第7話

 どの檀家も気にかかるであろう、お布施、戒名料、院号料。事務的に見れば葬儀の際、寺にかかる費用の話。


 

 これは寺によって様々だし、受け止め方もまちまち。同じ寺でも代が変われば考えも変わってくることもある。




 法道は住職の考えを支持し、代が変わってもそれを継続していきたいと思っている。




 僧侶と一口でいってもいろいろいる。修行に入る前から志を持つ者もいれば、楽に生活ができるからという理由で資格を持つ者もいる。法道のように周りから押し付けられたと思い込む者もいれば、普通の仕事よりも実入りが桁違いにいいからという理由で僧侶になる者もいる。


 僧侶にも階級がある。実地の経験を重ねての階級。宗派の学問を修めての階級。法話などの類に関することの階級、法儀式での階級と、幾種にも分かれてる場合もある。


 その階級を基準にして、お布施は住職ならいくら、副住職ならいくらと差をつけている寺院もある。


 具体的にいくらかかるかは、直接菩提寺に聞けば、大概は答えてくれるだろう。


 よく聞く話だが、「お気持ちで結構ですよ」と返事をしたくせに、袋に入っている中身を確認したところ「足りない」などという同業。これははっきりと答えない寺側が悪い。階級や働きに応じた手当とも解釈できるもの。そこに気持ちが加わるなり引かれるなりする。それがあるから「気持ちの表れ」となるはずである。


 住職はそのように考えている。



 彼らの寺では檀家から質問された場合のみはっきりと答える。住職一人が葬儀を執り行うと三十万、法道一人が執り行うと、十五万と答えている。戒名料はその家庭の様子に応じて、十万から二十万の範囲になる。院号料は決まっていて、三十万とお願いしている。院号料が高い、院号料は言われたとおりにしますが戒名料は低くしてください と言う檀家には、普通の戒名を勧める。院号に込められる、寺への貢献の気持ちの話に繋がるからだ。


 家庭に応じてお布施の内容を決める というのは、檀家の家庭環境の様子を思い込みで決めつけて、そこからお布施の内容を決めるわけではない。

お盆や月命日のお勤めをするときに、少しは日常会話は交わす。その時の話の内容から推察する。たとえば長く入院していたり老人ホームなどを理由している家庭では、経済的負担が大きい。この額はとても出せないだろう と思われる場合は額は低くなる。だからといって、裕福な家にはその範囲よりも上の額を要望することはない。


 ちなみに布施とは、今の社会においてお金のことを指すような風潮があるが、実際はそうではない。

 布施行という修行の一つであり、端的に言うと施すこと。

 金銭の場合は財施と呼ばれ、七種類ある布施行の中の一つである。



 枕経が終わった後で、檀家から住職にお金の質問を受けることがほぼ毎回ある。

一通り具体的な金額を提示するのだが、その後に付け足す話に法道は感銘を受ける。この住職が自分の師匠で本当によかったと思える一場面。


「……このように金額は決めております。院号については、お求めになるのならこれは絶対にこの金額でお願いします。ですが院号なしでの普通の戒名料、そしてお布施は、あくまでも出せる範囲で結構ですよ。お気持ちというと、袋に百円入れてお終い なんて言われたら身も蓋もありませんが、この金額であることを前提としていただいて、いいですか? ここが大事ですからよく聞いてくださいね」


 ここで一旦切る。この後の話を聞き流されても困るからだそうだ。


「今後、ご遺族の方々は特別な事情がない限り、この方のご供養を続けていかなければいけません。ご供養を続けるために必要なことは何だと思いますか?」


 住職がいきなり遺族らに質問をするので、顔を見合わせ、なんだろう? という顔をする。

「今後ずーっとご供養するために必要なものは、第一にみなさんの健康です。健康はどうやって維持できると思いますか? それは、食事と睡眠。これがなければ健康を維持できません」


 初めてこの話を聞いたとき、後ろで聞いていた法道も遺族の立場になったような気がした。


「じゃあその健康を維持するのに必要な物は何ですか? それは生活費なんですね。生活費が減ったら健康の維持も難しくなることもあるんですよね。で、今までこの方の介護とか看護とかで、いろいろ経費かかったでしょう? 生活費を切り詰めたりしたんじゃないですか?」


 遺族の人たちはうなづきながら心苦しそうな表情になる。


「お布施と戒名料は、健康を損なうくらいに生活費を切り詰めたり、誰かから借金してまで出すもんじゃありません。まずこの先ずっとご供養していただくことを優先してください。そして、生活に差し障りのない金額を包んでいただければそれで充分ですよ」


 顔を見合わす遺族たち。菩提寺側には檀家の懐事情まで把握する必要はないから、その人たちがどんな思いを持っているのかはまったくわからない。


「ただ、安い金額で葬儀をしてもらったことを喜ぶ気持ちがあっては困るんです。ほかの檀家から、それより高いお布施を取られたという不満が出てくるかもしれませんから。どの檀家にも同じようなことは伝えております。ですが家庭の事情はそれぞれ違いますし、百円しか持っていない人に千円出してとは言えません。でもお気持ちで結構ですよと言われても困るばかりでしょうから、一応基準として提示しただけです。ま、お布施はお布施という意味を持つ言葉であって、定価や値札に書かれた金額ではないということですな」


 遺族は自分たちのことしか考えられない心境である。それは当たり前であり、そこに否はないしダメ出しする気もない。でも負担は軽い方がうれしいに決まっている。だがうれしさのあまり方々にそのことをしゃべってもらっても困るということだ。


 うれしい思いがあるのなら、それをそのまま仏様に感謝申し上げてほしい旨も言いたいが、そこまで頭に入らないかもしれないからね と自坊に戻った後に住職は彼に告げた。 


 最後に、ウケを狙ったのかお茶目と思われたいのか

「多めに出されてもお釣りは出ませんし、少なく出されても請求書は出しませんからご安心を」

 と最後に付け足し、お金の話はそこで一区切りとなった。


 法道はその一言を初めて聞いたとき、初めて住職に対する対抗心が芽生えた。

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