二章 くすぶる何か

1

 ぼくたち三人は地元の中学に進学した。

 小学生の時と違って学年に十クラスもあったから、ぼくたちは三人とも離れ離れになった。


 天下無敵の嫌われ者だったぼくも、クラスで会話を交わす程度の知人はできた。 しかし学校では話すけど、放課後になれば一緒に遊んだりもしない。相変わらずぼくが友人だと思っているのは、熱田だけだ。


 ぼくらが遊ぶ頻度は小学生の頃に比べて少なくなった。

 一年も続けていた映画鑑賞会も、いつの間にかやらなくなっていた。

 それでもぼくと熱田の友人関係は変わらない。週末になると、約束しなくても熱田の家に行く。二人で遊んでいると、伊吹がいないのを不思議に感じた。


「最近、ヒカルのやつ来ねーよな」

「部活が忙しいんだろ」


 時々、熱田と二人でそんな会話を交わした。誘えばまた伊吹も来るだろうとは思う。思うが、決してぼくからは誘わなかった。学校で会えば声もかけるし、たまには遊ぶこともあった。でも、ぼくらには少しずつ距離ができていた。


 微妙な年頃の、思春期だ。肉体は大人に近付いていた。日に日に背が伸び、声変わりも始まった。

 ぼくは驚くほど声が低くなった。熱田は相変わらず箸が転がっても笑う男だったが「猿の鳴くような」と感じるほどの声の高さはなくなった。


 当然、伊吹も成長していた。もともと男子に比べて女子の成長は早いが、小学生の頃は伊吹の身体なんて興味もなかった。

 だけど伊吹の胸が膨らみ始めて身体のラインに変化が出てくれば、どうしても女なのだと意識してしまう。以前のように自然に話しかけられなくなった。


 考えないようにしても、大きくなった伊吹の胸を目で追ってしまう。伊吹を性的欲求の対象に見てしまう自分がイヤで、なるべく彼女を避けるようにしていた。


 伊吹が部活に入ったのは、聞いていた。映画監督になるとか言っていたが、なぜかソフトテニス部で青春しているらしい。

 しかもそこそこ上手いようで、地区大会で二位か三位に入賞していた。同じソフトテニス部の男子と付き合っているとか風の噂で聞いて、とうとうぼくたち三人の関係も終わってしまったのだと寂しくなった。

 相手の男は頭の悪そうな顔をしているしテニスだって決してうまくない。勉強だって平凡並で良いところは一つもないと、ぼくは散々に罵倒した。

 もちろん伊吹本人には言わない。熱田にだけだ。


 ぼくは熱田に誘われて野球部に入ったが、五月にあった練習試合でやめた。

 一年の新人だけを集めた交流戦で、エラーを怒鳴られ三振を責められ、非才と無能をこれでもかとこき下ろされた。運動部に特有の絶対的な上下関係が死ぬほど嫌いで、ただでさえうんざりしていた頃だ。カッと頭が熱くなって、偉そうに訓戒を垂れる三年のキャプテンをぶん殴っていた。


 小学生の頃はどれだけ悪ぶっても手を上げられない小心者だった。成長したとも言える。不意打ちの一発はキャプテンの鼻にぶつかって、尻餅をつかせた。

 ぼくはそれで冷静になったが、謝るつもりはなかった。人を不当に侮辱するようなやつは、先輩だろうと教師だろうと殴られて当然だ。

 先輩は烈火の如く怒り狂った。いくら怒鳴られようと構うもんかと思ったが、バットを持ち出されて血の気が引いた。鼻血をダラダラ流しながら鬼気迫る表情で追い掛けて来る先輩は恐ろしく、その後もしばらく夢に見た。

 熱田と一緒に逃げて、それきり部活には行っていない

(報復を恐れて、二週間ほど通学路を変えた)


 ぼくが部活を辞めたのは自業自得だが、熱田まで巻き込んだのは申し訳なかった。熱田は先輩たちにも気に入られていて、部活動でも「おもしろいやつ」として立ち位置を確立していた。ぼくに義理立てして一緒に逃亡したが、野球部に戻れとの訓告が何度かあったのを知っている。

 ちなみに先輩たちの誰一人として、ぼくに部活に戻れとは言いに来なかった。


 週末は熱田の家に入り浸り、平日は一人で過ごした。図書館で時間を潰したりもした。本当はゲームセンターや映画館に行きたかったけどお金がなかったし、家には帰りたくなかった。反抗期で親の顔を見たくない。一人部屋もなかったから、兄と同じ部屋というのもイヤだった。


 とにかくぼくは、何もかもがイヤになり始めていた。

 漠然とした不安だけがあった。変わって行く肉体に精神が追い付いていない。日毎に女性への興味が目覚めていく、そんな変化もイヤだった。

 確実と思っていた三人の関係も希薄になって、大人になることへ恐怖を覚えた。具体的に何が怖かったのかわからない。正体の見えない怖さ、なんとなくの憂鬱。


 鬱屈して、悶々として、憂鬱を引き摺って歩く無気力中学生と化したぼくは、それでも学校には通った。

 授業中は教師の話なんか聞かずに呆けていたから、小学校のように満点ばかりとはいかない。成績は平均してオール3。

 下から数えても上から数えても中間の、平々凡々とした生徒になった。ただし授業態度は悪く、不良ぶっている。


 何もかも面白くない、灰色の毎日は続く。小学生の頃はあれだけ楽しかった夏休みも退屈だ。

 熱田とは週に何度か遊んだが、あいつは他にも友達がいる。強固だと感じたはずの友情の結び目がぼんやり見えにくくなっている。

 人生は虚しい。人の縁は儚い。今ふりかえれば思春期に陥りがちな悩みに過ぎないが、ぼくは深刻に苦しんでいた。


 胸の奥底でくすぶる「何か」を感じていた。

 その正体がなんなのかわからない。

 くすぶる「何か」は時々、ぼくの胸で酷く痛んだ。

 痛みを消す存在が必要なのだと、漠然と思っていた。

 無垢に信じられる友情のような、胸でくすぶる痛みを消すためのを存在が。


 二学期の始めに、ぼくはその存在を見つけた。

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