10.ああいう現象か

 カフェラテ族(仮)の人たちがそわそわし出した。

 赤い鼻輪をつけたリーダー格が弓を構えたのと同時に、アレバロロの屈強な筋肉が伸縮する。次の瞬間には彼は腰にかけてあった骨製ナイフを逆手に構えていた。

 三兄弟が壁のように立ちはだかる後ろで、拓真は反射的にサリエラートゥの腕に手を伸ばした。彼女を引き寄せようと考えたのだと思う。

 触れた刹那、目の前で光の玉が弾けたようなイメージがあり、次いで神経が痺れたような感覚を覚えた。

 ただの音の羅列だったものが意味を成して脳に届く。


「――生きた白人など、どこで見つけたのだ」

「貴様らに関係ない」


 端的に答えたのはアレバロロだ。赤い鼻輪の男は顎をつんと上げて嘲笑う。


「ふん。『生贄』の力が無ければまともに生活できない下等部族めが、今度は白人を囲って何を企んでいる?」


 随分と差別的な言葉が聴こえてくるが、拓真はそれ以上に気になることがあった。


(これって神力のおかげ? サリーに触ってれば通じるんかな)


 北の部族の男が話しているのはマクンヌトゥバ語ではない。なのにこれほど鮮明にわかるとなると、カラクリはおそらく決まっている。

 久也に手招きして同じように巫女姫に触るように小声で指示した。手首は拓真が掴んでいるので他のところを指差した。

 躊躇いがちに久也が手を伸ばすと、サリエラートゥがくるっと振り返って掌を差し出した。こちらがこうする理由をわかっているのかいないのか定かではない。

 二人が手を繋ぐ形になったのに一瞬何かモヤっとした気持ちが沸いた。しかしそれはすぐに消えた。


「これはああいう現象か」


 握った乙女の手を見つめながら久也がぼそりと呟く。


「なになに、どういう現象?」

「別々の言語を喋ってても通じるアレだよ。たとえるなら広東カントン語と国語マンダリンを互いに理解できるけど喋れない中国人。ほら、お前んちでもお祖父さんがドイツ語喋ってるのにお父さんが英語で返してて通じるってのがあるだろ」

「あー! あるねえ」

「あの現象って言語が似てる場合もあるけど似てなくても聴く機会が多けりゃ発生するよな。近隣の部族なら両方ありうるけど。神力はともかく、アの戦士三兄弟がアイツらと通じるのはそういうことだろう」

「聴いてるとボンヤリわかるようになるけど正式に勉強しないと喋るのは難しいからね。やっぱ言語って面白いね」

「同感だ」


 少しだけ懐かしい気持ちになる。

 これでも大学では英研サークルに入っていたのだ。元々拓真は家族の事情で英語が話せたので、積極的に使える場を求める気持ちがあった。

 久也の方はサークルに属すタイプではないが、外国語には興味があるのでよく話題に上がった。二人して国際的な目線で物事を解析して楽しんだりもした。


「お前たちの会話は未知の単語が多すぎる。何なんだ、カントンとかドイツとか」


 サリエラートゥがふくれっ面になって言った。いつもの済ました顔は麗しいけれどこういう表情も可愛い。


「未知の世界から来たんだからそういうもんだ」


 今は説明するのが面倒だ、と言わんばかりに久也がしれっと答える。

 一方、前方の空気は雲行きが怪しくなっている。長い間を置いてから、アレバロロが真摯に言い放った。


「企んでいるとは何事だ。この青年たちはワケあって保護している。我らにとっては同胞も同然だ」

「保護しているだと? 利用しているの間違いではないのか」

「何ゆえそんな言いがかりを!」


 三男のアァリージャがつっかかった。

 だが北の部族は薄い笑みを浮かべるだけで答えない。

 静寂の中、遠くでは一対の鳥が鳴き声のキャッチボールをしているのが聴こえる。きっと雄が雌を誘惑している類のやり取りだ。


(う~ん、何でどっちも喧嘩腰なんだろ。普通に仲良くすればいいのに。なんか因縁あるんかな)


 事情を知らないので拓真は首を捻るしかできない。


「一つ訊きたい。あなた方は、我らを冷やかす為に沼に現れたのか?」


 静かでありながら厳しい声音が響いた。立ち位置を調整して声の主の顔を窺ってみると、アッカンモディだった。仏像が如く常に微笑の形になっているはずの細目が僅かに見開かれている。口元はまだ笑っているのに、目が据わっていて怖い。


「まさか。我々は象狩りをしようと思っていたのだが、もっと面白いモノを見つけたので寄ってみたまでだ」

「象狩り……だと……!?」


 巫女姫が反応した。


「さよう。下等部族と違って我々はどんな動物も好きなだけ狩るのだ。制限など必要ない。何故なら、領域から動物を獲り尽くした後は他の領域を侵略すればいいのだからな」


 カフェラテ族の茶色い瞳に強欲の光が宿った。拓真はなんとなくそれにムッとなった。


「勝手だな。北の民はいつからそんなに血を流すことを良しとしていたのだ?」

「サリーの言う通りだよ! 自分たちが無節制だからってさ、それで他の人から奪って補うなんて理不尽だ!」


 気が付けば叫んでいた。

 酷い連中である。自然から取る行為に制限が必要だと知らない時代か思想の人間か、或いはそれが無くても平気な豊かな大地だったならまだしも、この男たちは自分たちの住まう環境にそれが必要だと認識している口ぶりだ。その上で、好きにやるつもりだなんて。


「心外な言われようだ、白人。これは我らが長の方針だ。特に滝の神を祀る集落には富が無限にあるのだろう? できるだけ活用せよとの仰せさ」

「対等な交換ならいくらでもしてやったのに、北の民も変わってしまったな。長が代替わりしてからか」


 アレバロロが低い声で言う。


「さあどうだろうな。ともかく我々は気が変わった。今日は象はいらんから、白人どもを明け渡せ。長への手土産に」

「誰が渡すものか! 兄者!」


 アァリージャが兄たちに縋るような目を向ける。アレバロロもアッカンモディも頷いた。

 これは本気で喧嘩になる――?

 成人男性同士の諍いがどういう結果を招くかなど、知れている。


(どうすんのこれ!)


 三対五では数に不利だ。今日は戦士と一緒だからか、サリエラートゥは丸腰のようだった。


「そんなに申し訳なさそうな顔をするな、タクマ。どの道お前たちが北へ去ったら、私が死ぬかもしれんしな。抗うしかない」

「でもそれならおれも戦うよ!」

「やめておけ。何かの拍子で捕まったら護ってくれる三人に迷惑だろ」


 久也がこちらの提案をバッサリ切った。おかげで拓真も頭が冷える。

 どんな時でも的確な意見で恐れ入る。そういえば久也と初めて会った時の状況って――


「おおう!」

「ふん!」


 気合の声に次いで武器と武器の衝突音が響いた。カフェラテ族の人たちは弓矢以外に短めの槍を持っている。

 骨製ナイフを操り、槍に応戦するアレバロロたち。武器の短さの不利をものともせず、間合いを測りつつ踏み込んでいる辺りに彼らの戦士としての力量を感じた。

 拓真は昂りに近い戦慄が己の血を伝って広まるのを感じた。

 飛び入り参加をしたいと疼きながらも衝動を抑え込むのは、親友への信頼からだ。


「わかったよ久也。戦いたいなんてもう言わないから、何か手伝えることないかな」


 状況把握力の高さでは適わないとわかっている。ゆえに素直に頼った。巫女姫サリーが驚いたように眉を吊り上げる。


「ある。後ろで弓矢を構えてる奴らの妨害をしろ。お前の足なら……」


 どこをどう走り抜けば一番効率的なのか、久也は口早に説明した。

 離れた場所で弓矢を構えた二人は、援護をしたいのにそのタイミングをまだ見つけられていないかのように目をきょろきょろさせている。


 ――カァン!


 アァリージャが敵の槍を弾いた。


(今だ!)


 勝利を確信したアァリージャが相手の腹に膝蹴りし、膝を付かせるまでの間に。

 拓真は走り出していた。

 骨製ナイフが威嚇するように敵の喉元に近付く。


(双方の動きが止まった、この時なら! 後方支援は狙いを定められる!)


 だがそれをさせない為に走るのだ。

 拓真は全力疾走していた。


 ――弓を構えた二人の弓弦が放たれるまで何秒ある!?


 片方が拓真に気付いて、驚愕した。弦を引く手が既に緩んでいる。

 もう一人は集中力を乱さない。弓弦を引き切って、なお狙う先を見据えている。


「させない!」


 体当たりが好ましいがこの距離では間に合わない。

 拓真は直ちにスライディングで停止しつつ、しゃがんで右手で濡れた草と土をむしり取り――

 投げる。

 土はターゲットの右目に当たって散った。


「ぐっ」


 弾みで男の指が滑る。

 矢は本来の的を大幅に外して、近くのパームツリーの幹に刺さった。

 邪魔をされた男たちが何かを叫んでいる。多分「きさまぁ! よくも!」みたいなことだろう。

 低い体勢のまま、地に両手をついた。しゃがんだ左足を軸にして右足を半時計回りに蹴り、手前の男の脛を蹴り飛ばした。男は足をもつれさせて倒れる。


(あと一人!)


 至近距離ながらも矢先の煌きが目に入った。

 静止したら射止められる。背中がぞくっとした。

 前転、側転。

 相手の背後に回って胴体に両腕を巻きつけた。五人のカフェラテ族の中で最も年下で体重が軽そうな人が相手で幸いだ。


「ただの一般人による、ジャーマン! スープレックス! で! どうだ!」

「ひいいいいいいいいいいい!?」


 後になって考えると「よくおれ腰耐えられたなぁ」なんて感想が出るものだけれど、やっている時は必死である。奇跡的に腕力も足りていた。


「おるぁああああ」


 視界が反転する。

 ゴッ! となんとも言えない音の後、腕の中の身体から力が抜けた。


「し、死んでないよね」


 立ち上がり、手首の脈を確認する。大丈夫そうだ。


「拓真、後ろ!」


 どこからか聴こえる久也の警告の声。

 振り返れば、踵を振りかぶっている男の険しい顔が視界を満たした。

 かと思えば、男のこめかみに物凄い速さで棒がぶち当たる。奴が気絶してくずおれると、その背後には不敵な笑みを浮かべた美女が居た。

 彼女は片手を腰に当て、片手で棒をブンと振り下ろした。棒はただの太めの木の枝である。

 思わずときめいた。


「助かったよサリー! その辺の物を武器にするなんてかっこいいね!」

「それは私の台詞だ。タクマは戦士に向いてそうだな」

「いいねー、ちょっと興味あるかも」

「喜ばしいことだ。是非鍛えてくれ」


 振り向けば、ちょうどアレバロロが鼻輪の男の顎下に劇的にアッパーカットを決めている所だった。アッカンモディなんてナイフの柄で自分の敵手の上顎を殴り、前歯の一本も叩き出している。

 どちらも見ているだけで痛くなりそうだ。


「でもフィクションは良いとして、リアル暴力って好きじゃないんだけどねー。おれは平和主義なんだよ」


 微妙な顔をして一連の展開を見守っている久也に向けて言った。

 血の色も臭いも、本当は嫌いだ。特に他人の血。


「知ってるよ。時々やむを得ずプロレス技出すような奴だけど、平和主義なんだよな」

「それって皮肉?」

「お前が人の間の軋轢みたいなのを嫌ってて、乱暴な手を使うのは苦肉の策だってことはちゃんと理解してるぜ。適度に距離をとって妨害しろっつったのに結局やり合ってるし」

「うん、間に合わないと思ったからね」


 殺伐とした現場に呑気な会話が交わされた。

 やがて、痛みに喘ぎうずくまるリーダー格の男の傍に巫女姫が近寄り、顔を覗き込んだ。


「残念だったな。『滝神さまの御座す郷』は貴様ら北の部族に奪われるものなど何一つ持っていない。おめおめ長の下に逃げ帰って、そう伝えるがいい。調子に乗るなよ、と」


 招かれざる客たちが恨めしげな罵声を吐きつつその場を去った頃には、もうとっくに象の家族は沼沢林から居なくなっていた。

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