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 身動きの取れないデュケイやルネよりも、ジェフラ・ダリスタンはずっと事情通であった。恐らく、相当数の間者を放っているのだろう。定期的に報告が寄せられ、それと同時にデュケイやルネの身を慮る温かい言葉が連ねられた手紙が届いた。亡命を勧めてくれさえしたが、この混乱をおいて国外に安寧を求めることはできない。

 ジェフラの調べたところによると、シャルロッテ襲撃はラグナシャスが企んだもので間違いないようだった。若手を煽ることで目障りなシャルロッテを殺害し、実行犯を過激な思想の持ち主として自ら処刑することで証拠を揉み消す。瑠璃騎士によって王派の人物が次々に追放、処刑されているのもラグナシャスの仕業で、口では立派なお題目を唱えてはいるが、実際にしていることといえば独裁である。

 政に参加する権利を持たぬラグナシャスが独裁というのもおかしな話だが、どのような汚い手段、卑怯なやり方にも、騎士の誇りや独立不羈といった耳触りのよい文句を添えることで正当性を与えており、それが騎士や民の罪悪感を消し去り、集団となることで正義感をより強めるのだろう、ということだった。

 認めるのは癪だが、騎士や民らを扇動するやり方としては上手い、とデュケイは嘆息する。

 一方のゼクサリウスは、我こそが王なりと主張するばかりで、ラグナシャスとの対立と不仲が露見しても、弟を処罰したり、一度与えた軍議に関する決定権を奪い返すようなことはなかった。正確には、できなかったのである。敵対者は手段を問わず消される、とあっては、王派の重鎮であってもラグナシャスに追従する者が続出し、それを止めることができる者はいなかったのだ。

 騎士たちも同じで、王を支持する者も声を潜め、あるいは王弟派に鞍替えする者が増えた。瑠璃騎士は恐怖の象徴であり、ラグナシャスという嵐が猛威を振るう証でもあった。現状を憂う者、過去を懐かしむ者、未来を案ずる者、ことごとくが捕えられ投獄され、過酷な責めの後に処刑され、あるいは獄中で死んでいった。

 デュケイの良き指導者であったカーライルも、その一人である。公正な人柄のカーライルは、一貫して王派であった。ラグナシャスの専横を諌め、デュケイの不名誉は雪(そそ)がれるべきであると主張していたが、ある日瑠璃騎士が有無を言わさず彼を投獄し、二日後に処刑した。罪状は、宮中、市中であらぬ噂を流して王と王弟の対立を促し、民を不安に陥れたというものである。

 良識という最後の砦に縋っていた王派の心が、この一件で砕けた。――青騎士団長ほどの人までもがこのような、こじつけとしか思えぬ罪で処刑され、王がそれを止める手段を持たぬのならば。

 王派の人々がこぞって王弟派に下った。本心ではラグナシャスのやり方を嫌悪していても、家族や身の回りの者を守るためにラグナシャスに忠誠を誓う者も少なからずいたが、ゼクサリウスは彼らのこれまでの働きを労うのみで、強く引き止めようとはしなかった。そうしたところで、彼らの苦悩が増すばかりだと、王はわかっているのだろう。

 ラグナシャスによる武力蜂起が囁かれるまで、時間はかからなかった。王の周囲に残った者はほとんどが中級、上級騎士であり、ラグナシャスの報復を恐れる以上に王家への忠誠が強い者や、独り者でラグナシャスのやり方は断固として許容できないという者、ラグナシャスの暴虐により家族や愛する者を失った者などで、数としては王弟派の四分の一にも満たなかった。ラグナシャスが蜂起すればどうなるか、想像できぬ者は一人もいなかったが、結束は固い。

 デュケイは心を決め、ジェフラ・ダリスタンを頼って一通の手紙を出した。

 間に合うだろうかと気が気でならなかったが、想像していたよりも早く返事は届き、同封されていた品も期待以上のものだった。 ゼクサリウス王には王妃が一人、王女が二人、王子が一人ある。

 国内の情勢が不安定になってすぐ、王女たちは瑪瑙騎士が守るソル・ソレラ教会に預けられ、末の王子だけが王宮に留まっていた。

 ミリスディン王子はまだ五歳であるが、父王譲りの聡明さと利発さを有しており、誰が説明したわけでもないが、国内の混乱もおおよそのところは理解しているようだった。第一王位継承権保持者であるミリスディン王子は何としてもお護りせねば、と騎士たちは表情を引き締め、見張りに立つ。

 王派と王弟派による対立が激化し、ラグナシャスによる一種の恐怖政治が始まると、本来の国政は機能不全に陥った。国内の混乱はアヴェンダを始めとする諸外国にも伝わり、各国はそれぞれの思惑を胸にイルナシオンの行く末を見守っている。

 シャルロッテの死とデュケイへの非難で一時は奇妙な熱に浮かされたようだった民も幾分か落ち着きを取り戻し、ラグナシャスの苛烈さに拒否感を示す者も多くなった。確かに、王弟殿下は潔い考え方をするお方だが、この方が王になったとき、果たしてどんなふうに国を治めるんだろう? 囁きが交わされ、ラグナシャス王の世が思い描かれるが、いまよりも明るく、楽しい世になると考えるものはいなかった。

 密告、報告が推奨され、不審と不信が市中に漂っている。何がラグナシャスや瑠璃騎士の不興を買うかわからず、市で賑わっていた目抜き通りも火が消えたようになっていた。

 デュケイとルネは以前と変わらず、王と王妃、王子の護衛任務に就いていた。宮中の大部分を王弟派が占拠するようになってからというもの、不思議と摩擦は減り、すれ違いざまにも互いに無関心を装うという、奇妙な状態が続いている。自陣の規模が大きくなり、少数の王派などすぐに捻り潰せるだろうというラグナシャスの余裕と、日没を待つのみといった王派の諦念が入り混じった、波乱を前にした空白の静けさであった。

 デュケイはルネを誘い、城の西の端の物見場に上がる。王の居室にほど近いこの物見場は、以前は防衛上の重要拠点としてものものしく見張りが立てられ、守られていたが、現在は人手も足りず、放られたままになっている。

 高い位置にあるため景色がよく、デュケイはこの物見場での立ち番が一等気に入っていた。何も問わずについてきたルネと、しばし夕陽の橙に染まる空を見つめる。

 匿名の憎悪に晒され、食事も喉を通らずに痩せ細ったデュケイを、ルネは毅然とした態度で庇い、食事に誘い、家に泊めてくれた。そのことでルネにまつわる悪評も倍増したはずだが、気にした素振りも見せない。

 ルネは凛と、ただそこに在った。アーソが亡くなり、国内が不安定に揺らいでも一振りの剣として生きることをやめようとはしなかった。

 幼い日の一家離散の悲劇から、自らの非力さ、無力さを呪い、力を欲して騎士を志したルネは、思想的にはラグナシャスに通じるものがある。

「わたしが望むのは、正しい理念によって揮われる力です。ラグナシャスさまのように、何でもねじ伏せればいいと思っているわけではありません」

 指摘するとこう言って膨れたが、ルネの言う「正しさ」が「正しさ」たる所以を突き詰めれば、非常に危うい。誰にとっての正しさなのか。普遍的な正しさは存在するのか。その正しさが否定されたとき、あるいは、衝突したときは。

 答えられなかったルネもまた、正しいということの脆さに気づいたようだった。その後、納得のいく答えが出せたのかどうか、デュケイは聞いていない。

「ルネ」

 デュケイはルネの手を取る。夕暮れの風に、金の髪と制服の裾がはためいた。

「ほどなく、ラグナシャスさまは蜂起するだろう。未曽有の混乱がこの国を覆うに違いない」

「……はい」

 ルネの眼には、強い光があった。死んでも思想を曲げない、ラグナシャスの理屈には屈しないという、烈しい光が。

 俺はどうだろう、とデュケイは自問しながら、言葉をつなぐ。今度帰ったら、と言ったきり帰らなかった、父の笑顔がまなうらをかすめた。

「もしも、その日を生き延びることができたら……二人で、どこか遠くの国で暮らさないか」

 青い目が驚きに見開かれる。

 父と交わし、果たされなかった幼い約束。宙ぶらりんの気持ちを痛いほど知ったデュケイは、不確定の未来を約束することを避けてきた。生命の保証のない騎士の道に生きるならば、約束を交わした誰かを同じ目に遭わせないとも限らない。

 過去に縛られ、未来を仮定することを嫌ってこれまで生きてきた。しかし、裏を返せば、果たされなかった一つの小さな約束がデュケイを生かし、ここまで連れてきたのだ。

 未来のことを見通せないのは誰しも同じ、ささやかな言葉がルネの希望となるのならば、期待するのも、約束するのもそう悪いことではないのではないか。最近になってようやく、そう思えるようになった。

 ルネはまじまじとデュケイを見つめ、重なり合った手を見つめ、もう一度デュケイを見つめた。

 夕刻を告げる鐘の音が響く赤い空を、鳥の影が黒々と染め抜いている。城下では炊事の煙がたなびいて、一日の疲れをほぐす家灯りがぽつぽつと現れた。

「……ディーク」

 顔をくしゃくしゃにしたルネが胸に飛び込んでくる。長身のルネを抱き留め、背中に腕を回して力の限りにかき抱いた。髪を撫で、頬の線をなぞり、ルネの名を呼ぶ。

 幾度となく夢想しては、諦めてきた。

 だが、ルネを失いたくないと想う激情に蓋をすることはできなかった。身分という絶対の壁に目を瞑ってみれば、触れることも感じることも唱えることも、驚くほど易しい。

 ダリスタンに手に入れてもらった指輪は、ルネによく似合った。

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