第17話 序章4の1 クライネへクセ

「お父さま。」


「どうしたんだい、ハイジ?」


「私、お母様やお婆様にも負けないような、立派な・・・。

 立派な魔術師になります。」


「それは非常に頼もしいね。それにハイジなら、きっとなれるさ。

 なんたって私とリーザの娘なんだから。」


 それは幼い少女の誓いと、父親の祈りだった。


    ※


 有史以来、初の世界大戦が欧州の各地を戦火に包んだ。

 その大戦による犠牲者は、1000万人を超えるとも言われていた。

 未だ嘗て無い規模で繰り広げられ、統計学的な規模の戦死者を出した第一次世界大戦は、ドイツ帝国を中心とした同盟国側の敗北を以って終焉を迎えた。


 いつの時代であっても、勝者は敗者に対して容赦はしない。

 元々、どちらが悪いと言う訳でも無く始まった大戦であったが、戦勝国というだけで敗戦国に突き付けた制裁や賠償の要求は、あまりに苛酷に過ぎる内容だった。

 死体の骨まで焼き尽くさんとする勝者の所業に、瞬く間にドイツの政治と経済は異常をきたし、破綻はたんに追い込まれていった。

 その煽りを受けたドイツ国民をはじめとした敗残者達は、絶望と貧困に喘ぎ苦しんだ。


 そして当然の如く、彼等は戦勝国への恨みを募らせていく。

 やがて全ての理不尽に鉄槌を下さんが為に。


 二度と立ち上がれぬように骨の髄まで燃やし尽くされ、土中に葬られたはずのむくろは、人々の絶望と怨嗟を糧に髑髏ドクロの帝国を築き、再び地上に舞い戻らんと、地下墓地カタコンベの中でうごめき始める。


    ※


 ドイツ南東の片田舎。

 チェコスロバキア共和国との国境付近に位置する小さな町、ホーエンベルク。

 古城ホーエンベルク城が小高い丘の上から町を見下ろし、町の中をエーゲル川が流れ、緑溢れるフィヒテル山地に囲まれた長閑のどかな田舎の村だった。


 田舎の夜は早い。

 街灯などは殆ど存在しない為、深い闇が町を覆い尽くす。

 降り注ぐ月光が辺りを明るく照らす月の晩ならまだしも、それすら無い夜は、民家から僅かに漏れる光がだけが夜道を行く者の唯一の標となった。

 そんな暗黒の中を好き好んで歩き回る者などおらず、日が暮れた後は住人達は明かりを消して早々と床に就く。

 結果、一層夜は深まるのだった。


 ただ一つの家を除いて。


 田舎であれば、国家や人種を問わずに怪談話の一つや二つ、どの町にも存在する。

 このホーエンベルクも例外では無い。

 夜になると幽霊が現れる、死体が墓の下から出て来て歩き回る、などといった特に目新しくも無い噂話が町の子供達の間で囁かれていた。

 そして大人達も、夜更かしをすると幽霊や死者に襲われる、悪い子は連れて行かれる、と子供達に言い聞かせ、しつけに利用していた。


 ただこの町が他と違っていたことは、夜中になると、現実にそういったモノが現れ彷徨っている、ということだった。


    ※


「それでは、今夜も宜しくお願いします。」


「ええ、ぜひ私に任せて、安心してお休みください。」


 ある夜、初老の男と黒いローブを被った壮年の男が、小さな民家の入り口でそんな会話をしていた。

 初老の男は、礼をして家の扉を閉めた。


「それじゃ、行きましょうかね。」


 民家を離れた男に、同じような黒いローブを羽織った女性が明るい声を掛けた。


「ああ、そうしよう。」


「今夜はどうかしらね。」


「わからんが、ここ3、4日は現れていなかったから、そろそろだろう。」


「うへえ、嫌だなあ・・・。」


「そう言うな。これも私達の務めだ。」


「はーい。」


 二人は集落から出て、森へ、墓地へ、古城へと見回っていく。


「やっぱりあなたの言った通り、居ましたね。」


「そうだな。なら速やかに・・・、」


「ええ、速やかに祓うとしますか。」


 そして二人は、遭遇した幽霊を、徘徊する死者達を祓い、狩っていった。


    ※


「はあー、疲れた。

 最近あいつらも、やたらと強くなってきましたね。」


 東の空の夜が少し薄らぎつつある中、人里近くの小高い丘の上の草原に腰を下ろした女性がため息をついた。

 ローブの被りは取られており、そこから金色の髪が垂れ下がり、草の上にとぐろを巻いていた。


「やはり、先の大戦の影響だろう。多くの者が亡くなったらしい。」


「あれって結局何だったんですかね?

 いつの間にか始まって・・・、いつの間にか終わって、私達の負け、ということになっていた。」


「・・・そうだな。」


 男性の顔は、曇った顔をしていた。

 先の大戦は、国外が戦場となって行われていた。

 故にドイツ国民は、戦時中であっても猶、誰もが普段と変わらぬ生活を送っていた。


「そして私達に残されたのは、皇帝の居ない帝国と莫大な負債だけ。何の冗談なんですかね、これ・・・。笑えませんよ、まったく。」


 記事の片隅に戦争の文字を見るだけで、まるで対岸の火事だった。

 いつの間にか始まって、いつの間にか終わっていた。

 何ら戦っているという実感も無いまま、自分達は負けていた。 


「起こってしまったことは、どうにもできん。彼らには苦しい生活を強いてしまうが、それでもやっていくしかないんだ。」


 金髪の女性の方は、”むー”、とまだ不満そうな顔をしていたが、彼はそんな彼女を諫める。


「さあ、もうすぐ夜も明ける。戻ろうか。」


 そうして男は、ローブを被り直した。


    ※


 二人が集落の入り口に着くと、数人の村人が出迎えてくれた。


「お疲れ様です。私達が安心して夜を過ごすことが出来るのも、領主様のおかげです。」


「よしてください、これが我々の役目ですから。

 それに、我々はあくまで領主殿の護衛の騎士の家ですから。」


 出迎えられた男は、慌てて手を振った。


「それでもです。私達は、領主様バイロイト家と貴方達、グリンデルヴァルト家に先祖の代から守って戴きましたから、感謝してもしし切れないのですよ。」


 そう言って男が苦笑すると、


「それはこちらも同じですって。

 みんなのおかげで、私達も暮らしていけるのだから、お互い様ですよ。」


 隣にいた女性は、気軽に言った。


 そうして暫く、村の住人との井戸端会議に熱を入れていると、


「ヴォルターお父さまー、リーザお母さまーッ!」


 と人垣の向こうから幼い声が聞こえた。

 その声の元へ目を向けると、ててて、と走って来る少女の姿があった。

 その少女が、二人の元まで来ると、


「おかえりなさいませ、お父さま、お母さま。」


 と、可愛らしい声でそう言った。


「あらハイジ、いい子にしてた? ちゃんと一人でも寝れた?

 いい子にしてないと妖鬼ラルヴァに食べられちゃうぞー。」


 リーザと呼ばれた女性は、愛娘を持ち上げて言った。


「もう、お母さまったら。ちゃんと良い子にしてましたよ。それにお化けが出ても、わたし怖くないもんッ。」


 ハイジが母親の言葉に頬を膨らませると、


「生意気言うようになったなあー。こいつめ、こいつめー。」


 悪戯っぽく茶化し、リーザはハイジを抱えてくるくると回った。

 そんな母と子の様子をヴォルタ―は優しく見守り、


「それでは皆さん、私達もそろそろ戻って朝食を取ろうと思いますので。」


 礼儀正しく住人に別れを告げて、


「おーい、リーザ、ハイジもう帰るぞー。ぐずぐずしてると置いてくぞ。」


 と言って歩き出した。


「まってよー。」

「まってよー。」

 

 という二人の子供っぽい声が後ろから聞こえた。


    ※


 彼らグランデルヴァルトの家は代々、ホーエンベルクを治めていたバイロイト家の近衛騎士として仕えてきた。

 バイロイト家は、数百年に渡りホーエンベルクの地を支配し続けていた。

 支配と言っても、小さくて力の弱い田舎の貴族に過ぎなかったバイロイト家は、領民に圧政を強いることなど到底不可能であり、常に彼らの顔色を窺う必要があった。

 しかしそれ故、歴代のバイロイト家当主達は、領民の顔色は窺うが舐められるような真似もさせない、といった適度な善政を敷いてきた。

 そのため、領民からの信頼も高かった。

 ホーエンベルクが国境に位置することもあり、時には戦火に晒され、時には支配国家が替わることもあった。

 だが政治的観点と効率から、どの国の王も、そのままバイロイト家にホーエンベルクを管理させ続けた。


 そしてグリンデルヴァルト家は、領主家の近衛騎士ではあるが、弱小貴族であるバイロイト家に仕える騎士など、そもそもこの一家しか存在せず、その関係も主従といった上下関係が明確なものでは無く、友人同士のソレに近いモノだった。


    ※


「お母さま、食事の後で、魔術の稽古をお願いします。」


「ええわかったわ、ハイジ。でも、少し休んでからね。私すっごく眠くて・・・。」


「それじゃその間、私は何をしてればいいの?」


 ハイジは少し不満そうな顔をした。


「そうねえ・・・、お父さんに剣の稽古をしてもらってればいいんじゃないかな?」


「ええ・・・、私も休息を取ろうと思ってたのだが。」


 急に話題にされたヴォルタ―は、困ったようにリーザとハイジの方を交互に見た。

 彼の娘は、嬉しそうに彼を見詰めている。

 リーザは、悪戯っぽくジットリとした目で見ていた。


「そういうことだから、ハイジ。しばらくの間お父さんと遊んでてね。」


「うんッ!」


 どうやら勝手に話が付いたようだった。


「わかったよ、リーザ。私の負けだ。」


 思わず彼は、溜め息を溢すのだった。


    ※


 欧州で起こった産業革命を始めとして、あらゆる分野において科学技術が発達してきた。

 発展の原動力となった啓蒙思想に従って、人々はこれまでの迷信や、非論理的な思考を排し、未知の現象やこれまで神秘オカルトだと信じられてきた事象を、論理的で科学的な考え方で説明しようと試みてきた。

 そうして化学や力学、生物学、物理学などが、かつてない程に進歩を遂げた。

 その結果、かつての迷信や神秘オカルトのだったものの謎が次々と解明されていき、神や悪魔、そういった類のモノは実在しないということが、やがて証明されて行く・・・筈だった。


 しかし確かに、似非えせ神秘の謎が解け、迷信が消えて無くなっていくその一方で、化学や物理学といったモノでは明らかに説明が付かない正真正銘の本物の神秘オカルトが確かに存在していることを、皮肉にも科学が証明してしまった。


 そして、当時の科学者と宗教家は恐れた。

 神秘の存在を否定する筈だった科学が、神秘の存在を肯定してしまったことを。

 もし、神秘が実在することが公に証明されてしまえば、間違い無く世の中が混乱に陥ってしまうであろうことを。

 そして、再び魔女狩りが起こってしまうことを。


 彼らは悩んだ。神秘の存在を公にしてはならない。

 しかしその為に在野に存在する神秘を使う者、魔術師をどうにかしなければならなかった。


 科学者も、宗教家も、そして為政者も交え、彼らは悩んだ。

 悩み、悩み、悩み抜いた末に、最悪の決断を下した。


 再び魔女狩りを断行することを決意した。

 魔女狩りを防ぐために、魔女狩りを行う。

 彼らは、致命的に矛盾した結論を下したのだった。


 18世紀、欧州で最後の魔女狩りが行われた。

 実在する神秘を根絶すべく、かつてない規模で徹底して行われ、真贋しんがん関係なく処刑された者達の屍山血河しざんけつがが、各地に築かれた。


 そして19世紀の産業革命と共に、


『神秘は既に消え去り、今まさに科学が立ち上がった。』


 という宣言がなされ、神秘が消滅したかに見えた。


 だが、神秘は地上から消滅してはいなかった。

 それも当然のことだった。

 例えどれほど大規模な魔女狩りを行ったと言えども、所詮それは欧州の中だけのことであったからだ。

 それ以外の地の神秘は依然生き続け、また、欧州の魔術師も欧州から出ることで難を逃れたからだった。


    ※


 グリンデルヴァルト家は、騎士の家柄であると同時に、魔術師の家でもあった。

 この家の始まりは中世頃と言われていた。

 当時もこの土地の領主と領民は、夜中に徘徊する化物や、化物の悪夢に悩まされていた。

 彼らはソレに何とか対処をしようと、ニンニクを戸口にぶら下げたり、鎌などの鉄製の農具を戸の前の地面に突き立てたりなどの方法を試してた。

 力の弱い化物ならば、その方法で防ぐことは出来たが、強力なモノとなると効果が無く、深夜に家の中に侵入され、襲われ、最悪死亡する事態にまで陥っていた。

 そうして困り果てていた領主の下に、一人の男が現れた。

 男は、領主に己がギリシアから来た旅の魔術師で、カバラの魔術を使うこと、風の噂でこの地のことを知ったこと、それを解決する為に訪れたことを話した。


 彼は、ゲッレールト・グリンデルヴァルトと名乗った。

 この男こそが、騎士の家グリンデルヴァルト家の始祖であった。


 領主バイロイトは、天からの福音とばかりに彼を歓迎した。

 ゲッレールトは準備を整えると早速、原因を祓うべく夜の中に飛び出した。

 道中、遭遇した何体かの化物を彼は難無く倒し、魔力の強まっていく方を目指し進んでいった。

 そして、魔力の発生源と思われる所に着くと、そこは村の外れの墓地だった。

 その中にいた一人の魔女が死体や幽霊を操っているところに出くわした。

 彼は、ソレが元凶だと判断して倒すべく戦いを挑んだ。


 その戦いは三日三晩に及んだ壮絶なものだったという。

 だがその死闘も、とうとう決着は付かなかった。

 その後、両者の間にどういった経緯があったかは不明である。

 そして驚くべきことにゲッレールトは、その女を伴侶にすると宣言した。

 領主は当然そのことに激怒し、この事態を引き起こしたであろうその女を早いうちに処刑するように捲し立てた。

 しかしゲッレールトは怒れる領主を説得した。

 また自身がこの地に留まって今後も守っていくこと、彼女がそのようなことを行えないよう制約を契らせること、などを条件として提示した。

 領主は、彼に恩義があることもあって、それらの条件の元に彼女の処刑を容赦することを決めた。

 それでも初めのうちは不審がっていた領主バイロイト家も、月日、年月、年代を重ねるごとにグリンデルヴァルト家を信用し、信頼するようになっていった。

 そのような家族ぐるみの付き合いも数代を過ぎる頃になると、先祖にあった出来事を、ある種の武勇伝のように笑いの語り草にするようになっていったのだった。


    ※


「お母さま、今のお話は・・・、本当なの?」


 数年前に初めて自らの祖先の話を語られたとき、ハイジは驚き半分、また疑い半分でそれ聞いていた。

 もし、始祖の女性が蘇った者だったとしたら自分たちは死者の末裔になるのでは、と幼心に彼女は不気味に思った。だが同時に、流石に荒唐無稽に過ぎるとも感じていた。

 そしてその時のリーザの答えは、


「さあ、わかんない。」


 という何とも素っ気無い言葉だった。


(そんなアッサリと言わなくても・・・。)


 と、そんな彼女の答えにハイジも幼心ながら呆れていた。


「だって、600年も前のことだし、もう今では調べようがないんだもん。」


 至極もっともな言葉だった。そして、


「それに、真相なんて、そんなに大事なことじゃないの。

 今こうして私も、ハイジも、一人の人間として生を受け、生きているんだから。」


 リーザはそう言って、ハイジの小さな頭を撫でていた。


「もし将来、私達の始祖の真実が明らかになっても、それで私達の何かが変わるわけじゃない。

 彼女が何者であろうと、私は私、ハイジはハイジのままなのだから。」


 その時のリーザの誇らし気で、優し気な顔は、何時までもハイジの心の中に残っていた。

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