(17)選抜試験の顛末

 控え室として与えられた部屋に落ち着いたセレナは、世話役らしい王宮の侍女から供されたお茶を飲みながら、安堵した表情で付き従っている二人に礼を述べた。


「仰々しい護衛集団を屋敷に招き入れるのが阻止できて、本当に良かったわ。ルイとネリアのおかげね」

「俺達は構わんがな」

「近衛騎士団内でのラーディス様の立場が、今まで以上に微妙になりそうですけど……」

 そこでネリアがボソッと呟き、それを耳にしたセレナが不思議そうに尋ねる。


「ネリア、今何か言った?」

「いえ、独り言ですので、お気になさらず」

「そう?」

 それからはリラックスした様子でセレナがお茶を味わっていると、少ししてからノックに続いて侍従が姿を現す。


「失礼します。エリオット様をお連れしました」

「ありがとうございます」

「姉様、お待たせしました」

「エリオット、お疲れ様。試験はどうだった?」

 侍従に続いて入室してきたエリオットを、セレナはソファーから立ち上がりながら出迎えたが、弟のすぐ背後から豪奢なドレス姿の二十代半ばの女性が現れたのを見て困惑した。


(え? あの方はどなた?)

 そんな姉の内心は容易に読み取れた為、エリオットは真っ先にその女性を紹介した。


「姉様、この方はアルネー・ライエ・ダレン侯爵夫人です。今回のご学友選抜試験の、試験官のお一人でもあられます」

「まあ、そうでしたか。私はセレナ・ルザリア・レンフィスです。この度は弟がお世話になりましたが、何か失礼でもありましたか?」

 一礼したセレナが心配になって尋ねると、アルネーは笑顔で首を振った。


「とんでもない! エリオット殿はとても優秀な方ですわ。試験官全員の総意で、ユリウス殿下のご学友になっていただく事をお願いしました」

「そうでしたか。安堵いたしましたし、身に余る光栄ですわ。エリオット、殿下に失礼の無いように頑張りなさいね?」

「はい」

(それはそうとダレン侯爵夫人と言えば、たしか何年か前に降嫁された元王女様なのに、どうしてわざわざ試験官を務めたり、エリオットと一緒にこちらにいらしたのかしら?)

 安心したのも束の間、セレナの脳裏に別の疑問が浮かんだが、ここでアルネーが思い詰めた表情で口を開いた。


「実は今回の試験に関して、少々揉めた事がありまして……。レンフィス伯爵家の皆様のお耳に後から変な形で伝わるより、予め客観的な視点でのご報告をさせていただこうと思いましたの。少しお時間を頂いて、よろしいかしら?」

「はい。私達は構いません」

「ありがとうございます」

 そこでアルネーはセレナの向かい側のソファーに座り、如何にも苦々しい口調で状況説明を始めた。


「まず最初に、私が試験官を務める事になった理由ですが、兄であるグレナース伯爵がユリウス殿下のご学友に、息子の一人をごり押ししてきたからです」

「グレナース伯爵と仰いますと……、元第一王子でいらした方ですね?」

「ええ。お恥ずかしながら」

 思わず確認を入れたセレナだったがアルネーはそれを咎めず、疲れたように嘆息した。


(確かにあの方に関しては、あまり良い噂は聞いた事がないけど。これまで伯爵にもアルネー様にも、直にお目にかかってお話しする機会は皆無だったから、本当の所は知りようもなかったし)

 仮にも元王族の者に関して迂闊な事は口にできないと、セレナは僅かに眉根を寄せて考え込んだが、アルネーはそのまま話を続けた。


「ユリウス殿下のご学友選びの話を聞きつけた兄は、自分の息子を王妃様に売り込んだのですが、当の甥のジョシュアは礼儀作法すら身についているかどうか怪しい上に、家庭教師泣かせだと義妹である伯爵夫人から聞いております。王妃様も漏れ聞く噂を耳にした事がおありだったらしく、ご相談を受けて、兄の同母妹である私が試験官に名乗りを上げたのです。甥を弾いた場合、兄が試験官を務める官吏達に難癖を付けない為の予防措置ですわ」

「そういう事情でしたか……。ご苦労様でした」

 あけすけに裏事情を語ったアルネーに、セレナは驚きつつも心から同情した。


(本当に、侯爵夫人がされる事ではないわよね)

 するとここでアルネーが憤慨した口調になりながら、実際の選抜試験について語り始める。


「そうしたら案の定、甥は他の子供達とは明らかに見劣りする成績で、文句なく最下位でしたの。それで心置きなく、却下する事ができました」

「それは……」

(うっ、こういう微妙な話題の場合、何をどう言えば角が立たないのよ!?)

 冷や汗を流しながら固まったセレナにルイとネリアが同情の眼差しを送っていると、アルネーが更に語気強く、軽く身を乗り出しながら訴えてくる。


「ところがです、セレナ様!」

「はっ、はいっ! アルネー様、何でしょうか!?」

「あの兄同様、心得違いをしている甥は、エリオット殿を含む三人を合格者だと担当官吏が発表した途端、『そいつは姉の色仕掛けでクライブ殿下に便宜を図って貰った、貴族の面汚しの卑怯者だ! 予め、試験の解答を貰っていたんだろう!』と言いがかりも甚だしい事を放言しましたの! 念の為、試験の一部始終を隣の部屋の覗き穴から観察していた私は、怒りのあまり卒倒しそうになりましたわ!!」

(それであの時、タイミング良く登場されたのか。でも覗き穴からって……、侯爵夫人のされる事ではないと思うけど?)

(本当に身内で相当、ご苦労なさっているみたい……)

 憤慨している彼女を見て、セレナの横のソファーに座っていたエリオットは遠い目をしながら登場のタイミングについて納得し、セレナは益々彼女に対する憐憫の情を深めた。


「それで私はその場に乗り込んで、試験問題は全て私が作って、今日まで誰にも見せずに保管していた事、便宜を図るなら実の甥が対象である事、しかし今日の試験の成績では間違っても便宜を図ったなどと言われない事をきちんと説明した上で、その場で全員の答案を開示したのです」

 それを聞いてセレナは唖然としたものの、すぐにアルネーに対して頭を下げた。


「そんな事があったのですか……。侯爵夫人には、お手数をおかけしました」

「とんでもありません。ですからセレナ様、安心なさってくださいませ。今日の参加者からレンフィス伯爵家に関する根も葉もない不名誉な噂など、広がる筈はありませんわ」

「はい、安心いたしました。アルネー様、ありがとうございました」

 何とか機嫌を直しつつ、レンフィス伯爵家の名誉が損なわれる心配は無いと保証してきたアルネーに、セレナは素直に頭を下げた。それと同時に、逆に評判を落としそうな家について考える。


(ワンランク下のぶっちぎり最下位の答案を、参加者全員に見られる結果になったグレナース伯爵家のご子息は、どう考えても自業自得だけど……。我が家では無くてそちらの悪評が、社交界で広がりそうね)

 思わず溜め息を吐きそうになったセレナだったが、更に気を重くするような話が続く。


「それでジョシュア殿は、顔を真っ赤にして激怒されてしまって……」

「素直に自分の非を認めて、謝罪すれば良いものを。私、呆れ果てて、思わず扇で打ち据えてしまいましたの」

(我が家ならともかく……。見た目に似合わず、なかなか苛烈な女性みたいね。さすがは元王女様)

 申し訳なさそうに語るエリオットに続いて、アルネーが語った容赦の無い内容について、セレナは僅かに顔を引き攣らせた。


「兄と甥がどう思っていようが、私や夫であるダレン侯爵は、クライブ殿下とレンフィス伯爵家に対して隔意などありません。万が一、お二方の婚約披露を兼ねたリオネス殿下の立太子式の夜会で絡まれた場合には、即刻私に知らせてくださいませ。母からも頼まれておりますので、兄の心得違いをきっぱり正して差し上げますわ!」

「身に余るご厚情、ありがとうございます」

 どうやらそれが本題だったらしいと悟ったセレナは、力強く請け負ったアルネーに頭を下げた。

 それからは和やかに幾つかの世間話をしてから、アルネーは機嫌よくその場を立ち去った。彼女を見送ったセレナは、些か疲れた表情でエリオット達を振り返る。


「……それじゃあ、私達も帰りましょうか」

「そうですね。ところで姉様」

「騎士の派遣については、考え直していただけるそうよ」

「それは良かったです。……兄様にとっては、あまり良くなかったかもしれませんが」

 歩き出しながら尋ねたエリオットに、セレナは軽く背後を振り返りながら首尾を伝えた。それを聞いた彼が思わず小声で呟くと、横からネリアが囁いてくる。


「やっぱり分かりますか? お嬢様ったら鍛錬場で、余計な事を口走りまして」

「兄様並みに強い人はそんなにいないと思うし、もしかしたら『近衛騎士なんて大した事ないのね』的な事を言ったとか?」

「それ以前の問題です」

「うわぁ……」

 思わず呻いて片手で顔を覆ったエリオットだったが、背後で何やら話している内容が聞き取れなかったセレナが、不思議そうに尋ねてきた。


「エリオット、ネリア? さっきから何をボソボソ言っているの?」

「いえ、大した事では……。あ、姉様。来週から週に2回、王宮のユリウス殿下の所にお伺いする事になりました。送迎の馬車と護衛は、差し向けてくれるそうです」

「そうなの。頑張ってね」

「はい。来週と言えば、例の夜会もそうですね。姉様、頑張ってください」

「…………」

 話を逸らしついでに思い出した事を口にしたエリオットだったが、それを聞いたセレナはがっくりと肩を落とし、無言になって出口に向かって歩き続けた。



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