Sidestory:沙織episode2

「証拠になった映像って盗撮されたものだったんでしょう?」


 教員室前の廊下を掃除していた私の耳に入ったのは、教員が発したそんな言葉だった。

 咲良さんと会った日から二日が経過した火曜日のことだった。


「学校のPCをハッキングするなんてねぇ……。教育委員会に報告しなくて、本当にいいのかしら?」

「まあ、でも見たのって校長先生だけなんですよね? 嘘ではないんでしょうから、やっぱり大事にしたくはないんじゃないですか?」

「まあ、私たちの立場もありますからあんまり余計なことは言わない方がいいですかね」


 基のクラスでいじめを行っていた生徒が摘発されたのは知っていた。最近、基はいじめのことを気にしている様子だったし、もしやとも思っていたんだけど教員の言葉ではっきりした。


 PCのハッキング。


 この程度のことでそんなことをするような人間は一人しか思い当たらない。基の一つ下の再従妹であり小島電気店の一人娘、小島佳奈。基が佳奈ちゃんに頼んでおこなった可能性が限りなく高い。


「基っ!」


 だから、放課後校門を出るところだった基を見かけたときはつい、声をかけてしまったんだ。


「沙織。こないだは、その……ごめん」


 でも、そうだった。咲良さんのところに行って以来、話をしていないのだから私をおいていったことに基は罪悪感を感じていることだろう。失敗した。また、基の心を傷つけてしまったかもしれない。でも、それ以上に。


 このいじめの件を放っておいたら基をさらに傷つけてしまう。


「ううん。この間のことはいいの。それより基。一つ、聞いていい?」

「何?」

「あのいじめを盗撮したのって基でしょ?」

「っ⁉」


 知らなきゃならない。本当に基がやったのか。もう、目をそらす時間は過ぎたから。もう、逃げ道があってもそこを選ぼうとは思わないから。どんなに自分がちっぽけでも、私は基に傷ついてほしくないから。


「証拠が映像だって、それが盗撮されたものだって……そう、先生たちが話しているの聞いちゃったの。佳奈ちゃんに頼んだんでしょ?」

「なんで……」


 なんでわかったのか。そう、顔に書いてあった。

 私に追及されるのが嫌なのか、基は目をそらしてしまう。

 昔の私なら、ここで何も言えなかった。けど、それではだめだ。伝えたいことがあるのなら言葉にしなければ想いは届かないから。


「いじめを解決しようとすることが悪いことだとは言わないよ。でもやり方が、もっとほかのやり方があったんじゃないかって思うんだ」

「……」


 基はうつむいてしまった。

 けど、基のその沈黙は肯定だと、そうでなくても気持ちが少しでも伝わったのだとそう思った。

 基が顔を上げるまでは。


「ふざけるなっ!」

「っ⁉」


 基が私をにらんでいた。こんなこと、初めてだった。


「何もしなかったくせにっ! ただその事実を見ていただけのくせにっ! 偉そうなことを言うなよっ!」

「あっ……」


 その時はじめてわかった。いま、私が口にした言葉が基の勇気を否定したことを。理解しようともせずに、自分の気持ちを押し付けてしまったんだということを。


「ごめん」


 間違ってしまった。きっと、一番間違ってはいけない場面だったはずなのに。


「もう、ほっといてくれ」

「っ……」


 何も成すことができなかっただけではない。自分の行動が、ただ基を傷つけただけだったことに気づいた。自分の未熟さにやるせなさが募る。

 去る基を呼び止めることはできず、あふれそうになる涙をこらえることしか、その時の私にはできなかった。



***



 目の前の看板には小島電気店の文字。うわの空で終えた部活動のあと、私は佳奈ちゃんの元へと足を運んでいた。


 店の前で立ち止まってしまう。いったい私はどんなつもりでここにやってきたのだろうか。基の盗撮の片棒を担いだことを攻めたいのだろうか。いや、違う気がする。


 私は何もしてあげられなかった。けど、佳奈ちゃんは基の気持ちを受け止めた。きっと、佳奈ちゃんも盗撮は止めたはずなんだ。佳奈ちゃんが何も考えずにこんなことをするわけがないのだから。


 じゃあ、私はなんでここにいるのだろう。


 自分の行動の意味を自分自身で理解することができない。


「どうもっす、姉御」

「……佳奈ちゃん」


 ふざけたような口調で佳奈ちゃんが店内から出てきた。ツインテールの金髪が風になびいている。


「沙織先輩。どうかしましたか?」

「……」


 どう切り出すべきかわからなかった。さっき、基を傷つけたばかりだったから、人を傷つけてしまうのではないかと思うと怖かった。言葉の持つ重さをここまで感じたのは初めてかもしれない。


「基先輩のストーカーはやめて私のストーカーを始めたのでしたら通報させていただきますが?」

「え、あ、いやっ違っ……」

「まったく。わかってますよ。……盗撮の件、ですよね」


 冷め切った顔であざ笑うかのように笑みをこぼした佳奈ちゃんは、店の奥へと引っ込むとノートPCをもってカウンターへ出てきた。佳奈ちゃんは昔から少し変わった娘だったけど、それは今も変わらないようだ。


「どうぞこちらに」


 カウンターから手招きされ、店内に入った私は佳奈ちゃんのPCを覗く。そこに映っていたのは基のクラスで見かけるいじめの映像だった。


「それで、沙織先輩。私を咎めに来たんじゃないんですか?」


 どうやら私がやってくるのは予測していたらしい。確かに最初は佳奈ちゃんのことを心の中で責めたりもした。けど、すぐに気づいたんだ。私は結局何もせずに手をこまねいているだけだということに。


「私に佳奈ちゃんを責める資格なんてないよ……」

「……意外ですね。沙織先輩は基先輩のことになると周りが見えなくなりますから、殴りこんでくるもんだと思っていたんですが」

「そんなことしないよっ!」


 ああ、だめだ。佳奈ちゃんのペースに乗せられたら絶対に勝ち目はない。けど、佳奈ちゃんの言っていることが当たらずとも遠からずだからこそ焦ってしまうのかもしれない。


「何となく来ちゃっただけ。何をしようとかは……何をすればいいのかもわからなくて」

「……そうですか」


 私の答えが意外だったようで佳奈ちゃんは黙り込んでしまう。何か考えている様子だったが、佳奈ちゃんが口を開く前に来客者は訪れた。


「こんにちは」

「げっ」


 客に対するものとは思えない佳奈ちゃんの反応に振り向くと入り口には見覚えのある少女が立っていた。


「咲良さん……」

「こんにちは、沙織さん。……よかったら、少しお話ししない?」

「え?」


 予想外の人がやってきたのはおいておくとしても、咲良さんは小島電気店に用があったのだろうに、なぜか私を店の外まで連れ出した。


「沙織さん。ごめんね、無理やり」

「いえ。そんなことは、ありませんけど」


 咲良さんなら、このもやもやした気持ちをなんとかしてくれるんじゃないかと思ってしまう。基が咲良さんのことを頼る気持ちもわかる気がした。基と同じで私も咲良さんに何かを求めているのかもしれない。


「沙織さん。私、失敗しちゃったのかもしれない」

「え?」


 いきなりで、何を言っているのか理解することができなかった。


「基くんの殻を破る手伝いがしたかったから、私は基くんに気持ちを伝えた。言葉に乗せた気持ちが届くことを信じてた。でも、傲慢だったのかもしれない。私の言葉は、ただ、基くんを傷つけて、殻の層を厚くしてしまっただけなのかもしれない」

「……そう、ですか」


 咲良さんはすべてを見透かすような眼をしている。けど、迷い、考え、言葉を必死に紡いでいたのだと、このとき知った。

 私は自分自身が他の人より劣る小さな人間だと思い込んでしまっていた。けど、違った。咲良さんも私もちっぽけな人間で、完璧なんて無理なんだ。私だけでなく、彼女もまた自分の無力さに悩んでいたのだと思うと少しだけ心が楽になった。


「沙織さん」

「何ですか?」

「もし、基くんが危険を冒そうとしてしまったら、それはきっと私の責任。だから、どうか助けてあげて。私の言葉は今の基くんにはきっと届かないと思うから」

「はい……でも、咲良さん。咲良さんがすべて悪いってことはないと思います。どの道に行ったらいいかわからなくて、間違ってしまうこともあって。けど、進路は修正できるから。大丈夫、です」

「沙織さん」

「それに、私の目指している先は咲良さんときっと同じですから。……すべてを背負われたら私が困っちゃいますよ?」

「……そっか。そうだね、ありがとう」


 咲良さんは少し恥ずかしそうに微笑むと、それじゃあ、とだけ残して去っていった。咲良さんは、小島電気店に用があるんだと思っていたんだけど、違ったのだろうか。


「話し、やっと終わりましたか?」

「え、あ、うん」


 店内から様子をうかがっていたのだろうか。咲良さんが見えなくなったタイミングで佳奈ちゃんは店を出てきた。


「沙織先輩も何か吹っ切れたみたいですね」

「うん」


 きっと、咲良さんの本音を聞けたから。壁にただぶち当たるだけでは何も解決しないということをしっかり認識できたのだ。


「でも、沙織先輩」

「なに?」

「私、あの女は嫌いです」


 あの女って……


「なんで?」

「ピンクの髪の毛とかアニメのヒロインのつもりですか? 頭おかしいんじゃないですか?」

「……それは」


 それは佳奈ちゃんが一番言ってはいけないと思う。


「沙織先輩もこれで帰りますか?」

「……うん」


 今は少し、一人でいるべきだろう。誰かに頼る時ではない。


「では、これを持っていってください」


 まるで、こうなることがわかっていたかのように佳奈ちゃんは携帯電話ほどの四角い機械を取り出してきた。


「これは……盗聴器?」

「正確には違いますが、用途はあまり変わりません。いじめの件、これで終わるとは思えませんから。……証拠は必要になると思いますので」

「そっか」


 佳奈ちゃんは何だかんだ言っても基に甘い。顔に出すような娘じゃないけど、佳奈ちゃんだって不安なはずだ。


「あ、そういえば、佳奈ちゃんに聞きたかったんだけど」

「なんでしょうか?」


 ただ少し、気になることがあった。


「学校のPCハッキングしたって本当?」

「いえ、嘘ですよ? 当たり前じゃないですか。いじめの証拠を学校に提出するためにハッキングなんてリスクが高すぎますからね」


 やっぱり。


「でも、どうやったの?」


 そう。ハッキングしていないのだとすればいったいどうやって学校側の教員にハッキングだと思わせたのだろう。佳奈ちゃんはそもそも他校の生徒だし、さっぱり見当がつかない。

 そう思って聞いた私の質問に、人差し指を口元に当てた佳奈ちゃんは黒い笑顔を携えて、


「それは、乙女の秘密ですよ」


 とだけ言った。


 ポーズと表情があまりにも合っていなかった。

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