第3話 東京駅からの脱出

 透哉は三鷹駅に着くと、改札を通り、5番線乗り場へ向かった。ポケットからスマホを取り出すと、やはりメールが届いていた。葵からだった。




「新宿にくるなってどういうこと? 意味わからないんだけど……」




 予想通りの返事だった。透哉は今までにないスピードで文字を打っていく。




「とにかく駄目なんだ!」




 透哉は説明にならない答えを葵に返した。電車が来る5分ほどの時間が、途方もなく長く感じた。電車が到着すると、降りる客を待ち、全員が降りると、まず先頭に並んでいる人から順に電車に乗った。




 透哉は左手をポケットに突っ込み、右手でスマホを操作していた。




 このまま、葵のところまで行く意味はあるのか。あの時と同じではないのか。そもそもこれはやはり夢ではないのか。俺は何をしているんだ。




 透哉は様々なことを思っては考えた。多少ざわついている車内ではあったが、集中している透哉には何も聞こえてはこなかった。まるで周りには何もなかったかのように、思考を巡らせている透哉のその空間だけは、静寂だった。


 


 今日までどのようなやりとりをしていたのか。そもそも透哉は10年前に、葵とどんなやり取りをしていたのか。透哉はこれまでのメールやコミュニケーションアプリの内容を確認した。




 透哉を乗せた中央線快速電車は、街並みの風景を通り越し、中野を通りすぎると、高層ビルが見えてきた。新宿を通り過ぎた頃には時刻は12時45分を回ろうとしていた。




 葵とのやりとりは何という事はなかった。今日は何をしてたの? だったり、友達とショッピングセンターに行ってきたなど、先輩に進学の事を相談したりと言った、たわいもないやり取りばかりだった。通話の履歴が多かったので、メールやアプリというよりは、電話でやりとりをしていたのだった。




 懐かしさにふけるあまり、時間はあっという間に過ぎた。




 その間に葵からの連絡はなかった。車内アナウンスが流れ東京駅に着いた。一斉に乗客が降りる。透哉は電車から降りると、人混みを避けながら、エスカレーターを目指した。スマホを手に取った。スマホのディスプレイには13時00分と表示されている。




 透哉は葵に電話を掛ける。呼び出しの音が透哉の耳で木霊している。透哉はエスカレーターを駆け下りた。降りた先は丸の内中央改札口の前だった。




 葵が降りるであろう新幹線やまびこの21番線ホームを目指そうとしたとき、スマホが手の中で震えた。葵からの着信だ。透哉は電話に出た。




「今どこにいるの?」




 葵が透哉に問いかける。




「今、東京駅に着いた。葵は?」




「え? 今新宿に着いたよ。なんで透哉は東京駅にいるの!? 待ち合わせは新宿って言ったよね?」




「ちがっ」




 透哉が言い切る前にイライラした葵が割り込んだ。




「違くないから。それに新宿に来るなってどういうこと?」




 透哉の脳裏に10年前の記憶が一瞬よぎる。10年前の今日、あいつは、葵は新宿にいなかったはずだ……。




「なんで東京駅にいるのよ。意味わかんない。早く新宿にきてよ!」




「ちょっ……」




 マシンガンのように撃ち尽くした葵の言葉に叩きのめされた透哉は、早くそこから逃げろと一言を言う時間さえ与えられなかった。そして、電話は一方的に切られてしまった。




 葵に電話を掛けようと画面に触れた時、僅かに視界が揺れた。最初は小さい揺れだった。せわしく歩く人たちには気づかないだろう。透哉のように立ち止まっている人や、座り込んでいる人は気づいたようだった。隣のカップルであろう女性は「地震だよね?」と彼氏に聞いていた。




 透哉はスマホを握りしめ、目上にある案内板を見た。透哉の今いる場所から一番近い出口は丸の内中央改札口のようだ。




 透哉が丸の内中央改札口を目指そうとした刹那、地面から突き上げるような物凄い衝撃が襲い、地鳴りが辺りを包んだ。一瞬遅れて、悲鳴が構内に響いた。




 立つことのできないくらい激しい揺れに、透哉は地面に倒れ込んだ。




 這いつくばるように地面にしがみつく。手にひんやりとした冷たい感覚が伝わってきた。配線が切れたのか、駅構内が真っ暗になった。より一層の悲鳴が聞こえるが、それをかき消すかのように、天井が崩落した。




 小刻みに揺れる右手を左手で押さえ、スマホを操作し、ライトをつけた。ぽうっと透哉の周りが明るくなった。




 まるでB級ホラー映画のような光景が透哉の眼前に広がっていた。ようやく揺れが収まり、透哉はその場から立ち上がった。




「葵は無事だろうか……」




 透哉はスマホのライトを前方へ照らした。3メートル程の距離しか確認できない。ライトが照らした光景は絶望的な状況であった。地面の一部が陥没してなくなっている。




 時計回りにライトを照らすと、天井板が崩落していたり、地面には亀裂が入っていたりしたのが確認できた。このような悲惨な状況の中、透哉が生きているのは奇跡的だったのかもしれない。先ほどまで聞こえていた悲鳴はほぼ無くなり、時折、悲痛なうめき声が聞こえてくるだけで、構内は静かになっていた。




 透哉はスマホを改札口の方へ向け、照らした。




「これは……。これじゃ……」




 仄かに照らされたその先にある丸の内中央改札口は天井の崩落で通ることが出来なくなっていた。どうやら、透哉のいる中央改札口付近一帯は瓦礫が積み重なり、丸の内北口と南口の改札も通ることができなくなっているようだった。




「とりあえず、早くここから出なくちゃ」




 透哉は一早く構内から脱出しなければならなかった。新宿にいる葵に会うために。




 透哉は出口を目指して、慎重に歩いた。ライトを向けた先には、さっきまで、元気に歩いていた人たち、楽しげに話しをしていたカップル、サラリーマン、老若男女の死体が転がっている。構内は砂埃が舞っているせいか、息苦しかった。




 透哉は八重洲中央口の改札を目指すことにした。八重洲中央口は透哉のいる場所から、中央通路をまっすぐに進めばたどり着く。




 スマホの明かりだけを頼りに、透哉が歩いていると、透哉の耳に微かな声が届いた。




「助けて……」




 透哉は声が聞こえた方へ振り向いた。暗くてよく見えない。声が聞こえた方へスマホを照らした。そこには自分と同じくらいだろうか。ライトの先に女の子が倒れているのが見えた。歩いて近づくと、スマホのライトが女の子全体を垂らした。ライトが眩しいのか、片手で顔を覆っている。視線の先には、その少女の下半身と思われるところに天井板が乗っているのが確認できた。




「こ、これどかせそう?」




 少女はか細い声で透哉に言った。苦悶の表情をしている。透哉は首を傾げた。少し考えた後、透哉は口を開いた。




「やってみる。ちょっと待ってて」




 持っていたスマホを瓦礫を利用して床に置き、女の子を照らすように調整した。女の子の下半身に乗っている2メートル四方の天井板に手を掛けた。




「う、お、重い……」




 力みで顔が紅潮した。透哉は女の子の上に載っている天井板を持ち上げようとしたが中々持ち上がらない。




「だ、だめかな?」




 諦めに近い低い切ない声が透哉の耳に届く。




「いや、大丈夫!」




 なんの根拠もなかった。しかし、透哉は気合いを入れなおし、天井板に手を掛けた。今度は足を踏ん張り、腰を落とした。歯をかみしめ、両腕に力が入る。




 ぐーっと天井板を持ち上げる。




「動ける!?」




 力が入りすぎて、透哉は目をつぶっていた。




「うん! もう少し!」




 女の子はそう言うと、匍匐前進をして天井板から脱出した。




「出られた!」




 女の子がそう言うと、透哉は急に力が抜けたように、手から天井板が滑り落ちた。大きな音を立てて埃を巻き上げた。




「はぁ。はぁ」




 透哉は記憶を遡ってみても、今回のような力仕事は経験がなかった。今までで一番力を使ったのではないか。膝に手を当てて呼吸を整える。




「ありがとう。もうだめかと思った。本当にありがとう」




 女の子は足の具合を確かめている。




「よかった。足も大丈夫そうだね」




 透哉はそう言うと、床に置いてあるスマホを取った。少女はスカートをバサバサと手で叩き、視線を透哉に移した。




「ごめん。まだ名前言ってなかったね。私、藁谷絵理(わらがいえり)って言うの。君は?」




「俺は透哉。神木透哉です」




「透哉君は一人?」




「そうですけど?」




「……私もついて行って良いですか?」




 絵理はちょっと不安そうに、そして寂しそうに透哉に尋ねた。透哉は即答できなかった。と言うのも、早く葵の元へ行かなくてはいけない。そう思うと絵理は透哉にとって重荷になるはずだった。透哉の口が重く開く。




「俺、実は……」




 透哉が言いかけたその時、また大きな地震が2人を襲った。透哉はバランスを崩し前後左右に揺れた。絵理は立つことが出来ず、その場にしゃがみ込んだ。







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