ようこそ仙界! なりたて舞姫と恋神楽/小野はるか

角川ビーンズ文庫

一幕

一幕



 初夏の日差しがやわらかな新緑のすきからこぼれる。

 が光のまだらえがく山道を、一つの駕籠かごが登っていた。

 なめらかなうるしほどこされた高級駕籠のりもの──その中でぼんやりと山野鳥のさえずりを聞いているのは大名でもなく、一人の少女だ。

 年のころは十代半ば。へいぼんい上げたかみいたんで赤茶けた黒髪。まとっているのはそでさきほころび、足首も丸見えな綿めんの古着。どう見ても貧しい町民で、身分も外見もおおよそこの美しい駕籠には似つかわしくない。

(まるで、わたし……おひめさまになったみたい。ううん、ちがう。本当にお姫様になるんだ)

 ほおがほてる。体中が夢と期待と希望で満ちあふれていた。

 少女──あおいはふるえる指先でそっと小窓を引いた。せまい内部が明るくなり、わくにかけた自分の指がはっきりと目に映る。なんてうすよごれた指だろう。つめは日々の家事で傷み、欠け、深く入り込んだ土が黒ずんで爪の先を汚していた。

ほうこうにだされて、もう四年かぁ……長かったなぁ)

 うでのいい大工だった父が死んだのは読み書き算盤そろばんを寺子屋で覚え終えてすぐの、数えで十二のときだ。弟はまだ二つにも届いていなかった。

 足の悪い母は家でざるを編み、あおいは口減らしのため、そして家族を食べさせるために住み込みで働ける奉公に出た。しようかいされた仕事はで材木問屋を営む商家の下働きだった。

 日の出より早く起きて家事をこなす下働きの仕事はつらいそがしい。少女として身なりを整えるような時間もぜにもない生活。この爪の先に入り込んだ畑の土だって、もちろんあおいのものではない。主人のしゆ菜園のものだ。

(いつおよめにいけるんだろうって思ってたけど、まさかこんな夢みたいなことが起きるなんて……)

 あおいがぼんやりとゆめ心地ごこちなのは、本当に夢のような出来事が起きたからだ。

 あおいは貧しくみすぼらしい下働きの身でありながら、なんと良家のだんさまの目に留まったのだ。世にいう玉の輿こしというやつだ。

 きっかけは初春のさんじやまつりだった。

 奉公先の長女が祭りの花形であるおどり屋台に乗ることになった。踊り屋台のむすめは多くが玉の輿にのることができるというおおたいだ。だから主人も長女も家人たちも、祭りの後はいつお声がかかるかと待ちわびていたのだ。

 そうしたある日、ゆうふくな身なりの男性が店をおとずれた。主人は玉の輿がついに、と喜び勇んだけれど、男の目当ては長女ではなく、なぜかその付きいをしていた下働きのあおいだった。あの時のおおそうどうは忘れられない。

 その後どういういきさつがあったのかは、くわしい話をあおいは知らない。

 ただ奉公先と母のもとへ、おどろくほどごうゆいのうの金品が届けられ、みんながこしかしたのだという話は聞いた。

 それからはもう、あっという間の出来事だったように思う。とても現実のこととは思えなくて、まどうままに日にちが過ぎ、今朝方むかえに来た駕籠に夢見心地のまま押し込められてここまで来た。高級駕籠に乗せられるということは、その辺の裕福な若旦那どころの身分ではないはずだ。相手の話を何も聞いていないが、とても想像できそうにない。

「こんな夢みたいな話……いつ、覚めるんだろ」

 ぽつりと声に出してつぶやいた。するとそれを合図にしたかのように駕籠の歩みが止まる。きゆうけいかしら、とあおいは窓をもどし、乱れたすそを整えた。

 駕籠をかつろくしやくが戸を開けてき物をそろえてくれる。その履き物はあおいが自分で編んだぞうで、自分の身なりのみすぼらしさに改めて?にしゆがのぼった。

「ありがとう」

 礼を言うと、さるがおの陸尺二人(そっくりだから、たぶん兄弟だ)はそろってにこりと微笑ほほえんだ。

 周囲はずいぶんと開け、見上げれば青い空、一方には雨が降ればくずれそうな岩山、そしてもう一方には落ちたら一巻の終わりと思われるだんがいぜつぺきが山すそまで続いていた。

 立派な駕籠とはいえきゆうくつにはちがいなかったあおいは、大きく体をそらしてびをする。外の空気は青葉のにおいに満ちていた。

「ここは、どのあたりかしら?」

「山の道だ」

 何気なくたずねると、低く短い答えが返る。その声にあまりにもあいというものが感じられなくて、驚いたあおいは相手をぎようした。

 見上げるほど長身の青年。彼は良家の旦那様からの使いだ。彼が奉公先や母のもとを訪ね、話を通し、結納金を運んできた。何度か顔を合わせてはいた気がするが、夢見心地だったあおいは今はじめて彼の顔をしっかりと見た。

 年は二十歳はたちくらいだろうか。めずらしい赤みのあるはいかつしよくの髪は後ろ髪が長く伸ばされ、くせ毛なのか後部がわずかにねている。まげもなにも結っていなかったが不思議とかんはない。

 印象的なのは目だった。顔立ちははっとするほどに整っているものの、きつい印象をあたえる切れ上がったその目元。かれるかのように強いまなしがき身のもののようだった。

「お前、名はなんと言う」

「あ、あの、あおいです。ふつつかものですが、よろしくお願いします!」

 しつけに見入ってしまったことをすように勢いよく答えたせいで、だんなら『あおいもん』にはばかって「あおです」というところをそのまま答えてしまった。青年はげ足を取るでもなく、冷たくいちべつして腕を組む。

「ではあおい。ここから先は駕籠での旅は終わりだ。先を急ぐからな」

「あ、はい。えっと、走るとか?」

鹿をいうな。さっさといけ」

 手のこうをふり、歩くようにうながされる。

 あおいはこんわくした。下働きとして奉公してきたあおいは体のじようさには自信がある。歩けといわれればいくらだって歩いてみせるが、青年の態度がみように引っかかった。これが、輿入れする娘を案内する者の態度だろうか。

(……しかも、さっさと行けって……あっちに!?)

 おろされた駕籠は岩山側に。青年はその駕籠を背にして、あおいを向いて立っている。つまりあおいは断崖絶壁を背に立っているのだが、おかしいことに青年が行けと命じているのは左右に続く山道のほうではなく、その断崖のほうに見える。

 まさか飛び降りろというわけではないだろうに。

「か、駕籠は、駕籠はどうするんです? まさか置いていくわけじゃないでしょう?」

 助けを求めるように陸尺兄弟を見れば、二人はそろって首をふった。

「あっしらが担いで帰りやす。少しおくれやすが、気にせず先を行ってくんなせぇ」

「先にって、そこまでけんきやくじゃないわ。あの……っ」

「ごちゃごちゃ言うな。急いでるんだ、俺は」

 いらった声に再び青年を凝視する。彼はおおまたであおいとのきよめた。やはりどう考えても断崖絶壁へ追いやろうとしている様にしか見えない。

「ちょ、ちょっと、まって。あぶないでしょ!」

「危ない? いってる意味がわからない。ほら、さっさと飛ぶんだ」

「戸部? いや、飛ぶ? あなたなに言って……」

 あおいがていこうを見せると青年はかいそうにまゆを寄せた。すようなするどい目つきをした青年に詰め寄られ、そのはくりよくにあおいは後退する。こわい!

「こ、こないで!」

 まるでつじりでもしそうな人相だ。きようられてさらにさがると、ついに足元がぼろりと崩れた。

 あっ、と思ったときにはすでにおそい。

 階段をみ外したのと同じ、いつしゆんゆうかん。視界から青年の姿が消え、かわりにまぶしいほどの青空がいっぱいに広がる。落ちる!

(──わたし、死ぬんだ)

 悲鳴が出たかどうかはわからない。

 ただ落下する風圧と、断崖から伸びた小枝が体中を打ちえる痛みだけが感じられ、それもすぐに意識とともに遠ざかった。



 意識を手放す手前の、ほんの一瞬。一瞬だけ。

 かすんでいく青空に、青年の姿が見えた気がした。

(……ばかばかしい)

 あおいは目を閉じた。

いやな夢。馬鹿みたい。玉の輿だなんて、とんだ夢。しかも、男の人の背中につばさが生えて空を飛んでくるだなんて……ほんと馬鹿な、夢)

 意識が暗転する。

 けれどそのくらやみの中に、白と黄色の模様が入った一枚の羽がったような、そんな気がした。





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