三幕_1

三幕




「どうです、少しはここの暮らしにも慣れてきましたか?」

 ゆうな高足つきのぼん。目の前に運ばれてきたその上にはあわい黄色のあわまんじゆうしたての湯気とにおいだけで極楽じようへと意識が飛びかけていたあおいは、その声で我に返りはっと顔を上げた。

「──あ、いや、まだ。慣れたというほどでは……」

「そうですか。まぁまだ五日ですからね」

 長いかみを背にたらした吉備が、あおいのとなりおだやかに微笑ほほえんだ。ここは吉備みの甘味茶屋だ。

「しかし連雀にも困ったものです。がおやさしくするようにと助言したにもかかわらず、結局説明なしにあおいを閉じ込めて。ただの犯罪者ですよ、これでは」

「でも吉備さんが町に連れ出してくれるので、ほんとうに有りがたいです」

 鳥界山は得体の知れない土地だけれど、部屋に閉じこもってばかりでも気がる。少しだけ外の様子を見に行こうかと思えば、連雀がざとく見つけて外出は反対だという。結局吉備が午前に連れ出してくれる散策が、ゆいいつの気分てんかんいききになっていた。

 吉備は思案気に息をく。

「せっかくここに残るとあおいが決めてくれたんですから、神楽舞だけたたき込めばいいというものではないでしょうに。やはり地上界に帰ると言われたら、わたしは退たいくつ……でなくてさびしくて仕方ないですよ」

 なんだかいつしゆん気になることを言われた気もする。とにかくあおいは首をった。

「帰るとは、今のところ言わないつもりです」

 鼻っぱしの問題かもしれないけれど、強制されたと思いたくない気持ちがあった。

 ここには自分の意志で残ったのだ。鳥界山という遠い地に職を得て。そう思った方が力が湧いてくる気がする。

「わたしがせんだなんてやっぱり何かのちがいだとは思いますけど、仕事を引き受けた以上はちゆうはんに投げ出したりしません。あの連雀がぽかんとあごを落とすほど完璧にやってみせます」

 連雀め今に見ていろという気持ちでこぶしをにぎった。

「そうですか。前向きに考えてくれてうれしいですよ。わたしとしては早くあおいがここに馴染んでくれることを願うばかりです」

 吉備の陽だまりのような微笑みにつられてあおいも笑う。

「さあ、温かいうちに食べてください」

「ありがとうございます。いただきます」

 湯気の立つ粟饅頭。ひょいっとつまみ上げてぱくりと?ほおりたいところだが、高級そうな店のふんに合わせて指先でそっと黒文字をつまみあげた。一口大に切って口に運ぶ。温かさとともに優しい甘さが口に広がって、思わずため息が漏れた。

「……おいしい」

 上白糖なんて高級品を使ったあんなど食べたことがなかった。たまに主人が甘酒や干しがきを出してくれることはあったけれど、給金を使って買い物をしたことは無い。何せ母と弟の生活を支えなくてはならないのだ。給金のほぼ全額を母にわたしていた。

(お母さんも弟も元気にしてるかな。連雀がすごい結納金を納めてくれたらしいから、借金も返して、美味おいしいものたくさん食べてるかしら)

 玉の輿は?だったけれど、冷静に考えてみれば結果として母たちは幸せになったに違いない。餡子の甘さとくすぐったい気持ちに口元をほころばせると、吉備は満足そうに目を細めた。

「でしょう。ここの粟饅頭は連雀もお気に入りなんですよ。しっとりもちもちがたまらないんだそうです」

「連雀が?」

 それはあまりに意外であおいは目を丸くした。あの目つき凶悪であいそうな連雀が、「しっとりもちもちがたまらない」?

 あおいのおどろいた様子をみて、吉備はしのび笑いにかたらした。

「ふふ、あおいはまだ連雀のそとづらしか見えていませんね。たしかにあの凶悪な目つきでぶすっとしながら餡子?張ってたら笑いますよね、ふふ」

 あおいは内心首をかしげた。あおいにとって連雀は五日たった今でも苦手な人物だ。吉備とは違い、神楽舞以外の会話もないし、朝から晩までしきはなれでようしやのない舞のけいばかり。その間も常にあのにらえるような厳しい目つきのままだ。常に不平不満やいらちをぶつけられているような気がしてしまう。

「まあ、じきにわかるようになりますよ。彼は目つきは悪いかもしれませんが、あれはどうしようもない生まれつきです。なにせ彼はれんじやくの鳥仙ですから」

「黄連雀ってどんな鳥なんですか?」

「目の周りの黒模様がつりあがった、とても目つきの悪い鳥です。あなたを空から落とすという暴挙はまあなんというか、の空回りというやつです。連雀は真面目すぎて空回りするというおもしろい……いえ、優しい仙ですから」

(優しい?)

 目つきの悪い鳥は目つきのすこぶる悪い仙になるらしい、というのは理解できた。

 けれど、優しいというのはどうなのだろう。上空からのぽい捨ては下手へたをしたら死んでいたかもしれないし、しかもそれを三度もだ。神楽舞を引き受ければ、今度は外出を反対してそれ以外に時間を使うことは許さないという態度だし、ちょっとなおにはうなずけないところがある。

「……ええとじゃあ、吉備さんは『吉備』という鳥の仙ですか?」

 会って日が浅いあおいにはわからないだけかもしれないが、どういう顔をしたらいいのか困る。あおいは話をらした。

黄鶲きびたきってしりませんか。頭から背は黒、のどから腹にかけて黄色の鳥です」

 ああだから、とあおいは吉備の髪を見た。つややかに流れた黒髪に、くちなし染めのようにあざやかな黄色いふさが二つ。やはり鳥仙の見た目は鳥だったころの配色や姿をいろく残しているらしい。

「きっと、きれいなんでしょうね」

 本心からそう言うと、吉備は驚くことを口にした。

「見せてあげましょうか、ここで」

「え?」

「仙になると基本は今の姿ですが、仙気を練りかえることで鳥形にへんすることも出来るんですよ。背につばさのみを出すことを『よくへん』、鳥だったころの姿に全身変化することを『ちようへん』と呼びます」

 へぇ、と感心してから、疑問がかんだ。

「えっと、もしかして、わたしも本当に仙なら、翼を出したり鳥になったりできるってことですか?」

「もちろんです」

 あおいは自分の髪をひとふさつまんでみる。赤茶けたようにも見えるが標準的黒髪だ。鳥仙の見た目が鳥であった頃のおもかげを残すのなら、せいかいしよくかつこう不如帰ほととぎすのどちらにも似ていないことになる。

「心配せずともだいじようですよ」

 心配というよりわくだったが、吉備はあおいを安心させるように言う。

「鳥のひなだって急には飛び立てません。あなただって同じです。いずれ時は来ますから、いまは神楽かぐらまいを覚えることだけを目標にすればよいのです」

「……はい」

 神楽舞を覚えることに専念、というのは確かに間違いない。優しくしてくれる吉備にもずかしくない舞をえるようにならなくては。

 ちょうどそこへ店のちやむすめ……ならぬ茶汲みいたちがしずしずとやってきた。れたてのまつちやを運んできたのだ。

 人のように二足歩行のけもの──じゆうせい。鳥仙の見た目が基本的に人と同じであるのに対して、彼らは見た目からしてまるで違う。毛むくじゃらでふわふわの動物たちがあわただしく働いている様子はやはり慣れなくて、ついついぎようしてしまう。

「みんな、仙になりたいんですね」

 鼬娘が去ったあと、茶に口をつけながらそんなことをつぶやいた。しかしこうていするとばかり思っていた吉備はみように首をかたむける。

「そうとはかぎりませんね」

「え?」

「本気で仙になりたい獣精もいますが、彼らの多くはげんきように満足しています。なにせ鳥界山での生活は厳しい野生とは違って、危険もえもありませんから。ただ獣精の寿じゆみようは五十年ほどですから、不老不死を得たいものや神々にお仕えしたいものなどは必死に仙貨をためていますね」

「ってことは、もしかしてわたしも不老不死ってことですか? あれ、でも赤んぼうから年をとってますけど……」

「それは成長であって老いとは違います。わたしやほかの鳥仙は、仙にしようてんしたしゆんかんに今現在の姿を得ますけど、おそらくあおいはそういうことなのでしょう」

 ではあおいも成長が終われば、後はずっとそのままの姿ということか。──もし本当にそうなったなら、いつまでも若いあおいを母たちはどう思うだろう。

 年をとればとるほどに、あおいの帰る場所がなくなってしまうのではないだろうか。

「あおい!」

 先の見えない不安にしずみかけたところでとつぜん名を呼ばれ、ちやわんを取り落としそうになりながらあおいはり返った。

「連雀」

 かまちしきを分けるからくさたんりのじゆうこうついたて。その向こう側に苛立った様子で連雀が立っていた。

「やあ、連雀。きみもお茶していきますか?」

「いらん。あおい、こんなところで油を売っている時間があったら舞の稽古をするんだ。神事までふたつきはんしかないんだぞ」

「…………はぁい」

 しぶしぶ頷いて、あおいは残りのあわまんじゆうを口の中にほうり込んだ。





 なでしこ色のしつぽうもんの長着をいで、しわをばしてもんけにかける。

 それをながめてあおいは小さく息をらした。このれいな着物も今身につけているさらさらのじゆばんもすべて連雀にあたえられたものだ。

「……せんがなければ着物一枚買えないし、こめつぶひとつも買えないのよね」

 仙貨は仙気で作るのだという。それができないあおいは一文無しと変わらず、衣食住のすべてを連雀にたよらなければ生活ができない身だ。それはどんなに豊かとはいえ肩身がせまい。

「翼変や鳥変はともかくとしても、仙貨だけは早く出して独立できるようになりたいわ」

 ほんとうに仙だっていうなら、と一人つぶやきながら、白のそでに袖を通しばかまひもを結んだ。足袋たびの色も白。本番ではさらに千早という羽織とあたまかざりをつけるらしく、この巫女みこのようなしようが神事での神楽舞の基本のころもとなるそうだ。

 かみを白紙で一つに束ね、あおいは足早にろうへと出た。

 手入れの行き届いた庭に初夏のくんぷうかおる。その心地ここちよい風の中を稽古場となっている離れへと向かう。離れは鳥界山のやまはだに面していて、みがき上げられたわたり廊下は馬酔木あしびの植え込みとともに急斜を登ってゆく。

 ここをけ上がるせいなのか、それとも連日の舞の稽古がきついからなのか、あおいのももあしは筋肉痛が続いていた。

「でも、つ、翼があったら、楽よね、こういう時……」

 息を切らして離れに足をみ入れる。開け放たれた障子戸からは山肌を駆け上る風が入り、白装束にえて待っていた連雀の長い髪を揺らしていた。

 その姿ははっとするほどにせいれんで美しい。

「ほら、はじめるぞ」

「はいっ」


 真っぐなまなしにかれて、しゃんと背筋が伸びる。あおいは用意されていた台座に上がった。台座はおけを逆さにしたものにとてもよく似ている。

「いいか、今まではほんの地ならしだ。所作、足運び、これは頭に入ったな。ひようもつかめてきただろう」

「ま、まあね」

 ……うそだ。けれど、やってやるとたんを切った以上は弱音なんてけない。できない分は必死にがんって覚えるしかない。

「では今度からは上半身の動きもつけていく。これを持つんだ」

 連雀は小さなすずが連なった棒と細い枝を差し出した。

「この鈴は神楽鈴でしょ、巫女さんが持ってるの見たことあるわ。この枝は?」

「これはしのざさだ。鈴の音も笹の葉を鳴らす音も、どちらも神に呼びかけるものとされる。囃子はやしに合わせてこの二つを振り鳴らしながら、足も激しく踏み鳴らす」

そうぞうしい神楽なのね」

「夏の神事はいわ神楽かぐらほうのうだ。岩戸の中にかくれられたあまてらす大神おおみかみあめのめのみことの舞で興味を引いて戸を開けさせる。当然にぎやかでなくては岩戸は開かない」

 連雀が短い区切りまでの手本を見せ、次にあおいも並んでそれに合わせる。

「こう?」

「どこをどう見たらそうなる! うではこう、下ろす位置はここだ!」

 すぐにまなじりり上げた連雀のしつせきの声が上がり、あおいは首をすくめた。

「もっと手首にも力を入れろ、品ある角度を保て」

「はい!」

ぞうまいじゃないんだ。いろを忘れるな!」

 ……色香。忘れたわけじゃないけど、どうやって出すものだかもわからない。難しい注文を! と思いながらとにかく動きだけでも覚えようと必死にった。

 何度も何度も連雀の手本をまね、ひたすらり返す。

 が中天を過ぎ、傾き、空があかねいろに染まり、そのあざやかさが消えてすっかりはくが広がったころ。ポ太郎が夕飯時をしらせに来るまで練習は続いた。

「──よし、今日はここまでだな」

 やった、終わった。あおいは長く息を吐きだしながら台座にくずおれた。その頭上に冷たい声が降る。

「もう体も慣れただろう。明日からの練習は早朝に始める」

「…………」

 あおいには言い返す気力も残っていなかった。





 翌日。

 夜明けとともにポ太郎に起こされたくを済ませ、神楽かぐらまいの練習は連雀の言葉通り早朝から始まった。

 体を起こすためのならしだと昨日のおさらいをざっと流し、それから刻んだうりやら茄子なすやらがのったなぞちやけをかきこみ、休む間もなく台座に上がる。

 同じ向きをして並んだ連雀が手本の舞を見せ、ひたすらそれを模して手足を動かす。拍子をとるのはポ太郎のたいだ。

「視線を上げろ、背筋を伸ばせ!」

「はい!」

 背を反らせ、鈴をかかげて片足で三度ねる、足と手をえてもう一度。それを繰り返しながら台座を回り、太鼓の拍子が変わると今度はそのまま身を低くする。右に左にと向きを変えて足を踏み鳴らし……

「おい、拍子がちがう! 太鼓は大事だがそちらにばかり集中するな! 大事なのは足で自分の拍子をとることだ」

「え、あれ、こう?」

「ちがう。足はトン、タタン、その拍子に合わせて鈴と篠笹も大きくる。ちがう、もっと高くだ。トン、タタン、鈴を上げてそこで回る……」

 トンタタン、トットンタンタン。

「もっと足は高く、指先には品を。視線にはつやをこめて! ちがう、そこはこう、ドンドンタンタンだ! 拍子を刻め!」

 あおいはずぶの素人しろうとだというのに、連雀の指導はとにかくようしやがない。

 ゼエゼエとのどが音を立てる。はなれはよく風が通るとはいえ初夏なのだ。すでにあせしたたり落ち、れた衣がべったりと体にまとわりついていた。

 確かにやるとは言ったけれど、もっとやさしく教えてくれてもいいのではないだろうかとりたくなる。小さなうらみを込めて見上げたところで連雀の動きが止まった。気持ちを読まれたのかとぎょっと身を引いたが、彼が見ていたのはあおいではなく、太鼓の手を止めたポ太郎だった。

「どうした」

「あおい様に麦茶をお入れしまス」

 大量に水分を消費したあおいにうれしい申し出だった。なんて気がく子だろう。連雀はあおいをいちべつし、うなずいた。

「そうだな。からびてしまいそうだ」

 ポ太郎はちんまりとした黒い手でちやがまを持ち上げ、麦茶を注ぐ。あおいは台座を降りてそれを受け取った。

「ありがとう、ちょうど喉がかわいて死にそうだったの。助かるわ」

 礼を言うと黒豆のようなつぶらな目がうれしそうに細められた。

 一気に飲み干すと、こうばしい麦茶は汗で水分を失った体中にわたる。

「あれ、連雀の分は?」

 空の?《の》みを返そうとして、あおいはふと気がついた。ポ太郎が持ってきたぼんには連雀の分がないのだ。

「もしかしてもう空?」

「ちがいまス。連雀様はし上がりませんから」

「どうして? 暑いし、彼だって汗かいてるのに。ねえ、連雀」

 連雀を振り返る。表情こそすずしげだが、実際そうではないことが額にいた汗でわかる。暑さを感じさせない仕草で手ぬぐいをあてているが、連雀だってきっと喉が渇いているに違いない。

 そう思ったあおいだったが、連雀はポ太郎に早く下がるように指示すると、あおいに台座へともどるようにうながした。

「連雀」

「いらん。教える側が楽をしてどうする」

「楽って、何言ってるの。連雀だって同じくらい動いてるじゃない」

 何を意地っ張りなことを。飲んだらいいのにとすすめようとして、あおいはそれを飲み込んだ。連雀がだんに増して険しい目であおいをめ付けていたからだ。

(はいはい、早く練習に戻れってことね)

 きゆうけいから台座に戻るとき、決まって連雀はこういう目をする。外出にもいい顔をしないし、練習以外にあてられる時間が本当に許せないのだろう。なんてきようりようでせっかちな。

 心の中で悪態をつきながら台座に上がろうとしたけれど、筋肉痛のふとももがうまく上がらない。上がりそこねてあおいはつま先をふちに引っけた。

 つんのめるようにして──転ぶ!

(────あ!)

だいじようか?」

 あおいはぽかんとした。

 台座につっ込むとばかり思ったものが、しっかりと背後から支えられていた。あおいをきとめているのは連雀だ。そのりよううでは力強く、温かい。

「う、うん、ありがと。ちょっとつまずいただけ……」

 心臓がまだおどろいている。ぎこちなく礼を言うと、「気をつけろ」と気負いのない声で言ってあおいを台座の上へと下ろしてくれた。

(び、びっくりした……っ!)

 転びそうになったこともそうだけれど、抱きしめられ……じゃなくてかんいつぱつで支えてくれたことにも驚いた。なんてばやく、的確な動きだろう。せんというのは反射神経もいいものらしい。

 気をつけなくちゃ。心の中で気を引きめて、すずしのざさを構えた。





 夕飯のぜんは二膳。まずは数皿のおかずのった本膳が運ばれてきて、そのあと白飯などが載った二の膳が運ばれてくるという、あいもかわらずごうな食事だ。

「うまいか?」

 あおいが夢中になってはしをすすめていると、先に食べ終えた連雀が声をかけてきた。食事は連雀とともにとるのが毎日の習慣になっていたけれど、声をかけられるのはめずらしいことだ。

「もちろん、とってもおいしいわ」

「そうか。よく食べるのは良いことだ。ここにきて最初に用意した膳は気に入らなかったようだがな」

「最初って」

 最後の一口をのみ込んでから、あおいは首をかしげた。ここの食事は何もかもが美味おいしくて……

「あ! 虫だの木の実だのの『たぬきぜん』のこと!?」

 連雀のしきに連れてこられ、目を覚ましたときに狸──ポ太郎が用意していたあの御膳。うにょうにょを思い出してあおいは顔をしかめた。気に入るも何も、おくふたをして封印しておきたいくらいだ。

「た、狸御膳……。あのな、あれが正式な鳥仙の食事だ」

「はぁっ!? 正式って……うそでしょ! あれを食べ……いや無理無理無理!」

 連雀はあきれ顔でけんを押さえた。茶を出していたポ太郎は、笑いをこらえているのかひげがもしゃもしゃふるえている。

「……鳥仙は鳥ではないが、ほんしようのすべてを失ったわけでもない。仙になるときに生まれ変わるのと同じだが、かつて肉食だったものはやはり仙になっても肉を好み、木の実を好んだものは木の実を多く食べる。食生活にあまり変わりはないものなんだ、本来はな」

かつこう不如帰ほととぎすって、もしかして」

「好物は毛虫だ」

 け、ケム! ぞっと総毛立った。

じようだんじゃないわ! そりゃ飢えれば何でも食べるけど! 動いてたし、な、生だったし! せっかく用意してくれたポ太郎にはその、ぜいたく言うようで悪いんだけど、せめて真っ黒く原形をとどめなくなるまで火は通してくれないと!」

「べつに無理に食べろとは言ってない。それに本来は、という話だ」

「──本来?」

「吉備と行った甘味茶屋で『狸御膳』は出てきたか?」

 あおいはぶんぶんと首を振った。とんでもない。とてもおいしいじようにおまつちやだった。ケムだのなんだのが出てきそうな様子もなかったし、店内は甘いにおいに満ちていた。

 吉備の案内で散策した町の中でだって、虫や木の実や生肉を齧っているような様子はなかったように思う。……たぶん。

「最近ではこの鳥界山もすっかり地上界の生活に染まってきている。鳥仙は鳥らしく、なんて考えは風前のともしだ。そもそも仙の姿は人に近い。形が近い分、生活にもみやすい」

「だから江戸の町に似ているのね」

「そうだ。それでもお前に最初あの膳を出したのは、落下で気を失ったついでに鳥仙としての本能がよみがえっていないか、かくにんの意味もあったんだが」

 本能、という言葉にあおいはうんざりと口をつぐんだ。連雀はよほどあおいの本能とやらに期待をしているらしい。

「まあ、何にせよ良かった。あの膳に箸をつけなかったのは弱っていたからでなく、たんに好みの問題だったようだな。仙はえて死ぬことはないが、それでも食事がのどを通らないようでは心配する」

「ご心配なく」

 さらっと答えてから、どこかすっきりしたような表情を見せる連雀にふと引っ掛かりを覚えた。まさか、珍しく練習以外で声をかけてきたのは、これが聞きたかったからなのだろうか。狸御膳を残したのは体が不調だったからかと考えて?

「そういうことはもっと早く聞いたらいいのに」

 思わず呆れた声が出た。

 何日っただろう。その間、つうの三食を米ひとつぶ残さず平らげているはずだ。

 連雀は少しまったように湯?みをらした。

「お、女にしよくよくを聞くのは、失礼だろう」

「まさか、それでずっと聞けずにいたの? それに聞かなくたって、見ればわかるじゃない。わたし結構がつがつ食べてるわ」

「女の食事をじろじろ見るのは非常識というものだ」

 切れ上がった目がすように外を見る。そのわずかに赤くなった横顔を、あおいはまじまじと見つめた。

(なんか……変なひと)

 見るのも聞くのも失礼だからと躊躇ためらいながら、けれども機を見計らってたずねようとずっと気にしていたということか。そんなに心配だった?

(いやでも、本当に心配ならさっさと聞くでしょ普通!)

 それに、それほど相手をづかう人が、何かにつけぎりぎりと毎日にらみつけたりするはずもない。だまして鳥界山へと連れてきて、帰さない、ここに住むんだというくせに、いざ鳥界山の町を散策してみようかとすれば、外出にものすごいやな顔をする。そうしてただ神楽かぐらだけをやっていろという態度を取るくせに、体の調子を気にしてみせたりして……。なんだかよくわからない。

(昼間の練習では、ちょっといい人かなって思ったけど……)

 台座に躓いたところを助けてもらった。それだけでいい人と思うのは、あまりに単純で現金なんだとは思うけれど、あれは本当に感心するほど素早く、的確な動きだった。まるであおいが転びそうになるのを待ち構えていたかのように……。

 と、そこまで考えてから「あ」と声がれた。

(〝まるで〟じゃない?)

 あの時、彼の動きにはとつに手をばしたようなあわて具合や、驚いた様子はいつさいなかった。待ち構えていたような冷静さと、的確な動き。

「……あの、昼間、練習で転びそうになったところを助けてくれたけど、もしかしてわたしが転ぶってわかってた、の?」

 まさかと尋ねると、庭をながめたまま連雀は素っ気ない口調で答えた。

きゆうけいをはさむと気がゆるむものだ。──それに、足が痛いんだろう」

「だから、躓くんじゃないかって?」

「台座は高さがあるから危ない。それだけだ」

 あおいは目をみはる。切り返すような視線を向けられたけれど、今度はこわさを感じなかった。正面からそれを受け止める。悪意は、感じない。

(────睨んでたわけじゃないんだ)

 休憩を終えて台座にもどるとき、あの目は早く練習に戻れという意味で睨んでいたのではなく、あおいが注意さんまんになってつまずかないかと注視している目だったのだ。

(なんてまぎらわしい目つき──ううん、損なきようあく顔っていうべき?)

 くすっとみが漏れた。

「ねえ連雀、だったら『転ぶなよ』とか声をかければいいと思わない?」

「毎回、毎日同じことを言われたらお前も気分が悪いだろう」

「そういう変なところに気をつかうくせに、筋肉痛にならないように練習を減らそうとかは思わないのね」

「もっと暑くなったら減らす。その前にたたき込んでおきたい。つらいか?」

 彼には彼なりの気遣いと考えがあったわけだ。

 いまさらながら吉備の言葉の意味が理解できた気がする。連雀に悪意はなくて、ただ本人はいたってで、だけどどこかずれて空回りしてる。

「……なぜ笑う?」

「ううん、何でもない」

 誰かを少しでも理解できたと思うしゆんかんは、なんだか不思議と心地ここちいい。自然と満面の笑みがかんだ。

「神楽の練習、これからもよろしくね」

 するとなぜか連雀はいつしゆん固まり、どうようしたようにあわてて視線をらす。

 母親にめられた少年のような仕草だと、あおいはさらに笑みを深めた。

 少しは仲良くなれるかもしれない。以前は『つじりでもしそうな人相』だなんて思ったけれど、こうしてよく見てみれば、れいな目元はんだ泉のようにくもりがなく美しい。

みように真面目で、変なところに気を遣って、どうしようもなく不器用なのね、この人)

 一週ほど前に、一方的に考えを押し付けるなんて! とあれほど反感をいだいたのは本当になんだったのだろう。

 確かに目つき悪く見下ろすところはねえさんに似てはいたけれど、中身はまるでちがう。彼女の場合はただのさ晴らしだったけれど、連雀の場合は決して悪気があるわけではないのだ。

 あの時もきちんとじっくり話し合ったなら、おたがい違う言葉が出たかもしれない。

 そんな風に思いながら彼の目を見ていると、連雀が居心地悪そうにまゆを寄せた。

「なんだ? 言いたいことがあるなら言え」

「言いたいことっていうか……。そうね、わたしにあまり気を遣わなくていいってこと、かしら。貧民はじようなだけが取りっていうか、転んでも平気だし、食欲はあるし」

「丈夫なのは結構だが、練習を終えたら体をしっかり休めるんだな」

 言うと、連雀は悪戯いたずらめいたように口のはしを上げた。

「──食事の最中も足がひようをとっていたぞ」

「え……うそ」

いてる。まさか風呂に入りながらも練習したりなんかするなよ」

「……しないわ」

 くずした足が気付かないうちに神楽の拍子をとっていたなんて。まるで無自覚だったあおいはずかしさにわずかにうつむいた。なんてあしくせの悪い。

 その様子がおかしかったのか、連雀は立ち上がりぎわに笑みを見せた。

「まあ、熱心なのはかんげいするがな」

 ぽろり、ともてあそんでいた空の?《の》みが足に落ちる。

 軽くあごを上げて見下ろす形の笑みは、それでも不意打ちなくらいあまりにやさしげで。

(…………なに、今の……)

 あんな顔もできるなんて。

 あおいはほうけたようにぼんやりと連雀の背を見送った。






 日ごと増してゆく暑気を冷ますように雨が降る。

 しとしとと、静かな雨だ。

「久しぶりの雨ね」

 えんに立ち、手のひらにあまつぶを受ける。今年はから梅雨つゆなのか雨が少ない。それが気がかりだったが、今日久しぶりに庭園の木々が濡れそぼつのを見て安心した。

 雨はめぐみだ。作物に恵み、命に恵む。

 なんだかうれしくて、あおいはかさを手にをつっかけて庭に降りた。すっかり色をくしたこけの上で雨粒がねている。梔子くちなしの花は、濡れて重くなった花首を下げながらものうこうな甘いかおりを放っていた。

「あ、あおい様!」

 慌てたこわり返れば、ろうを転がるようにポ太郎がけてきた。ぴょこんと庭へと飛び降りてあおいのそで?つかむ。

「どうなさったのでス、こんな雨の中!」

「どうって、花がらをんでたの。梔子の花はすぐに変色してしまうでしょう?」


 梔子は純白だから美しいのだ。黄ばんだ花はまだ香るけれど、摘んでしまわないとえが悪くなる。何より株もしようもうするし、いたんだ花がらは病気の原因にもなりかねない。

「あと、そっちの雑草取りと、そこのひこばえをせんていしようかと」

 何も雨の中やらなくてもいいと自分でもわかっているけれど、今たまたま時間があるのだ。昼飯のあとに吉備がやってきて、これから神楽かぐらの練習があると断る連雀をごういんに客待の間へと引きずり込んでいった。解放されるまでは手持ちだ。

 花がらを摘み終えたあおいは、今度は雑草をむしりだした。

「そのようなどろ仕事、あおい様がなさることではありませんのでス!」

 あたふたとあおいを部屋に入れようと引っ張るポ太郎に、「でも」と言いかけてやめた。あおいが部屋に上がらなければポ太郎が濡れてしまう。

 あおいはポ太郎をかかえ上げて濡れ縁にもどった。下ろしたたん、ポ太郎はぶるぶると身を振って水けをはらい、一瞬でふかふかの毛並みを取り戻す。

「なにをしていたのです、あおい」

 振り返ると、いつものほがらかな笑みを浮かべた吉備が、連雀とともに廊下をやって来るところだった。

「こんにちは。あの、ちょっと庭いじりをしようかなぁ……なんて」

「ポ太郎、えを。せんも不安定なうえに体を冷やしては風邪かぜをひく」

 連雀が命じると、ポ太郎は返事とほぼ同時にあおいを居室に引き込んでふすましようを閉めた。何を言う間もなく少し濡れた長着をはがされる。かと思えばすぐにかわいた着替えを着付けられた。ポ太郎の仕事は速い。

「ありがとう。ごめんね、ポ太郎。あとは自分でやるから」

 そもそもは雨のなか庭に降りた自分に責任がある。世話を焼かせるつもりはなかったのだ。濡れてしまった長着の手入れは自分でやると、ポ太郎の手から取り上げたところで襖障子しに声がけられた。

「あのー着替え、済みました?」

「あ、はい!」

 二人を忘れていた。あおいが急いで襖障子を開けたすきに、ポ太郎はさっとあおいのうでから着物を引きいて退室していった。

「ところで、あおいは庭仕事が好きなのですか?」

「いえ、好きかどうかは……。ただほうこう先でだんさまの菜園やぼんさいの手入れなんかをやっていたので、つい」

 申し訳ない気持ちでポ太郎の駆けて行った廊下を視界のすみに入れながら答えると、吉備がそっと連雀にささやく声が聞こえた。

「──ほら、だから言ったでしょうに。ひまだから地上界がこいしくなるのですよ」

「だが……」

 地上界、という言葉が出ているのできっとあおいについての話だ。あおいは少しあせった。

「わたし、別に地上界が恋しくなったわけじゃないですから。ただ……手持ち無沙汰だから丁度いいかなぁなんて。すみません」

 誤解を解こうとしたけれど、吉備はその言葉でさらに勢い付く。

「いつまでなんきんしておくのです。人さらいですかゆうかいですか。自由がないからなぐさみに泥仕事などするのです」

「な、軟禁などしていない。お前がよく連れ歩いているだろう」

「それ以外はどうなのです」

 いつにない吉備のきつもん調に、連雀はいつしゆん言葉をまらせた。あおいをちらりといちべつしてから吉備をさっと廊下へと連れ出す。それでも声はかすかに聞こえていた。

「あおいの仙気はらぎが激しい。何よりまだよくへんも出来ない」

「だからかごの中に入れておきたいと? あなたは過去のことをいつまで引きずっているのです」

「…………」

「あおいは鳥仙なのです。ここはあおいが住む鳥界山です。このままではいくらってもあおいの気持ちは人のままですよ。仙としてのかくせいなど、望めるべくもない」

「……わかっている」

 連雀の苦い声。それ以降はほとんど聞き取れなかった。

(過去? 籠の中って何の話?)

 一番気になったのは仙としての覚醒、というくだりだ。

(わたしの気持ちが人のままだから、仙らしいことが何もできずにいるの?)

 仙貨を出したり翼変したりはおろか、あおいはいまだに気というものすら感じられない。

 こんわくしていると、少しして二人は部屋にもどってきた。連雀はけんに深いしわを刻み、吉備はもうすっかりおだやかながおだ。

「あおい」

「はい!」

 名を呼ばれ、神楽の練習のくせでつい背筋をばしてしまう。

「……暇なら、散歩にでも出ろ。ただし、必ず俺か吉備を連れて行くんだぞ」

「え? あ、うん」

 吉備が説教でもしたのか、今まであおいの外出にいい顔をしなかった連雀が、この日からとつぜん散歩をしようれいしてくれたのだった。

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