば、人間一人の力で動かすことは不可能であるはずの舌が動き出す。


 宙を漂う妖や羽虫は、一斉に彼女へ向かって殺到した。

 誘蛾灯の如く、リーザの歌声が虫怪ちゅうかいの群れを呼び寄せていた。


 だがそれ以上に、このまま彼女に鐘を鳴らさせることは危険であると、虫も妖もその本能で直感したのだ。

 彼女の指に、掌に、腕に喰らい付き、それを阻止せんと大口を開けて飛び掛かろうとした。

 そして己が爪を、牙を、突き立てんとした、その刹那。

 鐘が鳴った。

 その音は、遠く遠く、はるか先の林を抜け、野原を抜け、山々の向こうまで響き渡る、荘厳で澄んだ音色だった。


    ※


「きゃあッ!」


「うわッ!」


 突然墓場からつんざくような叫び声が聞こえたと思ったら、その次には、ハイジとレオンの背後から大量の羽虫が通り過ぎて行った。


「何なのよ、もう!」


 虫に触れられたという不快感に、ハイジは思わず悪態をつく。


「ねえ、あれ・・・。」


 レオンは墓場の方を指さす。

 その声は震えていた。

 指先を追うと、そこには新たに出現した吸血鬼と、宙に浮かぶ大量の幽霊が跋扈する光景が広がっていた。


「・・・なんなの、アレは。」


 そんな言葉が思わず漏れた。

 あまりの事態に理解が追いつかなかった。


 二人が言葉を詰まらせ、戦慄していると、ヴォルターがハイジたちの元へ恐ろしい速さで駆けて来た。


「二人とも、急いで耳を塞げ!」


 着くや否や彼は、二人にそうまくてた。


「どうして・・・、」


「いいから、早くしろッ!」


 その剣幕に、只ならぬものを感じ取った二人は即座に従った。

 そして二人が耳を塞いだすぐ後に、教会の鐘が鳴った。


 その瞬間、脳が激震が走った。

 急激に意識を奪われそうな感覚に陥った。

 だがその衝撃は、苦痛を伴うものではなく、恐ろしい程に心地良いものだった。


 これまで何度も聞いている筈のその教会の鐘の音が、まったくおもむきを異にする音色となって聞こえた。

 心の隅々まで明るく照らされるような、洗われるような思いだった。

 昇天するような夢心地とは、まさに今の感覚のことなのだろう、とハイジは思った。

 朦朧とする意識の中、見えたものは隣で歯を食いしばっている父と、同じく曖昧な状態と思しきレオンの姿だった。


 そして林の向こう側には、凄惨たる光景が広がっていた。


    ※


 リーザが鐘を鳴らした瞬間、ソレが起こった。

 漂っていた幽霊たちの存在が希薄になり、次々と雲散霧消する。

 飛び回る力を失い、遂には羽ばたきを止めた大量の羽虫が、地上へ降り注ぐ。

 あの吸血鬼も同様、その鐘の音を聞いた途端に力無く膝から崩れ落ち、次々と地に倒れ伏していく。

 そして地に落ちたが最後。

 彼女の鳴らした鐘の音を聞いた総てのモノは、一つの例外すら無く、二度と動き出すことは無かった。


「ふー、終わった終わった。」


 鐘の音が鳴り終わる頃には、一切の動き回るモノはいなくなっていた。

 後には、静寂だけが残っていた。


    ※


「はーあ・・・、もうくたくただよ。そろそろ帰ろうか。」


 3人のもとに戻ったリーザは、あくびをしながらそう言った。


「お疲れ、リーザ。」


「うん、お父さんもね。おつかれさま。」


 リーザとヴォルターは、今まで張り詰めていた緊張を解き、笑顔を交わした。

 あれほど月光を注いでいた月は薄くなり、東の空はもう既に暁の色に染まっていた。


「ハイジ、レオン。それじゃあ帰りましょうか。美味しい朝ごはんも待ってることですし。」


 ウキウキと、子供っぽく笑顔を浮かべるリーザ。


「だけど二人が約束破ったこと、私は忘れてないからね。」


 優しく二人をたしなめるリーザ。


 それはいつもの母の顔だった。

 それを見たハイジは、ようやく怖かった夜を乗り越え、普段の朝を迎えたことを実感した。

 しかしハイジは、心の底から喜ぶことは出来なかった。


 この夜がハイジに与えたモノは、決して小さくない。

 初めて見た吸血鬼。

 初めて見た母リーザの一面。

 そして、初めて母に懐いた感情。

 それは憧憬であり、同時に恐怖でもあった。


    ※


「はあ、凄まじいな。」


「ええ、もう少しで巻き添えを喰うところでしたね。」


 四人が立ち去った後の、窓から僅かに朝日が差し込む協会の中に、二つの人影があった。

 1人は息を切らし、顔を蒼く染めた男性だった。

 そしてもう1人は、何事も無かったかのように平然とその男性を気遣う女性だった。


「それで、いかがでしたか?あの力は。」


「素晴らしいよ。私の想像通りの・・・、いや、想像をはるかに超えていた。

 民間の伝承も馬鹿に出来たものでは無かったよ。あの力は是非ともほしいものだ。」


「それならば、重畳です。私も吸血鬼を用意した甲斐があるというものですよ。」


「早速準備に取り掛かるぞ。金に糸目は付けん・・・、あれだけ強大な魔女なのだ。

 どれだけ金が掛かろうが、必ずそれ以上の見返りは来る。」


「承知いたしました。」


「それと、当日は私もあの者達の前へ赴く。」


「貴方様が、自らですか。」


「僅かでも可能性が上がるのであれば、手は尽くすべきだからな。」


「なるほど、理解しました。であればそれも含めた上で、早速準備を進めさせていただきます。

 それでは、失礼いたします。」


 深々と頭を下げると、その女性は教会を後にした。


「ようやく・・・、ようやく満足に足るものを見つけた。

 長年の苦労がやっと報われた。

 あの力があれば、ドイツ国家、延いては我らアーリア人の、全く新しい未来を切り開くことも不可能ではない。

 いや、間違いなく新たな時代の幕開けとなる。」


 込み上げて来るのは興奮と歓喜。

 思わず口元が緩んだ。

 気を付けなければ、今にも笑い声を上げてしまいそうになる。


 それ程までに、この男にとって昨晩の出会いは、待ち望んでいたものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る