第02話「REGGIE THE SINGER」

「……大変な旅行になってしまいましたね」


 部屋へと戻る途中、ラウンジに先ほど半狂乱になっていた20代後半から30代ほどの女性が一人で膝を抱えている姿を見つけて、僕は少し迷った末に声をかけた。

 さっきまで彼女の肩を抱いていた肌の黒い青年は、彼女を置き去りにして部屋へ戻っている。


 突然声を掛けられた彼女は、もともと白く美しい肌をさらに蒼白にしてブロンドの長い髪を揺らすと、突然声をかけてきた僕を見上げた。


「あぁ、僕は蓼丸たでまる 宗也そうや。日本人です。宗也と呼んでください」


 安心させるために笑って、ストロー付きのペットボトルを手渡す。


 戸惑いながらもそれを受け取った彼女は、胸元に手を添えてヨランダ・真里・ドロブニッチと、そう名乗った。


 後から知ったことだけど、彼女はスロベニア人の父と日本人の母の間に生まれたハーフで28歳。

 以前「レガンス・エア&スペース・ツアーズ(LAST)」がまだ「レガンス・エア・ツアーズ(LAT)」だったころにキャビンアテンダントを務めていたという彼女は、僕が手渡した紅茶を一口飲むと、涙の溜まった濃く青い瞳を両手で覆い、ため息をつく。

 衣服に取り付けられたベルクロによって彼女の正面のソファに座った僕は、黙って自分の紅茶に口をつけた。


「どうして……アランが……こんなことに……」


「……不幸な事故ですよ」


 僕は彼女を慰めるための言葉をいろいろと考えたが、不幸な事故以外の言葉は思いつかない。

 何のひねりもないそんな声しかかけることはできなかったが、それでも誰かと話をしているだけで、自分の心も少しずつ落ち着いてゆくのを感じ、彼女もそうであれば良いと、そう考えた。


「……果たして『不幸な事故』だなどと言い切れるだろうかね?」


 奥の個室から戻ってきた背の高く痩せた男が、神経質そうな目で僕たちを見回しながら引き攣ったように笑う。

 僕はその姿に、何か相容れない嫌悪感を感じた。


「……どう言う……ことかしら?」


 ハッと顔を上げたヨランダが応え、その美しい顔を見た男は、小さく感嘆の声を上げた。


「ほう……あぁ、いやなに、まだ殺人と言う可能性も否定できないというだけのことだよ」


「……殺……人?」


 僕は彼女を手で制して立ち上がる。

 自分と同じような黄色人種――たぶん韓国系――の顔を睨みつけ、立ち上がった拍子で天井にぶつかりそうになった体を手で押さえた。


「あんなことがあったばかりです、つまらない冗談はやめてもらいましょう」


「冗談?」


「ええ、冗談で悪ければバカげた妄想でしょう」


 長身の男の目がスッと細められて僕を値踏みするように観察する。

 男の手が伸び、僕の襟首を掴んだところで、僕たちはお互いのバランスを崩して、スペースシップの壁と天井に手をついた。


「ヨランダ! 通話は終わりだ、来い!」


 一触即発の僕たちを心配げに見ていたヨランダは、突然背後からかけられた言葉に身をすくめ、苦しげに返事を返すと立ち上がる。床を蹴り、空中を漂って彼女が向かった先では、先ほどヨランダの肩を抱いていた黒い肌の男がドアに手を掛けて立っていた。

 男は襟首を掴み合ったまま宙を漂っていた僕たちをひと睨みすると、いきなりヨランダの頬を叩く。

 反動で壁にぶつかった彼女を顧みもせず、僕たちを睨む目にさらに力を込めた男は、信じられないことに宇宙船の中で唾を吐いた。


「チンクども、人の女の前で良い恰好をしようとするんじゃねぇ。ヨランダ、お前も色目を使う相手は選ぶんだな」


「失敬な、私は中国人じゃない。私は韓国人のパク・ドンソクと言うものだ。訂正してもらおうか」


 僕の襟首を離したパク・ドンソクと名乗る長身の男が、居住まいを正して黒い肌の男へと視線を向ける。


「何か誤解をしているようですね。別に僕たちはヨランダさんの前だからと言ってつかみ合っていたわけじゃありませんよ。それより、いきなり女性を殴るとは感心しませんね」


 最後に一応「それから、僕は日本人です」と付け加えたが、男はうるさいハエでも払うように、顔の前で手をパタパタと動かしただけだった。


「俺のものを俺がどうしようがお前らには関係ない。それから俺は、種族的に劣るホンキーにもイエローにも興味はない。……分かったかイエロー?」


 僕らを無作法に指差して差別用語を連発した男は、やっと立ち上がったヨランダを引きずるようにして部屋に入っていく。

 もうさっきの喧嘩の続きをするような雰囲気でもなくなった僕たちは、それぞれにソファへと腰を下ろした。


 別にここに居る必要もないのだが、先にここを離れるのは何だか負けたような気になる。

 パクへのそんな子供のような対抗心から、僕はペットボトルの紅茶をことさらのんびりとすすり、さもくつろいで居るかのように首をぐるりと回した。


「……乗客名簿にレジーの名を見たときには少し取材でもさせてもらおうかとも思っていたのだがな」


 正面に腰を下ろしているパクが、体をひねりソファの背もたれに頬杖をつきながら窓の外を見てつぶやく。

 僕は思わず「レジー?」と聞き返した。


「……無学だな。例え興味はなくとも世界的に有名なミュージシャンの名くらいは知っておきたまえ」


 ヨランダを自分の所有物であるかのように振る舞っていたあの男の名はレジナルド・ジェイコブソン。

 通称「レジー」と呼ばれる南アフリカ出身の有名なミュージシャンであるらしい。


 パクが何曲か有名なタイトルを口にするが、僕はそれでもピンとこない。

 そんな僕を心底バカにしたかのようにため息をついたパクの後ろから、ジェラルドが鼻歌を口ずさみながら姿を現し、そこで僕は初めてレジーの曲を認識した。


「……なるほど、その曲なら日本でもテレビコマーシャルでよく聴きます」


「そりゃあよかった。まぁワシもたまたま知っとっただけじゃ。曲を知っているのと歌っているシンガーを知っているのは、また別の話じゃからな」


 神妙な面持ちのまま、第一発見者のジェラルドが僕の隣に腰を下ろす。

 元海兵隊出身で今は警備会社に勤めていると自己紹介した筋肉質な老人は、「曲の素晴らしさとシンガーの人格も、また別の話のようじゃしな」と、ペットボトルのコーヒーをすすった。


 意味ありげなジェラルドの言葉に、僕たちは思わず視線をレジーとヨランダが消えた部屋へと向ける。

 僕たちの見ている前で、小さく音をたてて開いたドアからヨランダが現れた。


「ヨランダ……?」


 声をかけた僕から逃げるように、彼女は赤く腫れた頬をハンカチで押さえ、乱れた襟元と顔にかかる髪を整えながら、奥のパウダールームへと漂って行く。

 思わず追いかけそうになった僕の肩をジェラルドが押さえ、首を横に振った。


「落ち着くんじゃ。あれは他人が口を出す問題ではない」


「ああ、お前がレジーの彼女に対して倫理的に正しくない恋慕でも抱いているのでなければな。……わきまえろ、日本人」


 そう言われてしまえば僕も何をすることもできない。

 モヤモヤしたものを感じながらも、僕たちは他愛無い会話を少しだけつづけ、それぞれの部屋に戻った。

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