第3話「自分の自覚」

 それきり、茜は一言もしゃべらなかった。かくいう僕も言葉をもたない。これ以上の会話は何も生まない。それをお互いが自覚しているから。

 でも、やっぱり気持ちの整理はそう簡単につくものじゃなかった。その日の夜も結局まともに寝れなくて、少しの睡眠と共に夜はあけた。二つの決意を胸に秘め。


「いってきます」


 日が差し込む薄暗い玄関に変な趣きを感じる。きっと、気持ちのせいなのだろう。


「うん。いってらっしゃい。シャキッとしてね、お兄」

「うん」


 まだ登校にはだいぶ早い時間。日が昇り始めてから、そう時間は経過していない。少し薄暗いようにも感じられる早朝の通学路を、妹に送り出された僕は進む。

 奈央のように教室にまで赴いたり、呼び出したりできれば格好もつくと思うのだが、如何せん僕にそんな勇気はなかった。校門前で捕まえる方がはるかに楽だ。心の準備をしている余裕がないかわり、目の前に現れたら行動をおこさざるおえなくなるのだから。


 学校が視界に入ると、胸の鼓動が高まり始める。こんな落ち着かない状態で人を待つなんて出来るのだろうか。いや、またなきゃ何も始まらない。言葉にするには、その機会が必要だから。


「あ……」

「え……」


 だけど、待つはずだった人物はそこにいた。校門の影に半分隠れるようにして、奈央は立っていた。


「もと……桐原先輩。おはようございます」

「……おはよう」


 そこにいるなんて思わなかったからだろうか。言おうと思っていた言葉が、頭から抜けていく。何をどうしたらいいのか分からなくなっていた。


「桐原先輩。昨日はすいませんでしたっ!」

「あ……」


 頭を下げてきた奈央を見て気付いた。僕は安心していたんだ。奈央が昨日のことを忘れようとしていたら、きっと話すのは難しい。そう思っていたから。

でも、そこに奈央がいて、そして期待したんだ。奈央が何か言ってくれるって。


 こんなのダメに決まってる。結局奈央にまで甘えるのか。昨日傷つけておいて、いざ謝られたらこの立場に甘んじてしまうのか。違う。以前の僕ならそうだったかもしれない。でも、今はそれが何の意味もないと、逃げだと理解した、自覚したんだ。


「奈央」

「っ!」


 名前で呼ばれることへの異常なまでの反応。昨日のことが奈央の心に大きな傷を与えたのは、確かだった。


「場所を移してもいいかな。奈央に話したいことがあるんだ」

「……はい」


 顔を上げた奈央の顔にあったのは恐怖心だった。


 その表情は僕の行動の結果だと見せつけられたかのようで、ただ、無言のままあの教室へと向かった。後ろから奈央がついてくるのを確認しつつ、歩調を合わせて向かう先は、四階別館空き教室。奈央が僕に気持ちを打ち明けた場所だった。


「ここでいいかな?」

「……はい」


 相変わらずかび臭い教室内に、奈央と入りドアを閉める。今度は僕から気持ちを伝えるのだ。だからきっと、ここしかない。そう思った。


「……奈央」

「はい」

「昨日はごめん。無神経だった」

「……」


 奈央は顔を伏せたままで、その表情はうかがえない。だけど、笑っていないことぐらい僕にだってわかる。


「僕は、君とはつきあえない。……好きな人がいるんだ」

「っ!」


 奈央の肩が小さく震える。これ以上何も言えなかった。必要以上の言葉は逆効果にしかならないから。でも、辛くて仕方がなかった。人の思いを断ち切るという行為は、心が張り裂けそうで。


 奈央の気持ちや勇気を考えると、僕のしたことがどれだけのものなのかがわかる。だからこそ、僕は答えを出さないゃならないと思った。


 僕の答えを告げた結果、奈央のこんな姿を目にしたのが、苦しくて仕方ない。言葉には出来ない思いがこみ上げてくる。

 でも、奈央はもっとずっと辛いんだ。

 僕のことを今まで見てきて、それでも好きという気持ちをもっていてくれた。

 僕のことを考えて、僕のことを思ってくれた。

 それを、言葉にしてくれた。

 なのに、僕は断ることしかできない。

 好きでもないのに付き合うのは失礼だ。でも、ふられるのだって辛いはずだ。

 そんなの、わかってる。

 結局、僕のただの自己満足なのかもしれない。

 それでも、これは僕が出さなきゃならない答えで、その結果だって受け止めなきゃならないのだから。


「あのまま、うやむやにしてくれても良かったんですよ? そんな、そんなハッキリ言わないでくださいよ……」


 奈央の顔には涙が流れていた。それでも、逃げずに自らの気持ちを口にしてくれたんだ。だからこそ、ただひたすら感謝するしかなかった。


「基先輩ってよんでもいいですか……」

「え?」


 奈央は涙を必死にこらえながら、笑顔を作って見せる。きっと、それが答えなんだ。


「うん。こちらこそ、奈央ってよんでもいいかな?」

「はいっ! お友達からってやつですね?」


 友達から。でも、それ以上にはならない。それをわかっていながら、奈央はそういった。これ以上、僕がここにいるのは奈央にとってもつらいだけだろう。


「それじゃあ、また」


 一言残して、教室を後にしようとドアノブに手をかけた時だった。


「基先輩は、うまくいくと、いいですね。私っ、応援してますっ!」

「……」


 嗚咽にまみれたその声は、奈央の心からの言葉だと、僕はそう受け取った。


「ありがとう」


 でも、奈央の顔を見ることはできなかった。



***


 

 放課後の訪れと共に僕は学校を飛び出した。咲良への思いを今言わなければ、二度と告げることができないようなそんな気がして。

 部活動に向かう生徒よりも早く教室を出ると、そのまま僕は走り出した。通学路をぬけ、獣道を駆け上がる。膨れ上がる気持ちを抑え込むことができなかった。


「そんなに急いでどうしたの?」


 そこには、桜と咲良の姿。上がった息を整えつつ、咲良の元へと歩み寄る。でも、一向に落ち着かない。咲良を目の前にして、気持ちを自覚したからだろうか。息が詰まるような感覚だ。


「咲良」

「……何?」

「大事な話がある」

「……ダメ」

「え?」


 一大決心と共に口にした言葉を何も聞かず否定された。そんな反応は予想もしていなかったし、どうしたらいいのか見当もつかない。


「基くん。あなたの気持ちはどこにあるのか。その答えはまだ聞けない。聞いたら、その内容がどうであれ、私はひけなくなってしまう」

「……どういうことだよ」


 咲良は僕以上に僕のことをわかっている。そんな気がしていた。でも、だからといって退ける話でもない。奈央を傷つけて、なおも突き通したこの気持ちを伝えるまでは。


「ダメなものは駄目なの。お願い」

「いやだ」

「っ!」


 気づけば僕は咲良の肩をわしづかみにしていた。驚き戸惑う咲良を目の前にして、気持ちが昂るのがわかる。でも、これ以上は駄目だ。いま、僕がするべきことは決まっている。


「好きなんだ、咲良。……僕と付き合ってくれ」

「……」


 咲良の顔に浮かんだ表情は不安と困惑。いや、少し違うかもしれない。でも、それが告白された人間の反応と違うことだけはわかった。


「基くん」

「何?」


 思いを告げた後の気持ち。焦りと緊張、そして恐怖。名前を呼ばれただけなのに、これから判決を言い渡される被告のような気分だった。


「高校生の恋愛はほとんどの場合、一生のものじゃない」

「そんなことは」


 かえってきたのは意外な言葉で、そんなことはないと、そう言いたかった。僕の気持ちはそんなに小さなものじゃないと。でも、咲良は僕の言葉を打消した。


「だから。だから、これは、今だけの気持ち。それでもいい?」

「……」


 僕の話を最初から否定してかかった咲良の姿を思い出す。何かに怯えるような、そんな目をしていた。


 理由があるのかもしれない。だったら、今は咲良の気持ちを受け入れることが先決だ。


「いいよ。咲良の思う形で構わない」

「……うん」


 なぜ、そんなにも寂しそうな顔をするのだろうか。好きとか嫌いとか、ましてや他に好きな人がいるとか。そんなふうじゃない。自分自身を責めるような表情で、咲良はそこに立っていた。


「ありがとう、基くん。嬉しい」

「あ……」


 その時みせた咲良の笑顔は、不安の混じった寂しそうな笑顔で。確信した。咲良は僕のことを拒んでいるわけではないと。こんなことで繕うような人ではないから、きっと嘘はついていない。



 でも、知ることが出来なかった。咲良の顔を曇らせるものの正体までは。

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