第40話 事後処理(Step to the Last)
「総理、ご無事ですか!?」
マルヴォに駆け寄るルチア。
無精髭が整ったその顔を総理と勘違いしているようだ。
「ああ、問題ない。よくやった」
マルヴォは状況を飲み込んでいた。
銃殺された真理を目の当たりにし、ルチアが記憶を狂わせていることに感付いたのである。
(なんという僥倖だ……。オレの撃ち込んだ粉が相当効いているみたいだな……)
「総理、お怪我のほうは?」
ルチアの手を借り、マルヴォは立ち上がった。
真理の抱擁によってどこかの骨にひびが入っているが、今そのことを口にするのはリスクが大きい。このまま総理のふりをするのが一番の薬だ。
「問題ない。お前のお陰で助かったよ」
敵を倒せたのなら治療している時間はいらない。三階へと向かうのみだ。
「事務員さん! 大丈夫ですか?」
アイコが紫村に駆け寄った。
「……は? じむいん?」
むくりと起き上がる紫村。
血だらけではあるが、身体の機能に支障はないようだ。
(あんたは事務員の設定なの! いいから黙ってあたしに合わせて!)
口パクで訴えるアイコ。
ルチアはまだ猟銃を持っている。演技がばれたら終幕だ。
(…………)
戸惑う紫村は、とりあえず背後を確認した。
リングで大の字になった敵の姿を捉えると、全てを理解する。
「大丈夫だ。お陰で助かったよ」
茶番の始まりだ。
「あーゴホン。では、私は
マルヴォが下手な演技を披露した。
大根役者のようではあるが、すっかり総理に成りきっている。
「あー……ルチア君も、今日はもう帰りたまえ。大変ご苦労様であった」
「なんと勿体なき御言葉……光栄の極みでございます」
まんまと騙されるルチア。
総理への忠誠心は根深いようだ。
「では、私は死体を庭に埋めて参ります。総理はお身体をお休めください」
「うむ。何から何まですまないな。給料の値上げを視野に入れておこう」
(なんて優秀な秘書なんだ……清宗院が傍に置きたがるのも無理はないな)
「いえいえ、とんでもない。お安い御用ですよ」
ルチアはそう言うと、リングに上がって真理の両足を脇で挟んだ。
95キロの死体を、気合で一階まで運ぶつもりのようだ。
「やや重たいですが、下にさえ行ければ台車でなんとかなるでしょう」
「あ、お部屋のお掃除はあたしがやっときますので!」
閃いたように嘘を付くアイコ。
さらにトドメのダメ押し。
「秘書さんは、そのままお帰りになられて結構ですよ!」
「おお……それは助かるな。車に着替えもあるし、死体を片付けたら帰らせてもらうとしよう……今日はなんだか疲れてしまった……」
部下の前で本音を漏らすルチア。
用意周到な性格のお陰でシャワーを浴びさせる手間すらないようだ。
「お疲れ様です! 尊敬してます!」
(優秀すぎる……秘書の鑑だわ)
「フフ……有難う。では、私はこれにて失礼する」
微笑したルチアは、真理の死体を引きずりながら扉へ向かった。
かなり重たそうではあるが、その動きは迅速だ。
扉の手前まで行くと、ぴたりと足を止める。
「そういえば事務員くん、君の身体は平気なのか?」
「お、おう! 俺は心配いらない!」
右手を挙げる紫村。全身は血だらけだ。
(『車で送ろうか』とか言い出すかもしれない。何か言い訳を考えなくては……)
「うん、君は大丈夫そうだな」
事務員への扱いは雑だった。
「では、これにて失敬」
――バタン。
ルチアは真理の死体を連れ、扉の外へと消えていった。
「なんとかうまくいったわね」
悪魔の笑みを溢すアイコ。
「アイコ、よくやった」
真顔で褒め称えるマルヴォ。
「よくわからねぇが、助かったぜ……」
フゥと一息を吐く紫村。
苦しい展開ではあったが、強敵・真理をなんとか押しのけることが出来た。
額を拭った手には、汗の代わりに血がべっとりだ。
「マルヴォは大丈夫か? さっき骨が折れる音が聞こえたが……」
「フフ……気にするな。かすり傷だ」
マルヴォは答えた。
何事もなかったかのように埃を払っている。
「ようやくここまで辿り着けたんだ。たとえ腹を待ち針で刺されていようが、どこかの骨にひびが入っていようが、もう止まるつもりはない。逆に目が覚めて心地良いくらいだ。煙草を吸う時間すら惜しい気分だよ」
達成感からか、饒舌になっている。
「ここまで来れたのも二人のおかげだ。先に礼を言っておく」
「おいおいやめろよ」
照れ笑いする紫村。
すぐに表情を整える。
「計画はまだ終わりじゃない。むしろこれからが本番だぜ」
「そうよ。まだ気は抜けないわ」
同調するアイコ。
これまでの死闘はすべて前座に過ぎない。
「私たちが喜ぶべきは、煙草を吸えるようになってからよ」
「フッ、そうだな。何はともあれ、これでオレたちを遮る壁はなくなった」
三階への階段を見上げるマルヴォ。
螺旋の先には、いかにも偉そうな扉が構えている。
「あそこが清宗院の書斎と見て間違いはないだろう。みんな、準備はいいか?」
「ああ。いつでもやれる」
ライターを取り出し、扉を見据える紫村。
ここへ来るまでにあらゆる苦境を凌いできた。
あとは総理大臣を燃やすだけだ。
「ええ。いよいよね」
消臭剤を振り撒き、黒髪を払うアイコ。
ここに来るまでいろいろあったけど、あんまり覚えてない。
早く煙草が吸いたいです。
「よし、行くぞ! 突入だ!」
号令をかけるマルヴォ。先陣を切って走り出す。
その大きな背中に、二人も続く――
三人は螺旋階段を駆け上がった。
内に秘めるは‶煙草が吸いたい〟ただそれだけの飽くなき欲求。
嫌でも高まる胸の鼓動。二本の足を急がせる。
その先に待ち受けるは、我らの標的――『禁煙社会』の生みの親――現役総理大臣・清宗院和正!
《Episode6 "Bloody Mari" Broken. & Open The Last Door......》
(第六章 ‶ブラッディ・マリ〟撃破。そして、最終章へ――)
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