第2章

第7話 ホームルーム

「神木。神木。神木!」




「は、はい!」




 透哉は勢いよく立ち上がった。




 それを見たクラスメイト達からどっと笑い声が上がる。透哉は周りを見渡した。恥ずかしさのあまり、透哉の顔はみるみる紅潮していった。




「神木。あと少しで終わりなんだから集中しろ!」




 数学の先生であり、透哉のクラスの担任でもある黒川英司(くろかわえいじ)はそう言うと、面倒くさそうに透哉に向かって座れと身振りで示した。




 まだ顔が赤く火照って俯いている透哉。すると、背後から声をかけられた。




「珍しいじゃん。透哉お前大丈夫か?」




 背中越しにクスクスと小馬鹿にしたような笑い声が聞こえた。




「ほんとほんと」




 透哉の右隣にいる女性が、やはり、クスクスと笑った。




「ほっといてくれ」




 透哉はそう言うと着席した。窓際の席に座っている透哉は右手で頬杖を付き、窓の外を見た。雲がゆっくりと流れている。それを追うように数羽の鳥が列をなして飛んでいた。




 透哉は違和感に気付くまでにそう時間はかからなかった。




 何かが違う……。




 透哉はハッと目を見開いた。なぜ学校で授業を受けているのか。なぜ夜じゃないのか。あの男たちはどこへ行ったのか。絵理はどうなったのか。これは夢なのか。さっきまでのあれも夢なのか。とてもリアルな夢だったのか。28歳の自分も。あの世界も夢だったのか。




 透哉は頭を抱えた。ズキっとした痛みが脳を刺激する。




 透哉の脳で様々な記憶が錯綜する中、授業を終えるチャイムの音が鳴り響いた。黒川が授業の終わりを告げる挨拶をすると、教室から出ていった。クラスは次第に賑やかになる。




「おい。大丈夫か? 今日のお前はどうかしているぞ」




 男が心配そうに言った。




「ああ。ちょっと色々考えすぎて頭が痛いんだ」




 頭を抱えている透哉の両手に力が入る。




「博人」




「なんだ?」




 博人は聞き返した。




「今日って何日だっけ?」




 透哉は頭を上げた。そこには、端正な顔立ちをした眼鏡のよく似合う博人が透哉を見下ろすように立っていた。そう。この男は博人だ。




「おいおい。大丈夫かよ。頼むぜまったく。麻美教えてやれよ」




 博人は困った表情を見せた。




「今日は7月12日だよ」




 透哉は右隣の女性を見た。その視線の先には、肩までかかった巻き髪が印象的な、くりっとした目の小柄な女性が座っていた。そうこの女性は麻美だ。




「……7月12日。2018年の7月12日か?」




 透哉は聞き返した。博人と麻美はお互いの顔を見合わせた。二人はやれやれというように手を上げて呆れていた。




 再びチャイムが鳴りホームルームの時間になった。博人は透哉の後ろの自分の席へ戻った。




 相変わらず、教室は生徒たちの話でざわついていたが、透哉の耳には届かなかった。




 担任の黒川が入ってきたが、透哉は目も合わせなかった。




 左のポケットに手を入れ四角いモノを取り出した。それは夢の中? 現実? で見たのと同じスマホだった。




 透哉は電源ボタンを押した。真っ暗の画面に明かりが灯る。そこには、7月12日 15時16分と表示されていた。その下には、電車の運行情報の案内がずらりと並び、その一番下に葵からメールありの表示があった。




 透哉はメールを開いた。なんてことない内容だった。なにしてるの? それだけだった。透哉はメールを閉じた。葵も生きている。




 やっぱり今までの事は夢だったのかもしれない。透哉はホッと安心したのか軽いため息をついた。




 でも、全部が全部夢であったのかは、甚だ疑問が残る。自分が28歳の大人になるまで、歩んだ人生も全て夢だったのか。これから起こるであろう地震も夢の出来事なのか。わからない。今となっては夢と現実の区別がつかない。透哉は目の前の机を見つめ、もう一度、今度は深いため息をついた。




 透哉が考えている間に、ホームルームは終わったようだ。何も聞いていなかった。というよりは、何も耳に入ってこなかった。




「帰ろうぜ」




 博人の声が背後から聞こえた。




「……帰るか」




 透哉は釈然としなかった。筆箱やノートをリュックサックに入れた。立ち上がるとリュックサックを背負った。




「透哉。やっぱり今日のお前なんか変だぞ」




「うんうん。おかしいおかしい。らしくないっていうか」




 博人と麻美はそう言うと、透哉を置いて教室を出ていった。二人の後を追うように透哉も教室を出た。教室はまだ生徒たちの話声でざわついていた。




 三人は校舎を出た。校舎を出て右に行くと体育館が、左に行くと運動場に続く道になっている。まっすぐ進むと円状に広がった広場になっており、真ん中に噴水がある。それを囲むように人が座れるようにとベンチが置かれている。




 透哉の前を歩いている博人と麻美が楽しく話しをしている。何が面白いのか、二人の笑い声が聞こえる。この光景がなぜか妙に懐かしく感じる。十年振りだからだろうか。本当に頭が痛くなるくらい、意味がわからなくなる。




 透哉が噴水の脇を通り過ぎようとしたとき、ベンチに座っている女の子にふと目がいった。




「あっ」




 透哉は思わず声が出てしまった。無造作に風で流れたショートカットがよく似合う。ぱっちりとした大きな目の女の子は透哉が東京駅で出会った女の子だった。




「わ、藁谷さん?」




 思わず名前を呼んでしまった。




「え?」




 絵理は一瞬当惑した表情を見せ、そしてすぐ怪しげな眼差しを透哉に向けた。透哉は頭を掻いた。まずかったかな。




「あ、ああ。えっと」




 絵理は透哉が何かを言う前に静かに質問した。




「なんで私の事を知ってるんですか? どこかで会いましたっけ?」




 透哉は戸惑った。無意識に鼻をこする。絵理は読んでいた本を閉じた。隣の空いているスペースにその本を置いた。小説だろうか。カバーがかかっていたのでよくわからなかった。




「おい! 透哉行くぞ~!」




 先を歩いていた博人が振り向いて叫んだ。麻美が手を振っている。




「ああ! 今行く」




 透哉はそう答えると、絵理の方へ視線を戻した。




「ごめん」




 透哉はそう一言だけ言って、絵理の前から離れた。




「ちょっ。ちょっと」




 絵理は立ち上がった。しかし、透哉はその言葉には何も返さなかった。透哉は走って二人を追いかけた。




「透哉っていうんだ」




 よくわからない男にいきなり声をかけられ何が何だかわからないまま、立ち去られてしまった。絵理は事態が呑み込めないまま、透哉の名前だけが脳裏に反芻していた。





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