34.勇気はどこで手に入りますか

 例の作業をようやく終えた朝霧久也は、祭壇の横の壁に寄りかかるようにしてずるずると座り込んだ。地震からどれだけの時間が経ったのかは判然としない。

 頭を抱えて蹲る。


(いけない。これは、いけない……)


 思考がまとまらない。まるでバラバラの場所で撮った写真を繋げた動画のように、次から次へと考えが跳び回る。


めさせないと)


 ふと己の腕や腹にかかった返り血を見下ろして、強く想った。


(これはダメだ。理想の生贄なんかじゃ、ない)


 チベットの僧侶には、死後その肉体をカラスに食べさせて輪廻に戻るという思想があった気がする。

 それはそれで、美しいのかもしれない。

 生贄として大地に還るここのシステムだって効率的であり、ある意味では尊い。次世代の為に血肉は大地の糧となるのだから――。

 しかし、あくまでそれが死者たちの望みであればの話だ。いかに自殺者といえども、彼らは遺族に見つけてほしかったのかもしれない。土葬や火葬、特定の宗教に倣った葬儀など、別の形で弔って欲しかったことだろう。

 少なくともこんな――遠い異界で全く接点の無い人間によって捌かれるような――形ではなかったはずだ。


(こんなの、一生忘れられそうに無いな。サリエラートゥは数週間に一度とやっていたのか)


 一人、二人、五人、やがて十人、二十人、果てには三十一人。久也がユマロンガの手を借りて滝神に捧げた死体の数は、三十一人に上ってようやく終結した。適性の限界か、トランス状態が維持できていたのは最初の十四人目までだ。

 そこから先は意識的に進めるしかなかったために速度は劇的に落ちた。

 喉が焼けただれたかと思うほどに何度も吐いたし、何度も手を休めなければならなかった。

 元医学部でなければとっくに手元が狂っていた。実際、トランス状態が解けてからは誤って何度か自分の手を切ったりもした。それが衛生上どんな問題につながるのかは考えたくもないし、考えればその分だけまた手元が狂うので早々に諦めた。

 

 ――止血しないと。


 ふと思った。

 それがまた難関だ。ずっと我慢した分だけ、終わった今となっては尋常ならぬ震えが全身を襲っている。さしあたり、破けた布をものすごく雑に巻く以上の止血ができそうにない。


(今度ばかりはヤバイな)


 この先の一生を思えば、フラッシュバック現象や、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という単語が適切であろう。或いは監察医であったなら、仕事と割り切れただろうか。所詮自分には割り切れなかった。


(いや、結局やり遂げたからには十分に割り切れていたのか……?)


 かと言ってこれでもしも現代社会に復帰することがあっても、他の学生連中と何事も無かったかのようにまた仲良く勉学に励めるだろうか。人体とこれからどう向き合っていけばいいのか、想像が付かない。


 ――きっと疲れているだけだ。


(後日また考えれば、何かが変わるかな)


 足の裏がガンガンと音を立てて床を打っていることで、貧乏ゆすりをしていたのだと自覚した。


(生贄システムを止めさせる方法に至ればいいんだ。そうだ、ふりだしに戻ればいい)


 思考を切り替えよう。少しでいいから、前に進もう。グダグダしていても、誰の役には立たない。

 傍らでぐったりと気を失っているユマロンガを視界の端で捉えて、益々己を奮い立たせるべきだと決心した。こんな普通の女子が生活習慣の「安全圏」から大幅に踏み出して手を貸してくれたのだ。そして、幼少の頃から異常を普通としなければならなかった巫女姫だって頑張っているのだ。いつまでも情けなく萎れてはいられない。


(神力に頼らずに生きればいいだけだ)


 これまで見てきた集落の様子を思い出し、効率を良くする為にどういう変更が必要であり可能であるのか、脳内で計算する。


(あれをああして。そうだ、きっとなんとかなる)


 絡みつくような思考だった。それは、病みかけていた精神を立て直すに必要なプロセスでもあった。

 だと言うのに、水を差す存在があった。

 暗くなっていた祭壇の左右から突如として火柱が上がり、浅い皿の水が急速に変容する。


「なんだよ……俺は呼んでないぜ」

「青年よ、大儀であった。が、ちと面倒なことになった」


 滝神は久也の文句を無視して話を進めた。硬い表情や腕を組んだ姿勢は真剣そのものだ。


「スグルとやらは、どうやら企みを完遂できたようじゃ」

「……――なんだって」


 驚きと焦りを感じても、それを返事に反映させるだけの気力が無かった。自分でも信じられないくらいに平坦な声を出してしまう。


「濃度勾配を逆流する特異点が発生した」

「えーと……こっちから地球に行けるポイントって意味でいいんだな」


 訊き返した。


「そうじゃ。北の精霊たちが摂理に干渉する手段は、わらわのそれとは大きな違いがある。わらわは代償の代わりに神力を膨張させ、民の願望を叶える。巫女姫はその身に神力を集めてわらわの意思に沿った働きができる。ところが精霊は代償を貰う代わりに、触媒者に神力を与えて宿す」

「よくわからないけど……その話は今、必要か…………?」

「済まぬ。蛇足じゃったな。要するに、つまり奴らの神官は己の意のままに神力を使える、ということじゃ。あやつは帰郷こそが願いであり、うまく民の協力を得てそれに成功した」


 なにやら聞けば聞くほど疲れる話だった。


「帰ってくれたなら――アイツがこの地を去ったってんなら、それでいいじゃないか。やっと平穏に戻れる」

「ところがそうも行かぬ。特異点は開いたままじゃ。誤って触れても向こう側に飛ばされるし――」

「……おい、危ねーな」

「北の精霊たちはわらわよりもずっと気が短い。儀式では小出しせずに一気に力を与えて、終わる。いかに多くの生贄を用いても神力の効き目はせいぜい数日じゃ。やがて特異点が閉じる時、それまでの反動で荒波のように向こう側の人間が雪崩れ込んで来るぞ。おそらく、生きた者も巻き込まれよう」


 それを聞いた途端、目の前が真っ赤になった。

 思わず壁を殴った。


「あの野郎は一体どんだけ問題を起こせば気が済むんだよ!」

「青年。そう思うなら、終わらせて見せよ。やれるのはそなたか対の者か、どちらかでしかない。元々向こうとの結びつきが深い者でなければ」

「…………聞くだけ聞いてやるから、言ってみろ」


 上目づかいに睨んだ。

 滝の神はこちらの挑戦的な眼差しや物言いに対して、満足したように微笑んだ。


「異邦人たちよ、そなたらの胆力に感謝する」





 同刻、小早川拓真は知らずに相方と同じ姿勢で蹲っていた。

 追悼の涙が膝やふくらはぎを伝い滴る。

 敵の制圧もなんとか終わり、生き残った者たちはアレバロロの指揮の下、怪我人の処置や残党を縛り上げたりと忙しなく動いていた。

 それが全て片付くと、皆は感情に身を任せた。


「ンヤカ=スウィ、しっかりしろ」

「よい……。時期が、来た。我は……大地に……かえ……」

「待て! 戻らねば、そなたの母が嘆くぞ!」

「よいのだ、ムヲンゴゾ。そなたこそ、かえって、姉君に……元気な姿を見せてやれ」

「当然だ! お前も来るんだ!」

「もう、よい……。滝神さまのもとに、かえる……」


 それきり、その会話は続かなくなった。ンヤカ=スウィのような生き残ったと一度は思われた人間の中には、あまりもの致命傷を負って最期の瞬間から逃れられない者も居た。見送った者の泣き声が周囲の壁に反響する。

 同胞として傍に立ち、別れを惜しみたい気持ちはあった。しかし拓真は、白い亀裂の前から動くことができなかった。

 これがいつ消えるのかわからないと思うと、途方に暮れたままどんどん時間だけが過ぎた。

 声をかけてくる者は居なかった。

 このまま忘れ去られて置いて行かれてもいい――などと理にかなわないことを考え出している――


「おい! タクマ!」


 生気に溢れるうら若い女性の声が間近から降りかかり、ハッとなる。顔を上げると、見慣れた美しい黒い双眸と目が合った。

 どうしてか、それほど暗くないこの洞窟の中で滝神の巫女姫の肌は一際輝いているように見えた。錯覚だろうか。


「サリー? なんで」

「なんでも何も、異変を感じたから後を追ったんだ。とりあえず、まだ間に合う者には神力を施した。原因は不明だが、滝神さまからとんでもない量の神力を送り込まれたからな。神力でも救えない者は居たが……」

「へ、え」


 彼女の話に興味がないわけではないのに、気の利いた相槌が出てこない。


「お前は一体どうしたんだ。具合はどうだ?」


 言いながらも彼女はそっと神力を流し込んでくる。活気が血の中を巡回していくようだった。

 それなのに、心は晴れない。


「どうしたって言うか、ね……」


 英が通り去った裂け目に視線をやると、サリエラートゥもそれに気付いた。近付き、手を伸ばそうとしている。


「何だこれは――」

「さわるなッ!」


 彼女の行動に遅れて気付いて、怒鳴った。

 少女の手がサッと引っ込んだ。皆の注目が祭壇の上に集まり、やがて巫女姫はおそるおそる口を開けた。


「これは、何だ。お前は知っているのか」

「少なくともこの世界を去る出口だってことはわかってるよ」

「出口……?」


 まだ何か言いたそうだった巫女姫は、突然前のめりに倒れた。


「サリー!」


 倒れ込む身体をなんとか支えて、顔を覗き込んだ。観衆からもどよめきが上がる。


「平気……。滝神さまから、お前に伝言だそうだ」

「え? おれに? どゆこと」

「私にもよくわからん。ヒサヤとはもう話がついてるらしい」

「うん? え? 久也? 何がどうなって」

「では伝えるぞ」


 問答無用で、巫女姫は話し始めた。なので拓真は静聴の姿勢に入った。





 ――異邦人たちよ、そなたらの胆力に感謝する。


 ――端的に言うと、やらねばならぬことは以下の通りじゃ。そなたらが同意すればの話ではあるが。


 ――まずは特異点を通らずに、肉体から精神を飛ばす。そなたらは向こう側で目標を補足し、機を見極めればいい。わらわの計らいで、五秒の間だけならば実体化できる。


 ――五秒の間に捕獲できれば、特別に「道」を開こう。




 ――あの男を連れ戻せ。連れ戻して、命を絶て。


 ――その後にわらわが特異点を消滅させれば、それですべてが収束する――。

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