帝国激動 ~Tales of the Crumbling Empire City~

十条クイナ

序章 そして彼らは集う

第1話 序章0 戯れ

 昔も昔。

 遙か、遙かに昔のこと。

 人も、国も、天空も、大地も、光も、影も無かった気の遠くなる程の大昔。

 一切いっさいすべてが無の虚空こくうの闇の中に、ただ一つの雞子たまごの如き混沌こんとんが浮かび、漂っていた。

 その渾沌の名を、盤古ばんこと言った。


 混沌盤古は、虚空の海を漂い、眠っていた。


 盤古は胎児だった。

 そして胎児は夢を見る。

 母の胎内で眠る胎児は夢を見る。

 己が進化の一生を胎児は夢見る。


 四劫しこうを経て、太極は両儀に分かたれ、明るく清らかな気は天を、暗く濁った気は地をそれぞれ成した。

 夢の中で、盤古は自らを元始げんし天王てんのうと名乗った。玄都げんと玉京ぎょくきょう、その最奥の玉座に腰を据え、天の気と地の水を飲み、不老不死、長在ちょうざい不滅ふめつへと至った。

 更に二劫にこうを経て、岩の裂け目の湧き水から生まれた娘を、元始げんし玉女ぎょくじょと名付け、彼女をめとる。

 更に一劫いちこうを経て、三人の子宝に恵まれた。その子供達が、それぞれの子を生し、またその子が、更に己が子を生していった。

 そして、手狭になった己が宮殿を見て、彼は決意する。

 新たな世界の創造を。


 彼の頭は五山を成し、五体は大地へ変化する。右目は月に、左目は太陽に、髭は星々となって地上を照らし、吐息は風雲ふううんと共に流れ、声は雷、汗は雨となって降り注ぐ。血は地に河を成して流れ、大海へと注ぎ、緑なす濡れ髪は大地に草木となって生い茂る。

 そして彼から零れ落ちたあかは、大小無数のうごめむしと成り、再び身体の上を這い回る。


 そんな幸せな夢を盤古は、遙か太古より見続け、今も尚、眠り続けている。そしてこれから先も、未来永劫、那由多なゆたの果てまでも。


 虚空の胎内を、混沌の揺籃ゆりかごに揺られ、漂い踊る。

 その目覚めの時は、誰にも分からない。

 或いは、彼自身か、誰かの気紛れで目を開くのかもしれない。


 『三五曆記さんごれきき』より


    ※

 所は、大羅天だいらてんの玄都。

 日は古より変わらず玄都を照らし、星々もまた、遍く空の彼方にまで散らばり、七色に天を染め上げる。月はその優し気な光でもって地上を温かく包み込む。

 昼であり、夜でもある空は、太陽も月も星辰達をも矛盾なく受け入れ、調和を保っている。

 深く、どこまでも落下してしまいそうな底なしの蒼い大空には、無数の天女てんにょ達が飛び交い、ある者は創世の荘厳なる笛や太鼓の調べを奏で、ある者は銀翼をしなやかに羽ばたかせて蒼天の海を舞い泳ぐ。

 枯れることの無い桃華の果樹園、涸れること無く湧き出す聖水の小川、尽きること無く溢れ出す金や玉石の泉に囲まれた楽園の世界大羅天だいらてん


 その都、玄都に住まう聖人、仙人、天女、遍く総ての者は、飢えも、痛みも、恐れも、痛みも、悲しみも無く、そして知ることも無く、その満ち足りた瞬間を、日々を、永遠の時間ときをそれぞれに謳歌していた。


 そんな理想郷、玄都の中心にして、その深奥に、楽園の王の住まう宮殿、玉京が鎮座する。

 まんを超える霊峰。その中でも一際高く天にまで届かんとする大霊山だいれいざん崑崙こんろん。桃色の霞が漂う大霊山の頂に、眩いばかりの黄金に輝く大宮殿がそびっていた。

 その宮殿へ至る白亜はくあの階段には、玉虫色に煌めく無数の玉石と、およそ人の技では到底出来ぬであろう緻密かつ大胆な意匠が施されていた。

 玉京の門をくぐり、その宏大な庭先に見えるは、蓬莱ほうらいの木や優曇華うどんげの花、扶桑ふそうを始めとする世にも珍しい草花が織り成す魅惑の花園。

 加え、その周りで龍や麒麟、鳳凰といった動物と戯れる宮殿の住人達の姿だった。

 庭園を抜けた先には、玉京で最も大きく輝かしく光る宮殿、元始天王の王宮が佇んでいた。そしてその大宮殿の最奥に、玉京の主にして、玄都の王、大羅天の創造主がいた。

 彼の周囲を、数多くの仙女や天女が侍り、彼女らは王の世話に執心しゅうしんしていた。

 ある者は香炉こうろき、ある者は羽扇うせんで主を扇ぐ。

 またある者達は笛を、そうを、腰鼓ようこを奏でて、主に捧げていた。

 

 さて、肝心の楽園の主はというと、周り者達を、まるで意に介することなく、安らかに眠り続けていた。

 それでも楽園の住人達も、同様にそれを気に留めることも無かった。

 大羅天の創造から、今の今まで眠り続けてきた王を、今更わざわざ起こす必要もないだろうと、住人の誰もが思っていた。或いは住人達は、王が目覚めることに言い知れぬ何かを感じていたのかもしれない。

 ただ一人の例外を除いて・・・。


    ※


「やあ、我が主サマ。相も変わらずまぁーーーッたくお代り映えの無いご様子で、ボクは安心したよ。」

 

 突然、宮殿内に響き渡ったのは、陽気で、お道化どけた、それでいて存分に皮肉と嘲笑が込められた声だった。いつの間にか眠れる王の前に、黒とも白とも定まらず、光とも影とも言えない曖昧な様相の獣が立っていた。

 姿すがたかたちが定まらず、常に色合いを刻々と変容させ蠢き揺蕩たゆたい、その顔と思しき部分には、目、耳、鼻、口の七窮が存在しない獣だった。

 そのような、奇怪な様相の者が、蜃気楼の如くに唐突に現れたにもかかわらず、主の周りに侍る者達はそれに関心を示すことも無く、穏やかな顔で奉仕を続けている。


「ねー主サマ、何か面白いことは無いんですか? 主サマの箱庭にもそろそろ、飽きてきましたよ・・・。」


「・・・・・・」


「またそう言っていつもみたいにボクをはぐらかすんだから。この前なんて、あと少しとか言って結局、数劫も待たされたんですよ。とっくに世界の一つや二つ、創れちゃいますって。」


「・・・・・・」


「そいつ等のお守りにも見飽きましたよ。だーってソコにいる盆暗ボンクラ共は、まるで主サマみたいにおんなじことを延々と、延々と、延々と、永劫繰り返してるんですよ。

 んもー、頭ん中はカラッポ。真っ白だよ、まーっ白。それも只の白じゃなくて、白痴の白ですよ。」


 荘厳で、壮麗な宮殿内には全くと言っていい程相応しくない、聞く者を不快にさせる口汚い罵りの言葉だった。

 それでも主の周りの天女や仙人の誰もが、僅かの怒気すらも見せない。

 まるで耳に言葉が入り込んでいないかのように。


「まったく、これだからコイツらは詰まんないんですよ。そう思いません?」


「・・・・・・」


「ですよねぇ。さすがボクの主サマ、話がわかりますねえ。」


 傍から見れば、揺蕩う獣が独り言を呟いているとしか見えない状況だった。

 この独り芝居のような光景がしばらく続いていた。

 だが突如、不意に獣が視線を主から離す。

 同時に、獣の前で横たわり眠る者が・・・、崑崙の王が一瞬だけ反応をみせた。


 その瞬間。

 楽園に亀裂が走った。

 創世の荘厳な調べは旋律が致命的に狂い、終末の痴れた音色へ堕ちた。

 日輪の後光に煌めいていた黄金の大宮殿は、赤黒く不気味に脈動する肉塊と、唾棄すべき汚物が合わさったような塊へと変貌した。

 優雅で秀麗な美貌を持っていた宮殿の住人の誰もが、悍ましい肉腫と、不気味に蠢く触手に覆われた醜悪な様相へと変容した。ソレらは変容後も変わらず、口とも言えぬあなから呻き声を上げ、腕だったと思しき触手で主を舐め回している。

 楽園は見る影も無かった。

 太古より王と共に在り続けて来た楽園の終末。


「主サマもお気付きになりましたか。」


 恐ろしい崩壊にもまるで気を止めず、今までの軽快な調子で、獣は主を称賛した。


「何時の時代で、何処の国で、一体、誰ともわかりませんが、呼ばれていることは確かですね。」


「・・・・・・」


「もちろん、わざわざ呼んでくれたのですから、喜んで召喚に応えようと思います。」


「・・・・・・」


「え、応じた先で何をするか、ですか?

 そーんなこと分かり切ってるじゃないですか。お遊びですよ、お遊び。」


「・・・・・・」


「主サマったら、またまた御冗談を。そんなこと毛程も心配していないでしょうに。というか、そんな頭もないくせにー。」


「・・・・・・」


「いいえ、わざわざ主サマが出張ることもありません。それに、そんなことをされたら直ぐに終わってしまうでしょう?

 だ・か・ら・・・、ここでゆーーっくり見ていてください。いやはや、これでしばらくは退屈せずに済みそうです。」


 黒い獣は無垢な少年のように心を躍らせ、純粋な少女のように想いを馳せる。

 これから訪れるであろう、燃えるような、恋い焦がれる日々に。

 そして口無き口を歪ませ、口無き口から声を漏らして狂笑した。

 そして、


「あ、それと、」


 ふと思い出したように、獣は一言。


「夢・・・、覚めかかってますよ。」


「・・・・・・」


    ※


 気が付くと、全てが戻っていた。荘厳な調べが響き渡り、黄金の宮殿が煌めき、楽園の住人達は、元通りの白痴の笑みを浮かべていた。

 揺蕩う獣は既に、霞となって消え去っていた。

 侍女も終始変わらず、王を慰める。

 再び、王、元始天王は深い眠りに入る。


    ※


 黒い獣は、駆け抜ける。

 その眼窩がんかの無い瞳には、6人の人間の姿が映っていた。

 黒い獣は、駆け抜ける。

 その耳管じかんの無い耳には、彼らの声が聞こえた。

 黒い獣は、駆け抜ける。

 その鼻孔の無い鼻で、己の好物を嗅ぎ付けた。


    ※


 崑崙山の西方に、ある一頭の獣がいた。

 不可思議で、生き物と呼べるのかさえも、定かではない奇怪極まる異様な獣であった。


 その全身は長く黒い体毛に覆われており、まるで犬を思わせるような四足獣の姿をしていた。

 或いは、獰猛で恐ろしい大熊にも似た姿もしていたが、肝心のその手足には爪が無く、のっそりとしていた。

 その腹の中はまったくの伽藍洞がらんどうで、肝も、肺も、果てには心臓すらも、この獣は持ち合わせていなかった。

 唯一その中にある腸も、真っ直ぐに伸びた竹のように、空っぽの暗い腹中ふくちゅうを上から下へ一直線に貫き、食べたものは、その中をスルリと滑り抜けていった。


 その両目に移る光は無く、その両耳へ入る音も無い。

 それ故、前へと歩くことが出来ず、常に己の尾を咥えて、円環の如くに只ひたすらその場を回り続け、只ひたすらにわらい続けていた。光が届かぬはずの漆黒の双眸で、空を仰ぎながら。


 だがそれでいてその獣は、人間の気配には敏感に反応するのだ。

 清らかで正しき心を持つ者が近付けば、獣は彼に襲い掛かり、その顔に汚泥をなすり付ける。

 邪で悪しき心を持つ者が近付けば、獣は彼に首を垂れて傅き、その背に付き従う。

 正義を嫌悪し、凶徳きょうとく礼賛らいさんする。

 仁徳じんとくにじり、自ら好んで悪行を為す。

 故に天は、この獣を指して、渾沌こんとんと名付けた。


 『神異しんいきょう』より

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