第6話

 どうやって屋敷まで帰ったかは記憶にない。

 ドレスの裾を屋敷の自分の部屋の前で踏んで転び我に返った。

 でもアルトラは知っている。多数の人が同性に恋しないこともそれを異端と呼び父のように嫌うこともそういう少数のことを気持ち悪いと言うことも知っている。

 だからアルトラは振られてもいいと思っていた。そりゃあ相思相愛なんて憧れるけれども。彼女が泣いているのは、ただ否定されてしまったからだ。

「どうしたのアルトラ?」

 隣の部屋の姉がドアを開けて驚くくらい大声で泣いているアルトラは泣いている理由は誰にも言えないのだと思っていた。




 ベルフェゴールは部屋に一人、花瓶に不格好な形で収まったサルスベリを見ていた。

 あれでよかったのだと思っている。だって正論だ。そのとおりだと思う。恩人の娘の表情には胸が痛むけれど。親しい友人として年長者として言うべきことを言ったのだ。

 かんかん、とドアベルが鳴った。テーブルの上の水晶板を見ると、友人二人がドアの前に立っている。ドアを開ける為に左手をくるくると舞わす。腕につけた宝珠が鈍く光って大きな暗いドアが開いた。ベルフェゴールは悪魔や使い魔を雇わない。

「ベルフェゴール、約束の本なんだけど」

 杖を床の上に滑らしながら入って来たのは、目の見えないベールゼブブだった。当然のように彼女の補助を担っているのは、恋人のベリアル。二人とも背が高く蠱惑的な風貌で−−特にベリアルはサタンの右腕の一人として重用されていて様々な悪魔達に妬まれたり焦がれたりされている。

「これでよかった?」

 ベールゼブブがベリアルの持っている箱を指差す。ベリアルは慣れた様子で緑色に塗られた箱(木のようだ)の蓋を開けてベルフェゴールの前に差し出し……

「おいどうした?」

 怪訝な恋人の声にベールゼブブが首をかしげる。ベリアルは振り向いて

「こいつひどい顔してる」

「ベルフェゴール? どうしたの?」

「……出直そうか?」

 ベリアルの白い手がベルフェゴールの頭を撫でた。

 それを振り払わないくらいの弱さで、首を横に振る。

「聞きたいんだけどベリアル」

「俺?」

「もし……ベールゼブブに出会った時、彼女が子供だったら」

「おいおいお前ほんとに……恋のこととなると耳に入らないのか」

 短く、くるくると巻きの強い黒髪を掻きながら気まずそうにベリアルはため息をつく。ベールゼブブは笑いながら杖で見つけた椅子に腰掛けた。長く白い髪がさらりと音を立てた。

「わたし彼に出会った時にはほんの子供だったのよ」

 ベルフェゴールは目を丸くした。

「そ、うだったっけ?」

「そう。それで、わたしはベリアルに一目惚れしてずっと一緒にいたの」

「最初は可愛い……姪っ子くらいに思ってたんだけどな俺は。

 大きくなるにつけいい女になるもんだから」

「そうでしょ?」

 人目というか自分の目を憚らず語り始める二人に呆れはしたが、その友の気安さにベルフェゴールは聞きたいことを言葉にしてしまった。

「じゃあ、もし、もしなんだが

 誰かがとても好きな人を年齢差で諦めたら……いや、諦めるべきか?」

 見えないはずの目を見開いて、あら、とベールゼブブは顔を綻ばした。

「ベルフェゴール、あなた恋しているの?」

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