第6話 弔い

 学校側の反応は早かった。

ずっと行方不明だったニコさんこと、矢島アキが見つかったとの知らせを受け、すぐに担任教師の遠藤雅子と、偶然教室に居合わせた矢島アキの親友、荒木真弓がタクシーでやって来たが、どういうわけか家族は誰も来ていない。

「ご家族は? こちらから電話しても、一向に繋がらなくて」

加藤刑事が遠藤に聞くと、彼女も困り顔で、

「彼女に家族はいません。いえ、遠縁の方はいるとは思うのですが」

「どういうことです?」

「彼女の家族は両親と、それから幼い弟さんがいたのですが、半年ほど前に強盗に入られまして、そのときに……………」

「そ、そうですか。それはお気の毒に」

加藤は気まずそうに言った。

するとそこへ、手術が無事終了したとの知らせが入った。

ただ、しばらく安静が必要なので、一晩様子を見るとのことである。

その後、関は2〜3簡単な聴取を受け、刑事は一旦警察署に帰り、残った遠藤と真弓の2人は、もうしばらく病院に残り、彼女の様子を見ると言った。

関は内倉に直接症状を聞こうと、看護婦に頼んで取り次いでもらい、控え室に行くと、彼はソファーに沈み込むように座り、死人のように眠っていた。

彼が執刀したそうで、難しい手術だったのだろう、かなり疲れているようだった。さすがに気が引けて帰ろうとすると、

「用があるんだろ?」

「起きてたのか?」

「少し寝た。もう平気だ」

と、座ったまま伸びをして、内倉は眠気眼を関に向けた。

「おまえの女なのか?」

「いや、そういうわけじゃないんだが」

彼女いない暦が年齢と同じの関は、照れくさそうに言い、何か彼女の助けになればと、刑事達に言った以上に、細かくこれまでの経緯を語った。

「脳に何かあるのかな? 頭はいい方だと思うんだが、時々的外れなコトを言って」

「うん…………………健忘症か?」

内倉はカルテに目を通した。

「血中成分と体重が気になるな。ビタミンB1が不足か。コルサコフ症候群かもしれない」

「コル…………………何だって?」

「健忘症の一種だ。アルコール依存症やダイエットしすぎてなった、なんて話しも聞いたコトがある、栄養失調による脳の機能障害でな。思考や知能などの低下はないが、物忘れや質問などに対しては、勝手に妄想とかでつじつまを合わそうとする。しかし本人には、その事に対して真実と嘘の区別がつかないらしい」

「それで月から来たとか海から来たとか、ライオンに噛まれたとか言ったんだ。きっとそれらを妄想させる何かが、近くにあったんだな」

「多分な。今はそれくらいしか分からん。後は本人に聞いてくれ」

「助かるのか? かなり出血してたが」

本当に手術が成功したのか、少し心配そうに聞くと、内倉は「ああ」とかるく手を振り、再びソファーに沈み込んで、大きないびき声をあげた。


 ニコさんが搬送された部屋では、遠藤と真弓の2人が心配そうに、涙目で点滴や心電図に繋がれて眠る彼女を見つめていた。

「どうも………………」

何だか気まずく挨拶する関に、2人は会釈を返した。

このような事態に、何をどう言えばいいのか分からないようだ。

特に親友だという真弓は、まるで花粉症のように目も鼻も真っ赤にしている。

こっちはどうにも話しかけづらかったので、関は遠藤教諭の方に、自己紹介として名刺を渡した。

「彼女にいったい何があったんですか?」

「それはまだ分かりません。私も彼女とは取材で知り合っただけで」

「そ、そうですか…………………」

未だに頭の中の整理がつかない遠藤は、肩を落とした。

関はそのまましばらく黙っていたが、真弓を気にしながら遠藤を部屋の外に促した。

さっき加藤に、半年前の強盗事件がどうとか言っていた。

そのことが、きっと今回の出来事に関係があるハズなのだ。

何故、矢島アキがホームレスになったのか? 何故、記憶障害を起こすほどの栄養失調になってしまったのか? そして何故、命を狙われたのか? 彼女の過去を知れば、その幾つかが分かるかもしれない。

「さっき、強盗がはいったとか、家族はいないとか言ってましたけど?」

「ええ、そのことですか……………?」

こんなときに無粋かもしれないが、何も知らないではどうしようもない。

まずはそのことから聞いておきたかった。

「矢島さんの家は、M町でも高級住宅街にある、とても裕福な家庭でした。でも半年前のある日、彼女はご両親に黙って交際していたボーイフレンドに会うため、夜中にこっそり外出をしてしまった際、家の鍵を閉め忘れてしまって、強盗にはいられてしまったんです」

「ではそのときに、家族を全員?」

「いえ、そのときはご両親を。強盗は金品を盗みそこねた代わり、当時まだ小学校2年生だった彼女の幼い弟さんを、身代金目的に誘拐したんです」

「…………………………」

「警察の懸命な捜査にも関わらず、犯人は見つからないし、彼女は彼女で弟さんを心配して、何日も寝ずに1人で探しまわってました。

結局、その後は犯人からの連絡が来ず数日が経って、偶然S町で発見された弟さんは、倉庫に監禁されたまま放置されていたらしく、ほとんど餓死寸前でした。そして治療の甲斐もなく、その翌日には」

「では、彼女はそれに責任を感じて?」

責任を感じてか、罪悪感からか、彼女は弟に辛い思いをさせてしまったと、自らに罰を科すためにホームレスとなり、食事を断ったのかもしれない。いや、きっとそうだろうと、関は思った。

「私もそうだと思います。特に弟さんとは仲がよくて、いつも勉強を教えていたそうです。弟は立派な学者になるって、よく言ってました」

そう言えば、ニコさんはよく、子供達の勉強をみてやっていた。

きっとそれは、死んだ弟の事を思い出してのことだったのだろう。

そしてそのときが、彼女にとって最も、心安らぐ一時だったに違いない。

では、何故そんな辛い過去があったというのに、彼女はいつの笑っていたのだろう? 謎はまだまだのこっている。

すると、部屋から涙目の真弓が出てきて、鼻水をすすりながら目を真っ赤にして、笑顔で言った。

「先生っ、アキが目を覚ましたっ!」


 まだ麻酔が残っているのか、虚ろな目で天井を見上げている彼女に、3人は何と声をかけていいのか分からない。

それでも真弓は、じっとしていることが出来ず、

「アキッ!」

横たわるニコさん、いや、矢島アキに抱きついた。放心状態だった彼女は、

「あ……………………ま、真弓?」

と、眠そうな声で言い、周りを見渡して遠藤がいることにも気付いた。

「先生? どうして先生までいるの?」

と、呆気にとられたように言い、そして最後に関にも気付いて、

「あ……………えっと…………………誰?」

「いや、はは………………」

ギャグ漫画なら、ここでずっこけるトコなのだろうが、内倉からコルサコフ症候群の事は聞いていた。

前々から知っていた知識は残っているだろうが、最近の記憶は怪しい。

しかも彼女と今まで会ったのは、前に取材した1回きりだ。

記憶に残っていなくてもおかしくはない。それにきっと、

「私、何で病院に? 怪我でもしたの?」

自分が襲われたコトも、あまり覚えてはいないようだった。

「アキ、あのね、あんたはS町で………」

真弓がこれまでの経緯を話そうとするが、矢島アキは再び室内を見渡し、

「あ、あれ? 淳は? 淳はどこ?」

言って慌てふためき、顔を蒼白にした。

「あつし?」

「彼女の死んだ弟さんです」

遠藤が関にそっと小声で言った。

「弟さんの死を、受け入れられずにいるんです。彼女が失踪する前も、あんな調子で」

「探さなきゃ…………。きっとお腹空かせているわ」

傷の痛みに顔をしかめながらも、ベッドから起き上がろうとする彼女を、真弓が必死になだめて止めるが、それでも起きようとすると、

「アキッ、あっくんは死んだのっ! 死んだのよっ!!」

真弓は泣きながらそう叫んだ。

すると、アキは唖然とした表情でしばし虚空を見上げ、まるで壊れたロボットのように、震えながらゆっくりと顔を真弓に向けて、

「う、嘘よ、そんなの…………」

「本当よ」

アキの顔はだんだん強ばっていった。今まで笑顔しか見せなかった彼女の表情は、見る見る悲しげに歪んでいく。

そして、その事実を思い出したように、

「うあああああああああああああああんっ!」

笑うホームレス、ニコさんの泣き顔を、関はこのとき初めて見た。


「あの頃は、とても楽しそうだった」

アキは泣き疲れたのか、麻酔がまだ残っていたのか、しばらくして再び眠りだした。容態を看護婦に伝え、関達は廊下の長椅子で一休みした。

彼女の様子が気になって、3人ともまだ帰る気になれずにいる。

「でも、あの日を境に、幸せだった日々が一変してしまいました………」

言って真弓は、顔を伏せて泣き出した。

その真弓の代わりに、遠藤が目頭を熱くして話しを続けた。

「弟の淳君が見つかって、病院に行ったものの、危険な状態に変わりありませんでした。彼女の懸命な看病の甲斐もなく、翌日の朝に淳君は亡くなったんです。私は後で聞いたのですが、今際の際に淳君は、心配そうに見つめる彼女に、無理に笑顔を作って、消え入りそうな声で言ったそうです。『お姉ちゃん、笑って。いつものように』って。彼も姉の泣き顔なんて見たくなかったんでしょうね」

「……………」

「いつも笑顔の絶えない、傍目にもとても幸せそうな家族でした。それだけに、その言葉は、彼女の胸に強く突き刺さったことでしょうね」

「そうか……………だから彼女はニコさんになったのか」

「え、何です?」

ニコさんがいつも笑っていた理由。

それは彼女なりの、弟への弔いだったのかもしれない。

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