第2話「咲良」

 今日は小嶋電気店に顔を出すつもりはなかった。用がないといえばそうなのだが、早く帰らないと茜の逆鱗に触れる恐れがあったからだ。でも、佳奈なら何か知っているかもしれないし、知らなくても調べることができるんではなかろうか。咲良。その名前がどうしても頭から離れず、それがどうにも落ち着かなかった。


「佳奈、いるか?」


 買い物を済ませると、小嶋電気店へ。手早く済ませて帰るとしよう。少し、話を聞くだけだ。


「来店していきなり店員をご指名とは。先輩。一応言っておきますが、ここはキャバクラではありませんよ?」

「わかってるよ」


 何ともいつも通りの接客態度に、少し笑みがこぼれてしまう。


「うぇ、先輩。店員に欲望丸出しな笑みを向けるなんて、本当の変態ですね。まあ、知っていましたが。ただ、こんな先輩を見たら彼女さんが泣きますよ?」

「彼女?」


 いったい何がどうしてそんな発想に行きあたるんだか。僕に彼女なんていないのに。


「ピンク女ですよ。もう、隠すなんて無駄なことはやめて、全国の非リア充勢に頭を下げるといいと思います」

「ちょっとまってよ。ピンク女ってだれ?」

「まったく……本名で呼ばないと許さない! なんてとんだバカップルっぷりですね。ごちそうさまです。甘すぎてはきそうですが」


 僕に彼女はいない……はずだ。なのに、佳奈はいったい何を言っているんだ。僕が忘れているだけ、ということは……いや、彼女を忘れるようじゃあ認知症の可能性があるだろう。でも、佳奈が事実無根な話をするとは思えない。


「それで、先輩。咲良さんとはいつからお付き合いを?」

「えっ⁉」


 咲良。咲良って言ったよな。そういえば沙織も言っていた。僕が咲良のことを好きなんじゃないかって。でも、なんでだ。何で僕は何も覚えていないんだ。何で思い出せないんだ。


「佳奈! 教えてくれ、佳奈はいつ咲良と知り合った?」

「何言ってるんですか? ついに頭いっちゃいましたか」

「たのむ、教えてくれ」


 気づけば僕と佳奈を隔てるカウンターの上に手をついて迫っていた。その様子に佳奈は異常を感じ取ったらしく、あざ笑うような表情が真面目なものにかわる。


「昨日、お二人はデートをしていたようでした。その途中、昼食の為に商店街に立ち寄ったらしく、その際に私の所に顔を出しにきました」

「昨日?」


 昨日は一日家にいたはずだ。茜が出かけて僕は留守番を……でも、よく覚えていない。


「ですが私と咲良さんはその前から面識がありました。最近になって、よく店に来ていた人だということもありましたが、何かと先輩関連の情報を置き土産にしていましたので」

「僕のこと?」

「はい。正確には、先輩の身の回りでおきている出来事に関係のある物事を、世間話や噂話をするように私へ与えてくるんですよ。しかも、確実な証拠が抑えられるものばかりです」


 佳奈に情報をリーク出来る人間なんて、そういるものじゃない。それに、僕はそんな人物を見たことがないのだ。だが、咲良はそれをしていたらしい。


 佳奈の知識は高校生のそれを遥かに凌駕している。よって、佳奈に助言できるということは、その人物が佳奈を上回る天才であるという意味でもあった。もし、上回らなかったとしても、佳奈と同格の天才であることは疑いようもない。


「ですが昨日。先輩方の関係を知り、納得しました。咲良さんの行動の意味も解りましたので」


 誰もが、彼女かそれに準ずる存在だと認識している。なのに、咲良のことを僕はまるで覚えていない。


 もう、さすがにおかしすぎるだろ。……おかしくなっているのは僕なんだ。みんなで打ち合わせて演じているという可能性もなくはないが、いや、沙織の表情は真剣なものだった。佳奈も。なら、何か得体のしれないことが起きた可能性が高い。いったい僕はどうしたらいいんだ。


「佳奈」

「なんでしょうか?」

「咲良の容姿ってどんなだったか覚えてる?」


 後はどんな姿かが重要だ。もしかしたら、それが切っ掛けで思い出すかもしれない。とにかくどうにかしなければ。この違和感だけで気が狂いそうだ。


「あんな特徴的な人、忘れる方がどうかしています。身体は、へたすると私よりも幼いように見えました。ただ、年齢はもっといっているでしょう。いつも白いワンピースを着ていましたね。デートの時もそうだったはずです。あと、ロングの髪がピンク色でした」

「ピンク色?」

「はい。ピンクに染めるなんてなかなかいませんからね。インパクトは絶大でしたよ。アニメの一級メインヒロインをリアルにだしたらこんな感じなんだろう、といった人物でしたね」


 それは確かに覚えていないほうがおかしいような人物だ。


「ありがとう、それじゃあ僕は行くよ」


 もう、いてもたってもいられなかった。沙織を探す必要があるかもしれない。いや、その前に茜に話を聞かなくちゃならない。とにかく、なにかしていないと気がおかしくなりそうだ。考えれば考える程、発狂してしまいそうで思い出すことが嫌になってくる。でも、それじゃあだめなんだ。思い出さなきゃいけない。なぜか、心がそういっているきがする。


「あのっ先輩!」


 店を出ようとした時だった。佳奈が今までで一番感情をだして僕を呼び止めたのだ。


「何があったのか知りませんが、安心してください。私がしっかりと先輩の事を監視してあげますので」

「……」



――これからも、基くんを支えてあげてください。



「佳奈」

「なんでしょうか?」

「いつも、支えてくれてありがとう」

「へっ……なっ……なんですか! 気持ち悪いです!」


 僕の自然に出た感謝の気持ちに、佳奈は赤面しながら顔をそむけた。




***




「茜っ!」


 帰宅すると、僕は一目散に台所へと駆けていた。


「どうしたの、お兄? あ、ちゃんと買ってきた?」


 商店街で買い揃えてきたものが入った袋を茜の前におき、肯定の意を示す。もう、買い物などということはどうでもよくなっていた。


「ねえ、茜」

「なに?」


 咲良のことを聞こう。まさにそう思っていた矢先のことだった。耳に入ったテレビでのニュースが僕の心を突き刺したのは。


『北海道の桜もそろそろ、見納めのようですね。四月も終わりが近づいてきました』


 テレビに映るのは散り始めた桜たち。



――まだ咲いてなければならない理由があるんじゃないかな、きっと。



「桜はもう、咲いていないのか?」

「え?」


 唐突に思ったことを口にしてしまう。なぜだかわからない。なのに、心が勝手に焦りだす。焦っても何をすればいいのかなんて見当もつかない。もしかしたら、咲良という人物を知ればいいのかもしれない。でも、その手段も思い付かない。


「どうしたの、お兄。大丈夫?」


 さすがに僕の異変に気付いたのだろう。心配そうな顔で僕を見てくるが、そんなの今はどうだってよかった。


「なあ、茜。咲良を知っているか?」

「え? あ……もしかしてふられちゃったの?」


 やっぱり知っているんだ。僕以外の人間は、咲良のことを。


「今日、ふられちゃったの?」

「え?」


 茜は今日、僕が咲良という女性と会ってきたと思っているのか。でも、何で。……そうか。今日も寄ってきたと、そう茜は言った。それは、咲良の所という意味だったんだ。


「ねえ、茜。茜は咲良の家の場所を知ってる?」

「ううん。知らないよ。お兄も知らないの?」

「……うん」


 咲良に会っていた。それは、本当なのだとして、そんなに仲が良かったのだから、家に行っていると公言し、大まかな場所くらいは伝えていたと踏んだのだが、当てが外れてしまった。 


 いや、まてよ。


「咲良はいつ僕らの家に来た?」

「え? 二日前に一回来て、夕飯を食べたじゃない。本当にどうしたの?」


 来たことはあるのか。でも、たったの一回。親密な関係になったのは最近だったのだろうか。だとしたら、茜もその時一回会っただけなのかもしれない。これ以上の心配を茜にかける訳にはいかないな。


 きっと、会うべきなんだろう、咲良に。でも、僕が記憶をなくしていることには理由があるはずだ。なら、会うべきじゃないのだろうか。


 誰か、知っている人。沙織に聞くべきかもしれない。そうすれば、記憶をなくした理由も見えてくるかもしれないんだ。



――人に聞いても答えはでないよ。誰かから与えられた答えなんて本当の答えじゃない。



 いや、沙織に聞くのは逃げになる。そんなのは駄目だ。これは、僕自身が決めて答えを出さなきゃならないことなんだ。


「あ、えと、なんでもないんだ。ただ、少し聞いてみたくなっただけで」

「なにそれ。でも、本当に悩みとかあるんなら聞くよ?」

「大丈夫だって」


 どうつくろった所で先程の様子が普通でなかったのは一目瞭然だ。

その後も、隙あらば僕の様子をうかがってくる茜にしらをきりとおし、入浴後は早急に就寝支度を整え自室へ。


 思えば、こうやってベッドに寝転がり考えるのも日課のようになってしまったものだ。最近は悩みごとが多かった。僕自身が変ろうとしていたからだとは思うけど。沙織や佳奈は僕をずっと支えてくれた。茜だって今まで支えてくれていて、これからだってそうなんだろう。こんなこと、前の僕だったら気づけなかったんだろうな。


 切っ掛けは何だったっけ。僕は変りたくても変わる勇気がなくて、殻に閉じこもっていた。その殻に亀裂が走った。そして僕は殻の外を見始めた。その切っ掛け。


 支えてくれていたみんなの力が僕を動かした。そうなのだと思う。でも、何かが足りないような気もした。僕にとって大切な、心の中核をなす存在。僕の心が支えとしていた一番大きな存在。



「咲良……なのか?」

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