(4)老爺の話

 既に日が高く上り、駅亭から多くの荷背の姿が消えて静かになったころ、ゆうゆうとハゼムはツムガヤの街へと繰り出した。目指すは、かの市庁舎前広場である。彼の足取りは軽いが、頭部、特に張られた左頬と窓枠に打ちつけた右後頭部の痛みはまだ抜けきっていなかった。

 前夜、ルーリエに介抱されたハゼムは、自身を張り倒した人物が彼女の叔母であるところのイリカ・アナロミシュであることを知った。イリカは謝るどころか、ルーリエに何をしようとしたのか執拗に問い詰め、またハゼムがついに口を割ると、再び激怒して、今度は話も聞かずに彼を街路へと放りだしたのであった。

 ルーリエはハゼムをかばう様子を見せていたが、彼は酒も入っているし、今晩はこれ以上敵わないとみて駅亭への撤退を決め込むほかなかった。

 そうして夜が明け、彼は自身の抱える2つの懸案。すなわちジュートの件とルーリエの件について善後策を練った。結果は芳しいものではなかったが、しかし、ともかく話を進めてみなくてはしょうがない。そういった訳で、まずはジュートの件から片付けにかかったのだ。

 立派な石造りの市庁舎がそびえる石畳の広場に到着すると、ジュートが言ったとおり、その真ん中には一際目立つ銅像が立っていた。

 大きなマントをはためかせた人物で、全身は青銅造りであったが、両の眼だけは金箔が張られ、日差しを受けて輝いていた。はるか彼方を眺めるような、かの人物像の姿はしかし、広場を行きかう人々の多くに顧みられることもなく、その場にただ存在していた。

 きっと何か偉大な人物であったろうに、寂しいものだという感慨をハゼムは持った。


「旅のお方かね?」


 そんなハゼムに声をかけたのは、小柄な禿げ頭の老爺だった。


「いかにも。この像の人物は一体どのような謂れがあるのだろうと思っていたところだ」

「この方はツムガヤの街の中興の祖、大公ランベルト・ロウ殿下さ」

「中興の祖、か。どんな偉業を成された人物なのだ?」

「今につながるこの街の全部といっても過言じゃあない。河岸を整備し、街の後背地を開墾し、上流や下流の街との流通を確立させた。しかし何といっても、最大の功績は『青金』の大がかりな採掘とその活用だった」


『青金』。

 その単語に、ハゼムの眉はヒクリと反応したが、老爺は知らずに続けた。


「迷宮からやってきた『明星』の子ら、――彼らは何の因果か染織の知識と技術に秀でていたのだが、大公殿下は彼らを大いに取り立てた。他所者に反感を示す者もいたが、殿下はその声を鎮め、ついにはこの国最大の染織産業を興したのだよ」

「それまで『青金』は採れなかったのか?」

「いいや、採れなかったわけじゃない。その存在もずいぶん昔から確認されていたさ。だが、採掘場所は街の対岸の奥地だったし、当時はうまい活用法が見つかっていなかったのさ。特別な工程を経なければ、『青金』は水に溶けず、染料としては使い勝手がすこぶる悪かったからね」


 老爺のその言葉に、ハゼムは先日染織品の店を訪れたことを思い出していた。

 はじめは、大通りに面した大店だった。街中を歩いていて、一番に目立つその店におもむろに立ち入ったところ、店員と客の眼が一斉にハゼムの方を向いた。彼の格好はそこではあまりに悪目立ちした。場違いであったのだ。

 作り笑顔を貼り付けた店員がひとり、ハゼムの前に立ちふさがり、まだ大して品々に目を通さぬうちに彼を追い出した。曰く、「お客様、申し訳ありませんが、こちらでは特別な方の免状がなければ、商品を販売できないのですよ」と。

 壁一面にかけられた青く染め上げられた織物、またその原料となる染料『青金』の試料が所狭しと並べられているのを後ろ目に、彼はその大店を出ていかざるをえなかった。何はともあれ、特別な免状など彼は持っていなかったのだから。

 店を追い出されて、途方に暮れた彼がぶらりぶらりと思案しながら彷徨っていると、今度はこじんまりとした染織品店『バンター商会』に行き当たった。こちらならよかろうと入ってみると、狭い店内には香水と煙草の煙の臭いが入り混じり、むせ返るようであった。

 店の者は一人、店主バンターらしき若い優男が奥の番台で帳面片手に煙草をふかしていた。が、彼はハゼムの入店に気が付くと、たちまち立ち上がって愛想よく声をかけてきて、ハゼムから頼まぬうちに店の案内をし始めた

 こじんまりした店に、幅広の生地がそのまま置いてあるということはなく、試供品サンプルとして様々な生地の切れ端が並べてあった。実際の生地は別に倉庫を借りてそこにしまってあるのだという。「だから、煙草の煙臭いことはありませんよ」と、彼は茶目っ気を含めていった。先ほどの店との対応の違いもあって、ハゼムはこの若店主に心を許した。

 そこで彼は初めて来意を伝えた。すなわち、自身は荷背で、もちろん染織品もいくつか仕入れようと思っているが、『青金』そのものにも大変に興味があり、できればそれ自体をも取り扱ってみたいのだと。

 すると、若店主は困った顔で首を横に振った。なんでも、『青金』の流通は市当局が規制していて、自由な売買ができないのだという。ゆえに、自分のような小規模で街で見せ開いてまだ数年もしないような者には中~低級の染織品が回ってくるのがせいぜいで、原料の『青金』となると取り扱えないのだ、と。彼は続けて残念そうに言った。


「しかしまあ、仮に多少の青金が入ったところで、私にはどうともならないのですが」


 その意味を訊ねると、若店主はそもそも『青金』とはなんであるかから話し始めた。

 このツムガヤの街の対岸、しばらく行った先に渓谷がある。そこには一面に『青金』の原料となる特別な植物が繁茂しているのだという。それが雨や雪あるいは風によって谷底にたまり、積み重なっていく。季節の移ろいとともに、いつしかそれは発酵し、堆積の進展によって、圧縮されていく。そうした自然の営みが長い年月をかけて作り出したのが、まるで鉱石のように固い、青の染料原料である。

 赤や黄色、緑といった色の染料は比較的たやすく手に入る。しかし、青となると自然界ではなかなか手に入らない。したがって、この染料原料は『青金』と称されるまでに珍重されるのだと。

 ハゼムも旅の中で、青の染料や顔料が珍重されることが多いことは知っていた。だからこそ手に入れようと心が動いたのであったが、やはりこの街でも仕入れるのは困難な様子らしい。

 若店主曰く、『青金』の流通は、採掘から加工・配分まで既に高度な機構(システム)化がなされているのだという。つまり『青金』とはこの街ではあくまで工業原料であって、ある程度の資本家が工場を建て、手工業者を募り、販路を開拓して、ようやく意味を成す代物であるというのだ。こぶし二つ分くらいに切り出された『青金』が流通の一単位らしいが、そのが一個や二個では、他所の街では珍品くらいになれども、この街では些細な量にすぎないのだと。

 ここまで聞いて、ハゼムは一度考えを練り直す必要に迫られた。

 彼は特徴的な煙草の煙に見送られ、仁義買いした布地少々とともに若店主の店を後にしたのであった。




 さて、時は戻り。

 老爺の話の中に、ハゼムにはもう一つ気になる言葉があった。


「『明星』の子らというのは?」

「ランベルト・ロウ殿下の父の代にやってきた荷背の一団さ。彼らは『青金』に興味を示して、この地にとどまった。当時の街の者は馬鹿だと笑ったらしい。あんな使えないものの何か良いのかと。けれども、彼らの子世代の時、例の殿下が『青金』の真の価値に気が付かれた。そして、周囲の反対をよそに、大開発を始めたのさ。結果的には、――今のこの街を見ればわかるだろうが、殿下と『明星』の子らは正しかった。この国で、それまで青と呼ばれていた者は群青色や紺色と呼ばれるようになり、『青金』の鮮やかな青が時代を席巻した。それは今もなお、変わらずにある」

 老爺は銅像の金色の眼を指さした。

「殿下の母君は『明星』の子だった。異国風の美しさのために、殿下の父君に見初められたのだとか。それがために、殿下も『明星』を引き継がれた」

「明星というのは、あの金色の眼のことか」

「あの特徴は血筋で伝わるそうだ。やがて、殿下に使える他の貴族連も『明星』の子らと多く通婚するようになった。あの金色の瞳は、この領地ではやがて富と美しさと高貴さの象徴になった。――その良し悪しはともかくとしてね」

「どういうことだ、それは?」

「貴族、これすなわち『明星』持ちとなったのさ。それは貴族が力を持っていた時期は別に問題にならなかった。だが、革命が起こると全てが逆転した。『明星』持ちは貴族の証だとして、多くの者が殺された。革命が終わって、今ではそんなこともないが、しかし、『明星』持ちはそれだけで特別視されるのは変わらない。それは人それぞれで、かつてのように高貴さと権威の象徴と見る者もいれば、憎むべき圧政者の血筋と見る者もあるということさ。実際、今の街を牛耳っているのは、革命側に立って殺戮を切り抜けた進歩派の貴族と、豪商を中心にした有力な市民だ。そして連中は、またかつてのように子弟の結婚を通じて、どんどん結びつきを強めている。そんな現状に不満を持つ連中も、また多い」


 老爺は大公像を見上げ、ハゼムもそれにつられて、銅像を見上げた。老爺によると、この偉大な大公の像も、革命のときに一度市民によって引き倒され、革命後、喧々諤々の議論の末にようやく再建されたらしい。

 余所者にはうかがい知れぬことであるが、この像の存在すら今でも複雑な思いで見ている者がいる。その事実に、ハゼムは一抹のむなしさを感ぜずにはいられなかった。

 ところで、その大公の金色の眼を見、ハゼムには一つ疑問がわいた。


「そういえば、なぜ『明星』なのだ? 金の眼であれば他の呼び方もあろうが」

「それはな、旦那、宵の明星と関係があるのさ」と、老爺はよどみなく答える。

「ほう」

「彼らの瞳の色は、いつもは常人と変わらない。しかし、日が暮れなずむころ、正体を現す。金色の美しさを、その瞳に宿すのさ」

「ゆえに明星、か」

「そう。しかし、美しさとは脆さとも紙一重、なにせ『明星』持ちは――」

「やあ、ハゼムの旦那、待たせたな。……ン、その爺さんは」


 その時、広場の向こうから駆けてきたのはジュートだった。しかし、彼はハゼムと熱心に話し込んでいた老爺に気が付くと、途端に嫌な顔をした。


「旦那、こいつは旅人と見るや、この街の歴史だのなんだのを勝手に話しては、あとで金をせびってくる悪徳案内人だ。相手にしないほうがいい」

「悪徳とは失敬な。わしは嘘など一つもいっていない

「嘘は言わずとも、金をせびるの本当だろうが」」

「何者かを得るには対価が必要、ただそれだけのことではないか」

 老爺はハゼムに向き直った。

「さてどこまで話したかな、旅の人」

「おい、爺さん。いい加減にしろよ」


 ついにジュートが手を出し、老爺の方を強くつかんだ。老爺はうめいて転び、恨みがましくジュートを見上げた。


「まあよいではないか、ジュート。貴殿を待ち受けるのに暇をつぶしてくれたご老人だ。多少の礼くらい、吾輩は一向にかまわん」


 ハゼムは老爺を引っ張り起こすと、銭貨を数枚その手に握らせた。


「旦那、あんまり甘やかすとつけあがるぜ」

「どうせこれきりだ、荷背相手の商売など、たかが知れていよう」


 猛るジュートをハゼムはたしなめる。まるで昨晩とは真逆の構図で会った。

 そんななか、老爺はいそいそとその場を離れようとした。が、思い出したように振り返ると、ハゼムの耳元に近づいた。


「旦那、ありがとよ。ついでに続きを思い出したから、そこまで話をしてあげよう。明星持ちはな、星空が見えない。これが何と悲しいことかな」


 さあ、終わりだと言って、老爺は広場の人ごみに姿を消した。

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