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 文化祭が終わって、本格的に受験勉強を始める時期が来た。

 受験で忙しくなる前に、三人で映画を観に行かないかと伊吹に誘われた。

 彼女が観たがった映画は話題のSF作品だった。


「陽介、SF好きでしょ?」

 この頃から伊吹に下の名前で呼ばれるようになった。熱田のことも真一と呼んでいた。彼女の中でどんな心境の変化があったのかはわからない。聞く気にもなれなかった。


 伊吹と熱田が一緒にいたら、ぼくは醜い嫉妬心を隠せないかも知れない。

 そう思って怖かった。怖かったが、断るのはイヤだった。

 だからぼくたちは三人で映画を観に行った。


 映画はすばらしい出来でぼくは久々に感動した。

 でも、三人で行ったのは失敗だった。

 同じ時間を過ごし、同じ感動を共有したのに、ぼくたちは三人組ではなかった。

 熱田と伊吹が一緒にいて、二人と一緒にぼくがいる。

 伊吹の声音、熱田を追う視線、すべてが物語っていた。

 今までとは何かが違う。三人でいるのに、ぼくだけが孤独だった。

 

 もう元には戻れないんだなと思うと、胸の奥がまた痛み始めた。


 進路について、熱田と話し合ったことがある。

 映画の前か後かは忘れた。熱田の部屋から帰ろうとして、その時だ。

「なあ、太陽」

 もったいぶるように、熱田はぼくのことを呼んだ。


「どこの大学行くか、決めてるんだっけ」

「とっくだよ。今の学力で行けるところ。別に勉強したいわけでもないから、どこでもいいんだけど」

「おれ……おれさ、音楽の専門学校に行こうと思う」

「専門学校?」

「うん。大学行く気だったけど……本気でプロ目指したいんだ。歌手だよ。大学で音楽活動しても良いけど、やっぱ専門学校の方がいいんじゃないかなって思う。設備とかも整ってるみたいなんだ。音源とか収録する用の。あんまり自分の将来とか真面目に考えたことなかったけど、ちゃんとプロになりたいって考えてさ。そしたら専門学校が一番じゃないかなって」

 プロになりたいと、熱田が夢を語ったのはこれが初めてだった。


 お前ならなれるよ、きっと。


 背中を押すのは簡単だ。背中を押すだけなら誰にでもできる。

 真っ暗闇の中で、一歩先が断崖絶壁の奈落だとしても。

 

 ぼくは何も答えなかった。もし熱田が迷っているのなら背中を押しただろう。

 熱田は違った。迷ってなんかいなかった。

 先の見えない暗闇の中を、駆け抜ける覚悟を決めている。

 だから背中を押す必要はなかった。

 あとに続く熱田の言葉を、なんとなく予測できた。


「一緒に行こうぜ、太陽。そんで、一緒にプロになろう」


 先の見えない暗闇を一緒に走ろうと、熱田は言っているのだ。

 ぼくは考えるまでもなく、首を横に振った。


「おれは行かない。プロになりたきゃ、自分ひとりでやれよ」

「いや、ぜったいおれたちならできるって! もっと続けたいんだよ。他の誰かじゃダメなんだ。おれ、太陽と一緒に音楽続けたいんだ。二人でさ、サンライズボンバーでプロになろう!」

「そこまで音楽好きじゃない」

 その一言を発するのは辛かった。

 好きじゃない? そんなはずがない。

 ずっと唄っていたい。一日中ギターを演奏して、誰にも邪魔をされず唄っていられたら、どんなに素晴らしいだろう。

 ぼくに実力も才能もないから、こんなウソを吐かなければならない。

 熱田の顔から笑みが消えた。


「なんでだよ! だって太陽、プロになるんだって言ってたじゃん。ヒカルが映画監督になって、そんでおれたちが唄うんだろ! 本気でやろうぜ。そりゃ、夢を追うのって怖いけど、やってみなくちゃわからないじゃないか!」

 熱田の言葉に腹が立った。

 ぼくが物怖じして安定した将来を選ぼうとしていると、そう考えているのだろうか。

 腹が立って、言い返してやろうと思った。


 お前には才能があるけど、ぼくにはない。ずっと傍で見ていろと言うのか?

 自分の無能をまざまざと見せつけられるショックを、これ以上受けさせるつもりなのか?

 いったい何の拷問だ。ぼくにはそんなこと耐えられない。


 唄うのが好きでなければ、こんな気持ちにはならなかっただろう。

 ぼくにも才能があって、熱田の傍でギターを弾き続けていられたら。


 ギターの演奏は確かに面白い。だけどぼくは演奏も歌声も平凡で、何もない。

 ぼくの心を一撃でへし折ったお前の歌声を、ずっと間近で聞いているなんてできない。伊吹を奪ったお前の近くにずっといるなんて、ぼくには耐えられない。

 敗北の屈辱を永遠に味わうなんて。


 何かを言ってやりたかったのに、言葉は喉の奥で詰まり出てこなかった。


「なあ太陽、一緒にプロになろうぜ! おれたちならできるはずなんだ!」

 もう放っておいて欲しい。言わないとわからないのか? ぼくはお前と違って才能のカケラもない。お前の足を引っ張りたくないんだ。伊吹が尊敬と恋の入り混じった眼差しでお前を見るのが、耐えられないんだ。


 だから一人でやってくれ。お前ならきっと、プロになれるから。ぼくじゃなれないから。


「音楽はやめる。もう決めたんだ。プロになるなんて、別に本気で言ったわけじゃないし。他にもやりたいことたくさんあるんだ」

 熱田はぼくを傷付けるつもりなんてなかったはずだ。あいつは良いヤツだから、人を傷付けるような真似はしない。ただ想像が付かないところで、人は傷つく。言葉の一つ一つに抉られて、ぼくの心は血塗れだった。

「熱田も、大人になれよな」


 だから言い返してやるつもりで、ぼくは熱田を傷付けた。

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