みつまさん(41~50)

41.

「イっ」

 揺れた。いきなりぜんぶ。

「……痛゛ッ、ァア゛ ア゛ァアア゛ア゛ アァッァァア゛アアア゛ァ!!」

 これ マズ アタマ、ぜんぶ ねじれ、あ、ヤバ ああ、ヤバ、これヤバ、

「ッ、カっひ、あ、あ、ああハ、ぅァアア!! ぐヒ、アァ゛ア゛!! ァ゛ア゛がアア゛!!」

 いき、できな、とぶ、アタマ とんで、しぬ、これ、 、


「ぁ、あ ァ゛アア ンぐっハ!? アアァ、ンァハ、アアアァ、ハああ…………。あぁあくそ、くそぅ。ヤロー、ヤブ医者ァァァ……」

 いッ……てえェーーーッ!

 痛ってェええ、何だ今の、アタマ吹っ飛ぶくらい痛かったぞ。ってか意識ブッ飛んだぞ、くそぅ……ああ、くそぅ。

「……ッ、ぐ! ッうェ……! うッ、ェ……うェぁ……ああぁ、くそぅ……くそぅ……」

 えあ? ブッ倒れてるジャン、あたし。ああ、熱いのはこれ、コーヒーか。ぶちまけたのか。そんでもって股がなんか生ぬるいのはこれ……ああ、くそぅ。自分チでまだ良かったよ。

 くそぅ、何だよぅ、話違うジャン。おっちゃん。ヤブ医者。

「ヒ、ぐ……ぅゥああ……ハァァ、あああ……」

 泣いてるよ、あたし。そりゃ泣くよ。死ぬほど痛かったもん。ってか死んだと思ったよ。

 これ……ヤバイのかなぁ、あたし。ムシとやり合ってる時こんなんなったら、そりゃヤバイよ。ああ、ヤバイなぁ。

 けど今さらさ、やめらんないよ、あたし。今さら実家とか帰れないジャン。やるしかないんだよ。ムシぶっ殺すしかないんだよ。

 ああ。くそぅ。どうしよう。どうしよっか、みつまさん。

 ズキズキ、アタマいたいよぅ。

 どうしよう、どうしたらいい? ねえ、教えてくれよぅ。矢田くんよう。




42.

 教えてくれたのは、原さんだった。

 いつ、どこから聞かされるかと、そんな必要も無いのに、俺はきっとどこかで身構えていたんだろう。

「……そう、ですか。亡くなりましたか」

 受話器を置き、背もたれに思い切り体重をかけ、天井を見上げた。自然とそんな姿勢になっていた。

 やつの死について、俺は、何ら責任感や罪悪感を抱く必要は無いはずだ。俺にどうにかできたわけじゃない。何と言ってやるんだ? 会ってみたところで、何と教えてやるんだ?

 だから俺は、それにサッちゃんだって、何ら罪悪感に苛まれる必要など無い。俺が、俺自身が十三年も前から、サッちゃんに言い続けていることだ。

「……石村さん?」

「ん? ああいやぁ、寝てないよ、全然寝てないとも」

「いえ……」

 顔に出てたか。いかんなぁ。矢田くんに心配されるようになっちゃあ、おしまいだ。

 さあ、仕事だ。

「さ、仕事。仕事っと。ほれ、矢田くんも仕事」

「……はい」

 そうだ。ハンターとやらに何を教えてやったって、何を言ってやったって、やつを救えたわけじゃない。

 そんなことはもう、何度も試してきたんだから。さんざん試して、無理だったんだから。

 だから、仕方が無いんだ。

 仕方が無い。

「石村さん?」

「うん?」

「どうぞ」

 ああ。うん。

 確かに、ありがたい。いいね、こういう時の熱いコーヒー。濃いやつだ、分かってくれてる。

「ありがとう、意外と気が利くね、君って男は。一体、誰の教育のタマモノかねェ」

「はいはい、石村さんのおかげですよ。仕事しましょうよ、ほら」

 君は本当に良い男だよ。矢田くん。

 ありがとう。




43.

 ずいぶん古い記事だったけど、ボクはそれを見つけた。もちろん、ボクだけで。ひとりで。偶然だったけど。

「石村、幸四郎……」

 図書館でコピーしてきた新聞の切り抜き。写真付き。ばっちりだ。

 一体どこの誰かと思ってたけど、何となく納得できるような、そうでも無いような……見つけてみれば何とも、微妙な経歴と肩書きを持ってる人だ。一番最初に、ムシの処理業者を立ち上げた人たちの中のひとり……なんて、そんなことを言われても、なんだかぼんやりとしてて良く分からない。

 大体そんな人が、ボクとどう関わっているっていうんだろう。ムシに襲われたことは無いし、直に見たことも無いし。今までそういう業種の人と知り合ったことだって、一度も無いし。

 ということは、つまり……ボクの、親が? っていうことなのかな。死ぬ前に、石村さんと何か、関わってた?

 そっと窓から覗き込むと、切り抜きの写真より大分老けた石村幸四郎さんが、若い部下っぽい男と何か談笑してるのが見える。

 苦労人、って感じかな。見たところ。笑ったときの目尻の皺とか、そんな感じ。でも、すらっとしてダンディな中年のおじさん風? おばさんにはモテそうだね。

 会って、何を聞こうか。どう切り出そうか。未だにボクは決めかねている。そもそも会ってくれるんだろうか、ボクの親に何か、すごい恨みを持ってるとかだったらどうしよう……って、あんなお金を毎月ボクにくれるくらいだから、それは無いか。ああでも、この人が振り込んでくれてるって決まったわけじゃないんだよね。

 どうする。会うのか? ボクは。会って、話すのか? 何を? っていうか会う必要、あるのか? 別に良いんじゃないのか? そこまでしなくても。

「? どうしたんですか、石村さん」

「いやァね、そこの窓のとこにね、誰かいたような……ふム?」

「えっ、何ですか、怪談ですか? 脅かそうとしてるんですか? えっ?」

 ボクは、逃げ帰った。




44.

 いくらシャワー浴びたって、こうやってゴシゴシ擦ったって、落ちやしないんだ、この臭いったら。

「だァーいじょうぶ、だいじょうぶ! あたしゃもーバリバリッスよ、みつまさーん!」

「ぇも、あいりしゃん……」

 みつまさんは優しい。嬉しい。

 でも、ごめんね。

「大丈夫だよー、今日だって見てたでしょ? あれ、見てなかった? あたしのタマがビシバシ決まるの」

「うん……」

 しゅんとしたみつまさんを見てると、流石に申し訳なくなってくる。もーほんと、ゴメンナサイ! ごめんねみつまさん! って思う。

 優しいんだ、みつまさんは。すごく気を使ってくれてるって、分かる。

 ちゃんと分かってるからね、みつまさん。でも、ごめんね。

「あのさ、みつまさん。前にも話したっショ? あたし今の仕事、やめらんないんだ。他にどーしょもないんだ」

 カンドー絶縁状態、ちょっとくらいママの顔見に行くくらいもできないバカなフリョー娘だって、あたしのこと、みつまさんも知ってるから。他にどーしょも無いって、みつまさんも知ってるから。

「うん……」

 だからみつまさんは、あたしを、強くは止められない。

「……うん……」

「っ、ンもー! みつまさんは可愛いなァ、もーほんと、もォー!」

 ええい。思いっきりむぎゅーっとしてやる……あ、うん、臭い。十年モノ、熟成されたあいつらの汁のおかげで、みつまさんはスッゲー臭い。それってのはもうこうやってお湯引っかぶりながらでもニオうんだから、むわっと。

 あたしも、そうなりたい。最初はもう、フーゾクやるかこっちやるかって悩んでこっちに決めて、ああでもやっぱフーゾクのがマシだったかなぁって思ったくらいの臭いだけど、今はこの臭いが、あたしは……なんてんだ、えー……そうそう、誇らしい。

 あたしはこの臭いが、誇らしい。

 でもまだまだって思う。みつまさんくらいに、あたしはなりたい。どうせならそのくらいにまで、なってやりたい。

「あっはは。あんがとね、みつまさん。大好きよーあたし、みつまさんのこと」

「……うん…………ぅンぐ、うゥん……」

 じわーってきたみつまさんの頭をぽんぽんってしてやりながら、あたしは思ったんだ。

 ぜってー、あきらめない。あきらめてなんてやらねーんだ、あたしはさ。




45.

 石村さんは、近所の出前の天ざる。僕はいつものハムレタスサンド。で、この二人はこれ、どうしたことだろう。

「へっへっへーん。どうだい矢田くんよう、うらやましいだろー」

「いや、えと、それ……どしたの、それ?」

「ふっふっふーん、釜田さんがあたしの分まで、作ってくれたんだよーん」

 カマ、誰?

「ついえぃ、あいりしゃんのぅんもおぇぁいーぇいったぁ、ぇー」

「うんうんうん。作ってくれたんだよーん」

「……サッちゃんの彼氏ね。釜田くんて」

 石村さんがこそっと教えてくれた。ああ、なるほど。そういうこと。

 えっどういうこと? 何でみつまさんの彼氏が、愛梨ちゃんのお弁当をついでに?

 えっ、どういうこと?

「うおーっ♪ うまそーぅッ!」

「いたぁぃあーしゅ」

 美味そーだけどさ、えっどういうこと?

 うーん、良く分からない……けど、まぁいっか、とも思う。

 あの事故以来、愛梨ちゃんはずっとどこか調子悪そうだったし……みつまさんも心配して、元気なかったし。

 石村さんだって、僕と喋ってる時なんかはそうでもないけど、ちょっと目を離すとヌーンって、難しい顔してたし。

 僕だけだったのかも知れないけどね。何となく、オフィスの中が沈んでるような気がしてたの。

 今はちょっと、明るいかな。カンペキってわけじゃないけど、随分明るくなった気がする。

「あ、そか、みつまさんのは例のソースかかってるバージョンね……うあぁ、スゲー色だぁ」

「愛梨ちゃんそれ、舐めさせてもらったことあるかい? いっぺん試してみることをお勧めするよ、話のタネに」

「経験済みスよ石村さん、その手にゃのらねー!」

 ……そうだよ。明るくなった。随分と。そのはずなんだけど。

「矢田くんはどーよ? デスコソース、試したことある? 試してみー」

「ん、うん……」

 何だろう。何か……何だろうなぁ。分かんないけど……何か。

 不安だなぁ。何だろう。何がだろう。

「やぁくゅん、あーん?」

「……えっ。えっ? あーんって、えっ? あ、あーん……」

 食べたよ。死ぬかと思ったさ。そんで全部忘れたさ。




46.

「ふぁはゃぁっ!?」

 主に驚いたりした時に、みつまさんのクチからは時々、こういうミョーな奇声が飛び出す。シロウトにゃいつもの舌ッ足らずと区別が付かないらしいが、おれくらいになると当然、一発で分かる。

 こいつはとびきり驚いて、マズイぜって時のヤツだ。

「……? あの、何、か……」

 振り向いてそいつを見ると、ぎくっとして固まって、目をパチッと開けてひん剥いた。

 中学生くらいの坊主だ。どこかで見た顔だと思ったが、すぐに思い出した……あれだ。みつまさんが前にケータイで隠し撮りしたって写真。一度見せてもらったことがあったが、あの顔だ。

 道端で、大した偶然だ。そうか。この坊主がそうなのか。

「あ、の……ぅ……」

 ああ、いかん。こりゃいかん。

「いや、悪いな、別にガンつけたワケじゃねえ。ちょいと、知った顔に似てたもんでな」

「っ、ぁ、はぁ……そう、です、か……」

 えらくおどおどしたガキだと思うが、まぁ中坊だ。おれだって、みつまさんのジトジト目をどうこう言えた義理じゃあない程度には人相が良くない自覚はあるから、仕方が無いというものだろう。

 みつまさんが慌てておれの後ろに隠れて、

「ぇぅぁ、あぇ、ぅぅ」

 特に意味のある言葉じゃない。奇声の類だこれは。

 なるほどね。この坊主が、そうか。

「あの、ボク、その……しっ失礼しま」

 言い切らないうちに飛んで行った、というか急いで逃げて行った。足は速いらしい。

 みつまさんがその背中を呆然と眺めながら、

「……よう、くゅん……」

 ぽつりと、つぶやいた。おれの腕を掴む手が、少し震えてる。

 そうだよな。そうだろうな。辛いだろうな。

「ま。そのうちな。何とかならァ。な」

 手を伸ばしてわしわしと髪の毛を引っ掻き回してやったら、みつまさんはおれの腕に額を引っ付けて、何度かぐしぐしと鼻を鳴らしてからおれを見て、無理に笑った。




47.

 なんとなーく、だけど。だんだん分かってきた。

 こうやって、収録中にもずっと感じてるこの視線には、私に対する敵意は無い。みたい。多分きっと、だけど……自信は無いけど、何となくそんな気がする。

「えーでは次は、TAKIちゃん! 準備おっけーかなぁ?」

「おっけーバッチリでーす! いつでもいけますよーっ」

 ストーカーとかそういうのとは、ちょっと違うような……何の根拠も無いのに、そう感じる。そう思い込んでしまうのは危険かしら? でも、だってそう思うんだもの。

 生番組にもこんな風に何度か出させてもらってて、少しずつ、誰かに見られるのにも慣れてきた。観客さんたち。共演者さんたち。ディレクターさん。マネージャーさん。

 カメラマンさん。その向こうの、視聴者さんたち。

 そのどれとも、きっと違う。

 私を、じっと見てる。様子を伺ってる。観察してる。まだどうこうする時期じゃないって思ってるのかもしれない、だから見るだけ、何もしてこないのかもしれない。

 誰?

 あなた、誰なの?

「えーそれでは! 歌っていただきまッしょゥ……TAKIで、えー曲は、メトロアスカ。どォぞォッ!」

 っとと! まずいまずい、もうすぐ歌い出し。

 私がストーカー怖いって思ったり、陽に側にいて欲しい、助けて欲しいとか、そんな風に思ったりするのと歌は別。

 歌うのが好き。歌ってれば何にも気にならないし、全部が吹っ飛んで真っ白けになって、私には歌だけになる。歌ってる時が、いっちばん、私は最高。最高に幸せ。ッて感じ!

 皆に聞いて欲しい、見て欲しい! 伝えたい、誰かのココロに何か、何でもいいからとにかく、響かせたい!

 だからいつだって、私、全力全ッ開!

 あ……そっか。そうそう。そうだわ。

 ねえ、あなた。あなたも私の歌、聞いてるの? 聞いてくれてる?

 この曲ね、私の一番のお気に、いっちばん出来のいいヤツ。

 ちゃんと聞いててよね? 今から私、思いっきり、歌うから!



48.

 う……うそだろっ……!

「ん~。かぁしゃぁ、もぉたぃぁい?」

 工藤商店入魂の激辛フェア、渾身の激辛からあげを、みつまさん、あんたはなんで平然と食えるんだ、食っちまえるんだ……!?

「え、あ! あぃあ、おいひいぉ? う、うん!」

 はっとした顔で、フォローを入れてくれるみつまさん。その優しさ、逆にツライぜ。

「いや、いいんだ、みつまさん。こいつは俺の敗北さ……届かなかった、あと一歩。あんたを満足させてやるには、あと一歩、ほんの少し……!」

「あ。しょうぁ」

 良いこと思いついた、って顔でみつまさんが何かカバンから取り出して……いや。いやいや。

 いやいやいや。

「……うん。こぇかぇたぁ、おいひぅなっぁぉ♪」

 無理だぜ。みつまさん、そいつは無理だ、叶わねえ。デスコヴィルソースは、強敵すぎる……!

 何てこった。最初から、俺の負けは決まってたってのか……!

「だァから言ったろが、キミちゃんよ。勝てねえって」

「あ、りいちくゅん。おっかれしゃま!」

「ここまでたァ聞いてないぜ、おい、カマちゃんよ!」

 カマちゃんが上から降りてきて、みつまさんのデコにキスしてから、持ってたからあげを一個ひょいっとクチに入れ……かけて、あ、気付いた。デスコヴィルぶっかかってんのに。

「ふぁが!?」

「責任持って食っとけよ……味のモノサシをみつまさんにすんのはやめとけって、キミちゃん。誰も食わねえぞ」

 だって俺、そこまでだって、知らなかったもんよ!

「くっそー、今度ァイケると思ったんだがなァ……」

「ま、気持ちだけ受け取っとくってよ。な、みつまさん」

「んぐ、ぁぐ、ぅん」

「いーや、俺は諦めねえ!」

 そうさ、俺は諦めねえよ。こいつは俺の挑戦で、そしてあんたへの恩返しってやつでもあるんだぜ、カマちゃん! 言っちまうとちょいと恩着せがましいから、言わねえけどさ。

 みつまさんに、ウマイって言わせてやりたい! カマちゃんの彼女に、ウマイって言ってもらいたいのさ!

 なんたって、俺のヒーローの、彼女なんだからな!

「ぉぇんねー、きぃしゃん……」

「いいさ、気にすンなよ。その代わり次は期待しててくれよな、みつまさん! 絶対ウマイって、言わせてやらァ!」

「スパッと諦めンのが利口と思うがねェ……」

 今日も俺は、仲良く帰ってく二人を見送る。

「ありがとうございましたァ!」

 後姿も、キマってるぜ。

 この工藤公俊、一生アンタらについていくぜ。お二人さんよ!



49.

 たまには、こんな日もいいよね。通報も無くて、みつまさんも、愛梨ちゃんも揃ってぼけーっとしてて、石村さんが難しい顔することも無くて。僕だけ変わらず書類仕事がパンパンで。

 こういう日っていうのは、たまにある。ムシだって年がら年中地面から出てくるわけじゃないわけで、それがいつもウチの管轄だってわけでもないわけで。

 とはいえ最近はちょっと、二人の仕事量、明らかに限界越えてたもんね。石村さんいわく、何年かに一回くらいの割合で、こういう時期があるらしいけど……とにかくもう、通報がひっきりナシだったわけで。

 だから今日は、久しぶりの何にも無い日。このまま本当に何にも無く、終わってくれればいいけど。

「あ」

 って、ソファに寝っころがってイビキかいてた愛梨ちゃんが急に、がばっ! って起き上がった。

 で、すぱ、って手を上げたと思ったら、

「石村さーん、ねえ?」

「はい、おはよう。どったの、愛梨ちゃん」

「今日さ、ちょっとこれで、早退してもいーッスか? あたし用事思い出しちゃってさぁ」

「んー? ま、今日はこのまま定時までってトコだろうし。いんじゃない?」

「やた! 矢田くん、あとであたしのタイムカード、よろしくゥ! 後でだよ、後で」

 なんて言って、愛梨ちゃんはてきぱきと帰り支度をして、何だか急いで帰っていった。

「みつまさーん、おっかれー!」

「ん、おっかれしゃまー、あいりしゃん」

 なんだろね。用事って。デートとか?

 ……いや、うん、別にいいけどさ? 愛梨ちゃんが誰とデートしたって。別に、僕には何の関係ないわけで。何か言う筋合いもないわけで。そうだよね、愛梨ちゃんもこのところ激務が続いてたわけで、こんな日くらいはゆっくりしたっていいわけで。

 誰かと一緒に美味しいものでも食べてさ、リフレッシュしてもらって、それでまた明日からの仕事に備えてさ、

「石村さんっ!!」

 どばん、って音を立てて扉が開いて、小田切さんが飛び込んできた。珍しいな、おじいちゃんこんな風に息切らしちゃって、どうしたんだろ?

 石村さんが、こっちもまた珍しくぽかんとした顔で、

「……どうしたんです、何か……」

「高尾さん!! いきなり勝手に道具引っ張り出して、担いで、そんで出て行っちまった!! いやわたしゃ止めようとしたんですがね、何せこれがあっという間で、止めようもなくて……」




50.

 ざり、と言った。ケータイが。マジかよ。

「……社長ォ!!」

「うるせえ。落ち着け」

 泡食って飛び込んできた生形の頬を軽く張って目え覚まさせて、おれは急いで走り出す。

「下かァ?」

「はい、そのようで……社長? どこへ!?」

「下だよ」

 階段を駆け下りてると、ごごん、とビルが揺れた。真下か。ツイてない。

 一階に降りるとすぐに、いろいろぶっ壊れて埃臭い工藤商店の中で、連中が目に入った。想像してたよりデカイな。

 めき、とかごり、って音がして、ごぽ、って泡吹くような声で、

「………… ガマ、ぢゃ 、……、」

 ごぷん、と赤いのを吐くキミちゃんがちらっと一瞬見えて、すぐに連中の陰に引っ込んだと思ったら、その直後に視界の右っかわが真っ暗になった。何だ? こりゃ?

 ああ。ヤられたのか。触腕ってのは、あんなに素早いモンなのか。

 なるほど、ムシっけらめ。

「野郎。キミちゃん離せよ、おい。よお」

 突っ込んで、ケリくれてやる。もちろん右フックも。

 加減なんぞしてやる義理も無いし、そりゃあ全開でぶち込んだが、応えてやしない。そりゃそうだ。運動不足のチンピラ風情がどうにかできるくらい程度のショボい連中なら、最初からみつまさんが十何年も血ヘド吐きまくる必要なんぞ無かったんだから。

 痛゛ッ。いてえ。右肩、うお、長いなこりゃ、貫通してやがる。刺剣てやつか。みつまさん、こいつを歯で捕まえたってか。

「よお。聞こえてねえのか? キミちゃん離せって」

 あん? あらら? 立ってられな、いて、何でブッ倒れた……ああ。左足もか。

 ムシっけらめ。

「あァあ、店をこんなにしちまいやがってさ……」

 おれだって金出してンだぜ、まぁ、ありゃキミちゃんにくれてやったようなもんだが。分かってんのか? よお。お前ら。

 聞いちゃあいない。代わりに、ぐあー、歯剥いてやがる。気色悪いんだよ。

「釜田さん伏せェ!!」

 はいよ。後ろからの声に、素直に頭を引っ込める。途端、大砲みたいな音がどかどか鳴って、連中に穴が開いて、蛍光ペンキみたいな青い汁が吹き出して、嗅ぎ慣れた臭いが漂い出した。

 飛び込んできた高尾ちゃんがどでかい鉄砲の下っかわについてる……何だありゃ、道路工事のドリルみたいなクイ打ち機みたいな、そんなのでムシを滅ッ茶苦茶に叩きのめして、穴だらけにして、そしたら静かになった。さすがはみつまさんの相棒だ、おれよかちょいとばかし、手馴れてら。

「ちょ、これ、釜田さ、だいじょぶ、ああくそぅ、これ……これ、目、足! くそぅ、血ィ!」

「よお高尾ちゃん、ばかに早いな、助かったぜ」

 おれは、多分連中の下敷きになってるんだろう、キミちゃんが気になって、高尾ちゃんに寄っかかりながら、

「よお、高尾ちゃんよ、ついでにちょいと、悪いんだけどよ」

「喋んないでよぅ、釜田さんっ……! 動かないでよぅ、あっあ、ちょっと、ダメだって!」

「キミちゃんをあの下からよ、引っ張り出してよ、ああそれと、みつまさん来るだろ? 後からさ、そんで多分泣くと思うんだよ、やかましくなるからさ、とっ捕まえて口ふさいでさ」

 そこから先は、覚えてない。

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