(3)

 事前に打ち合わせが済んでいたかのようにあっさりと、金剛騎士アーソは手合わせに応じた。

「シャルロ、ディーク、君らはまだ若いのだから、あまりこの老いぼれをいじめんでくれよ。お手柔らかにな」

「やだな、アーソさま。私なんてまだまだです。ディークだって」

 テーブルが片付けられ、シャルロッテの両親が屋敷に引き上げたのち、訓練用の刃を潰した剣が用意された。ルネには子ども用の、刃の短いものが手渡される。

 試しに二、三度振ってみるが、重さ、長さともに問題はなさそうだ。シャルロッテとルネが訓練着に着替えるのを待って、まずはデュケイとシャルロッテ、アーソとルネがそれぞれ試合を行い、それから相手を変えてゆく、という方法をとることになった。

 流れ落ちる銀の髪を固く結い上げたシャルロッテと向かい合う。

 デュケイと同い年のシャルロッテは、もうそろそろ結婚を考えねばならない時期だ。本人がどう思っているのかはさておき、諸外国の情勢を鑑みて、国外へ嫁ぐこともあろう。いまでこそ騎士見習いとしてデュケイと同じ青騎士団に所属しているが、嫁ぐとなれば剣技どころではあるまい。国を挙げての祭事になる。

 シャルロッテとこうして剣を合わせるのも、あとしばらくのことかもしれない。

 初等部で剣の握り方や正しい構えを教わった頃から彼女はデュケイの隣にいて、何かと世話を焼いてくれ、時には喧嘩もして、こんな騎士になりたいと夢を語り合ってきたのだった、と懐かしく思えた。

 いつか身分制をなくしたい。シャルロッテが冗談めかして口にするこの言葉が、彼女の本心なのだと、デュケイは知っている。それはきっと、シャルロッテがデュケイのことを信頼し、友と呼んでくれるからだ。何でも相談できる、気の置けない友人。あまりに多くのものを、シャルロッテからもらったような気がする。自分はその厚意に、どれだけ応えることができただろうか。

「では、始め!」

 アーソの号令と同時に、シャルロッテが飛び込んできた。真っ直ぐの突きをかわし、様子を窺うように剣を振る。引き戻されたシャルロッテの剣が翻ったのを目の端でとらえ、手首を捻る。剣を打ち上げ、体勢を崩したシャルロッテに向けて剣を繰り出す。

「手を抜くな、シャルロ!」

 気づけば叫んでいた。

 防戦一方だったシャルロッテがむっとしたように唇を引き結び、猛然と反撃してきた。柔軟で、器用なシャルロッテは剣の振りに緩急をつけ、想像もしないところからの斬撃を放ってくる。剣で受け、あるいは身体を開いてかわし、攻撃を誘うような軽い突きを放っては退く。

 剣がぶつかって軽い音をたてる。受け続けていると、次第に腕にかかる力が減ってゆくのがわかった。シャルロッテも疲れているのだ。もちろん、デュケイも。

 右足を踏み出し、負けじと踏み込んできたシャルロッテの剣が唸りをあげるも、重みに引きずられてわずかに身体が傾いだ。体重を左足に戻し、仰け反るように身体を後ろに倒したその喉元をシャルロッテの剣の切っ先がかすめてゆく。

 左足を踏ん張り、ばねの力で上体を起こせば、シャルロッテの身体は不安定に泳いでいて、デュケイは冷静に右手を振って、汗に濡れた細い首元に剣の刃を添えた。

「そこまで!」

 アーソの声が響いて、周囲の音が戻ってくる。早い鼓動、ごうごうと喉元で渦巻く呼吸。デュケイは剣を引いてシャルロッテと握手し、滴る汗を拭った。

「ふたりとも、いい動きだった。シャルロはもう少し腕の力と、足腰の踏ん張りを鍛えた方がいいな。それからディーク、きみはもっと場数を踏むといい。色々な人と手合わせすればするほど、よくなると思う」

「あ……有難うございます!」

 デュケイは顔が膝につくほどに深く頭を下げた。まさか金剛騎士アーソに助言をもらえるとは思っていなかったのだ。

 木陰には小さな卓が運ばれ、いい匂いのするふかふかのタオルと、レモンの輪切りを浮かべた氷水が用意されていた。有難くタオルを借り、水をぐいと飲み干す。

 見れば、デュケイらに代わってアーソとルネが礼を交わし、構えをとったところだった。アーソは流石と言うべきか、力を抜いているように見えて少しの隙もなく、梃子でも動かぬだろうと思わせる堂々たる立ち姿だった。

 対するルネもまた、幼いながらに身体の中心軸が定まった、しっかりとした構えでいるのがわかる。

「ルネの剣はアーソさま直伝だからね。なりこそ小さいけれど、強いよ。たまにこうして試合するんだけれど、会うたびに強くなってる気がする。まだ負けないけど、来年にはもう追いつかれてるかも」

「そんなに強いのか」

 汗を拭きながら、シャルロッテは頷いた。木陰の涼しい風が火照った体を撫でてゆく。乱れた髪が額や首筋にまとわりついているのを見て、初めて彼女のことを美しいと思った。

 シャルロッテの顔立ちが上品に整っていることは、初対面の時から気づいていたし、成長するにつれ光り輝くような美貌だと認識を改めてきたのだが、どうしてかその意識が恋愛感情や異性を意識する気持ちに結びついたことはなかった。

 だというのにいまになってどうして、差し迫っているとわけでもないシャルロッテとの別れのときを思って心震わせているのか、デュケイにはわからない。ただひとつ確かなことがあるとすれば、シャルロッテは誰の妻となろうとも、誇り高く、イルナシオンの騎士であり続けるだろう、ということだった。そんな未来が、見えるような気がした。

 ふと、父の最後の言葉が耳をよぎり、デュケイは唾を飲む。不確定な未来の約束を、安易になすべきではない。果たされぬままの約束を未だに覚えているデュケイだからこその、自分への戒めだった。

 ずっと友人でいよう、そう口にするのは易い――それでも。

 言葉にせずとも、友でいることはできる。だからデュケイは口をつぐんだまま、対峙するアーソとルネに視線を戻した。

 アーソは微動だにせず、ルネを見下ろしている。ルネもまた、アーソを見つめていた。両手で構えた剣先はぶれず、安定している。

「左利きか」

 思わず呟いてしまい、それに気づいたシャルロッテが面白そうに笑った。

「右利きなんだけど、矯正してるんだって」

 ルネは肩までの波打つ髪をひとつに束ね、青空の眼でひたとアーソ見据えている。国一番の騎士と、まだ十の少女。現実的に考えて、彼女の勝利は万に一つもない。

 けれどもし、どこかに勝機があるなら。ないのならばせめて勝機につながるか細い糸を見つけようと、瞬きもせず眼を凝らし、呼吸を全身に行きわたらせて、集中力を研ぎ澄ませている。

 ルネがいつもアーソに剣を教わっているなら、到底かなわないであろう相手に対する諦めを捨てることから気持ちを鍛えていったはず。剣技は技術や肉体だけでなく、気持ち、心構えとともに練り上げていかねばならない。師がアーソであるからこそ、目に見えない鍛錬を重視しているはずで、つまり、ルネは相当に粘り強い。

 アーソが鋭く剣を振った。経験、技術、体格、体力、すべてにおいて劣るルネに対し、待ちの姿勢を続けることは騎士の道に反する。ルネは当然、予想していたのだろう。退くかと思いきや逆に踏み込み、アーソの胸元に飛び込んだ。

 右、左、右、左、間をおかぬ浅い突き、剣で防がれた所へ構わず横薙ぎの一撃。弾かれた勢いに乗って後退し、柔らかく膝を曲げるや、再びアーソへと飛びかかる。

 アーソはその一つ一つを丁寧にいなしているが、デュケイにはルネの攻撃が彼女の体格を活かしたものだということがよくわかった。すべてを捌けているのはアーソだからで、どう低く見積もっても騎士見習いくらいの腕前がある。アーソ仕込み、ということももちろんあるが、ルネ自身の努力や向上心、素質。それらを抜きにしては語れないものだった。

 まさに、猛攻。ルネは的確に、小さな動きでアーソの防御の薄いところを次々と狙う。アーソはルネの攻撃をいなす。

 それは剣舞だった。ルネが狙う隙は、すべてアーソが意図的に作っているものだ。アーソの意図を汲んでルネは剣を繰り、退き、跳ぶ。デュケイもシャルロッテも、身を乗り出して食い入るように剣の応酬を見つめた。自分ならどうするか、どう攻め、どう守り、どう隙を作ればルネが攻めやすく守りやすいか。そんなことを考えずにはいられなかった。

 何もかもが計算され、実行されていた。動きのどれひとつとして偶然などではありえず――完璧だった。

 唇を噛む。それが、デュケイにできるすべてだった。

 遠い遠い、憧れ。熱く燃える、嫉妬と欲望。

 荒れ狂う嵐、遠雷。




「よかったじゃない」

 備品倉庫を片付け、訓練用の剣を磨いていると、シャルロッテが隣に腰を下ろして同じように剣を磨き始めた。

「そうかな。……いや、そうだな。うん、有難う、シャルロ」

「ひどい顔よ」

 デュケイの身体や顔は、傷と打ち身で赤黒く腫れあがっている。熱でもあるかのように全身がだるく、立って歩くことさえ億劫だったが、休むわけにもいかない。

「徹底的にやられたからさ」

 ふふふ、とシャルロッテは笑った。笑い事ではないと思うが、確かに結果的には良かったのだろう。

 昨日のアーソとの立ち合いは、いまでも細部まで思い出すことができる。アーソがどう動いたか、自分がどう応じたか。それは的確だったか、それとも下手を打ったのか。どのようにすれば、よりよい一石を投じることができたのか。帰宅してからずっと、考え続けていた。

 立ち合いそのものは、完敗だった。勝てると思い上がっていたわけではないが、もしかすればもしかするのか、と希望に似た野心を抱いてはいた。しかし、アーソは二枚も三枚も上手で、まったく歯が立たなかった。ひとつふたつ、隙を突くことはできたかもしれないが、それさえも、アーソの誘い手ではないと断言することはできなかった。

 あの一時を忘れてはならないと立ち合いを再現して動こうとする腕を押さえて、デュケイは顔を上げた。

「そうだ、ジェスティンと母がお礼を、って。本当に有難う」

「いいのよ。私が無理に誘ったんだから」

 シャルロッテは帰りに、燻製肉やチーズや焼菓子をたっぷり、お土産に持たせてくれた。家族の方に、と言って。

 母は恐縮したが、ジェスティンは喜んで焼菓子にかぶりついていた。

 時折、ジェスティンの無邪気さが心配になる。次の春、進級試験に合格すればいまのデュケイと同じ、騎士見習いだ。騎士団に配属され、大人たちに交じって働くことになる。

 縦割りの身分制が徹底された騎士団においては、平民階級の生まれというだけで侮蔑の対象になる。実力でのし上がって行こうにも、年齢差と体格差、そして経験に絶対の差があるうちは不可能だから、どんな嫌がらせやいじめにも耐えて耐えて、先輩たちを見返す機会を窺いながら力を溜めておくしかないのだ。

 シャルロッテは女性であることと最高の貴族位がものをいい、それほどひどい目にはあっていないようだが、そのシャルロッテの隣にいるデュケイはひどいものだった。

 このような騎士団の実情を目の当たりにし、くじける少年たちも多い。栄えあるイルナシオンの騎士、誇り高き騎士シオンの末裔。輝かしい騎士たちの存在はもう、英雄伝として謳われるばかりだ。

「アーソさまの申し出、断っちゃってよかったの」

「……うち、余裕ないからさ」

 立ち合いが終わり、胸を弾ませたアーソがデュケイに問うたのだ。きみはどこかで剣を習っているのか、と。

 返事をする気力もなく、滴り落ちる汗と胸を破りそうなほど激しく打つ鼓動に弄ばれ、いいえと首を振ることしかできなかった。

「誰にも教わっていないのなら、都合がいい。うちに来ないか」

 うちに来ないか。

 うちに……。

 アーソの落ち着いた声音が耳の中でこだまする。

 高位の騎士や剣技に優れたものは、剣の私塾を開いていることが多い。騎士としての任務もあるから規模は小さく、多くとも五人の弟子を抱える程度だが、アーソが私塾を開いているなど聞いたことがなかったし、まさか誘われるとも思わなかった。

 心が肉体を突き破ってどこかへ飛んで行ってしまうのではないかと思うほど嬉しかったが、デュケイははいと答えることができなかった。「アーソさまのお言葉を胸に、励みます」と言うだけで精一杯だったのだ。

 デュケイの家は貧しい。亡くなった父の年金だけでは兄弟ふたり分の学費を賄うことができず、母は朝早くから日没まで身を粉にして働いており、デュケイも騎士見習いの勤務と午後からの授業が終われば、夜遅くまで芝居小屋で掃除の仕事がある。アーソに剣を習う余裕は、経済的にも時間的にもなかった。

「そっか……ごめん」

 シャルロッテの呟きは、心から残念だと思っているのがありありとわかる、優しさに満ちたものだった。何不自由ない暮らしを送っている彼女ではあるが、デュケイの暮らしを想像するだけの柔軟性を持ち合わせていた。そして、自らを高い位置に置かぬ謙虚さも。

「なんで身分制をそのままにしてるんだろ」

 デュケイは答えず、剣を磨き続けた。

 シャルロッテはどうしてか、身分制に多大な疑問を抱いているらしい。許されぬ恋でもしているのかと冗談交じりに尋ねたことがあるが、ぶん殴られて終わりだった。

 身分制に憤慨するシャルロッテの姿は珍しいものではないが、今日は何だか様子が違っている。湯気でも吹き上げそうなほど、顔が赤い。

「ばかばかしい……くっだらないんだから!」

「……何かあったのか? ……あ」

 シャルロッテの両親が耳にすれば卒倒しかねない罵声を遮って尋ねたデュケイは、睨み返されたと同時に彼女の不機嫌の原因に思い当たり、口をつぐんだ。

「結婚!」

 破り捨てる勢いで放たれた言葉に、大変だねと口先だけの同情を寄せるのは逆効果のようで、ただ頷く。

「この国に残ることができればいいんだけど。従兄たちがちょっと頼りなくてさ。望み薄なのよね」

 シャルロッテほどの身分となれば、恋愛結婚など望むべくもない。西に内海を臨むイルナシオンは北のルーナシル、東のアヴェンダ、南のサリュヴァンと三国と国境を接しており、南北の国とは停戦中だとはいえ、国境での小競り合いが頻発している。デュケイたちも正騎士になればすぐ国境警備に赴かねばならない。

 東のアヴェンダとは古くに不可侵条約が成立していて、南北両国に比べればずっと友好的な国交があった。自然、東の国境付近に人やものが集まり、経済の中心となっている。

 つまり、和平の証として北、もしくは南に行くのか、国の発展の根幹を守るべく東へ嫁ぐのか。伸びる道は多くとも、シャルロッテの意志で選べぬのなら同じだ。

「どうせならアヴェンダがいいな。アヴェンダなら、こっちと行き来できそうだし。そうしたら、ちょこちょこ口出しして身分制を取りやめることもできるし。あ、外から圧力かけるのもいいかも」

「……ルーナシルかサリュヴァンだったら?」

「ディークを連れて行って伝令にする」

 咄嗟に気の利いた答えを返せず、デュケイは黙る。冗談だよ、と興味を削がれたように呟いて、シャルロッテもまた作業に戻った。

 不意に倉庫の扉が開き、先輩騎士が顔を覗かせる。まだ二十歳にもならない、騎士になったばかりの男だ。歳が近いせいか、正騎士の中でも比較的デュケイたち見習いにも気安く接してくれる。

「デュケイ、お前に会いたいって子が来てるぜ」

「……俺に、ですか?」

「初等部の子じゃないかな。女の子だ。ルネって言ってた」

 シャルロッテが目を丸くしている。デュケイは先輩騎士に断わって、訓練所を辞した。

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