三幕_1
三幕
「どうです、少しはここの暮らしにも慣れてきましたか?」
「──あ、いや、まだ。慣れたというほどでは……」
「そうですか。まぁまだ五日ですからね」
長い
「しかし連雀にも困ったものです。
「でも吉備さんが町に連れ出してくれるので、ほんとうに有りがたいです」
鳥界山は得体の知れない土地だけれど、部屋に閉じこもってばかりでも気が
吉備は思案気に息を
「せっかくここに残るとあおいが決めてくれたんですから、神楽舞だけ
なんだか
「帰るとは、今のところ言わないつもりです」
鼻っぱしの問題かもしれないけれど、強制されたと思いたくない気持ちがあった。
ここには自分の意志で残ったのだ。鳥界山という遠い地に職を得て。そう思った方が力が湧いてくる気がする。
「わたしが
連雀め今に見ていろという気持ちでこぶしを
「そうですか。前向きに考えてくれて
吉備の陽だまりのような微笑みにつられてあおいも笑う。
「さあ、温かいうちに食べてください」
「ありがとうございます。いただきます」
湯気の立つ粟饅頭。ひょいっとつまみ上げてぱくりと
「……おいしい」
上白糖なんて高級品を使った
(お母さんも弟も元気にしてるかな。連雀がすごい結納金を納めてくれたらしいから、借金も返して、
玉の輿は?だったけれど、冷静に考えてみれば結果として母たちは幸せになったに違いない。餡子の甘さとくすぐったい気持ちに口元をほころばせると、吉備は満足そうに目を細めた。
「でしょう。ここの粟饅頭は連雀もお気に入りなんですよ。しっとりもちもちがたまらないんだそうです」
「連雀が?」
それはあまりに意外であおいは目を丸くした。あの目つき凶悪で
あおいの
「ふふ、あおいはまだ連雀の
あおいは内心首をかしげた。あおいにとって連雀は五日たった今でも苦手な人物だ。吉備とは違い、神楽舞以外の会話もないし、朝から晩まで
「まあ、じきにわかるようになりますよ。彼は目つきは悪いかもしれませんが、あれはどうしようもない生まれつきです。なにせ彼は
「黄連雀ってどんな鳥なんですか?」
「目の周りの黒模様がつりあがった、とても目つきの悪い鳥です。あなたを空から落とすという暴挙はまあなんというか、
(優しい?)
目つきの悪い鳥は目つきのすこぶる悪い仙になるらしい、というのは理解できた。
けれど、優しいというのはどうなのだろう。上空からのぽい捨ては
「……ええとじゃあ、吉備さんは『吉備』という鳥の仙ですか?」
会って日が浅いあおいにはわからないだけかもしれないが、どういう顔をしたらいいのか困る。あおいは話を
「
ああだから、とあおいは吉備の髪を見た。
「きっと、きれいなんでしょうね」
本心からそう言うと、吉備は驚くことを口にした。
「見せてあげましょうか、ここで」
「え?」
「仙になると基本は今の姿ですが、仙気を練りかえることで鳥形に
へぇ、と感心してから、疑問が
「えっと、もしかして、わたしも本当に仙なら、翼を出したり鳥になったりできるってことですか?」
「もちろんです」
あおいは自分の髪を
「心配せずとも
心配というより
「鳥の
「……はい」
神楽舞を覚えることに専念、というのは確かに間違いない。優しくしてくれる吉備にも
ちょうどそこへ店の
人のように二足歩行の
「みんな、仙になりたいんですね」
鼬娘が去ったあと、茶に口をつけながらそんなことをつぶやいた。しかし
「そうとはかぎりませんね」
「え?」
「本気で仙になりたい獣精もいますが、彼らの多くは
「ってことは、もしかしてわたしも不老不死ってことですか? あれ、でも赤ん
「それは成長であって老いとは違います。わたしや
ではあおいも成長が終われば、後はずっとそのままの姿ということか。──もし本当にそうなったなら、いつまでも若いあおいを母たちはどう思うだろう。
年をとればとるほどに、あおいの帰る場所がなくなってしまうのではないだろうか。
「あおい!」
先の見えない不安に
「連雀」
「やあ、連雀。きみもお茶していきますか?」
「いらん。あおい、こんなところで油を売っている時間があったら舞の稽古をするんだ。神事まで
「…………はぁい」
しぶしぶ頷いて、あおいは残りの
なでしこ色の
それを
「……
仙貨は仙気で作るのだという。それができないあおいは一文無しと変わらず、衣食住のすべてを連雀に
「翼変や鳥変はともかくとしても、仙貨だけは早く出して独立できるようになりたいわ」
ほんとうに仙だっていうなら、と一人
手入れの行き届いた庭に初夏の
ここを
「でも、つ、翼があったら、楽よね、こういう時……」
息を切らして離れに足を
その姿ははっとするほどに
「ほら、はじめるぞ」
「はいっ」
真っ
「いいか、今まではほんの地ならしだ。所作、足運び、これは頭に入ったな。
「ま、まあね」
……
「では今度からは上半身の動きもつけていく。これを持つんだ」
連雀は小さな
「この鈴は神楽鈴でしょ、巫女さんが持ってるの見たことあるわ。この枝は?」
「これは
「
「夏の神事は
連雀が短い区切りまでの手本を見せ、次にあおいも並んでそれに合わせる。
「こう?」
「どこをどう見たらそうなる!
すぐに
「もっと手首にも力を入れろ、品ある角度を保て」
「はい!」
「
……色香。忘れたわけじゃないけど、どうやって出すものだかもわからない。難しい注文を! と思いながらとにかく動きだけでも覚えようと必死に
何度も何度も連雀の手本をまね、ひたすら
「──よし、今日はここまでだな」
やった、終わった。あおいは長く息を吐きだしながら台座にくずおれた。その頭上に冷たい声が降る。
「もう体も慣れただろう。明日からの練習は早朝に始める」
「…………」
あおいには言い返す気力も残っていなかった。
翌日。
夜明けとともにポ太郎に起こされ
体を起こすためのならしだと昨日のおさらいをざっと流し、それから刻んだ
同じ向きをして並んだ連雀が手本の舞を見せ、ひたすらそれを模して手足を動かす。拍子をとるのはポ太郎の
「視線を上げろ、背筋を伸ばせ!」
「はい!」
背を反らせ、鈴を
「おい、拍子がちがう! 太鼓は大事だがそちらにばかり集中するな! 大事なのは足で自分の拍子をとることだ」
「え、あれ、こう?」
「ちがう。足はトン、タタン、その拍子に合わせて鈴と篠笹も大きく
トンタタン、トットンタンタン。
「もっと足は高く、指先には品を。視線には
あおいはずぶの
ゼエゼエと
確かにやるとは言ったけれど、もっと
「どうした」
「あおい様に麦茶をお入れしまス」
大量に水分を消費したあおいにうれしい申し出だった。なんて気が
「そうだな。
ポ太郎はちんまりとした黒い手で
「ありがとう、ちょうど喉が
礼を言うと黒豆のようなつぶらな目が
一気に飲み干すと、
「あれ、連雀の分は?」
空の
「もしかしてもう空?」
「ちがいまス。連雀様は
「どうして? 暑いし、彼だって汗かいてるのに。ねえ、連雀」
連雀を振り返る。表情こそ
そう思ったあおいだったが、連雀はポ太郎に早く下がるように指示すると、あおいに台座へと
「連雀」
「いらん。教える側が楽をしてどうする」
「楽って、何言ってるの。連雀だって同じくらい動いてるじゃない」
何を意地っ張りなことを。飲んだらいいのにと
(はいはい、早く練習に戻れってことね)
心の中で悪態をつきながら台座に上がろうとしたけれど、筋肉痛の
つんのめるようにして──転ぶ!
(────あ!)
「
あおいはぽかんとした。
台座につっ込むとばかり思ったものが、しっかりと背後から支えられていた。あおいを
「う、うん、ありがと。ちょっと
心臓がまだ
(び、びっくりした……っ!)
転びそうになったこともそうだけれど、抱きしめられ……じゃなくて
気をつけなくちゃ。心の中で気を引き
夕飯の
「うまいか?」
あおいが夢中になって
「もちろん、とってもおいしいわ」
「そうか。よく食べるのは良いことだ。ここにきて最初に用意した膳は気に入らなかったようだがな」
「最初って」
最後の一口をのみ込んでから、あおいは首をかしげた。ここの食事は何もかもが
「あ! 虫だの木の実だのの『
連雀の
「た、狸御膳……。あのな、あれが正式な鳥仙の食事だ」
「はぁっ!? 正式って……うそでしょ! あれを食べ……いや無理無理無理!」
連雀は
「……鳥仙は鳥ではないが、
「
「好物は毛虫だ」
け、ケム! ぞっと総毛立った。
「
「べつに無理に食べろとは言ってない。それに本来は、という話だ」
「──本来?」
「吉備と行った甘味茶屋で『狸御膳』は出てきたか?」
あおいはぶんぶんと首を振った。とんでもない。とてもおいしい
吉備の案内で散策した町の中でだって、虫や木の実や生肉を齧っているような様子はなかったように思う。……たぶん。
「最近ではこの鳥界山もすっかり地上界の生活に染まってきている。鳥仙は鳥らしく、なんて考えは風前の
「だから江戸の町に似ているのね」
「そうだ。それでもお前に最初あの膳を出したのは、落下で気を失ったついでに鳥仙としての本能がよみがえっていないか、
本能、という言葉にあおいはうんざりと口をつぐんだ。連雀はよほどあおいの本能とやらに期待をしているらしい。
「まあ、何にせよ良かった。あの膳に箸をつけなかったのは弱っていたからでなく、たんに好みの問題だったようだな。仙は
「ご心配なく」
さらっと答えてから、どこかすっきりしたような表情を見せる連雀にふと引っ掛かりを覚えた。まさか、珍しく練習以外で声をかけてきたのは、これが聞きたかったからなのだろうか。狸御膳を残したのは体が不調だったからかと考えて?
「そういうことはもっと早く聞いたらいいのに」
思わず呆れた声が出た。
何日
連雀は少し
「お、女に
「まさか、それでずっと聞けずにいたの? それに聞かなくたって、見ればわかるじゃない。わたし結構がつがつ食べてるわ」
「女の食事をじろじろ見るのは非常識というものだ」
切れ上がった目が
(なんか……変なひと)
見るのも聞くのも失礼だからと
(いやでも、本当に心配ならさっさと聞くでしょ普通!)
それに、それほど相手を
(昼間の練習では、ちょっといい人かなって思ったけど……)
台座に躓いたところを助けてもらった。それだけでいい人と思うのは、あまりに単純で現金なんだとは思うけれど、あれは本当に感心するほど素早く、的確な動きだった。まるであおいが転びそうになるのを待ち構えていたかのように……。
と、そこまで考えてから「あ」と声が
(〝まるで〟じゃない?)
あの時、彼の動きには
「……あの、昼間、練習で転びそうになったところを助けてくれたけど、もしかしてわたしが転ぶってわかってた、の?」
まさかと尋ねると、庭を
「
「だから、躓くんじゃないかって?」
「台座は高さがあるから危ない。それだけだ」
あおいは目を
(────睨んでたわけじゃないんだ)
休憩を終えて台座に
(なんて
くすっと
「ねえ連雀、だったら『転ぶなよ』とか声をかければいいと思わない?」
「毎回、毎日同じことを言われたらお前も気分が悪いだろう」
「そういう変なところに気を
「もっと暑くなったら減らす。その前に
彼には彼なりの気遣いと考えがあったわけだ。
「……なぜ笑う?」
「ううん、何でもない」
誰かを少しでも理解できたと思う
「神楽の練習、これからもよろしくね」
するとなぜか連雀は
母親に
少しは仲良くなれるかもしれない。以前は『
(
一週ほど前に、一方的に考えを押し付けるなんて! とあれほど反感を
確かに目つき悪く見下ろすところは
あの時もきちんとじっくり話し合ったなら、お
そんな風に思いながら彼の目を見ていると、連雀が居心地悪そうに
「なんだ? 言いたいことがあるなら言え」
「言いたいことっていうか……。そうね、わたしにあまり気を遣わなくていいってこと、かしら。貧民は
「丈夫なのは結構だが、練習を終えたら体をしっかり休めるんだな」
言うと、連雀は
「──食事の最中も足が
「え……うそ」
「
「……しないわ」
くずした足が気付かないうちに神楽の拍子をとっていたなんて。まるで無自覚だったあおいは
その様子がおかしかったのか、連雀は立ち上がり
「まあ、熱心なのは
ぽろり、と
軽く
(…………なに、今の……)
あんな顔もできるなんて。
あおいは
日ごと増してゆく暑気を冷ますように雨が降る。
しとしとと、静かな雨だ。
「久しぶりの雨ね」
雨は
なんだかうれしくて、あおいは
「あ、あおい様!」
慌てた
「どうなさったのでス、こんな雨の中!」
「どうって、花がらを
梔子は純白だから美しいのだ。黄ばんだ花はまだ香るけれど、摘んでしまわないと
「あと、そっちの雑草取りと、そこのひこばえを
何も雨の中やらなくてもいいと自分でもわかっているけれど、今たまたま時間があるのだ。昼飯のあとに吉備がやってきて、これから
花がらを摘み終えたあおいは、今度は雑草を
「そのような
あたふたとあおいを部屋に入れようと引っ張るポ太郎に、「でも」と言いかけてやめた。あおいが部屋に上がらなければポ太郎が濡れてしまう。
あおいはポ太郎を
「なにをしていたのです、あおい」
振り返ると、いつもの
「こんにちは。あの、ちょっと庭いじりをしようかなぁ……なんて」
「ポ太郎、
連雀が命じると、ポ太郎は返事とほぼ同時にあおいを居室に引き込んで
「ありがとう。ごめんね、ポ太郎。あとは自分でやるから」
そもそもは雨のなか庭に降りた自分に責任がある。世話を焼かせるつもりはなかったのだ。濡れてしまった長着の手入れは自分でやると、ポ太郎の手から取り上げたところで襖障子
「あのー着替え、済みました?」
「あ、はい!」
二人を忘れていた。あおいが急いで襖障子を開けた
「ところで、あおいは庭仕事が好きなのですか?」
「いえ、好きかどうかは……。ただ
申し訳ない気持ちでポ太郎の駆けて行った廊下を視界の
「──ほら、だから言ったでしょうに。
「だが……」
地上界、という言葉が出ているのできっとあおいについての話だ。あおいは少し
「わたし、別に地上界が恋しくなったわけじゃないですから。ただ……手持ち無沙汰だから丁度いいかなぁなんて。すみません」
誤解を解こうとしたけれど、吉備はその言葉で
「いつまで
「な、軟禁などしていない。お前がよく連れ歩いているだろう」
「それ以外はどうなのです」
いつにない吉備の
「あおいの仙気は
「だから
「…………」
「あおいは鳥仙なのです。ここはあおいが住む鳥界山です。このままではいくら
「……わかっている」
連雀の苦い声。それ以降はほとんど聞き取れなかった。
(過去? 籠の中って何の話?)
一番気になったのは仙としての覚醒、というくだりだ。
(わたしの気持ちが人のままだから、仙らしいことが何もできずにいるの?)
仙貨を出したり翼変したりはおろか、あおいは
「あおい」
「はい!」
名を呼ばれ、神楽の練習の
「……暇なら、散歩にでも出ろ。ただし、必ず俺か吉備を連れて行くんだぞ」
「え? あ、うん」
吉備が説教でもしたのか、今まであおいの外出にいい顔をしなかった連雀が、この日から
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