第12話 序章3の7 手紙

 千春がベットの中で目を覚ますと、見知らぬ天井がそこにあった。

 ゆっくりと上体を起こし、周囲を覗う。

 ガラスの格子窓からは、光が差し込んでいた。

 部屋の中へと目を向けるが、やはり見知らぬ部屋だ。

 床が畳ではなく、木の板張りで絨毯が敷かれており、様々な見知らぬ家具や調度品が室内に置かれていた。

 机、椅子、本棚などは、千春の知っているものとはだいぶ違うが、形を見れば、それを何となく理解できる。

 しかし、電気スタンド、電気ストーブ、ラジオといった西洋由来ものは、千春にはそれが一体何なのか、理解できなかった。

 千春が目覚めたその部屋は、所謂洋風の書斎といった感じの部屋であったが、千春にとっては生まれて初めて見る光景だった。

 ベットから起き上がると、近くにあった姿見鏡の前へ立つ。

 自身の装いもまた、着慣れた着物やもんぺでは無く、初めて見るものだった。

 白地で帯紐といったものは無く、ゆったりとしており、空いた穴に頭を通すことで着脱する衣服だった。

 さっそく、千春はその白い寝間着を脱いで裸になり、それを鏡越しに観察した。

 あれだけボロボロにされたというのに、殴打痕や裂傷といった類のものは一切無い。

 それどころか、かつてあの妓楼で付けられた古傷の痕も全てなくなっており、白く綺麗な肌がそこにあった。

 身体をひるがえし、背中も確かめてみたが、それらしいものは無くなっていた。

 

「これが、あの男との契約の結果・・・。」


 身体から醜く目立つ傷跡が消えたことに、少なからず感じ入るものがあった。

 だが、それ以上の大きな変化に動揺を抑えきれずにいる。


「髪が・・・白く。」


 黒かった千春の髪は一本たりとも余さず、全てがその根元から毛先に至るまで雪のように透き通った純白へと変色していた。

 それを少し束にして、手に取る。

 その手触りや質感には全く変化は無かった。

 どうやら、髪の色だけが変わったかのようだった。

 

(髪が痛んだり、変質したりしてないようだけど・・・、)


 老婆を思わせるその白髪をキュッと握る。


(少し、嫌だな。)


 自分の姿を見ながら溜め息を吐くと、その時、背後のドアが叩かれれた。


「もう起きていますか?入りますよ。」


 その直後にドアが開き、一人の少年が顔を覗かせた。


「ああ良かった、お目覚めになられたみたいですね。

 身体の調子の方はいかがですか・・・、って、うわあ!」


 いきなり少年が頓狂とんきょうな声を上げると、慌てて扉の向こうへ隠れてしまった。

 一体どうしたのだろう、と千春が訝しむと、


「どうして裸なんですか。早く服を着てくださいッ!」


 扉越しに捲し立てられた。


「ああ、そういえば・・・、」


 そこでようやく思い出したように呟き、千春は手に持つ寝間着に目を落とした。


    ※


 千春は机を挟んで、少年と向かい合うように椅子に座らされ、


「まったく、貴女は女性なんですから、もっと恥じらいを持ってください。だいたい・・・」


 と暫く間、千春は初対面の男の子に説教をされ続けていた。

 今さら、己の裸を見られた程度で取り乱すことなど無い千春は、特に反省して聞き入れる訳でもなく、説教そっちのけで正面に座る少年を観察していた。

 年齢はおそらく自分と同じか、一つ、二つくらい上だろう、と千春は思った。

 利発そうな顔立ちだが、まだあどけなさの残る、可愛らしい顔立ちだった。


 未だに顔も赤く、その説教の調子も焦っているように全体的に早口で、ところどころ声が上擦うわずったりもしていた。

 時々その少年と目が合うが、直ぐに逸らされる。

 羞恥心を隠すために少年が目線を合わせずにいることが、千春には丸分かりだった。


(純粋というか、初心というか・・・、)


 千春が少年に懐いた印象はそういったものだった。

 だがそれは、決して嫌なものでは無かった。

 少なくとも今まで千春が遭遇してきた男共とは、比べるまでも無い。


「分かりましたか?」


(ようやく終わったみたいね。)


「ええ、以降は気を付けます。」


 千春は適当に答える。

 少年の努力も虚しく、千春はその言葉の殆どをまるで覚えていなかった。

 だが少年に、それを知る術は無い。


「それならば、よろしいのです。」


 その少年は気が済んだかのように、満足げに締め括った。

 しかしその顔は、まだ少し赤かった。


    ※


「そういえば・・・、」


 再び千春に向き直った少年は、


「まだ、貴女あなたのお名前を存じておりませんでしたね。

 よろしければ、教えていただけませんか?」


 優しく微笑んで言った。


「千春・・・、鬼柳千春。」


 千春は素気無すげなく、それだけを告げた。


「きりゅう・・・ちはる。」


 だが少年は、そんな少女の冷たい態度を気にすることも無く、その名前を反芻はんすうすると、


「うん、わかりました。これからも宜しくお願いします、千春さん。」


 リンゴのような顔をほころばせ、何処までも嬉しそうに言った。

 混じり気のない純粋な笑顔だった。

 そんな表情を向けられたのは、千春が東京に来て以降、茜以外はこの少年が初めてだった。

 それ故だろうか。


「ええ、こちらこそ。」


 千春自身も気が付かないくらい微かではあるが、自然と笑みを見せていた。


 少年もまた、千春に己の名を告げ、軽く身辺を説明した後、二人は少しの間、談笑に花を咲かせていた。

 初めのうちは、少年がひたすらに少女へ問い掛け、それを彼女が、やや淡々と返答していくといった調子ではあったが、次第に少女の方からも徐々に語り掛けるようになっていった。

 元々、千春は好奇心が強い性質ではあった為、少年との語らいに慣れてくると、初めて見る調度品から、窓の外に見える建物、果ては少年の異性の好みなど、明け透けに尋ねて行った。

 

「ところで、私の身体をご覧になった感想はありますか?」


「い、いきなり何を言うんですかッ! そういうことは慎んでください。

 もう・・・、怒りますよッ!」


「フフ、冗談ですよ。」


「全くもう・・・。」


 少年は千春を気遣い、殊更ことさらにあれこれと余計な詮索をするようなことはしない。

 あくまで他愛もない問いを投げ掛けるに留め、反対に彼女からの問いは、答えにきゅうするものは何とかはぐらかしつつも、それでも一つ一つ丁寧に答える、といった調子だった。

 千春もまた、彼の気遣いにはすぐに気付いた。

 そして、それを承知の上で特に遠慮することなく問い掛け、或いは、揶揄からかったりもしたが、それらが彼を不快にさせることなど決して無いよう、彼女もまた気を配っていた。

 

 千春にとってこの少年の心遣いが、何よりも尊く、ありがたかった。

 故郷を離れて以降千春は、決して休まる瞬間など存在せず、常に地獄のような時間と日々にさらされ、耐え続けてきた。

 そしてようやく、今このとき初めて彼女は、心が安らいでいくのを感じていた。

 初めて見る純粋な笑顔、受ける気遣い、感じる安らぎ。

 東京へ来てからもう既に1年以上の時間が経っていたが、千春にとって、少年との出会いには初めてが多過ぎた。


    ※


「それで・・・、私がここへ来たのは、どれくらい前なの?」


 そして千春は、本題へと切り込んだ。


「ええっと、およそ五日前です。

 あの日の夜、あの人が千春さんをここまで運んだのです。」


「私を運んだという人は・・・。」


 新たに生じた疑問を続けて問う。


「ごめんなさい。あの人は、今は不在でして・・・。

 何分なにぶん、最近は彼はよくフラッと外に出掛けて行くことが多く、その帰還もその時々で変わるので、次に会えるのが何時いつになるかは僕にも正直分かり兼ねます。」


 少年は、面目ない、と困ったように苦笑した。しかし、


「それでも大丈夫です。彼が千春さん宛てに手紙をしたためていまして・・・、」


「手紙・・・?」


「そうです。そして貴女が目を覚ましたら、手紙と他にも幾つかの物を渡すように言い付かっておりました。

 今お持ちしますね。」


 そう言うと、彼は席を外した。

 千春は、少年の表情が気になった。

 彼が浮かべた表情は、目的の人物の不在を申し訳なく思うものだけではなかった。

 もっと別の、不安に近い感情も含まれていたように感じた。

 先の語らいで純粋で朗らかな笑顔を浮かべていた少年が、そのように表情を曇らせることに何か引っ掛かりを感じるのであった。

千春が疑念を懐いていると、再び扉が開き、


「お待たせしました。こちらです。」


 少年は、机の上に紙の袋と装飾の施された小箱を並べた。

 その上に蝋で封をされた洋封筒が置かれていた。

 千春は封を解き、中の便箋びんせんを取り出すとそれを読み始めた。


    *


『謹啓


 やあ、おはよう。身体の具合の方は如何いかがかな。

 君の身体の方に起こった変化だが、それについては残念ながら、そういうものだと思って受け入れて戴きたい。

 あの後、君は気を失ってしまった為、君をこの僕の部屋まで運んできたという次第だ。

 ああ、だからと言いって変に恐縮する必要はない。そこに在るものは好きに使ってくれて構わないし、好きなものを持って行っても構わない。何なら、その部屋自体を自由に使っても良い。

 この部屋にある物は、僕の所有物ものだし、また僕の主にも簡易ではあるが事情は説明してあり、彼の許可も頂いている。』


 つらつらと読み進めていったが、次の文字を見た時、それまで流れるように進んでいた目がピタリと止まった。


『もう一人の少女、茜さんのことだ。

 あの後僕も急いで処置を試みたが、如何せん傷が深過ぎた。

 それに時間も経ち過ぎていた為に、救助も間に合わず、彼女を救い出すことが出来なかった。

 君には本当に申し訳無いことをしたと、僕もひどく痛感している。

 そのことに関しての罪滅ぼしという訳では無いが、あの後、彼女の遺体は僕の方で埋葬した。

 あのまま風雨に吹かれ、朽ちるに任せる・・・、というのは、彼女にとってそれは余りにも無残であったから、勝手ながらそうさせて戴いた。

 彼女の墓は、この建物から北へ歩いたところの、帝國大学の近くにある菊坂町という寺にある。

 良かったら彼女を見舞ってどうだろうか。

 地図も同封しておこう。その寺の住職にも話は通してある。

 彼女にとっては、あもりにも早過ぎる最期であったが、それでもその瞬間まで、君という素晴らしい姉と居られたことは間違いなく幸せな最期であったと、僕は思う。

 また再び彼女が生を授かる時には、次こそ幸福な生を謳歌できるようにと、僕も冥福を祈っている。』


 千春の頬を雫が伝う。

 あの夜のことが思い出される。

 少女の身体から失われていく温もりと、それを直に味わった己の腕。

 千春は、茜の死が現実のものだったのだと、改めて痛感させられた。


「だ、大丈夫ですか?」


 正面にいた少年が、心配そうに声を掛ける。


「ええ、大丈夫よ。」


 軽く指でその濡れた頬をぬぐう。

 彼は、何か言いたげではあったが、それ以上は口にしなかった。

 再び、手元へ目を落とし、読み進める。


『そして、ここからが本題で君のことなのだ。、

 とは言え、申し訳無いがそれ程この手紙に特筆するようなことは余りないのが、正直なところだ。

 まずは、付随する箱の中身を見てほしい。』


 その指図に従い、小箱に手を伸ばし、中を検めた。


「これは・・・、」


 そこには、懐かしく、そして良く見慣れた祖父の形見の仮面が丁寧に納められていた。

 あの日、妓楼から脱走した時の僅かな手荷物の中に、この遺品を入れていたのを思い出した。

 再び、手紙に目を落とす。


『確かそれは、喝禍儺面カッカタメン、という鬼の面だったかな。

 どうやらそれが君の呪物らしい。

 使い方については省かせてもらうよ。何故ならソレについては僕なんかよりも、今の君の方が、余程詳しく知っているはずだからね。

 僕からの助言アドバイス神秘オカルトについてだ。

 一つ、魔術や呪術の行使には、触媒を要する。

 まあ、必須と言う訳でもないし、触媒を用いない術も多くある。

 が、やはり用いた方が出力は上がるし、効率も良くなる。

 君にとっては、その仮面だね。

 一つ、魔術や呪術は万能ではない。指先一つで何でも、という訳にはいかない。

 大規模な効果をもたらすには、それ相応の手間暇を必要とするし、人一人の魔力には限界がある。

 また用いる触媒の性質や象徴する概念に、術が束縛される。

 火で濡らす、凍らせる、なんて出来ないだろう?

 そういうことさ。

 その仮面は、神楽で用いられるモノなのだろう?

 ならばその方向から、君の魔術を突き詰めていくのが良いだろう。

 一つ、意志の力が神秘の力となる。

 思いが魔術や呪術を形作り、強力にする。

 これに限界など無く、一人の渇望が万人を凌駕することは往々にして有り得る。

 人間の欲望は底無し、なんてよく言われるだろう?


 とりあえずは、こんなところだろうか。

 後は試行錯誤を繰り返して、自身で詳しいことを見出してほしい。』


    ※


 ここまで読んだ千春は、いくつかの思い浮かぶことがあった。

 あの日の私は、この世の何もかもが恨めしく思い、憎悪していた。

 だからおそらく、この男は私に目を付けたのだろう。 

 あの時の感情は、今は大分沈静化しているが、それは決して希薄したのではなかった。

 現に猶も千春の中でソレは、明確な形を持って静かに、しかし力強く黒々と燃え盛っていた。

 それを確認すると再度、千春は手紙を読み進めた。


『最後になるが、君に贈る物がある。

 それが、もう一つの紙の袋に入っているものだが、中身は女性ものの服である。

 君にとっては、初めて見るような形で着慣れないものではあろうが、どうか受け取ってほしい。

 君が今まで来ていた服は、すっかりボロボロになってしまっており、それを君に着せてここをたせることは、僕の品位を疑われ兼ねないし、僕自身も紳士としてそれを見過ごすことは出来ない。

 勿論、寸法に関しては問題は全く無い。

 君が眠っている間に、この僕が念入りに調べておいたからね。』


 ミシリ、と、手紙を持つ千春の手に力が入った。


『それにこれを選んだのは僕だけではなく、今、君のそばにいる少年にも一緒に来て選んでもらった。

 彼も君のことをひどく気に懸けていたからね、彼なりに懸命になって、僕にアドバイスをくれたよ。

 自画自賛になるが、なかなか可愛らしいものを選んだと、自負できる。

 彼も、なかなか可愛らしい少年だとは思わないか?

 おそらく顔には出さないようにしているのだろうが、君がそれを着てくれることを少なからず、楽しみにしているはずだ。

 その少年は純情が過ぎるところがあるが、まあ、良い子であることは間違いない。

 君と彼は年の程も近いし、これ以降も仲良くしていってほしい。

 これは、男ではあるが僕の老婆心みたいなものだ。

 それでは。

 またいつか君と再開できることを楽しみに待っているよ。


 謹言。』

 

 そして、


『追伸、

 あの男は今夜、あの時の路地に現れる。

 是非、彼に”挨拶”申し上げるが宜しいかと、僕は愚考する次第。』


 そんな言葉で締め括られていた。

 千春はその言葉を見た瞬間に、己の内側で俄かにざわめき立つモノを感じた。

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