第4話

 法要の後に、正式に初めてお斎の席に列席した法道。


 やはりというか、当たり前というか。そのときの檀家への対応を住職は見ていたようだ。それ以来年回忌の法要は、ほかの檀家の月命日と当たらない限りは毎回二人で出勤するようになった。それまでは住職の後ろに座り、一緒に読経をするだけだった。

 一緒にお勤めするだけではなくなった。鐘などの音を出す道具のことを犍稚物(かんちぶつ)といい、それを扱いながら経文を唱える先導役の維那(いな)という役割を任せられるようになった。


 その役割においては不安に感じることは全くない。子供のころから住職から指導を受け、大学そして修行時代にはみっちりこなしてきた役目だったから。

 それに常に住職がそばにいる。何かミスがあると、帰寺後すぐに注意点として挙げられる。

 誰もが呼吸することにミスをするということはない。彼はそれと同じくらいにその維那という役割を確実にこなせるが、細かくも厳しいチェックが入るためさらに適度な緊張感をもたらす。


 そのようなことで仕事の種類が増えたことと、法要の中で責任ある役割を任せられたことで、僧侶としての自分の価値もそれなりに上がってきたことを自覚していった。


 何年かすると、法道もいろいろ経験を積んでいく。年回忌法要も、毎回ではないが彼一人に託される時がやってくる。

 こんなときに、よく見かける物語としては未熟者が無理に背伸びして、自分では取り返しのつかないミスをして、結局上司が尻拭いをする羽目になったりする。


 そんなことにはならないよう、法話も下手に自分のアレンジを加えずに、最初は住職の話を踏襲気味にして自分の与えられた責任を全うする。


 法話ではどの檀家にも当てはまるような、宗派の拝み方などの説明などの工夫もする。住職とおんなじ話をするね、などと言われても凹むことはない。それは批判でも間違いでもなく、自身への物足りなさの意見だから。自分の精進の指針の一つになるので、それはそれでありがたいとは思う。



 彼もそうだが、日常生活の中、四六時中仏様のことを頭に浮かべて過ごすことはあり得ないこと。一般人なら猶更だろう。


 だから法話を聞くまでは、その話は聞いたことがある と思い出されることはほとんどない。


「何度か耳にしたことはあるでしょうが」

 同じ話を聞かされるといううんざりする気持ちも、その一言を加えることでいくらかは和らぐ。


 住職がよく話しをする内容が、今まで読んだ本の中にあったかどうかの記憶を探る。差し支えない程度にその話に加える、そんな変化も試みた。


 一人で法要を執り行う数もさほど増えない。住職と二人でやることがいまだに多いため、聞いて勉強見て勉強の機会も減ることがない。


 しかし、いつか住職も引退する時期は必ずくる。檀家の世帯主が代替わりする家も増えてきており、そのきっかけが葬儀。当然その現場に居合わせている。寺もいつかは、次の世代にすべてを任される時がくるだろう。

 

 突然住職が倒れたらどうする? 檀家でも突然倒れた人もいる。寺の人間には当てはまらないとは言い切れない。住職と比べると、法道には足りないところはたくさんあるが、いきなり法道一人で何とかしなければならない時が来てもいいように、浮足立たないように心構えだけはしっかりしなければと備える気持ちも出てきた。


 住職が檀家に説法をする。彼は脇で檀家と同じように耳を傾ける。だがただ聞くだけではなく、それをなるべく一言一句間違えずにそのままなぞるように脳内で語る。


 今まで通り、住職の話のマネを繰り返すのも悪くはないが、同じ種類の法要でもいくつか話を使い分けている住職の話を、矛盾しないように混ぜ合わせてみたり一部を細かくしたり詳しくしたりしてみる。

 ただ、脳内での展開なので当然誰からも反応がない。


 ダメ元で住職に相談する。すると打てば響くような反応を示してきてくれた。

 そのアイデアはいいが、このような家族関係には当てはまらなさそう。だがこのんな法要の場合はそのまま使っても問題なさそう。

 そんなはっきりとした具体的な答えも来ることもある。


 それまでは、質問をしても答えが返ってこない事や、余計なことをするなと止められたことが多々あった。

 なのに今回は色々とアドバイスしてくれた。その違いはどこにあるのだろう?

 法道は頭の片隅でそんなことを疑問に感じながら、真剣に住職からの提案に耳を傾ける。



 ふと思う。

 住職が突然いなくなったら? ということは何度も想像してきたが、住職からすべて自分一人に任せることがあるかもしれない。

 

 法道が全責任を持って切り盛りすることと、住職の責任の下で法道が法要を取り仕切ることとはちょっと意味合いが変わってくる。後者は今の状態で、住職が法道のそばからいなくなるだけの話なのだ。


そうなると、住職からの指示通りにすれば問題ないのだが、法道がその指示に納得できないまま出勤するとなると、そのモヤモヤした思いがお勤めに表れたりすることがある。

 そこを檀家に感じ取られると、不審に思われることも少なからずあったりするので、打ち合わせの段階で未然にその思いを収めないといけない。

 当然法道もそれを踏まえて綿密に打ち合わせをするのだが、現場に出るとなかなか打ち合わせ通りに上手くいかないこともある。




 そしてそんな予想は意外と早く現実になる。




 住職が、この仕事以外の用事ができてしまい、キャンセルができない状態になった。

 そこに、檀家の一人が亡くなられた連絡が入る。当然住職は行くことができない。その枕経はお前一人で行け と命じられた。


 この仕事の大変さは、この一軒で改めて思い知らされた。

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