第4話 想定と準備、その結果

 いくつかの想定は立てたが、まず、朝は走ることに決めた。

 朝霧芽衣は今までの行動として、就寝前に風呂へと入り、朝は特に気にしないそうなので、歯磨きや顔を洗って着替えをさせてから、外に出る。子供用のジャージもこの時のために購入しておいたのだ。

 下山した近くの街で服を買った時は、さては着せ替え人形が好きだなと、あらぬ誤解を受けたものだが、そもそもジニーはガキの服を見繕ったことなど――……いや、仕事ではあるか、うん。

 さておき。

「これ飲んどけ」

「なんだこれは」

「まだ朝食も食ってねえから、エネルギー不足ですぐ倒れる。補給食だ」

 簡単に食べられるものを摂取してから、躰をほぐすような準備運動をさせる。これが成人とは言わずとも、十六歳以上ならば良いのだが、女であってガキともなれば、運動の加減がまだわからない。壊すわけにはいかないので、できるだけ慎重に、配慮を重ねて、程度を見極めることが肝心だ。

「よし、じゃあ行くか」

「おー」

「いいか、まずはできるだけ、ゆっくり走れ。こんなもんは走る内に入らんと思うくらいのペースでいい。さすがに走り方くらいはわかるだろ?」

「まあな。会話ができるていどでいいのか?」

「そうだ、最初はそのくらいでいい」

「わかった、案内をたのむ」

「道を歩いてりゃ、そう迷うことはねえよ」

 そうして走り出すが、そもそも小柄な芽衣がペースを落として走れば、ジニーの競歩よりもやや遅い、くらいなものである。きちんと芽衣に合わせるよう、やや早足で並走することにした。

「ああ、ここからいくつか山が見えるだろ」

「ん? ……ああ、四つか五つか」

「屋敷の裏から時計回りに、コールサイン順でアルファからデルタまで番号付けはしてあるが、そこを含めて全部俺の私有地だ。人払いはしてあるが、獣避けはあんましてねえから、山は気を付けろよ」

「きさま、さてはばかだな? 金の使い方が下手な軍人は多いと聞く」

「使わなきゃ市場は回らないし、使い切れるかよ……」

「めんどうな生き方だ」

「人生なんて、そんくらいがちょうど良い」

 いわゆる盆地になっているが、敷地面積はそれなりに広い。山から流れる湧き水はまだ綺麗なままだが、溜まり池は濁っていて使えそうにない。田畑は背の高い雑草ばかりで手入れをしなければ使い物にならないが、トラクターで耕すなら早くした方が良いか。

 さて、どのくらい持つだろうか。敷地内、山に入らず一周ならば、ざっと三キロほどだが。

 周囲の風景を見ながら、あれこれ考えをまとめていたら、一キロほどで体力の減りが見られ、意識がもうろうとしてくる。二キロを過ぎた頃はもう、何を考えているかも定かではなく、走っているのは気持ちだけ――。

「よし、ここまでにしとくか」

 返事もなく、ふらふらとゾンビのように走り続けるので、ひょいと脇を抱えて肩に背負い、そのままジニーのペースで走って一周を完了。そのまま家の中に入り、シャワーを出してそのまま放り込んでおいた。浴槽に水を溜めるわけではないので、溺れることはないだろう。あと水のボトルを転がしておく。

 さて、その間に朝食の準備だ。

 ――内心を吐露すれば、ジニーは田舎というのが嫌いだ。

 何故? 自然の音ばかりの中、生活をするのに不便かと思いきや、自給自足といった時間に縛られない毎日が過ごせる。実際にそうしたものをジニーは好むし、それは落ち着きを生む。

 だからこそ、嫌うのだ。

 否応なく、どうしたって耳を澄ます。気付けば耳を澄ませている――意識しない部分を、ふいに意識してしまった時の疲労は、筆舌に尽くしがたい。

 プロペラの音、風切り音、この二つに関しては気付かなかったで、済まされない失態に直結する。十二人からの降下なら対処できるが、腹に抱えたブツを馬の尻からひり出すよう、そこらにぼとぼと落とされれば、復興すら困難だ。

 自分ひとりならそれでいい。だが、誰かを巻き込んでの空襲は御免である。

 ちなみにこの私有地の上空は、飛行経路に一切入っていない。ただ一つたりとも、だ。そのために随分と金を出している。

 だがそれでも。

 耳を澄ませなくてはならない――職業病だ。

「……あいつ米も食うのか?」

 ならば米と炊飯器も必要になるなと、トーストを中心とした朝食が完成したので、シャワールームから芽衣を引きずり出す。脱衣所に放置しておき、着替えを取りに――行って、戻れば、自分で脱いでタオルでふいていた。

「着替えだ」

「おう……」

「飯ができてるから、とっととやれ」

 煙草を吸う時間はなくとも、珈琲の準備くらいできるだろうと思っていれば、ふらふらと歩いてきて椅子に座った。

「おう食え」

「おー、いただきます」

 昨日も思ったが、食べっぷりは良い方だ。この年齢なら、そのくらいの方が良いが――。

「ちょっと早食いだよな」

「ん? ……ごちそうさま。早いか?」

「お陰で珈琲を落とす時間が間に合わない。消化器官を鍛えりゃなんとかなるか……」

「きさまほどじゃないぞ」

「俺は軍生活で慣れてんだよ――ああ、立つな、座ってろ。食器を落とされても面倒だ」

「む……」

「毎日続くんだ、今日くらい甘えろ。珈琲を少し待て」

「ブランデーはいらない」

「――はは。珈琲に垂らすと美味いんだ、ボトルで置いといてくれってのは常套句だな。で、用意ができりゃブランデーを飲み始める」

「そしておやじがなぐった」

「見えるようだよ」

「……、ジニー、どうして狩人になったんだ?」

「なったっつーか、あのな、一応あれ、俺が作ったようなもんだからな……?」

「なに? きさま、えらそうなのは態度だけじゃないんだな!」

「俺をなんだと思ってんだお前は……」

「じゃ、どうして作ったんだ?」

「……ま、歩けるようになるための、時間稼ぎに付き合ってやるか」

 まさかこれが日課になるだなんてことを、この時のジニーは考えもしなかった。

「ハンターズシステムの〝構想〟は本来、アメリカが作った〝世界の警察〟って荷物を、どうにかしようってのが最初だった。ここらはまだ名前もなかったし、実際に俺が手掛けたわけじゃない」

「よくわからんが、覚えるから教えてくれ」

「そうだなあ……ほれ、熱いから気を付けろ」

「ありがとう」

 大きめのマグカップに珈琲をいれて置き、ジニーも腰を下ろした。

「未だに大戦中の意識ってのは残ってる。実際にどうかはともかく、太平洋を舞台にしてアメリカと日本はやり合った。未だに米軍が特別視されるのは、その錬度もあるが、何よりも戦争に勝った印象が強いわけだ」

「……、負けた日本はどうなんだ?」

「戦後からずっと友好国だし、確かに自衛隊は自発的な攻撃を禁じられちゃいるが、世界的に見て錬度そのものは高い。その上、いまだに唯一、アメリカとガチで戦争を起こした国だ――怖がられて、政治的な圧力をかけ続けたいってのが、中ロの本音だろうな」

「よくわからん」

「わかったらおかしいだろ。でな? 米軍の中で、現行のシステムに似た特殊部隊みたいなのを作るって話になったわけ。ただしそれは、アメリカだけじゃなく、世界各地で行動できるって宣伝したわけだ」

「さいしょはどうなった?」

「まずは同盟国での運用だな。実際に俺も行動したわけだが、ま、有事なんてもんはそこらに転がってるわけでもない。代理戦争の現場になら、軍を直接派遣した方がいいわけだしな。つまり暇だった」

「ひまか……」

「そこで、じゃあどうするって考えたわけだ。俺はとにかく手を広げた――時間があったからな。で、同盟国なら米軍基地もあったから、ひょいと顔を出しながらも、いろんな手伝いをしたわけだ。そこで、こんなことを言われた。当人は無駄飯食らいの俺らを批判したかったんだろうが――傭兵の方が使い勝手が良いんじゃねえかってな」

「ようへい? 軍のとしてはめんどうな相手だって聞いたぞ」

「いや、適時運用可能な駒として、アメリカなんかは傭兵を確保してるよ。表向きは敵対してるが、水面下では交渉もあるし、時には他国への派遣要員としても扱ってる。こいつはかつても今も変わってねえ。あいつら、金さえあれば、よっぽどのことがなけりゃ仕事を受けるからな」

「政治ってめんどうだな……?」

「まったくその通りだ。で、今言ったように、傭兵ってのは戦争屋なんて言われるように、仕事を受けて、依頼を引き受けて、戦場に行く連中だろ? そこから依頼で運用する立場ってのを考え始めた。何しろ――仕事がなくて暇だった」

「今の仕組みを作るのだって、一人じゃむりだろう?」

「いろんな人に手伝ってもらったよ。一番難しかったのは公正な試験だ。試行錯誤はあったが、そっちは人任せだった部分も大きい」

「ジニーの仕事は?」

「それなりに話をしつつ、メインにしてたのは技術力の向上だよ。簡単に言えば、ハンターとしての実績作りだ。文句を言うヤツは絶対に出る――だが、その時に、俺と同じ仕事をしてから言えと、そう胸を張れるだけの実力がなくちゃあ、誰もついて来ない」

「どうしてそこまで?」

「んー……ま、強かったのは愛国心と好奇心だな。青かったのも事実だ。国のためとは言わずとも、何かやってやりたいと思ってもいたし、楽しみたいと突き進んだのも事実だ。だからといって、俺が作ったんだって自負はねえよ。この仕組みの中で、上手くやってる連中を見れば、これでよかったと思うくらいなもんだ」

「今はどうなんだ」

「ん? 俺か? もう引退だ――が、お前のせいじゃない、そこは気にするな」

「そんなことは言われずとも気にしない。わたしじゃなく、きさまの人生だ」

「可愛くねえな……」

「そうか? 軍人にはかわいいやつだと、よく言われていたぞ」

 そりゃ自分で育てないヤツならば、どうとでも言える。

「状況を先読みしてたわけじゃないのか?」

「可能性を当たるようになったのは、狩人ハンターとして本格的に動くようになってからだな。芽衣、一つの結果が出たとしよう。それは何が原因だ?」

「よくもわるくも?」

「そうだ」

「それはいわゆる、積み重ねじゃないのか」

「そう、これまでの積み重ねだ。そして準備でもある。お前はさっき、走ってみたが、ここまではたどり着けなかった。これは現実であり、結果だ」

「気に入らんがその通りだ」

「どうして、この結果になったと思う?」

「わたしに体力がなかったからだ」

「芽衣、。積み重ねじゃない」

「……うん? どういうことだ?」

「何故、お前が走り切れなかったのか、その理由は、想定していなかったからだ。それは積み重ねがなかったからだし、準備をしていなかった――わかるか?」

「む……」

 腕を組んだ芽衣が首を傾げる。ここらの思考に関してはまだ早かったかとも思うが、あまり遅くても意味はない。

 さて、芽衣の返答は?

「それも結果ではないのか?」

「んー、一つの結果ではあるが、見方が違う。逆に考えろ芽衣、どうすれば走り切ることができたと思う?」

「かんたんだ。さっき言った、体力をつければいい」

「具体的には?」

「走ればいい。次はもうちょっと走れるぞ」

「ん、そういうことだ。つまり、それが準備だな。いいか? 考え方の基本として、俺の場合は、この結果に対してという答えを出す」

「……、時間か?」

「お」

 そこにちゃんと気付くのかと、ジニーは口元を僅かに歪めた。

「続けてみろ」

「今日、走れと言われた。けど、昨日に気付いてもわたしはじゅんびできなかった」

「だから、走れる時に走っておかないと、結果は良くならない。つまり俺は、仕事に関してすべて、そういう思考を持ってる。お前自身がそれを持てと、今は言わない。ただ覚えておけ」

「わかった。……なんかジニー、きさまあれだな、ししょうみたいだな?」

「俺に弟子はいねえよ」

「じゃあわたしがだい一号だ」

「……ま、それもいいか。じゃあ一つ教えておく」

「かんたんなのにしてくれ……」

「すぐに結果を出せとは言わねえよ、これも覚えておけばいい。目の前に一つの問題が落ちていたとする。お前は腕を組んで考えて、一つの結果を出そうと思うわけだ。現実問題として、こういうことは多い」

「よくわからんことを言うししょうがいるとかな?」

「うるせえよ。でだ、すぐに答えが出る時もあれば、いくら考えても答えが出ない時がある」

「うむ、だいたいその二つだ」

「どうであれ、考える時は〝二十秒〟にしろ」

「すぐわかっても、二十秒は考えるのか?」

「そうだ。で、わからなくても二十秒で止めて、とりあえず棚上げしろ」

「たなあげ?」

「あー……あとで考えるようにしろってことだ」

「なるほど」

「たぶん懐中時計が余ってたはずだ、あとでやる」

「どうして二十秒なんだ?」

「んー、そうだなあ」

 当然の疑問だとも思うが、なんか質問が多くないかとも思う。いや待てと、どういう話の流れだったかと回想しつつ、とりあえずは質問の答えを。

「まず一つ目、俺がそうしてるからだ。これは経験、積み重ねた結果として俺の中に基準として存在するもの。お前に適応するかどうかは、これから次第。どうしてか? 思考のバランスが良いんだよ。考えるってのは、実は現場じゃそう多くない。むしろ、現場に入る前の方が考えなくちゃいけねえ。現場で求められるのは、さっきの話」

「……、あ、時間がないってことか」

「この場合、考え過ぎると悪い方向に転がりやすい。かといって、考えなさすぎで結論が出てないと、下手を打つ。会話をしながらだと、二十秒待て、この一言で時間を得られるし、そのくらいなら相手も許すわけだ。しかも、これに慣れると、体内時間がよりはっきりする」

「ええと……二十秒の区切りがあると、いつもそれがわかる?」

「ま、そんなもんだ。そうだな、最初は迷った時なんかに使ってみろ。これからお前は、考えることだらけになるだろうしな」

「とりあえず、今はコードを読まないとな」

「おう、教材とは言わないがセキュリティのコードをプリントしておいた。お前の部屋のテーブルにあるから、見ておけ。書庫で作業はすんな、自室でやれ。いいな?」

「わかった。何冊か持っていくぞ」

「良さそうなのを見繕って、持って行ってやるよ。ついでに、水のボトルもな」

「あいつら、キャップがわたしのこときらいなんだ」

「わかってる……」

 子供なんてのは手がかかって当然だ。けれど、それを楽しめるだけの度量をジニーは持っている。

 ただ、芽衣はどうだろうか。

 何事においても、楽しみを見いだせるようにしたいし、そうであって欲しい。そして、そうなるようにするのは、半分以上がジニーの役目だ。

 気が重いことはないにせよ、まるで黒赤のルーレットだ。どうなるかなんて、停まるまでわからない――。



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