第3話 猫様、猫様

 食欲の秋、スポーツの秋。

 境内のご神木も葉っぱを真っ黄色に染めている。心なしか風も涼しくなった。


 私の家は人丸神社という、鬼を祀る神社だ。裏に岩山があるきりで、境内もせまい。世襲制の地味な神社だ。

 アニキの速真が次の神主。ほぼ毎日裏山で岩に封じた鬼の調伏修行をやらされている。当のアニキは神主を継ぎたくないらしい。いつも逃げ回っては、あやしげなものを取引する仕事に精を出している。まったく困ったアニキだ。


 木の葉が風に舞う。


 私の高校はブレザーだ。半袖のシャツの裾が秋風にはためく。まだ衣替えには早い。


 今日はいつもと変わりない平日。家に帰れば、オヤジがいるだろうし、アニキはいつものごとく出かけていると思う。


 未雪がいないと思うだけで、何となくほっとするのは気のせいだろうか。

 夏休み以来、週末になると未雪がうちに入り浸るようになった。

 最近はいかがわしい物品を持ち込むことも減ってきている。いいことだ。


 学校帰りに買い物をして夕飯の材料を仕入れる。

 秋はサンマがうまい。私が唯一得意な料理である焼き魚が今日の夕飯だ。

 こんがり焼いたサンマにおろした大根を添えて、みそ汁の具はなめこに決まり! 副菜は何にしようかな〜。 こんな風に夕飯の献立を考えるのも楽しいものだ。


 母さんが死んでからずーっと私が家のことをしてきた。

 洗濯も掃除も、もちろん上手じゃないけど料理も。


 毎日少しずつ積み重ねてきたいつもの日常。オヤジがいて、アニキがいて、私がいる。やっとこの構図に慣れてきた。


 私はしみじみとしながらキッチンのドアを開ける。


「ただい……」


 キッチンに入ると土曜日でもないのに、未雪がいる。


 どういうわけか泣いている! さらにオヤジが慰めている!

 なんだ!? この光景は!?


 私は動揺して叫んだ。

「か、帰れ!!」


「泣いてる女の子に向かって言う言葉じゃないです〜」

「と、とにかく帰れ!!」

「話くらいきいてやれ、綾愛」


 しかもオヤジが未雪の味方!?


 私はショックのあまり買い物袋から手を離した。

 ぐしゃっと音がして卵がつぶれた。副菜は卵焼きに決まり。


 泣いている未雪、慰めるオヤジ、リビングに二人きり!


 私の挙動にオヤジも気づいたのか、ぶんぶんと手を振って、何やら否定し始めた。


「いや、おれは何もしてないぞ!」


 私の頭の中は真っ白。なんかしてたのか、オヤジ!?


 多分ものすごい顔をしてたのかも。未雪まで、両手をぶんぶん振って否定する。


「おじさまは何もしてないです〜」


 やっぱりなんかしたのか、オヤジ!?


「ちがいますぅ、あたしのペットが死んだのを慰めてくれてたんです〜」

「ペット!?」

「はい、ランチュウのエリザベスちゃんですぅ」

「ランチュウって金魚!?」

「はい〜、学校から帰ったらいなくなってたんです〜」

「金魚くらいまた買えばいいじゃん!」


 私は未雪に対しては恐ろしくクールになれる。


「エリザベスちゃんみたいな子は売ってないんですぅ!」


 未雪はアヒルの口をして怒って言う。


「せっかく十五センチに育ってたのに!」

「でかっ!」

「エリザベスちゃん成長ブログも作ってたんですぅ!」


 知らないうちにそんなスキルを磨いてたのか! うちにはパソコンなんてないのに!


 別に未雪をうらやましいとか思ってないぞ。パソコンなんかなくても携帯があるもんね。


「とにかく、わざわざうちにきて泣くな」

「みんなあたしの話を聞いてくれないんです〜。弟は昨日逃げたハムスターのことで頭がいっぱいだし。おじいちゃんは庭の鯉が盗まれたってカンカンだし。お母さんは隣の家のインコが猫にやられたって騒いでるし。それに……」


 未雪は指を折りながら、いなくなったペットや逃げたペットについて説明してくれた。


「ちょっとまった。それってどのくらいの期間で起こったことなの」


 未雪は少し考えると答える。


「一週間くらい?」


 いやな予感がする。こういうときってたいてい未雪がらみであやしげなものが絡んでいるのだ。

「あのさ、アンタ、この一週間で何かもらったり、拾ったり、押しつけられたりしなかった?」


「もらったり、拾ったり、押しつけられたり、ですか?」

 未雪は思い当たることがあるようだ。ポンと手を叩いて言った。

「猫の置物をもらいました〜」





 近所の物持ちの家が古い蔵を取り壊す際に好きなものを持って言っていいよというので、猫の置物をもらったらしい。かわいい柄の猫で、一週間前から居間に飾っているのだとか。


「きくけど、金魚とかネズミとかどこにおいてたの?」

「みんなでお世話できるように居間においてましたよぅ」


 未雪が数えきれないほどあやしいものをうちに持ってくるおかげで、私には推理能力がついたようだ。


 さらに未雪が付け加えた。

「それに、置物をもらってからお魚を買ってくるとなくなるようになったんですぅ」


 私は猫の置物を見た。未雪も同じように置物に目をやった。

「割ろう」

「そ、そうですね……!」


 いつになく、私と未雪のコンビネーションがいいぞ。


 よし、裏庭行って割ろうと二人で決めた時、アニキの速真が帰ってきた。

 珍しくし服だ。ということはまた逃げ出したのか。見るとオヤジが笑いながら青筋立ててる。怖い。


「お帰り、アニキ」

「おかえりなさい、速真君」

「よく戻ってこれたな、バカ息子」

「ただいま」


 アニキは思い切りオヤジをスルーして、私たちに声をかけた。

 アニキは何やら疲れたのかどさりとリビングのソファに腰を下ろす。頼まれもしないのに、今日してきたことを話し出した。


「いやぁ、今日はさ、製粉工場の社長に会って来たよ」

「隣町のか? あの大きい会社か」

「そうそうそこそこ、オヤジ。あそこの近くに製薬会社もあるだろう? そこのラットが逃げ出して繁殖したらしくって、大挙して倉庫を襲ってくるんだとかで、その相談を受けてたんだよ」

「なにそれ、害獣駆除の会社に相談すればいいじゃん」


 私が言うと、

「なんでも、食品を扱うから薬とか使いたくないらしい。しかも、製薬会社が出してるのが害獣駆除の薬らしくてね、意地でも使いたくないらしい」

「あ、そう……」

「ん? それ」


 アニキが私の手の中の猫の置物に興味を示した。仕方なくアニキに手渡す。

 アニキはポケットから虫めがねを取り出して、置物を三百六十度くるくる回しながらくまなく観察した。


「これ……すごいな、へぇ」

 何度も感嘆している。


「なに? それ、今から裏で割るんだから返して、アニキ」

「なにぃ!? そりゃやめとけ! おまえ、これがどんなものかわかってるのか?」


 珍しく温和なアニキが顔色を変えて怒鳴った。どういうことだと聞くと、アニキのウンチクが始まった。





 おそらくこの置物は古伊万里であろう。しかも、器が厚く、釉薬がとろりとして絵付けが荒いところを見て、初期古伊万里、千六百十年から千六百五十年くらいのものだろう。しかも招き猫や眠り猫じゃなく普通の猫の置物というのも珍しい。伊万里焼などにみられる招き猫はずんぐりむっくりしているが、これはすらっとしていてシャムネコのようだ。


 年代的に鍋島猫騒動の時代にも合う。鍋島猫騒動とは鍋島光茂の時代に起こったとされているお家騒動でもある。そうなると、また珍しさもひとしおだという。


 なぜなら、このころの古伊万里は鍋島藩が作成していたという。その中で、おそらく製作者はこの猫を焼いたのではないだろうか。

 それを考えてると、この猫の置物はかなりの高値がつくもので、あやしいからと言って割っていいしろものではないのだ。





 と、こうアニキは力説してくれた。

「割るくらいなら、俺にくれないか? お礼はするから」

「そんな悪い猫さん、いりません!」


 未雪はかわいい金魚を食われたことが許せないらしく声を荒げて答えた。未雪でもこんなふうに怒鳴るんだなぁと感心。


「まぁまぁ、とにかく悪いようにはしないから」


 そう言ってアニキはまたどこかに出かけてしまった。


「あいつ、人丸様調伏をサボってるとえらい目にあうぞ」


 オヤジがぼそっとこぼした言葉が何となく気になった私でした……







「そそれで、何か解決策は見つかったんですか!?」


 ちびではげででぶ。三拍子そろってるけど、誠実そうな顔をした製粉工場の社長は、猫の置物を手にした速真に詰め寄った。


「一応。これを、倉庫に飾ってください。丁重に扱わないと、御利益はありませんよ。あくまで、生きてる猫のように、ね」

「これか……こんな小さな猫の置物でなんとかなるものですか」

「ま、物は試しですよ!」







 あれからさらに一週間。


 なぜか平日の夕方にキッチンで未雪が私に代わって家事をしています。

 なんか、最近こういうシチュエーション多いなぁ……

 しかもオヤジが鼻の下を伸ばしてソファに座ってるし。どういうことか、なんだかわけがわからない。


「おじさまァ、はい、お茶です」

「ありがとう、わるいね」

「いやだぁ、お礼なんていいんですぅ」


 なんで、いちゃついてんの? なんで二人とも顔が赤いの?


 私はほかに言葉が思いつかず、やっぱり、「早く帰れ」としか言えない。

 そんな私の言葉は最近効力が薄くて、今もあっさり無視された。


 未雪が私にもお茶をくれる。オヤジの前に湯のみを置く際に、

「うふっ、茶柱が立ちました。縁起がいいですねぇ」

 と、にこにこしながら言ってやがる。


「だねぇ」


 オヤジもニヤニヤしながら、未雪と見つめあってる。気持ち悪い!


 そこへ、電話が鳴った。


「はぁ〜い」


 おい、未雪、他人の家の電話を取るんじゃない。


「人丸ですっ」


 しかも、人の家の名前を名乗ってやがる。やけにうきうきした声だ。


「速真君ですかぁ、少々お待ち下さいっ」


 そういって、受話器を保留にしてからこっちを見た。


「速真は裏にいるよ、未雪ちゃん。俺が呼んでこよう」

 オヤジもやけにうれしそうに裏庭へ出て行った。


「速真〜! 電話だぞぉ!」


 でも、アニキを呼ぶ声はがなり声。しかもなんかとげがある。

 五分くらいしたらアニキが青あざだらけで戻ってきた。肩で激しく息をしている。


「オヤジ、携帯くらい持っていってもいいだろ」

「だめだ。おまえな、調伏の儀式なのに集中せんでどうする」


 アニキが小さな声で「チクショウ」とつぶやいたのがきこえたのが、オヤジが「ああ!?」と唸り声を上げる。


「なんでもないです」


 やっぱりうちのヒエラルキーはオヤジが頂点のようだ。


 アニキは受話器を取って何やら話している。


 オヤジが野獣の目つきでアニキをにらみながら、立ったままお茶を飲んでいたら、未雪がやってきた。

「おじさま! 座って飲んでください!」

「あ、ごめんごめん」


 ちょこんとオヤジは座りなおして、デレデレした顔で未雪に謝った。


 なに? いまのは? ヒエラルキーが一瞬にして崩壊したように感じたけど、気のせいか?


 アニキは電話をすませて、出かけてくると言って走って部屋を出て行った。というか、これはオヤジから逃げたんだろうなぁ。


 さっきから私は無言で茶を飲んでます。なんでかって? オヤジと未雪の醸す何かが怖いからに決まってます……







「人丸さん! ありがとうぉぉぉぉ!! この猫様のお陰でネズミの被害が根絶できたよぉぉぉ!!」

「そうですか、良かった」

「それでですね、ぜひ、守り神として猫様を譲ってほしいんですよ」

「はぁ」


 速真は製粉会社の社長からすぐに来てほしいと連絡を受けて、人丸様調伏を放り出して逃げてきたのだが、まさか、譲ってくれということとは思っていなかった。


 ねがったりかなったり。すぐに値段交渉をし、こちらのいい値でいいという社長の善意に乗っかって、少し多めに請求した。それでも、社長は喜んで小切手を切った。


「不思議なんですけどねぇ、猫様はすらりとした体つきだったのが、この一週間で日本猫らしいずんぐりした形になったんですよ、やはり生きてる猫様なんですねぇ」


 そう言って見せてくれた社長の手の中の猫は、満足そうに二重あごをたたえていた。







「ということで、これが未雪ちゃんへのお礼」


 アニキがかしこまって未雪を呼んだかと思ったら、ポケットから分厚い銀行の袋を取り出した。


「? なんですか?」

「猫の代金」


 ピクリ。未雪のにこやかな顔が一瞬こわばった。ものすごくわかりにくいが怒っているらしい。


「いりません!」


 うお、しかも怒鳴った。最近未雪は感情表現が豊かだ。前はほにゃ〜としてるだけだったのに。


「まぁまぁ、未雪ちゃん、もらっとこう」

「おじさま」


 ん? なんで、おやじが未雪の金を受け取るんだ?


「おれたちの将来に必要だと思うからね」


 おれたち? 将来? 


「そうですねぇ、じゃあ、おじさまにお任せします〜」

「そのおじさまももうやめてくれ」


 そう言って見つめあう二人の周りにピンク色のバラが浮かんで見えるのは目の錯覚だろうか……


「つーか、どういうこと、ねぇ!?」

「なぁんだ、オヤジに未雪ちゃん、水臭いな」

「え!? 水臭い? どういうこと、ねぇ!」


 どういうことですか!? 叫ぶ私の声がむなしく響く今日この頃です……

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