みつまさん

墨谷幽

みつまさん(1~10)

1.

 どうにも目付きが悪いのだ、みつまさんは。本人にそんなつもりは無いらしいが、

「り~い~ち~、くゅん?」

 なんておれに上目使いでもしようものなら、何かこう、サイレンサー付きのでかいのを突き付けられてて昇天五秒前、みたいな気分になってくるのだ、おれは。彼女の本心を知らない一般人がこのジトジトした目を見たなら途端、小便の一つも漏らしながら延命を懇願し出すに違いない。まぁ、言い過ぎか、それは。

 それに彼女、仕事を終えたらシャワーのひとつも浴びてくるはずなんだが、これがすこぶる臭いのだ。本人も諦観の極みにある頑固な悪臭はもはや身体に染み付いて取れず、おれはもう何度彼女を風呂で丸洗いにしてやったか分からないが、ビタイチ落ちる気配が無い。無理にひねり出すとすれば、キスするときにおれが口臭を気にする必要が無いってのが、この臭いの唯一の利点だ。

 ああ、もう一つある。

「何でもねえよ、ええい、この悪臭女め。汚れた犬ッコロめ。今日もまるっと丸洗いにしてやるから、覚悟しやがれ」

「きゃん、きゃん、くぅ~ん♪」

 というわけだ。

「りいちくゅん?」

「あァん?」

 風呂へ引っ張っていく間、おれの肩にしなだれて、みつまさんは甘い声で言う。

「……しゅき」

「おう」

 付き合いも長くなると、ジトジト目とか気の遠くなる悪臭とか、この舌ッ足らずさえ可愛らしく思えてくるんだから不思議だ。年上趣味じゃあ無かったはずだが、おれもすっかり、毒されたもんだ。




2.

 彼女は結構、高給取りだ。毎日僕が封筒に入れて手渡しているんだから、間違いない。

 それもそうだ、と思う。何せ危険と隣り合わせな仕事だし、安い日給じゃあ誰もやりたがらないもの。こんな仕事。

 実際、愛梨ちゃ……高尾さんだって相当な額、事務員風情の僕なんかじゃ及びも付かないくらいのお金をもらってて、彼女は主に美味しいものを食べるだとか、オシャレにしこたま使ってるみたいだけど……まぁこの仕事を続けていたら、高尾さんだってそのうち、ちょっとした香水程度じゃ隠せないあの臭いに、すっかり挫折してしまうのかも知れないけど。

 それはともかく、十年以上もこの仕事をやってるらしいみつまさんは、そんな額のお給料を、一体どうしているんだろうと疑問に思うわけで。毎日毎日、今日こそは聞いてみようと思うのだけど。

「えと、それじゃ、今日の分です。みつまさん」

「……うはゃあ……♪」

 なんて、毎日毎日、変わらず封筒を手に目を輝かせるみつまさんを見ていたら、僕のそんな疑問なんて、とてもちっぽけでつまらなく思えてきてしまうわけで。

 代わりに僕は時々、さりげなくだけど、彼女へ聞いてみることにしている。

「あ、あ、あの、みつま、さん! 週末ですし、よよよ良かったら僕と、ディナーでも、あの良いイタリアンを僕知ってて、その」

「あぁし、かれしぁまってぅかあ、かえぅね! おっかれしゃま!」

 やっぱり彼女は今週も、いつものジトジト目は抑え気味、きらきらと表情を輝かせて、軽やかに去ってしまうんだ。

 みじめな気分でみつまさんの後姿へひらひらと手を振る僕へ、石村さんが嫌らしい顔を浮かべながら、

「頑張るねぇ矢田くん、でもそろそろ諦めたほうが良いんじゃないかい? 愛梨ちゃんにしときなさいって、狙うんならさあ」

「余計なお世話ですって……」

 がっくりとデスクへ僕が突っ伏して、石村さんがししししっと嫌らしく笑いながら行ってしまうまでが通例というやつなんだ、僕としてはすごく不本意なことに。




3.

 あいつらへの対処の手順を、研修の時に読まされるマニュアルをなるべく思い出しながら説明してみると、こんな感じになります。

 まず、専用のヘッドフォンを着用します。それってのはね、RF遮蔽……だっけ? まあとにかくそんな機能がある特別製でね、あいつらの出す電磁波を、これでシャットアウトするわけね。これが無いと電磁波で脳みそブッコワされてハイジン確定で、一生をベッドの上でフンニョー垂れ流しながら過ごすことになる、ってほんとかどうだか、先生方はとにかくあたしらを脅すんだ。

 着けるけどさ、ヘッドフォン……いやだってオトメがそんなシュータイ、晒すワケいかないジャン?

 そんでもって街中で、テレビやらネットやらがザザーつって乱れ出したら、あいつらが地面から出てくるサインです。何人か死んでからあたしらのとこへ通報が来て、そしたらみつまさんと一緒に出動! ってね。

 現場に到着したら、いるわいるわ、あいつらがもうウヨウヨウヨウヨ。昨日なんてさ、7、8匹くらいいたかな? ジュクネン夫婦の死体にたかっててさ、グロいったら無いんだけど、なんかねもう、あたしも慣れてきちゃってさ。オトメがこれでいいのかって、ホントイヤんなっちゃう。

 で、クラゲムシにも色んなやつがいるんだけどさ、飛ぶやつなんかはまず羽を狙って撃ち落として、それから他のやつもまとめてダダダダーって。あたしの得意なのはね、あのなんだっけ、バカでっかい鉄砲なんだけど……パルスビーコン弾を撃ち込むやつでね、それってのはあいつらの電磁波を消しちゃう信号? をピコーンピコーンて鳴らすやつでね、そいつを撃ち込むと、あいつらお互いに通話ができなくなって、途端におろおろし出すわけ。

 で、動かなくなったらあとは、えーと……なんつった……そうそうディーゼルドライバーでずどどどどーってメッタ打ちにすンの。鉄砲の下っかわに付いてる大砲みたいなクイ打ち機ね、それってのは。あいつらブヨブヨしてるように見えて死ぬほどカタイからね、もうグチャアーって行くまでホント、メッタ打ち。で、やっとお仕事終了。

 みつまさんはね、それ全部一人で、モーターレンチ一本でこなしちゃうの。

 それってのはね、人間くらいでっかいレンチに、重たいエンジンと歯車がくっついたような道具でね、あいつらをそれでどっかんどっかんぶん殴ってダウンさせたら、あのキショイ足をレンチでガッチリ挟んで、エンジンドドドドド……歯車ウィーーーン! って締め上げてって、ブチーッ! ってちぎっちゃうわけ。

 そんでもって全部終わったら、笑うんだ、あたしに。みつまさんは。

「ふへぃ! おっかれしゃま、あいりしゃん!」

 みつまさんを目付きワルイとか、クセーとか言うヤツ多いけど、あたしはさ、そんなみつまさんってホント、スゲーって思ってるんだ。ソンケーしてんの。

 だからさ、あんたらさ。みつまさんの悪口言うと、あたし、許さないかんね?

 



4.

 このご時勢、金貸しってのはなかなか儲かる。万一の備えに入用なモンは多いし、死んじまう前にちょっと贅沢しとこうなんてヤツらも、せっかくだからとそれなりの額を借りていく……まぁそういう連中は決まって返済がルーズだから、若いのが毎日必死こいて走り回るはめになるわけだが。

「だからねェ釜田くん、一週間で良いんだよ、待ってはくれまいかとこうして、頭を下げて頼んどるわけでねェ」

「社長さん、何度も言ってんでしょう? いっぺんでもほんとに下げてから言ってもらいたいモンですよ、そういうセリフは」

 不徳の致すところってやつで、おれの店の若いのあたりも大概タチが悪いが、こういう手合いはそんなおれたちまでもなだめてすかして、どうにか払いを遅らせようってんだから、頭が下がるのはまったくこっちのほうなのだ。

「いやいや、しかしね釜田くん、のわっ!?」

 ずずんとでかい音がして、窓がびりびりと震えた。なんだまたか。

 おれが窓を開けて外を覗いたら、ちょうど下からキミちゃんが出てきたので、

「おうキミちゃん、何だァ! ムシかァ!」

「おーうカマちゃん! ムシみてェだァ!」

 三階のおれを見上げて叫んだ。カマちゃんはやめろと、あの野郎、何度言っても聞きやしない。

 おれはキミちゃんへ軽く手を振ってから窓を閉め、社長へ向き直り、

「んでね社長、こっちとしちゃ、まぁあと一週間くらいなら……」

「ムシって、ち、近いじゃあないか、大丈夫なのかおい? 全く、業者は何をやっとんだ……!」

 思わず、むっとした。

「耳を揃えて払ってもらいましょうか、社長さん。今月分全額、すぐにね」

「えェ? いや釜田くん、しかしそれは、こちらにも都合ってものが……」

「全額。すぐにね。すぐ」

 途端に青くなって出て行く社長を見送ってから、おれはぼんやり考えた。また、みつまさんのトコにしわ寄せが行くんだろうなァ。

 社長からちょっとばかり余計にふんだくって、みつまさんを寿司にでも連れて行ってやろうか……と思うが、やめとこう。味なんて分かんないんだから、と言って困り顔をするに決まってるのだ、彼女は。




5.

 長いことこの仕事に関わっていると、俺にもいくつか、聞こえてくる名前というものがある。

 そのうちのひとつはサッちゃんで、このところ良く聞くのが、その名も通称ハンターとかいうヤツだ。

「……クラゲムシとですか?」

「うん、そう。何か、お話でもしてんじゃないの、って話だよ。そのハンターってのは」

 営業としては有能で通っているらしいが、お喋りが過ぎるのがこの男の欠点だ。とはいえ彼の持ってくる道具の類が職員の大切な命ってやつを守ってくれるのなら、俺はいくらだって無駄口に付き合ってやるつもりだが。

 もっとも、今日の話題はいささか、気にかかる。

「長年あいつらとツラ突き合わせてるとさ、段々、おかしくなってくるらしいんだよ。あいつらの電磁波にやられちまうのかな。ハンターってのは確か……どのくらいだったかな、そこそこベテランらしいけど」

「おかしくって、どんな風にです?」

「だから……ムシに話しかけたりするんだとさ。連中を潰しながらね、ああいや、内容は詳しく知らんよ。けどそいつ、腕はすこぶる良いもんだから、なかなか引退させてやるわけにもいかないんだとさ」

「ふム」

 男は煙をひとつぷかりとやってから、ぐじぐじと灰皿へ煙草を押し付けると、声をひそめて、

「石村さんさ、ほら、おたくにもさ、いるじゃない。確かもう、十年以上処理業やってるって……」

「……心配ありゃしませんよ、彼女なら。ウチで一等ウデの立つ、一等頼りになるエースです」

 そうかね。とつまらなさそうに言って、帰っていった。あれで本当に、トップセールスマンとやらが務まるんだろうか。やれやれだ。

 矢田くんが呑気に戻ってきて、

「あれ、もう帰っちゃったんですか。新型のヘッドフォンの話、あれってどうなってるんですかねぇ、何か言ってました?」

「いんや、つまんないウワサ話聞かされただけ。あれ、俺のコーヒーは?」

「……忘れました。途中で、その、あれ、高尾さんに捕まっちゃって……愚痴を、その」

 まったく、呑気なもんだ、人の気も知らないでさ。




6.

「あしながおじさん、って、ナニそれ?」

 どっちの意味で聞いてるのか分からなかったけど、とりあえず、ボクの身の上についての話をすることにする。

「おばさんかも知れないけどね……とりあえず、タキちゃんには話しておこうかなって思って」

「だからナニよ?」

「毎月さ。誰かわかんないけど、お金を援助してくれてる人がいるんだ。ボクに」

 ちゅるちゅるとコーラのSサイズを飲みながら、タキちゃんがヘンな顔をした。タキちゃんは普通にしていればすごく美人なのに、時折こうしてヘンな表情をしたりするから、ボクはいつも心配になってしまう。

「何それ。いくらくらい?」

「まあ、けっこうな額……かな」

 ボクのいた施設に、その誰かはずっとお金を届けてくれてたらしい。この春に学校の寮へ入るのにそこを出る時、院長先生が教えてくれた。院長さんはボクのために作っておいてくれた口座に、そのお金をずっと預けていてくれたらしい。

 もらった通帳の中を見てボクはひっくり返ったけど、良く見たらお金はボクが施設に入れられた時から、毎月おんなじ額が規則正しく入金されていて、今もまだ増え続けてる。おかげでこのところのボクは、ボクのあしながおじさんあるいはおばさんが一体どこの誰なのか、とっても気になっている。

 というようなあたりを、チーズバーガーを頬張るタキちゃんに説明したら、またヘンな顔をして、そしてつまらなさそうに言った。

「ふーん。そ。で? ねえ佐久間、何で急に、私にそれを話す気になったの? その人探すの手伝ってって? イヤよそんなの」

「ああううん、そうじゃなくて、なんて言ったらいいんだろ。気に留めておいて欲しいっていうか……」

 ボクらはまだ中学生だし、それにタキちゃんは今大事な時期だし、本当はボクも、言おうかどうしようか迷ってはいたんだ。ただ、

「彼女には、話しておくべきかなあ、って」

「……そう思うなら、まずタキちゃんっていうの、やめてくれない? 私、名前、由香里って言うんですけど」

「それは、そうだけど」

 タキちゃんはこの頃、顔を合わせるとそればかり言っている。何だか恥ずかしいし、ボクとしては、タキちゃんって響きが気に入ってたりもするんだけど。

「ほら、言ってみて? ゆかりって。そしたら私も佐久間のこと、ちゃんと陽って呼ぶから」

 しばらく黙っていたら、タキちゃんはぷいっと顔をそむけて、もう知らない。と言った。




7.

 クラゲムシと呼んじゃあいるが、そういう名前のムシだかクラゲだかは、本来別にいるモンらしい。

 おれにはそんな学者の言うことなんぞ知ったことじゃあないし、連中の長ったらしい正式名称を覚えてやる気だってさらさらない。みんなそうだろう、だから誰もがあれを、クラゲムシと呼んでるんだろう。

「おおい、こら、釜田くんよ。おい。聞いとんのか? お前さんが講釈を賜りたいとこう言うから、私ゃこうして、貴重な昼休みに時間を割いてやっとるわけなんだがね」

「うるせえジジイ、喋るか金返すか、どっちかにしな」

「はっ、続けさせていただきます」

 暇を見つけてジジイに小難しい話を聞きにきたって、正直、何割も分かるわけじゃない。何せ新種の生き物ってやつだから、ジジイのような研究者からして、カンペキに理解しちゃいないのだ。そもそも十何年も前かそこらにゃまだ、地球のマントル? だか外核だか、そんなところに生物がいるなんて、誰も思っちゃいなかったんだから。

「連中はこの虹色に波打つ櫛板列でもって鉄とニッケルの流体の中を自在に泳ぐと考えられ、なるほど有櫛動物と言えなくもないわけだが、しかしこのずんぐりとした体型に四対の短い脚ときたらまるで緩歩動物のようで、事実連中の地上における変態プロセスは極限状態におけるあえて誤解を恐れずに表現するなら生存ではなく捕食に適応した攻撃的クリプトビオシスとも呼ぶべきで……」

 こうやって写真で見るクラゲムシは、あの透明でブヨブヨした、みつまさんの言うところにゃあれでえらく硬いそうだが、そんな身体に七色のネオンみたいなラインがいくつも走っていて、神秘的とかなんとか、呼べなくもない。

 しかしヤツら、土ン中の棲家じゃイチミリくらいのちっぽけな文字通りムシっけらだって言うんだから、出てきた途端に数千倍に膨れ上がるってわけで、そんなのを想像するだけで、おれは気分が悪くなる。

「……っとああ、いかん! 釜田くん、講義はまた次回にな、学生どもが帰ってきよる! くれぐれも私が借金しとるなんちゅうのは、秘密にな!」

「ったく、わかってら、こちとら商売だぜ」

 気分が悪くなるってのに、何だっておれはこうやってジジイのところへ通い詰めて、払いを待ってやる代わりに、なんて理由を付けてまで、ムシどもについてお勉強なんぞしてるのか? ただの金貸しの、チンピラ風情が?

 決まってる。彼女にもっと、近付きたいからだ。




8.

 俺様、今日、天使に会った。

 裏道歩いてたらスマホがざらざら言い出したから、あ、ヤベーって思って、すぐそこから離れようとしたけど、もう遅かった。めこめこコンクリートがヘコんで、その下からあいつら、這い出してきたんだ。

 耳塞いだら襲われない、ってのは迷信なんだっけ? どっちみち俺、そんときそんなのスッパリ忘れてて、固まって立ってただけだったけど。いいんだよそんなのは、それより天使だ。天使。

「あいりしゃん、ひぉうあた、よぉしぅね!」

 俺の横を風みたいに走り抜けながらそう呪文を唱えて、天使はクラゲムシに踊りかかった、ああ違う、天使ってもそんな優しいイメージじゃねーんだ。目付きも鋭くてさ、ええと……待て、今、ピッタリな……戦乙女! そう悪に鉄槌を下さんと降臨したヴァルキリー、そんなイメージだな。うん。

 もう一人女子がいたけど、なんだ、あんま記憶にねーわ。ケバくてチャラそうでギャルっぽくて好みじゃなかったし。

「うおいそこのオタク野郎! ニヤニヤしてんじゃない、あぶネーっての……飛行型ね、まーかしてみつまさん!」

 天使はみつまさん、と言うらしい。

 みつまさんは、手に持ったデカイ道具をまず、クラゲムシの横っ面へ思い切り叩き付けた、まさしく鉄槌だ。べっこりヘコんだところに、更に一発。もう一発、もう一発。例のくっせー蛍光ペンキみたいな汁が飛び出して、あちこち引っかぶったところをぼんやり青く光らせながら、それでもみつまさんは怯まない。痺れたね。

 それに連中の触腕なんて、かすりやしねーんだ。スッて体をひねったり、壁を蹴ってくるっと一回転したり、するんって下をくぐり抜けたり、そんでもって伸びてきた一本を鉄槌で……いやこれがびっくり、モーターレンチなんだけどさ、そいつの挟むトコでもってガッチリ捕まえて、ギュイイイイインっつってエンジンのすげー音が響いて、ギャララララーってウォームハンドルがすげー勢いで回転して。あっという間にブチイって、千切り取っちまった。そんな道具使ってる業者、他に見たことあるか?

 もう一人が対物でビーコン・バレットをバスバス撃ち込んで羽付きのヤツを叩き落して、みつまさんがそれをすげーパワーでブン殴って吹っ飛ばして。ブッ千切って。最終処理シークエンスに入るまで、5分かそこら。鮮やかだったね、実に。

 全部終わってから、天使が俺様の目の前にてててって走ってきて、笑ったんだ。

「ンーなオタク野郎、ほっときなってェ、みつまさん……」

「ぇあ、なぅて、よぁった!」

 その呪文で俺様もう、俺の心に受けた傷はもう、完全に癒されたんだ。

 彼女はちょっと目付き鋭くて、きっとあれ、職場とかじゃ周りに誤解されてるんじゃないだろうか。あと臭かったし。天使は臭かった、すごく。確かにそれは認める、けど違うんだ。彼女はこう、何ていうか、違うんだ。

 俺様が言いたいのは、彼女は、みつまさんはいつもそうやって、俺たちを守ってくれてるんだ。きっと、そういうことなんだ。




9.

 石村さんは、近所の出前の天ざる。チョイスがシブイっていうか、さすがっていうか、イブシギンなんだよね。ずるずずーってやってる姿が、ああたまらん。

「……どったの愛梨ちゃん。蕎麦も食いたかった?」

「あいや、あたしそんな大食いじゃないっスから、あっはは。矢田くん、お茶ァ!」

「はいはい……」

 矢田くんはハムレタスのサンドイッチで、それってのは駅前のコジャレたパン屋ので、お上品に両手で持ってさ。ちまちま頬張っちゃってさ。もう少し男くさいとこも見してくんないかなーって思うわけ、あたしとしてはさ。

「しかしま、バラバラだよね見事に。ご同業でもデカイとこなら、社員食堂とかあるんだけどねぇ」

 エビ天をさっくりかじりながら、皆のゴハンを眺めて石村さんが言う。あたしは何ていうか、たまにこうして出番の無い日に、あたしら現場作業員と裏方サンがこんな風に一緒にお昼を食べるの、良いなーって思ってるんだけどね。

 そしたら矢田くんがまた、

「ええ、それって実質現場の人専用じゃないですか、だって臭いが」

「ああー。はァーんそお。ごめんなさいねえあたしらと一緒で。そりゃあクサいでしょうねェ」

「え、あ、や」

 とかわたわたするんだから。こうやってからかうのも面白いけどさ、もう少し男くさいとこも見してくんないかなーって、まぁそれはいいんだわ。

「ね、失礼しちゃうよねーみつまさん。みつまさんは今日も、おべんと?」

「もぃろん♪」

 とみつまさんはいつものように、可愛いハンカチに包まれた可愛い弁当箱を取り出して、ぱかって開けたら、中身もやっぱり可愛い手作り弁当で。おおお今日のは三色弁当かぁ、シンプルながらこの凝りよう、デキルな。みつまさんの彼氏。会ったこたないけど、どうも相当家庭的なオトコらしくて、羨ましいったら無い……いやまぁ男らしいってのがあたしの理想で、それってのは悩ましいところではあるわけだけど。

「んんーおいひ~」

 そういえば。そんな愛情たっぷり弁当をあんまり嬉しそうに頬張ってるもんだから、前に少しだけ、分けてもらったことあるんだよね。

 めっっっ、ちゃくちゃカラかったんだよね。みつまさんの弁当って。あの何かかかってるソースが辛いのかな、スゲー色の。

「? 高尾さん、食べないの? 冷めちゃうよ?」

「……ああそうだよ、あたしのはそこのバーガー屋のテリヤキバーガーセットだよ。ポテトだってLサイズだよ、悪いか」

「僕そんなこと、ひとことも言ってないよね!?」

 味オンチってやつなのかなぁ、それってのはさ。どっちがなのかは分かんないけど。




10.

 初めて話したのは、いつのことだったろうか。生まれたばかりの子供のように笑ったかと思えば、老人のような達観したことを言うし、つまらない……あれはジョークのつもりなのか? おかしなヤツだ、本当に。

 何十丁のライフルを使い潰したか分からない。何万発のビーコン弾を撃ち込んでやったかも。その間に仲間が何人死んだかも……これは覚えているべきなんだろうが、本当に思い出せないんだ。申し訳ないとは思ってる。

 でも一つだけ、私にも分かるのは……おっと。

 触腕を掴んで、銃口の先をくっつけ、トリガーを引く。ぶっ放して千切り飛ばして、もう一本も千切ったら、身体のほうも撃つ。口を開けて歯を剥き出して、そうして飛び掛ってきたら、胴の下を潜りながらディーゼルドライバーを叩き込む。経験上は、これで大抵大人しくなってくれるな。臭いはとうに気にならないし、そうしてる時は、私の気分もいくらか良くなるわけだ。

 何だったか、ああ、そう。私の仲間が何人死んでいったかは覚えてないし、何発撃ち込んできたかも知ったことじゃないが、一つだけ分かってるのは、私が一番お前を殺してきた、ってことだ。

 いや……そうだな。あの何とか言う女よりは、少しばかり、負けているかもしれないが。まぁどっちでもいいだろう、そこに大した意味は無いわけだし。

 しかしそういえば、あまり気にしたことが無かった。彼女も、私と同じことを考えているんだろうか。同じ心配をしているんだろうか。機会があるなら、酒でも飲みながら聞いてみたいな……おっと。

 トリガーを引く。今日はあと8回か。トリガーを引く、そら、これであと7回だ。

 おあいにくさま、私はまだまだ持つようだよ。まだまだお前に、何もかも、くれてやるわけにはいかなうぴ。

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