番外

バレンタインとはなんぞや

 突風が砂塵を吹き荒らした。

 青年たちの視界を塞ぎ切るほどの勢いではなかったが、目や口にざらついた感触を残すには十分だった。小早川拓真と朝霧久也はそれぞれ道から顔を逸らして唾を吐き出した。


 ――四方八方に、砂と青空。遥か天の上からじりじりと降り注がれる太陽熱。


 時折見つけられるさみしげにそびえる樹が、彼らにとっての僅かな救いだった。

 ちょうど視界の左端にも大樹が一本現れた。二人は特に言葉を交わさずに、揃って木陰を目指した。少ない荷物を下ろして、ドサッと座り込む。


「おれもうむり。MU-RI。あついー、おなかすいたー。頭いたいー。腹減りすぎて視界がぐにゃぐにゃしてる」

「安心しろ、俺もだ」


 二人はすぐさまリュックから自作のおにぎりっぽいものを取り出して、無言で食む。誰にも内緒で早朝に出かけたため、弁当は珍しく自作である。祖国の日本と違ってここで手に入るご飯はぱさついて握り飯にしにくい。サランラップがあればそれで形を補いたいところだが、生憎プラスチックなど手に入らないので葉っぱで代用した。具は干し魚で、味付けにさほど頓着しない拓真は集落で手に入るピリ辛ソースを、味はどちらかと言うと薄い方が好きな久也は一つまみの塩を、各々かけて食べている。


「しっかし、花束一つプレゼントするにも冒険しなきゃなんないなんて、やっぱりぶっ飛んだ世界だな」


 先に食べ終わった久也が、襟元を掴んでパタパタと煽ぐ。いかにも暑そうだ。最近伸ばしっぱなしになっている真っ直ぐな黒髪が、汗で耳や首に張り付いている。煽ぐ手を止めると次は水筒から一口飲んで、幹にもたれかかった。


「まーまー。だからこそおもむきがあるんじゃない?」


 喉に食べ物を通す前は文句しか垂らしていなかった拓真が、今となっては暑さも吹き飛ばせそうな笑顔を満面に浮かべている。この青年は基本的に明るいのだが、空腹と寝不足の際だけは別人のように不機嫌になる。


「大丈夫だよ、後もうちょっとな気がする」


 拓真のその一言で、二人の視線は地平線の彼方へと流れた。

 ここは「滝神タキガミさまの御座おわくに」と自称する集落から南南東にある、砂丘のど真ん中である。来るのは二度目だ。

 じわじわと視界が熱気でゆらめく。乾季に入ってから既に一月以上経っている今、滝クニの天候ならば少し肌寒いくらいだが、この辺りはそうではないらしい。ひたすらに暑く、なお空気は酷く乾いている。


「ひさやー、ひさやー」

「なんだよ」

「花束もいいけど、花冠もいいよね」


 腹ごしらえも済んで再び出発する頃、拓真がふと言った。


「花冠か。そういえば集落はあんまり花が咲かないから飾りとして使う発想が無さそうだな」


 いや、たとえ身体に飾っても、花冠という形では見た記憶が無い。作り方を広めるのも楽しそうだな、と久也は妹と遊んだ昔の記憶を振り返って思った。


「女の人たちみんな花模様大好きなのにね。きっと喜ぶよ」


 花模様がいかに愛されているかは彼女たちが作る衣服を見れば一目瞭然である。本物の花を身に着けることにも何ら抵抗は無いと考えられよう。


「微妙に祝う祭りが違う気もするが、花冠自体は気に入るだろうな」


 そのように話している内に、一面の砂景色に青と緑がさした。そこに広がっていたのは水辺と――


 ――茨と葉の緑。


 近付けば、更に色彩が混じった。ピンクや白、赤や黄色や薄紫。瑞々しい花びらがそよいでいる。祖国の花屋で出回っていた種類に比べると花びらの総数や形状の派手さには欠くが、間違いなく野生の薔薇だ。

 大自然の中では度々乾いた地域でも悠然と咲いていると言う、驚きの強靭さを誇る生命体である。


「やったー! 超咲いてる」

「蕾もあるな。こいつはいい」


 見惚れてばかりいられない。これからこの華やかな一場面を切り取らねばならないのだ。二人は荷物を下ろして道具を取り出した。

 華やかな色合いと微かな甘い香りに包まれて、青年たちは上機嫌だ。

 久也は拓真にナイフでほど良い長さで花を切り離すように指示し、その間自らは集めた花の棘を除く作業をする――指先を怪我しないように細心の注意を払いながら。

 それが終わると湿った葉っぱを茎の切り口に巻き付けた。なるべく花を傷つけないように柔らかい布に包んでリュックに積める。


「思ったより早く終わったね」

「ああ。全力で走れば余裕で晩餐に間に合いそうだな」


 薔薇に至るまでの道のりは若干探り探りだったため歩みは遅かったが、帰りはスムーズだろう。ここから集落までは道に迷う要素もほとんど無い。

 試されるのは主に体力と持久力、そして意思の強さだ。

 青年たちは薄っすらと唇に笑みを浮かべて頷き合う。


 枯れる前に見せてやりたい――という強い想いの元、彼らは淀みなく帰路についた。





 それは一週間ほど前のことだった。

 サリエラートゥは、特に用事があるわけでもなく、異世界から移住して来た二人の青年たちの姿を探していた。

 ようやく見つけた彼らは広場にしゃがみ込み、地面に膨大な数の傷をつけている。ちなみに周りでは近所の子供たちが器用に彼らを避けるようにしてボール遊びをしている。

 あの傷の形には見覚えがある。彼らが「文字」と呼ぶ代物だ。相変わらずサリエラートゥには重要性がよくわからない物だが、二人は「思考や情報を整理するのに役立つ」と言って折に触れて使っているみたいだった。


「えーっと、ガンジツでしょ、セツブンと、その次はバレンタインだね」

「キュウショウガツもその間に挟めるな」

「成人の日とかケンコク記念日は?」

「それは文化的に微妙なところだ。故国じゃあ重要だけど、ここだと面白味に欠ける。建国の日なんて無いだろうし」

「ヒナマツリみたいなのだったらこっちでも応用できそうかなー」


 二人は周りに気付かないくらい熱心に談話をしていた。未だに多少の神力しんりきを有している元・滝神の巫女姫サリエラートゥには、彼らの交わす言葉がある程度翻訳されて脳に届いている。しかし一部はぴったりの訳があるのか無いのか、伝わったり伝わらなかったりと不安定だった。


「そうだな。セツブンの場合は、豆投げる相手の『オニ』ってのが伝わるのかどうか……立ち位置で当てはめるなら人魚マミワタ……?」

「久也、それだけはやめよう! あのお方たちに物投げるとか命が幾つあっても足りないから! そもそも会った時点でヤバイ!」


 タクマが倒れたのかと見間違うほど大袈裟に仰け反った。そこでようやくサリエラートゥは声をかける。


「……今度は何の呪文だ?」


 あの悪しき人魚を一体どうするつもりだろう、と気になりながらタクマの背後から覗き込んだ。


「あ、サリー。あのね、故郷の祝日をここでも祝ってみようかーって話してたんだよ」

「おお、それは面白そうだな! 今まで言い出さなかったのが不思議なくらいだ。是非やってみよう」


 サリエラートゥの食いつきに、二人は苦笑交じりに顔を見合わせる。


「それが、計画を立てようにも意外とややこしくてな」

「物語の主人公はいつも楽にやってた気がするのになー」

「まずこの集落に『こよみ』という概念が無いのがネックだ。適当に祝ってもなんだから一年の過ぎ方に該当させようとするものの、一年のはかり方が全然違うんだよ」


 ヒサヤがいつもの理屈めいた喋り方で問題を説明した。


「この大地が太陽を中心に回っているのかもしれない、ゆえに季節は定まってる、という仮定をしたとして。ここで顕現している季節は乾季と雨季だけ。雨季は乾季の二倍の長さ。まあここでは歳は乾季の始まりで数えるって言うんだから、そこを元日にするのが妥当だな」


 大地が回る、などと全く意味のわからない言葉が出て来たのは置いといて、サリエラートゥは興味津々に耳を傾けた。


「ってことで、次に来る祭日として適切なのは――バレンタインか。時期的には来週辺り」

「おお、いいねいいね!」

「喜ぶのはまだ早い。この世界にカカオは無いぜ。或いはまだ発見してないだけか」

「別にチョコじゃなくても、甘いお菓子って広い枠で祝えばいいんじゃない?」

「それもいいな。どうせならアメリカ風も取り込んで、花を贈るか」

「この間見つけた砂丘にいいもんあったよね!」


 ヒサヤの提案に、タクマがパチンと指を鳴らした。


「花? そんなもの、何に使うんだ?」

「食卓の飾りじゃないですか」


 わけがわからないままサリエラートゥが訊ねると、通りすがりのユマロンガが口を挟んだ。どこかの家に果物でも届けるのだろうか、頭に大きな籠をのせている。あまりの大きさに中身が見えない。

 小柄の彼女には白地と赤い花模様のワンピースが、褐色の肌によく冴えていた。ついでに今日も見事な胸の谷間だ、などと観察してしまったのはこの際関係ない。


「んー、食卓に飾るのもいいけどね。このお祭りはねー、異性に贈り物をするんだ。えっと、なんか大昔に民衆の恋愛に味方したせいで処刑された聖人が居たらしいんだけど、その人の犠牲に敬意を表して愛を謳う祝日――だった気がする」

「まあそんなに深く考えずに、宴とか開いて菓子を食べまくって適当に贈り物交換をすればいいってことだ」


 菓子はともかく、花などどうせすぐに枯れてつまらないぞ? などとサリエラートゥはユマロンガの同意も交えて指摘する。すると彼らは「工夫するから」と笑って返した。


「あとは、来週になってからのお楽しみにってことで」


 青年たちは悪戯を秘めた目で、異口同音に言った。





 やがて集落に美しい薔薇の花束を持ち帰った界渡りの青年たちは、意中の女性を筆頭に、集落に彩りを広めて回ったそうな。

 菓子を交換し合う人々の中を、色鮮やかな花冠をかぶった少女が舞ったとも言われている。

 件の薔薇は持ち帰られた夜は一際ひときわ輝いて見えたが、毎日新しい水につけられそれからも一週間は美しいままで、しかも蕾だった花はすっかり咲いた。枯れる寸前まで民家に飾られ、後に滝神の洞窟に進呈されたとか。


 そしてその年から恋と友愛を祝う祭りが毎年開かれるようになり――若い男性の間では砂丘まで贈り物の薔薇を取りに行って愛の強さを証明すべし、みたいな試練が軽く流行ったが、それはまた別の話。




**2016年バレンタイン用に書き下ろした話。

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