第13話

「実はあれは僕が持っています」

「――」




 弓部ゆべは腰を下ろして、手帳を取り出すと開いて見せた。

 奥の見開き、そこに貼ってある1枚。庭のブランコで笑っている少女。

「返そうと思っていたのですがつい、忘れてしまって……」

 何かを隠そうとするときヒトは嘘をつく。

「いえ、違います。正直に言います。返せなかったんです」

 すぐに、覆い被せるように弓部は言った。

「どうしても返せなかった。毎日、手帳を開くたびにこれを見て、誓い続けたんだ」

 弓部は手帳をポケットに戻した。空になった両手をきつく握り締める。

「絶対、行方を突き止めてやる、って。自分の無力さを噛みしめて……時にはその無念さを火種に頑張って来た。自分を奮い立たせて……戦ってきた。僕みたいな怖がりで弱い男が、絶対、警官なんて勤まりっこないと諦めていたのに」

 前屈みになって早口に続ける。

「僕は父や、兄たちとは違う。意気地のない人間なんです。警官には向いていないとわかっていました。大学も文学部で小説家になりたかった! でも、家の都合……弓部家の男は皆、警官にならなければならないんですよ。父に叱咤され、母に泣きつかれて嫌々警官になりました」

 静かに反論する興梠響こおろぎひびき

雨宮あまみやさんの意見は違うみたいですよ。貴方は生まれながらの警察官だと言っていました」

 弓部は苦笑した。

「僕は弱い人間だから、支えるものが必要だった。僕が最初に関わった事件――いなくなった少女に、絶対助けてあげると誓うことでやって来れたんです」

 握った指の関節が白くなっている。皮肉な笑みはやるせない微笑に変わった。

「信じていただけますか?」

「貴方がそうおっしゃるなら」

 ヒトの本当の想い――真実など、その人以外の誰にわかる?

「では、もう一つ。どうか信じてください」

 弓部は手を左の胸に置いた。手帳の場所。心臓の真上。

「僕はまだこの写真を返すつもりはありません。今回の事件が解決するまでは」

「解決したら? 返すの?」

 少年の率直な問いに力強く頷く。 

「隠匿していた事実を包み隠さず明かして、そして、警官を辞めます」

「えええ? 辞める必要はないんじゃないかな?」

 心底驚いて志儀しぎが訊いた。

「何の罪さ? 証拠物の隠匿? だとしてもそれは大した罪じゃないよ。始末書程度で済むと思うよ」

「いえ、これは決めているんだ。だから、逆に怖いものはない。どんな手を使っても、どんなことをしても、この事件だけは必ず解決させる。

 以上が、僕の真実です。全て吐露しました」

 興梠は困惑して頭を振った。

「弓部さん、貴方は勘違いなさってる。僕は、探偵であって――牧師ではありませんよ。僕に懺悔や宣誓は必要ない」

「いや、今回ばかりは似たようなものです」

 警部補はドアへ向かって歩き出した。

「僕にとって貴方は裁きの天使だ。では失礼します」



「ね? 僕の人間観察眼は正しかったでしょ? あの人はロマンチスト過ぎる。だから、自分で言ってるように警官には向いてないのかもね」

 ドアが閉まる音が響くや否や志儀は興梠を振り返って得意げに言った。それから、鼻をヒクつかせる。

「あれ、どういう意味? 〝裁きの天使〟って?」

「うーん、これは偶然かな?」 

 興梠は椅子に背を預けて天囲を見上げた。

「さっき青生しょうき君も言及していたが、その文言は《ヨハネ黙示禄》にあるんだよ」




 〈新約聖書ヨハネ黙示禄第14章6~13節 より〉


 第1の天使が大声で言った。

「神を畏れその栄光を讃えなさい。神の裁きの時が来たからである……」

 第2の天使がこう言った。

「倒れた。大バビロンが倒れた。怒りを招くみだらな行いの葡萄酒を諸国の民に飲ませたこの都が」

 第3の天使も続いて出て来て大声で言った。

「誰でも獣とその像を拝み、額や手にこの獣の刻印を受ける者があればその者自身も神の怒りの葡萄酒を飲むことになる。また聖なる天使と子羊の前で火と硫黄で苦しめられることになるだろう」




 志儀は赤い癖毛を掻きむしる。

「それが〈裁きの天使〉なの? ひええ? 難しすぎる。意味を解説してよ」

「つまりね」

 探偵は要約して教えてくれた。

「第1の天使は裁きの時の到来を宣言している。

 第2の天使はバビロンが滅んだことを告げている。バビロンは悪魔の帝国を意味する。つまり、悪の消滅を大々的に告知しているのさ」

 いったん言葉を切る。顎に手をやって、

「第3の天使の言葉が一番難解かも知れないな」

「うん、獣って、ナニさ?」

「この部分を識者は〝地獄について警告している〟と読み解いていんだよ。獣とは、悔い改めない者、悪辣な人間、そういう真の罪人が〝火と硫黄に焼かれる〟……要するに、地獄、煉獄の猛火に焼かれる=イコール裁きを受ける、というわけさ」

 暫く志儀は黙って考え込んでいた。やがておもむろに顔を上げると、

「僕は聖書のハナシはよくわからないけど、なんだか……3人・・ってとこが暗示的というか、隠喩めいてるね? 今、ピピッときた」

「ほう、どういうことかな?」

「例えばさ、片岡家の少女誘拐事件の犯人は〈3人〉なんだ!」

 ピシッと人差し指しを付き出して少年助手は言った。

「犯人は10年前に死んだ電気屋の曽根武そねたけしの他にあと二人いる――これ、意外に的を射てるかも。珪子けいこちゃんが言った『お姉ちゃん』。それにもうひとり実行犯がいるとしたら……計3人じゃないか!」

「いや、その推理には無理があるよ、フシギ君」

 興梠は真正面から少年の目を覗き込んだ。

「警部補の無意識の言葉から飛躍し過ぎだ。もちろん、探偵に閃き――インスピレーションが必要なことは認める。その場その場の偶発的な言葉や事柄から推理を展開するのは間違いではない。但し――」

 きっぱりと探偵は助手の間違いを正した。

「君は弓部さんの言葉を混同している。何よりも、犯人は天使ではない・・・・・・・・・。犯人は悪魔として数えるべきだ」

「了解」

 あっさり少年は頷いた。

「それなら、この推理は捨てる。じゃ、別の推理。僕が今考えてる、天使についての考察パート2。

 5通目の手紙にあった文言『二人の天使の居るところ』ってとこ……二人の天使って貴方と僕かも」

 自信たっぷりに肩を揺すって、

「あの手紙の文言はね、僕たち(僕と興梠さん)が謎を解くって予言なんだよ。犯人は知ってか知らずか無意識に真実を書いてしまったんだ! こういうことってよくあるよ。これぞ神の見えざる手さ!」

「……僕が天使だという根拠は?」

「だって、貴方は今さっき、青生君と弓部さん、両者に『天使だ』って言われたじゃないか!」



 ―― 貴方はもっと格上です。翼がある天使ミカエルですよ!


 ―― 僕にとって貴方は裁きの天使だ。


 

「むむ、まあ、それは認めるとして……だが、君はどうして天使なんだ?」

「わかんないかな? 僕は、ズバリ、見た目が・・・天使なんだよ!」

 1回息を吸って吐く。こめかみを揉みながら興梠は言った。

「……フシギ君。誠に申し訳ないが、これだけはハッキリ言える。君の、その2番目の推理も間違っている。〈二人の天使〉は、片岡家の二人の娘さん、晶子しょうこちゃんと珪子ちゃんと見るのが至極妥当だよ」

「チェ、いいよ、僕、今度こそサイダー、飲むからねっ」

 


 探偵と助手、この二人が天使かどうかはともかく――

 翌日、またしても新たな展開があった。



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