13 フランツ・シュタイナー

 神父とミーナが食堂へ入ると。

 そこには既に、長いテーブルの上にパンや肉料理、スープやサラダなど、多種多様な料理が並べられていた。


「ようこそいらっしゃいました、神父殿。歓迎します。どうぞお座り下さい」


 長方形のテーブルの最奥。上座の椅子に腰かける屋敷の『主人』が、爽やかな声と共に着席を促す。

 そんな彼の姿は、想像していた以上に若かった。

 ブロンドの短髪と、宝石のように輝く金の瞳。演劇の主役を張れるのではないかと思うほどの美青年だった。

 薪の燃える暖炉、光を放つ魔石を内臓した照明、上質なテーブルクロス。

 それらの高級な品々すら、館の主を際立たせるための舞台背景と化している。


「……先生、イケメン! イケメンがいますよ!」

「指を差すんじゃありません! ……それでは、お言葉に甘えまして」


 小声でミーナを注意してから、席に座る。

 主人とは少し離れ、自分の右手に彼の姿を捉えるように。

 その正面にミーナが座る。


「どうか遠慮なさらず。僕はこの屋敷の、一応の主である『フランツ・シュタイナー』です」

「クリス・ルシフエルです。この度は、急な来訪であるにも関わらず、ご厚意に深く感謝します」

「アタシは先生の弟子のミーナです!」

「気にしないでください。アルテミナ教を国教と定めるグラリアの民として、当然のことです」

「本当にありがとうございます……。まだお若いでしょうに、当主としての器量が完成されておられるようで」

「いえいえまさか。ここは親から譲り受けた屋敷ですが、使用人を除いて住人は僕だけなんです。毎日一人での食事に、幼稚な孤独を感じていただけです。こんな所では、客人も少ないですし……」

「確かに……。山奥にこれほど立派な屋敷があるとは、マルタ村に住む私でも知りませんでした」

「国家認定魔導師だった父は、古いタイプの魔法使いでしてね。王都で働きながらも、隠れ住むようにしてこの場所で研究を繰り返していました」

「フランツさんのお父さんって、魔法使いだったんですか!?」


 『魔法使い』という単語を聞いて、興奮気味に立ち上がるミーナ。

 突然のことに面食らったような顔をする美丈夫。

 そんな彼の姿を見て、「早速失礼をして……」と頭痛のする思いだった。


「え、えぇ。僕の父は3年前に亡くなってしまいましたが……。父の遺した技術と遺産は、今も僕を助けてくれています。……男としては、情けない話ですけどね。父ほどの魔法の才も無いですし」


 少しばかり寂しそうな顔を浮かべる。

 偉大な父は死去し、母も幼い頃に病気で亡くしたと言う。兄弟や親戚もなく、この広い山奥の屋敷で、使用人達と暮らす日々。彼も彼なりに、孤独を背負っているのだろう。


「……まぁそんなつまらない話より、食事にしましょうか。折角の料理が冷めてしまいます。どうぞ、好きなだけ食べてください」

「わーい! イタダキマス!」

「あっ、ちょっ……」


 しまった。初対面である彼は、ミーナの健啖家ぶりを知らない。

 注意するよりも先に、次々と豪華な食事を腹に収めていく。

 その様子に最初は驚いているようだったが、フランツはミーナの失礼な態度に怒ることもなく、久々の客人に笑顔を浮かべているほどだった。


 最初こそ怪しい屋敷だと思ったものの、若く精悍な当主が、人格者で良かった。

 安心すると腹が空いてきた。緊張から解放され眼前の料理を認識すると、確かにどれも美味しそうだ。


 実際口にしてみると、文句のつけ様がないほどの美味だった。

 分厚い鹿肉は臭みもなく、噛めば口内に肉汁が溢れてくる。焼き立てのパンも柔らかく、スープに至っては、いちいちスプーンで掬うのがじれったくなるくらい美味い。

 空腹と、教会での質素な食生活だったことを除いても、この館の晩餐は超一級だ。

 あまりにも美味すぎて、終いには涙が滲んできた。


「イザベラにも食べさせてやりたいですね……!」


 自分とミーナだけが味わっていることに、罪悪感を抱くレベルの味の暴力。

 この食事が毎日味わえるのであれば、正直『魔王の右腕』とかどうでも良いのでは……とすら思えた。


「空いたお皿をお下げします」

「あっ、どうも」


 いや流石に魔王の右腕の事は放っておけない。

 給仕してくれるメイドに声をかけられ、正気に戻る。


 その時。神父はふと、ある事に気付いた。


「そういえばこの屋敷には、男性の使用人はいらっしゃらないのですか?」

「え?」


 フランツが声を上げる。実に不思議そうに、質問の意味すら掴めていないかのように。


「いえ、先程から男性の姿が見えないもので……。少し気になっただけなんですけど」


 この屋敷に来てからあまり時間は経っていないが、男性はフランツ以外に一度も見ていない。

 給仕するメイドも、料理のメニューを説明するシェフも、庭を通る時にチラリと見た庭師も、全員女性だった。 

 普通は男の使用人がいてもおかしくないだろうに、存在する気配がない。


「……あ、あぁ。父は変わり者でしてね。女好きとも言いましょうか。女性の使用人ばかり雇用して。そのまま僕も雇い続けているだけです。いない事はないですよ。ただ、増やそうにも人件費がかさみますし……」

「そうだったんですか。いえ、失礼しました。不躾に変な質問をしてしまって」

「そーですよ先生~。どうせなら若くて可愛い使用人さんに囲まれたいですよねー? フランツさんも男の子なんだし」

「は、はは……」


 唯一反撃できる好奇とでも思ったのだろうが、ミーナが茶化してくるとどうにも腹立つ。

 しかし反対側の席に座っているため、乗り越えて叱責することもできない。

 食事が終わったらまた脇腹をくすぐってやろうと、静かに反撃の決意を固めた。


「ところでミーナさんは、神父殿のお弟子さんなのですよね? しかしシスター志望というより、その格好は……」

「あぁ、アタシは魔法使いになりたいんです! 先生から魔法を教わって、人を幸せにする立派な魔女になるんです!」

「……そうですか……」


 フランツの手に握られた銀食器の動きが、止まる。


「……僕も、立派な魔法使いになりたかったですよ。人を幸せにするような、そんな存在に」

「……?」


 国家認定魔導師だった父と比較され、魔法の才がないことに劣等感でも抱いていたのだろう。フランツの顔はとても哀愁に溢れていた。しかしそんな憂いを帯びた表情すらも、一流役者のようで絵になる。


「だいじょーぶです!」

「えっ?」

「フランツさんには色々事情があったのかもしれませんけど、その夢はアタシが引き継ぎますから! フランツさんの分まで、最高の魔法使いになってみせます!」

「……はは。それは頼もしい」

「それに、国家認定とかアカデミーの成績とか気にしているのなら、関係ないですよそんなの! 魔法は本来、自由に学んで自由に使うものです。やろうと思えば、きっとできますよ」

「ミーナ。あんまり無責任なことを言うんじゃありません」

「え~。良いじゃないですかー」

「……いえ。むしろありがたいです、ミーナさん」


 顔を上げ、美しい顔がミーナに向けられる。見れば見るほど、作り物のような造形美だ。


「貴女のように純粋な人は、羨ましくもあり輝いて見えます。どうか、立派な魔法使いになってくださいね」

「はい!」

「さぁ、そのためにはまず腹ごしらえですね。ミーナさんは本当によく食べる」

「スイマセン当主様……」

「謝らないで下さい神父殿。見ていて気持ちが良いくらいですから。どんどん運ばせましょう」


 メイドに指示し、料理が次々に運ばれてくる。

 ミーナの失礼な態度に肝を冷やす場面もあったが。フランツは明るく活発なミーナの姿に、むしろ明るい顔を取り戻すことの方が多かった。


 そう言えば、ミーナは当初警戒していたイザベラともすぐに仲良くなっていた。彼女の本質の部分で、どこか他人を惹き付ける魅力があるのかもしれない。

 あるいは、自分神父すらも惹かれるような。


「おかわりください!」

「……いややっぱそんな事ないですね。惹かれない惹かれない」

「はい? 何ですか先生?」

「何でもゴザイマセンよ。料理が美味しいなって思っただけです」

「そうですよね! 本当におーいし~! このままだとアタシ、豚さんみたいに太っちゃ――」



 ――和やかな食卓の空気が、死に絶えた。



 テーブルに拳を叩き付けるフランツ若当主

 食器が割れ、零れた料理が床に落ちる。


 神父もミーナも、突然のことに声一つ発せず固まる。

 メイド達は全員、顔を青白くしていた。まるで、この世の終わりでも目にするかのように。


 その場にいる者達全員の注目を集め。

 ふと、我に返ったフランツは、繕うように明るい顔を上げた。


「……あ、あぁ。これは大変失礼しました。ちょっと……虫がいたもので。何せ山奥ですから。いやはや、僕は昔から虫が苦手で……。――これ、片付けてくれ」

「はっ、はい!」


 上擦った声を出すメイドが駆け寄る。

 しかし掃除をして貰っている間も、フランツの顔はどこか優れなかった。


 何か異常なるものを感じ取ったミーナはそれ以上食が進まなくなり。

 神父はただ、若き当主の姿を、じっと観察し続けていた。

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