第2話「無策な正義」
僕は今日、あのいじめに対して僕をぶつける。何があっても絶対に。
そんな気持ちだったからか、放課後は思ったより早くやってきた。まあ、体感時間での話しではあるが。その分、授業の内容が頭に入っていない。始終上の空で、時折考えていたことといえば、茜と咲良のことだったように思う。そうしている内に、放課後はやってきた。
部活へ向かう生徒たちにまぎれて席を立つ田中さん。意気込んだはいいが、いじめの現場を今日おさえるのは無理か。そう思ったとき、田中さんの足が止まる。ポケットから携帯電話を取り出した後、その表情は一変した。
着信。
その相手に何かあるのか。いや、考えるまでもない。いじめグループの誰かだ。だが、当のいじめグループは教室を出た後のようだった。田中さんが自分の席に座りなおしたのを確認して、僕も教室をでる。昨日の警戒は尋常じゃなかった。ここにいたら怪しまれる可能性もあるだろう。
僕は帰るふりをして隣の教室に入り聞き耳を立てる。何事もなく田中さんが帰宅してくれれば問題はない。でも、きっとそうはならないだろう。
そんな僕の予想が的中したのは、それから三十分以上たった頃だった。複数人の足音が、隣の教室へと入っていく。
「よし、良い子だ。律儀に待ってるなんてね」
始まる。
「さあ、昨日の続きと行こう。今も盗撮しているのかい? さ、だしなよ」
田中さんの声は聞こえない。やはり、隣の教室から話を聞くのは難しかったか。
「口答えするなよ! もってんだろっ!」
「も、もっていません」
かろうじて聞こえたその声は、恐怖に震えたものだった。ずっと僕は、いじめを見て見ぬふりしていた。盗撮したといっても、やっていたことはそう大差ない。いじめと言う表面的な事象にばかり囚われて、何も見ていなかったのだから。
今だって、そう多くを理解することは出来ない。でも、茜はあの事象の中心にいた。吹き荒れた感情の嵐に飲み込まれそうになりながら、それでも必死に耐えていたんだ。僕にはその痛みが解らない。でも、解ろうとしない訳じゃない。
「……っ」
覚悟は決まった。教室から一歩廊下へと踏み出した。その時、後ろから手をつかまれる。
「……もう、やめよう?」
「……沙織」
何で沙織がいるのか。そんなのは解らない。いつからいたのかもさっぱりだ。本当に沙織は僕のことをよく見ている。度が過ぎる程に。
もしかしたら沙織は僕の気持ちまで見透かしたうえで、やめようと言ったのかもしれない。でも、僕はもう引き下がれないんだ。
「ごめん、沙織。でも、僕は兄だから。たった二年先に生まれただけなんだけど、それでも僕はやらなきゃならないと思うから」
建前だ、こんなの。本当は兄としての自分を感じて気分を高揚させたいだけ。茜に対して何もしてあげられなかった時の言い訳材料なのかもしれない。でも、僕はそれをしないと気が済まない。意地を張っているのでも、何も見えていないのでもない。自分が納得するためにしたいことをするんだ。たとえ、その結果が僕の学校生活に支障をきたすとしても。
「だめだよ。やめたほうがいいよ、基」
「……いじめの対象が僕になるとしても、僕は絶対にあれを止める」
きっと、今の状態を招いたのは僕自身だから。きっと、佳奈や沙織ならもっとうまくやれたのだろう。けど、今のこの状況は僕が作り出したものでもある。なら、僕は自分の責任をとらなきゃならない。そうしないと、
「こうしないと、納得できないんだよ」
「一時的な気持ちに左右されちゃダメ。お願い。ねぇ基。見なかったことにしようよ?」
そうか。きっとこれも壁なんだ。逃げることも必要だ。誰かがそう言っていた。その言葉に僕はずっと甘え続けてきた。この逃げは必要なんだと。そう、自分に言い聞かせていた。でも、もう誰かの言葉に、言葉の誘惑に負けちゃダメだ。そうしたらまた言い訳してしまう。そして、言い訳したことを決して認めなくなる。他の誰でもない僕が。僕自身が心のどこかにしこりを増やす。それだけだ。
「ありがとう。沙織」
「あっ……」
僕は沙織に感謝を述べる。僕を守ろうとしてくれた、いや、守ってきてくれた友人に。でも、同時に見せなければならない。ひなは巣立つということを。今すぐには無理でも、そのために成長しているということを。
僕は沙織の手を振り払って隣の教室に走りこむ。隣だから距離はない。でも、気持ちを奮い立たせるために全力で駆け込んだ。
「もう、やめろ」
教室内にいた全員の視線が僕に集まる。突然の乱入者に驚いているらしい、いじめグループのメンバーは2人ほどかけていた。
「なんだ、あんた?」
「こんなやついたか?」
「いつも一人でいる、いるんだかいないんだか、わかんない奴だよ」
まさか、僕の存在を認知している生徒が沙織の他にいようとは。でも、そんなのは今、関係のないことだ。
「なにしにきたの? もしかしていじめを止めにでも来たとか?」
「ちがうよ。自分のけじめをつけに来たんだ」
「なにいってんの。格好つけてる? 笑えるよ全く。ハブられている者どおし、同類相哀れむってやつかな?」
僕がクラスで、いや、学校で居場所がないのを理解した途端、態度を変えてきた。でも、一言。ただ一言言ってやれば方はつく。
「いいことを教えに来たんだよ。あの動画を盗撮したのは僕だ」
「は? 何言って……」
言葉を遮って僕は続けた。今、勢いで言ってしまわないと何も言えなくなる気がしたからだ。
「盗撮に使用したのはペン型の小型カメラ。最初は昼休みの弁当の件だ。対象が動くんで苦労したよ。極めつけは放課後。勉強するふりしながら盗撮した。そして、その動画を僕が撮ったものだとばれないように加工して、学校のパソコンにセットした。起動と同時に消えるようにしてね」
「……あんた」
いじめグループの顔色が変わる。僕があの日の放課後に残っていたのをようやく思い出したのだろうか。まったく、あそこにいて気づかれなかっただなんて、僕の存在感は亡霊以下みたいだよ、茜。
「あんまり、嘘言ってうちらをバカにすんじゃないよ。……まあいいか。あんたが撮ったことにしても」
「そうか」
どうやらいまだ思い出せないか。それでもいいさ。僕はやりたいことをやったのだから。結果なんて何でもよかった。ただ単に、僕自身が満足できればよかったのだから。
ああ、でも。
今になって足がすくんでしまっている。だめだ。もっと気丈に振る舞え。そう、まるで坂本千秋のように。
「おまえら面白かったよ。いつも威勢よくいじめをしているくせに、証拠があがった途端青ざめた顔してさ。本当に、傑作、だった、よ……くくっ」
必死に笑いをこらえる。そんなふうを装った。こいつらを挑発するには、それで十分だったようだ。僕に向けられる視線に、今まで以上の敵意に近い目線を感じる。これでもう、ターゲットは僕だ。
「あんまり調子のってるなよ。まあいいか。よかったね、田中。あんたの代わりが現れてくれて」
「……」
こんな時も無言で返す田中さん。その顔には安堵の色が見て取れたが、それ以上に僕という存在に罪悪感があるといった顔をしていた。
「おい、あんた」
そこにいた三人は僕に詰め寄ってくる。トイレの中で発せられていたものより威圧感を感じるのは、僕が対象となっているからだろうか。
「今ならまだ許してあげる。だからこのことは口外しないで」
「僕は事実を言ったまでだ。許されなければならないことと言うのが思い当たらない」
正直、大分限界だった。精神的に余裕がなかったといってもいい。
「いい加減にしなよ。ほら、土下座でもしてみなって」
「おいおい、いきなりそれはやばくね? でも、このことを口外したらあんたは社会で生きていけなくなると思ったほうがいいよ」
社会。随分と大きいスケールできたもんだ。
「まあ、すでに学校で立場なくなるのは確定なんですけど~」
笑いながら各々荷物を持って離れていく。
「それじゃあ、うちらは行くよ。楽しみだね、明日が」
「……」
退出していくいじめグループ。直ぐになにかしてくると踏んではいたのだが、どうやら本格的に始まるのは明日になるらしい。はたしてどんなことをしてくるのか見当もつかないな。
それでも、立ち向かってみなきゃ何も変わらない。茜が感じている学校の苦しみを少しでも理解できなければ、僕は茜に適切な言葉をかけることさえできないのだから。無力に茜を傷つけてしまうかもしれないのだから。
だから、知らなきゃいけない。見なきゃいけない。
僕だけが感じることの出来る僕の世界で。
「あ、あの……」
控えめに田中さんが話しかけてくる。相当の勇気で声をかけてきたのだろう。不安でいっぱいといったふうで、声も震えている。
「どうしたの? 田中さん」
どうしたの、ではないだろう。流石に僕の一言には無理がある気がした。でも、僕は今どこかで思っている。この件の当事者であるはずの田中さんは、もうこれに関係はないと。この問題は既に僕自身のものである気がしていたから。
「あの、ありがとう」
「あ……」
それでも、その一言は素直に嬉しかった。特別な言葉じゃない。単なる形式的な感謝の言葉だ。なのに、それが心の底まで染み渡った。長い事、僕が拒絶し続けてきた人とのかかわり。でもこれがそうなのだとしたら、悪いものではないのかもしれない。いや、これだけでそう言い張るには、いささか経験が足りていないように思うけど。
「でも、ごめんなさい。私がハッキリしないから、あなたがあの人たちに……」
表情を極端に変える田中さんについ、僕は苦笑で返してしまった。それが、疑問に思ったらしく、田中さんの顔は不思議そうなものにかわる。この子は喋らない分、しっかりと表情で感情を現していたんだな。これはきっと、表面だけを見ていた時には分からなかったことだ。
「謝る必要はないよ。これは僕の問題だから」
少し恰好をつけていた気もする。でもきっと嘘は言っていない。
「あの、その、本当にあなたが盗撮を?」
「……うん」
その質問をされるのは心がいたかった。僕が未熟であったが故に、田中さんを傷つけてしまったのだ。いや、今だってそう大きく成長したわけではない。なら、また傷つけてしまうかもしれない。僕の中には、その恐怖が残っていた。
「そう、なんだ」
だから、その煮え切らない一言に、僕はただ居た堪れなさを感じてしまった。
「ごめん。それじゃあ」
やっぱり、逃げ癖は治らないらしい。これ以上会話するのが何となく怖くなって、僕は教室をでた。助けを求めるようについ視線を巡らせたが、辺りに沙織の姿はなかった。啖呵を切って沙織の手を振りほどいたくせに、助けを求めようとしてしまった。
僕はやっぱり弱かった。
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