第20話

 いつでも枕経の連絡は突然である。だから連絡を受ける寺の方も、まさかという思いを持つこともある。


 その連絡を受け、法道は数秒言葉を失った。


 成長谷家のあの母親が亡くなったという。

 

 人は必ずいつかは死ぬ。何気なく生活していると、こんな当たり前のことを分からないでいることもある。 

 しかしこんな仕事をしていると、誰もがこんなことを前提にして生活していることを普段から実感するようになる。


 それでも法道は気が動転した。いつも朗らかで元気なあの人が、気づいたときには難病の末期。判明してから間もなくのことらしく、手の施しようがなかったとのこと。


 

「あのときの私、気が狂っててねぇ」


 何度も何度も聞いた話の冒頭はいつもこの言葉から始まっていた。

 聞かせてくれた話はそのことばかりでもなかった。

 

 法道のことを聞いたり、初めて年回忌法要でお邪魔した数年後に長女が結婚して待望の男孫が生まれた話や、その後次女が嫁にいって、嫁ぎ先の家と仲良く交流している話、一族の話などいろいろ聞かせてもらった。

 どんな話でも笑顔を絶やさずに朗らかな顔で話しかけてきた。


 うろたえる姿を想像できても、病気でやせ衰える姿とは無縁のように思えた法道には青天の霹靂。

 とにかく枕経に向かわねば と、電話を切った後は気持ちを切り替え、準備万端で成長谷家からの迎えを待つ。


 喪主になると思われる長女が出迎えてくれた。

「お母さんいなくなっちゃった。どうしよう」


 え? と法道は耳を疑う。

 来訪した時はいつも丁寧に挨拶をしてくる長女が、挨拶もなしにいきなり話しかける。

 まずは自分も冷静にならないと、ということで法道は挨拶をするが。

「あ、えと、いろいろと大変なことで……」

「きてくれてありがとう。ねぇ、どうしよう……」


 挨拶もそこそこに、いきなり「どうしよう」である。明らかにうろたえている。しかし奇妙な感覚がまとわりつく。どこかで同じことがあったような気がする。でも何もしなかったし、何もするつもりもなかった記憶のようなものがある。

 枕経に行くようになってから、何かしてあげないとと思うことは毎回あるが、何もするつもりもなかった思いは持ったことはない。


 どこでそんなことを思ったのかは気になるが、やるべきことをやるのが先だ。

 母親が横たわっている部屋に招き入れてもらい、枕経を始める。


 法要が終わり、いつものように故人の話をあれこれと伺う。

 その場にいる人たちで思い出話が始まると、夫を亡くしたときの話ばかりしてたことだけで盛り上がる。

 

「いっつも取り乱したって話ばかりしてたよね」

「あたしなんてその話、もうすっかり覚えちゃったわよ」

「具体的に話聞こうと思ったんですけどね。結局どんなこと言われたのか思い出していただけなかったなぁ」

「今の姉さんみたいね」


 法道は次女のその一言で気づく。


 母親のあの話を聞くたびに当時の姿をいつも想像していた。その姿と今の長女の姿がそっくりなのだ。

 顔や姿は父親になのだろう。母親に似たところは探さないと見つからない感じ。

 だが出迎えた時は挨拶そっちのけで、いきなり感情を法道にぶつけてきた。おそらく母親も住職に同じようなことをしたのではなかろうか。

 気が狂ったという母親の表現はきっと、理性よりも感情が先に表れた言動だったのだ。


 自分の想像力もなかなか捨てたものではない気がする法道。



 そしてまた考えさせられた。

 彼女は母親ともう話をすることができない。だが、母親そのものが彼女の中にいるような気がした。だから母親と似たような行動をとれたのだ。

 母親は娘から遠いところに行ったのだろうか。それとも、これ以上ないくらい娘に近づいているのだろうか。 


 母親のおなかに宿った時に、母親は娘を包み込んでいた。

 今は逆に、娘の中に母親がいる。どっちも言葉を交わすことができない立場である。けれど、どちらもしっかりと繋がっている。法道はそんな気がした。

 

 でも本人に伝わるだろうか。


 法話と言えば聞こえはいいが、思い込みとこじつけと言われればそれまで。

 それでも亡くなった母親は今、長女の中にもいることを法道は実感した。

 この悲しみや辛さを乗り越える踏み台にでもしてくれれば、この人と母親はどれだけ気持ちが楽になれるだろう。そんな姿を見たらほかの家族は、どんなに安心してくれるだろう。


 故人が遺族全員が和やかにいる姿を見て、自分がいなくても大丈夫だねと感じてくれるなら、きっと向こうの世界に向かって心置きなく出発できるだろう。

 この母親なら、長らく会うことができなかった夫の元に、胸を張って会いに行けるだろう。別れの悲しみはほんの一瞬のはず。遺族にとってもその思いは同じように一瞬であってほしい。


 そう願いながら法道は、この葬儀一連の法要に臨み、法道はその後のあらゆる法要の依頼にも、檀家の家族全員にもなるべく気を向けるようになった。

 

 





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