霧、一週間、オルゴール

【前書き】

今回は特別に前書きを付けさせていただきます。

ここからしばらく話が繋がっております。短編ではございませんのでご注意ください。

――――――――


 魔法使い、と呼ばれる存在がいる。彼らは別に大きな炎を出したり、空を自在に飛べる……なんて派手なことはできない。できることと言えばせいぜい蝋燭に火を灯したり、何も無いところから飴を出せる。そんな程度。これはそんな彼らのちょっとしたお話。


**

 目の前には高い高い塔。後ろには今まで自分が登ってきた山道。彼女はその塔のてっぺんを見上げて、そして後ろを見て、また前を見て。盛大に溜息を吐いた。

「これをさらに登れと……?」

 彼女の溜息も当然と言えば当然で、だってオルゴールの塔と呼ばれるそれはてっぺんを見上げていると首が痛くなるほどに高い。更に言えば、彼女が今いるこの山の頂上も雲海を見ることができる程度に高い。

 彼女はもう一つ溜息を吐いて、背負っているリュックからそれなりに大きい一本の鍵を取り出した。この山の麓にある村の村長からもらった、この塔の鍵である。彼女は塔の扉の方へと行き、普通よりは大きいサイズの南京錠の穴に鍵を差し込み、回す。

 ガチャリ。重めの音と共に外れた南京錠を失くさないように背負っているリュックにしまう。そして木でできた重い扉をそぉっと開いてみた。

「お邪魔しまーす」

 誰も手入れしていないのだろう。床には埃が分厚く積もっている。壁には螺旋階段が付いており、これで上まで登ることができるらしい。石造りの塔の壁にはオルゴールの塔とでも彫られていたのだろうか、霞んで文字が読めない。試しに床を歩いてみると、足跡がくっきりと付いた。

「これは……さすがにここでは寝たくないな」

 彼女はそう呟いて、リュックから一冊の本を取り出した。登山するのにおよそ相応しくない、その分厚い本はシンプルながらも上品な装丁が施されており、決して安いものではないことが分かる。彼女はその本をパラパラと捲って、そして目当ての場所で紙を捲る手を止めた。

 そこに書かれているのは読める人間には読める文字。読めない人間には読めない文字。何語でもなく、すべての言語でもある文字。それを読める彼女はそこに書かれている文字を読んでいく。

「我らの神に請い願う。この場を掃い、清め給え」

 ぽつん。水が滴る音がした。彼女は上を見上げる。そこには

「うっそだろ」

 空中に浮かぶ水の球は段々と大きくなっていく。彼女はそれを見て、急いで塔の扉を開けて外に転がり出る。その行動はほとんど本能的なものではあったが、一瞬後に彼女は自分の判断が正しかったことを知る。何故なら、彼女が立っていた場所に正にバケツをひっくり返したような勢いで水が降ってきたからだ。

「まじかー。……まじかぁ」

 思わず二回零してしまう。

 彼女は水浸しになっている塔から目を離して、握りしめていた本を見てみた。開かれているページの題は掃除の魔法。そして下に彼女が先ほど読み上げた文章。そして、よく見るとその更に下に小さな文字で、面倒なんで全部水で洗い流しちゃうよ。濡れたらダメなものがあったら避難させといてね。乾燥までちゃんとするから安心してね! と書かれている。

「こんな小さい文字読めるか!」

 彼女が本を叩きつけようとしたその時、塔の内部から吹いてきた乾燥用のものであろう温風が髪を揺らす。彼女はそれを見て全てが馬鹿らしくなり、また溜息を一つ吐いた。


**


「てなことがあったんですよ……」

 彼女が話し終わると同時にぐびっとジョッキをあおる。……中に入っているのはビールではなくオレンジジュースだが。

「まぁ、それはアウインがちゃんと説明読んでなかったのが悪いわな」

 バサッと切り捨てられて彼女――アウインは口をとがらせる。

「えぇ……。でも掃除の魔法って書いてるんだから、こう風とかでゴミを掃き出すのかなって思うじゃないですか。何ですか、面倒なんで全部水で洗い流すって。安心してね! じゃないんですよ、おめーが安心できない原因だよって言いたいですよぉ」

 カウンターの奥に居るマスターが、空になったジョッキに新たなオレンジジュースを注ぎ、彼女の目の前に置いた。

「でもオルゴールの塔の修理だっけ? それは無事にできたんだろ?」

「幸いにもオルゴールの大事な部分に水はかからなかったみたいで、ちょいちょいっと神工物用の修理魔法使ったら普通に音が鳴るようになりましたよ。というか掃除魔法っていうくらいだったら水がかからない部分を作っちゃ駄目な気もするんですよ。まぁ、今回はその雑さに助けられた訳ですが」

 アウインが二杯目のオレンジジュースをぐびっと飲んだ。

「まぁ、魔法なんてそんなもんさ。この本を作った神様が適当で自由奔放な性格だからしょうがない。今回のはいい教訓になったんじゃないの?」

「そんなもんですかねぇ」

「そんなもんさ。そういえば、さっきアウインにピッタリな難易度の依頼が来てたぞ」

 そう言ってマスターがこの建物の入り口の方にある依頼掲示板の方を指さす。

「マスター、そういうことは早くいってくださいよっ」

 アウインがガタッと椅子から立ち上がって、依頼掲示板の方に走る。

「……若いねぇ」

 一人取り残されたマスターが、飲みかけのオレンジジュースを眺めてぽつりと呟く。その言葉に応える人はいなかったが、ジョッキの中でカランと氷が軽い音を立てた。

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