第11話 ありえぬ氣穴

 古びた長屋に挟まれた砂地の路を、陸鋭たちは歩いていた。

 場所は榴国りゅうこく石赤せきせきの南端――。

 抜け道の険しい峠を超えた三人はその足で少し南下し、王都である紅革くかくにほど近い、農家と商家が住まう村にまでたどり着いていた。げんの話だと、今いる長屋通りを抜けたところに保仙の屋敷があるらしいのだが、

「あんまりいい場所とは思えねえな」

 知来ちきを背負って歩く陸鋭りくえいは、周囲に目を配りながら言った。

 

 人通りはまばらで老若男女とさまざまだが、ところどころの道端に、明らかにごろつきと思われる者の姿があった。頭に巻かれた布下から覗く陸鋭の目は警戒を浮かべているようだったが、その顔はふてぶてしく笑っていた。

「王都に近い場所だからな。一時的な流通の拠点にもなっているために、どうしてもそういった者が入りこんでくる。あんまり面倒は起こさない方がいい」

 いわゆる用心棒という者達らしい。

「こっちはその気がなくても、向こうは用事があるらしいぜ」

 そう言って陸鋭は前方を顎でしゃくった。


 見ると、見るからに”そういった者”であろう三人の男たちが、肩で風切るようにして歩いてきた。

「見ない顔だな、ここに何の用だ」

 真中の頬に刀傷をつけた男が、持っている太刀を肩にのせて聞いてきた。

「保仙の良義りょうぎ先生に会いに来たのだ。急患がいるものでな」

「ほう、あの先生にか」

 男は陸鋭の端まで行くと、顎に手をやり背負われている子供を覗き見た。

 あとのふたりは下品な笑みを浮かべてそれを眺めている。

「なるほど、これは確かに重症だな。で、こっちのあんちゃんは付き人かい。通るつもりなら三人分の――」

 男は急に言葉を止めると、出かかっていた言葉を飲みこむかのようにして生唾を呑んだ。

「あ、いや、そうだな……すぐに診てもらった方がいい。うん、そうするべきだ」

 心なしか声が引きつっている。顔色も青ざめているようだった。

「あにき、なに言ってんですかい」

「そうですぜ、ちゃんと通行料をもらわな――」

「おおっと! それ以上は言うな。いいか、言うなよ。絶対に、言うな」

 馬を馴らすようにして子分を静めた男は「じゃあそういうことで」と言い残し、まだ疑問符を浮かべる子分を引きずるようにして足早に去って行った。

「なんだったのだ、あれは」

「さあな、知らねえ」

 陸鋭は鼻で笑っていた。

 

 わからぬ足止めがあったものの、一行は長屋通りを抜けて保仙の屋敷までたどり着いた。といっても作りは長屋のそれと大差なく、他より少し大きい程度の古びた家だった。敷地も砂利が敷かれているだけで、特別に何かがあるわけではない。どうやら見栄とは無縁の人物であるようだった。

 

 戸を叩くと中から男の返事がしたので、源はそのまま入っていった。

「おお、源じゃないか。久しいな」

 すぐに温かみのある声が届いてきた。

 歳の頃は六十ほどの白髪を混じえた男が、土間続きの板間で何やら作業をしていた。部屋の中央には寝台があり、周囲には書物棚や木彫りの人体模型が置かれている。壁には経脈図の描かれた古紙が至るところに貼られており、薬草の類であろうか、隅には草のはいった籠が多分に積まれていた。

「お久しぶりです、良義りょうぎ先生」

 源は五指の指先を合わせて深々とお辞儀した。

 良義も同じ仕草で礼を返すと、

柊国しゅうこくからの帰りかね」

 と、にこやかに聞いてきた。

「はい、ふみに書かれていた方のところへ行っておりました」

「ほう、それでどうだった」

「それなりに得られたものはありました」

 良義は苦笑した。

「進展はなしか」

「なにぶん、不可思議なものなので」

「そうか。無駄足をかけさせてしまい、悪かったな」

「何をおっしゃいます、無駄なことなどひとつもありません。報せを頂けて、どれほど助かっていることか」

「そう言ってくれると、わしも嬉しい。ささ、あがりなさい」

 村でひっそりと保仙業を営んでいる良義であったが、その人脈は広く、名を知る者も多い。そのため見聞きすることも多いため、源が求めているような情報を得ると文で送って報せていたのである。


「そちらはご友人かね」

「はい。それで先生、実は診てもらいたい患者がおりまして」

「ほう、そのおぶさってる子供か」

 知来に近づいた良義は、その様子を一目みるなり顔色を変えた。

「これはいかん。早くそこに寝かせなさい」

 若干の緊張を走らせた陸鋭は、言われたとおり知来を寝台に寝かせた。

 良義は知来の服を脱がせると、胸の下、みぞおち辺りに手をあてた。

 長い無言の間が訪れ、陸鋭はたまりかねたように、

「おい、そんなに悪いのか」

 不安をあらわに聞いた。

「待ちなさい、まだ何とも言えん。が、良くないことは確かだ」

 良義は呼吸を整えると、肺、肩、右腕へと、ゆっくり手をすべらせていく。

「何をしているんだ?」

「手当てで生氣せいき氣路きろを辿っているのだ。氣は体内で特定のを循環しているからな」

 源が答えた。

 

 主な大路たいろ十二経じゅうにけい、他にも支路十五経しろじゅうごけい単路八経たんろはっけいなど、人体には生氣が流れる特定の道筋がある。もっともこれらは基本の氣路で、保仙であるなら誰でも知っていることだが、それ以上の細かく数限りない氣路となれば良義のような氣病を専門とした保仙にしか分かり得ないことだった。


「むぅ……」

 長い時間をかけて手当てを終えた良義は、その表情を曇らせた。

「わからん……どういうことだ」

 ふたりは黙って次の言葉を待っていた。

「どこも悪くない、すべて正常だ」

「じゃあ氣病きびょうではないってことか」

「いや、氣病だ」

 良義ははっきりと言い切った。

「高熱は自己治癒として働く力だが、それが循環しておらんから体が冷えている。生氣がどこかで滞っているのだ、それは間違いない」

 良義はふたたび、今度は先ほどよりも入念に知来の体を手当てした。しかし、

「ありえん、なぜ正常なのだ」

 なかば当惑気味に立ちあがると、書物棚へ行き、そこらの書物を手当たり次第に広げはじめる。


「やはり転生の時が近づいているのか――」

 歯がゆい表情で陸鋭は呟いた。

 源は目を見開いた。

「陸鋭、それはどういう意味だ」

「ああ……いや、なんでもない」

 言葉を濁した陸鋭に被さるようにして、良義が書物を手にして戻ってきた。

「もういちど見てみよう。どこかに見落とている氣穴きけつがあるのやもしれん」

「氣穴ってなんだ?」

「氣路の要所要所にある生氣の溜まり場みたいなものだ。多くの場合、ここが詰まるなどして氣病が発生すると言われている」

 源の説明を聞いた陸鋭は、知来の体を灰色の目でじっと見つめた。


「よう、首の横に小さな穴みたいなのが見えるが、それは調べたのか」

「首の横? そんなところに氣穴などないはずだが」

 そう言いつつも、言われた箇所を手当てした良義は低いうめき声をあげた。

「なんだ……これは。確かに氣穴のようにも思えるが……しかし」

「陸鋭、おまえは氣穴が見えるのか」

「いや、そうじゃねえ。こいつのことは別に見ることができるだけだ」

 意味深な言葉に源は眉をしかめた。

「わからんが、確かにこれが悪さをしている可能性がある。ここを治療してみよう」

 良義は手元にあった塗薬とやくをちょいと指先につけると、その氣穴に軽く当てて目を閉じた。すると指先まわりに小さな文字のようなものが浮かびあがり、それらは薬と一緒に体の中へ吸いこまれるようにして消えていった。

 

 良義は息をつくと、知来の脈をとった。

「どうやら当たりのようだ。体にも熱が回りはじめたぞ」

 陸鋭と源はそろって安堵の息をもらした。

「しばらくこの治療を続けていけば、二、三日のうちには意識を取り――」

 言いかけて良義は目を剥いた。なんと、知来が目を開けていたからである。

「気づいたのか」

 傍にすっ飛んできた陸鋭は四つん這いになって顔を覗きこんだ。

 虚ろな目で天井を見上げた知来は、息も絶え絶えに口を開いた。

「……山へ、はや……く……ないと」

「夢と現の狭間にいるようだな」

 良義はひどく哀れみ、知来の額に浮いている汗をぬぐった。


「……やく、行か……いと……陸鋭さん」

 それだけ言うと、知来は力を落として目を閉じた。

「ふたたび気を失ったようだ」

「よほど、おまえに何かを伝えたかったようだな」

 陸鋭は何も答えずに、ただただ驚愕に満ちた顔をしていた。頬に汗を伝わせ、小刻みに体を震わせている。まだ出会って間もないが、それほど動揺している陸鋭を源は見たことがなかった。

「どうした、陸鋭」

「こいつ……なんでおれのことを知っているんだ……?」

 その陸鋭の言葉には、源の心も大きく揺さぶられた。

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