計画

 その日からタクマは父王にとって理想的な後継者として振る舞い、実際にそのように成長した。父親に対する憎悪と囚われた恋人への激しい想いを胸に秘め、タクマは表面上、今までと同じように快活で穏やかで聡明な王子を演じた。

 弟のエヤは後から話を聞いて、当然のごとく驚きと悲しみを見せたが、天の定めだと父やユキから諭されたため、納得したようだった。タクマは自分の復讐心を弟には伝えなかった。いつかは真実を明かさなければならないが、その時が来るまでは、弟に闇にまみれた感情を味わわせたくなかったからだ。

 タクマがまず考えたことは、いかにして狗奴国の頂点に立って掌握するかということだった。王に対して面従腹背を続け、決して誰にも目論見を悟られずに準備をするのは容易ではないが、タクマはそのために生きることを選んだ。

 父である王は近い将来、この世から葬り去る必要がある。これは絶対の条件だが、今、実行すべきことではない。アシナの運命を告げられた時、激情に任せて殺害しなかった自分を褒めてやりたい。

(俺はまだ王子として未熟だ。武術も知力も足りない。王の見習いみたいな気持ちじゃ駄目なんだ)

 最終的な目標は愛するアシナをこの手で取り戻すこと。卑怯な手段で少女を奪い、彼女を強制的に玉座に縛り付けることで成立した倭国など偽物でしかない。狗奴国がそんな偽物の国に従う道理はなかった。

 アシナのことで落ち込んでいるであろう息子が、心なしか以前よりも勉学や武器の鍛錬に身を入れるようになり、イザリは不思議に思ったが、彼の母である妃の言葉に合点がいった。

「きっと、女王のために役に立つ狗奴国王になりたいのでしょう。結ばれないことを嘆くのではなく、立派な王となるよう励んでいるのですよ。良い子に育ちましたね」

「そうか、そう思ってくれるか」

 妻の微笑みに、イザリは父親として素直に嬉しさを感じた。息子を欺いたことは事実だし、良心の呵責を覚えずにはいられなかったが、妻の理解はイザリの心を多少なりとも救ってくれた。

 だから、狗奴国王は息子の前向きな姿勢にできるだけ応えてやろうと努めた。それが、徐々に自分の命を奪う刃を磨くことになるとは知らずに。

 黄金色に染まった田んぼの稲刈りがあらかた終わる季節のある日、タクマは王から許可を得て、祭壇の前に座っていた。祭壇には邪馬台国から持ち込まれた鏡と短刀が安置されている。

 鏡を覗き込むと、真冬に凍った池の表面のように滑らかな面に少年とも青年とも言えない自分の顔が映った。あの日以来、武術にも真面目に取り組んできたのでそれなりの成果が出ており、顔つきが引き締まって日に焼けたことがわかる。

 鏡の手前に置かれた短刀は錦の袋に包まれているので、中身はどのようなものか見えない。

 タクマは祭祀場の戸口に内側から鍵をかけ、短刀を手に取った。錦は手触りが良く、鮮やかな染色の糸で作られている。そして、短刀もまた上等な出来具合だった。刃が鋭いというだけでなく、鞘も柄も細かい紋様が施されているのだ。

 邪馬台国に優れた工人がいるのか、それとも大陸からの舶来品なのかは、タクマには判別がつかない。

(アシナは狗奴国にこれほどの品を贈ってきた。うちの王はアシナを差し出した張本人なんだから、一番に服従が求められる国ってことになるな)

 短剣をよく確認した後、それを元通りに戻し、タクマは祭祀場を出て行った。

 それから、タクマは村へ足を運ぶことにした。収穫という大仕事を終えた民を労う王家の役目を果たすためでもあり、日頃から民と接してその心を掴んでおけば自分が王となった時に掌握しやすいであろうという計算のためでもある。

 今回は王の集落から一番近い村ではなく、少し遠くの市に隣接する村へ向かった。幼少の頃から仕えている従者のマノだけを伴い、王の集落から一番近い村ではなく、少し遠くの市に隣接する村へ向かった。全国から交易品が集まってくるのは言うまでもないが、他国の状況などの情報もいち早く集積されるのが市に近い村なのだ。

 村に入ると、行き交う人々がこちらに気づいて道端へ下がり、文字通り地面に額をこすりつけるようにして蹲っている。王族のタクマにとっては見慣れた光景なので、這いつくばった老若男女の列の間をさして気にも留めず進む。

 広場までやってくると、村長が出迎えてくれていた。

「ようこそ我が村へ。何度も足をお運びくださって嬉しい限りでございます」

「ああ、また邪魔をするよ。最近、変わった出来事はないか?」

 30を少し過ぎたばかりの村長は、しばらく考えて、何か思い出したように顔を上げた。

「一昨日、シオンが戻ってまいりましたよ」

 それだけでタクマには通じる。実は、もしかしたらシオンに会うことができるのではないかという期待も込めて、この村を訪れたのだった。

 シオンとは、狗奴国を拠点にして交易のために各地に出かけている20代半ばの色黒の青年である。自前の船団を率いていて自由に動き回っているが、時々、王からの命で狗奴国に必要な道具や資材などを買い付けてきている。

 移動手段は徒歩か船しかないため、一度集落の外へ出てしまうと戻るまでに非常に時間がかかる。しかし、そのように村から村へ、あるいは国から国へと移動している者は常に存在するので、市に来れば品物だけでなくだいたい最新の情報も手に入れることができるのだ。

 タクマがシオンと話したいと告げると、集会所に席が設けられ、ほどなくして待ち人が現れた。

「お久しぶりですね、王子」

 丁寧な挨拶ではあるが堅苦しさはなく、シオンのタクマを見る瞳には年の離れた弟に接する兄のような優しさがあった。2人は何度か顔を合わせており、互いの距離感はそこに落ち着いていた。

「元気そうでなによりだ。それで、この前、頼んでおいたことは……?」

 実は、タクマはひと月以上前にシオンにあることを依頼していた。西方面へ行くと言っていたので、倭国の王として邪馬台国で暮らしているであろうアシナの様子を何でもいいから探ってきてほしいということだ。

 好奇心旺盛な弟に話をせがまれているかのような気持ちになり、シオンは旅先での様子を語り始めた。

「邪馬台国には何度も行っていますが、以前よりも活気が戻っていたように思います。国内の集落からたくさんの人が集められていて、土木作業に従事してしました」

「土木作業? 王の館でも改築するのかな」

「いえ、もっと大きな計画のようですよ。現在の邪馬台国の中心部から南東の山麓に倭国の王都を整備するとか……。既に投馬国、不弥国、伊都国、あと西側の数か国からは代表官が来て、その王都の居住区で暮らしているそうです。この目で見てきましたが、それら以外の居住区はまだ建設中でした」

「つまり、倭国中の国から代表官を呼んで王都に置くってことか……」

 聡明なタクマはそれが代表官という名の人質であることを理解した。ということは、狗奴国からも誰かを新王都に差し出さなければならないのだろう。しかし、王は一言もそのような話をしていなかった。

 狗奴国の高官であればユキが最適任者だと思うが、王にとってユキは大事な右腕であり、もしものことを考えると邪馬台国に送り出すのは躊躇われることかもしれない。もし自分が代表官として邪馬台国へ赴くことができるのであれば喜んで向かうのだが、王子が務めるような役職ではあるまい。

 以前、タクマは邪馬台国へ単身乗り込んでアシナを奪還するという計画を思い描いたことがあった。

 しかし、これはあまりにも無謀すぎる。自分は根っからの武人ではないので、厳重に守りが固められている女王の館をたった一人で襲撃するなど万が一にもあり得ない話だ。だから、代表官となってタクマが新王都で生きることにはそれほど意味があるとは思えない。

 狗奴国の代表官を誰にするかについては、後で直接王に問うてみればよいことだ。それよりもタクマが知りたい情報は他にある。

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