第1話 颯爽と、魔術師 プロローグ

 柴田隼人しばた はやとはO銀行S町支店の三番窓口にまっすぐ向かうと、予定通りに『金を出せ』と書かれた紙を行員に見せた。緊張を悟られないようマスクの中で細かく息を吐く。行員は一度顔を上げると周囲の同僚に目配せをした。それと同時に客の中に紛れ込んでいた柴田の仲間が二人、椅子から立ち上がる。

 銀行強盗は他の犯罪と異なり被害者と加害者それぞれの主張に奇妙な共通点が存在する。「なるべく事を荒立てたくない」という心理だ。強盗が柴田一人であれば銀行側も威圧や抵抗という選択肢を取ることもできただろう。銀行によってはデスクの脇に木刀を常備しているところもあるという。しかし強盗が三人以上いれば行員や警備員が何らかの抵抗をすることはほとんどない。余計な混乱は行員だけでなく他の客も危険に晒すからだ。柴田たちの目論見通り、行員たちの作業は彼らに対する警戒から差し出す金の準備へとスムーズに移行していった。

 ここまでが四十六秒。柴田は手元のオメガで確認する。塗装は大分剥がれているが内部機械の精密さは信頼できる。仲間たちが窓口についたところで柴田は二枚目の紙を取り出した。『金庫の中身を見せろ』と書かれている。

 地方銀行の一支店にほとんど現金がないことは彼もわかりきっていた。行員たちもその気になればすぐ用意できるであろう金額を大袈裟なくらい丁寧に扱っている。おそらくは警察が到着するまでの時間稼ぎだろう。あちらもとっくの昔に通報は終えている。だが柴田は現金にほとんど用はなかった。強いて言うなら仲間への分け前くらいだ。二枚目の紙を見た行員は少し早足で責任者と思われる紺スーツの男へ相談しに向かう。その間に柴田は長く息を吐いてカウンターに手をついた。客たちの方でも少しずつざわめきが起こり始めている。大方様子が変だというところまでは読み取れるが、強盗かどうか確信が持てないといったところだろう。だから武器を出すような真似は最初からやらなかった。武器があれば遠目からでも強盗だと判別されてしまう。少し迷惑なマナー違反の客でも演じればもうしばらく時間を稼げるか。

 柴田がそんなことを考えていると紺スーツが冷や汗を流しながら彼の前に現れた。紙を見せて二十八秒経過したところである。

「あの、申し上げにくいのですが現在金庫にはほとんど現金がなくて……」

 想定内だ。だがそれを悟られるわけにはいかない。柴田はわざと苛立ったようにペンを掴み取ると、乱雑な字で二枚目の紙に文言を付け足した。

『嘘をつくな。見せなければ他の客を一人ずつ殺す』

「ですが……」

 言い淀む紺スーツに今度は本当に苛立ち、柴田はレザージャケットの懐に手を入れた。

「わ、わかりました。それではこちらへ」

 冷や汗の止まらない紺スーツに促され、柴田は奥へと進んだ。背後でざわめきが少し大きくなる。もってあと三分というところか。平穏な秩序はもう表面張力で保たれているに過ぎない。柴田がオメガに目を遣ると開始時刻から既に四分が経っていた。

 中型の電子ロックで固定された鉄製の扉の前に立つ。紺スーツが汗を拭いながら暗証番号を入力すると、短い電子音とともに鍵が開いた。柴田は手袋をはめ直すと、紺スーツを押しのけてノブを回す。

 半年かけた調査が正しければ、おそらくこの金庫の中にはとある企業の「裏帳簿」が入っている。数多の会社から搾取して積み上げられた汚い金が全て詰め込まれたパンドラの箱だ。搾取された中には柴田の父が勤めていた会社もあった。その帳簿を強奪し、世間へ公表する。一市民の通報程度なら黙殺される恐れもあるが銀行強盗の動機となれば話は別だ。彼の目的は最初からそこだけにあった。


 だが金庫の中には『何も』なかった。書類どころではない。棚も、照明も、床板ですら何か強い力でひっぺがされたように消えていた。

 呆然と室内を見渡す柴田の目の端に小さな光が映り込んだ。扉横の隅の方でプスプスと一枚の紙が燃えていた。藁にもすがるような思いで駆け寄るが燃えていたのは一枚の画用紙だった。何か模様が描いてあるようだったが程なく柴田の足元で燃え尽き、消えた。

 オメガの文字盤では開始から十分が経過していた。サイレンが鳴っているような気がして、扉の前で腰を抜かしている紺スーツを尻目に、柴田は力ない足取りで受付窓口へと戻って行った。

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