第2話 幼馴染みのジャイアンさん

 出会った頃、奴はあんなじゃなかった。


 奴……とは無論台所に出る黒い甲虫Gではない。

 まあ俺にとってはGと同じくらい脅威ではあるが、幼馴染みのあの子のことだ。


 ――緑川みどりかわゆめり。


 これが至高の御方の名だ。

 ここでちょこっとゆめりの所業を紹介しておこうか。


 一つ、朝起きれば俺の部屋に出る。

 ――虫か!


 一つ、朝食の時は気付くと俺の隣にいる。

 ――タクシーの女幽霊か!


 一つ、高校に行く時は玄関先に待ち伏せている。

 ――え? まさか俺の執事なの?


 とにかくだ、これら全部を合わせた答えは一つ。

 ――奴は朝から我が家に入り浸っている!!


 いつだったか朝食後にクラスの友人から入ったラインが暗号文だった。

 俺は悩みつつも、スマホを手にトイレに立った。


「あんた、いつになく思い詰めた顔で個室トイレに籠って何する気?」

「え、いや朝の便意を……って何でンなこと説明しなきゃならないんだよ。ッてか何でいんの?」

「電話で相手に破廉恥な音を聞かせようとしてるんでしょ」

「するか! 俺は変態かってんだ」

「え、違ったの?」

「いや、人類は皆変態……ってとにかく出てけ!」

「怪しいわね」

「お前だそれは! ああもう出てけって! ――どっかに去っちまうだろ俺のトイレの神があああっ!」


 便秘になって苦しいのは世の奥様たちだけと思うなよ!?

 目を血走らせ中腰できゅっと尻の穴を締める究極に切羽詰まった表情に、奴は珍しくたじろいだ。

 人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて何とやら、人の便意を邪魔する奴は一週間便秘になるがいい!


「わわ、わかったわよ」


 大人しく出てくれたのはいいが、戸のすぐ外にいんのはやめてくれ。

 気が散る!

 だが時として生理現象は止められない。

 はッ、そこでとくと俺の音を聞け!

 結局全てを晒け出して腹を軽く叩きながら出ると、向こうの方が恥ずかしそうな顔をしている。


「ふーっスッキリした! あ、使うか? 消臭スプレーしてあるし」

「何なのよあんた……」

「ん?」

「こういう時は何事もなかったみたいな爽やかさで出て来なさいよーーッ!」

「俺は昭和のアイドルじゃねえええーーッ!」


 と、まあ、こんな出来事があってからはトイレには付いて来なくなった。

 因みにラインの相手は男友達で、後で訊けば寝ぼけて日本語じゃない日本語の羅列を送って来ただけだったようだ。

 ゆめりことお隣のジャイアンさんは何故か俺がスマホを持ってからはやけに行動が気になるらしい。家ん中でも。

 ってかさ、幸運を招く座敷わらしだって朝からこんなにべったりくっ付いてないよね!?

 え? 美少女なんだしそれだけでわらしちゃん級に幸運だろって?

 経験してみればわかる。


 朝食は母さんに袖の下でも渡してるのか、俺の分だけ奴特製の地獄のフルコース――闇色の固形物だ。


 あれはちょっと風味付けに焦がし醤油にしてみたの、なんて料理上手をにおわせたもんじゃない。とにかくもう焦げたとか言う可愛いレベルじゃないんだ……。


 燃焼の成れの果て……まあ要するに消し炭だね!


 炭食って体内を消臭及び浄化しろってのか? 俺は汚水か? あ?

 もう何かさ、隣で完食を見張られてる俺はいつも人間暖炉の境地だよ。

 おかげで俺の胃腸はちょっとやそっとの腐った食べ物じゃやられない、レベル100000000くらいの強靭さを手に入れた……が、まともな朝食をいつになったら食えるのか……。


 俺を丸々太らせて非常食にするには手料理が手っ取り早いとかで始めたんだろう時期が、確か中一初め頃だから、もう三年にはなる。


 中一にして童話の悪い魔女にでも憧れたんだろうか、

 ヘンゼルとグレーテル辺りの。

 でも少なくとも悪い魔女の料理は美味しかったはずだ。うらやましい。

 ホント驚愕だよな……三年も料理の腕がどん底って!

 ぶきっちょどころの話じゃない。


 ……まさか、奴は人間じゃないのか?


 人間なら何がしかの成長や進歩をしているはずだろ?

 そう思って、だからある日の朝食の席で「ゆめり、お前女じゃないだろ?」って眠い頭でうっかりちょっと言い間違えたら、奴は一瞬表情を無にして次にはに~っこりとして朝食を一気にまとめて俺の口にあーんしてきた。

 よくバカップルがやってるやつの攻撃に特化したバージョンで、正直あーんどころかあがががってなって、いやもう窒息死するかと思ったね。

 五段重ねくらいのおっきなバーガーを無理やり食べると同じようになるから、ゆめり的あーんに興味があったらやってみるといい。

 大真面目にがく関節がヤバかった。

 俺の両親は時々目が非常に悪くなるらしく、新婚さんでも見るみたいに微笑ましげにこっちを見てたっけ。

 ハイ、これお約束ね!





 登校時は登校時で、今日もゆめりは俺の自転車の後ろに乗っかって優雅に艶やかロングを靡かせている。

 ふわりと香るシャンプーの匂いに道行く男共は振り返る。

 ……位置的に俺には香って来ない。

 皆には可憐な花にでも見えてるんだろう。

 ほうと溜息をつき頬を染め過ぎ去る奴を陶然として眺めている。


「……上辺だけなんだがな」


 知らないって幸せだよ。

 あとさ、基本的な事だが、二人乗りは駄目だぞ。


「何?」

「別に」


 俺は涼しい声で答えた。

 顔は死にそうにヒーヒー言いながら馬車馬のようにペダルを漕いでるがなッ。

 そこまで距離はないが結構坂ばっかな通学路なもんで俺は毎朝汗だくなんだよ。

 奴は何故か俺に掴まろうとしないしな。

 危ないから腰に手を回せっつってんのに言う事を聞かないんだよ。

 たぶんどうせ汗臭いから嫌なんだろう。へっだがな、風向き的に俺の汗臭はどうしたって奴にいく。遠慮なく汗掻いてやんぜ。


「ほら遅くなってるわよ。これじゃ遅刻するでしょ。しっかり漕ぎなさいよ」

「無理言うなッ、ぜぇっはぁっ、――重いんだよッ!」


 あ……。


「ちょっ、ぐえええッ、ネクタイ引っ張るのやめて!?」

「馬車馬には手綱ってあるものでしょ? どうほら重い?」

「重ぐありばぜんんん……!」


 ほらもうこの素敵な扱い。なんだろ!


 到着した学校のチャリ置き場。

 早々に降りた奴は早速と俺に苦言を呈した。


「汗だらだらじゃない。もう、タオルとか持って来なさいよ」


 おいおいホント一体誰のせいだ。俺一人ならこんな汗は掻かないよ。


「運動部じゃねえし、荷物になるもん持つわけねえだろ」

「嵩張るのが嫌ならハンドタオルでもハンカチでもいいのよ。全く、紳士の欠片もないわね」


 そうは言いつつも正面から近寄って良い匂いのハンドタオルで汗を拭いてくれるのは、まあ有難かった。……汗臭くて嫌じゃないんだろうか。


「ゆめりお前さあ、何で自分のチャリで来ないんだよ。俺のより断然性能いい自転車持ってるじゃん。しかも電動アシスト付き!」

「――え? だってあんたがいるし?」


 は!? 俺はアッシー君なのかよ。

 語尾がやや疑問形なのもまた腹立つな。


「くそっせめてお前のチャリ寄越せ! そしたらどこまでだって乗せてってやるよ」


 言葉に詰まったように奴は瞠目した。

 何だその虚を突かれたような顔は。


「……考えとくわ」


 へ、と俺はポカンとした。


「いやそこは拒否れよ……」


 これじゃあどっちがジャイアンかわからんだろうが。

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