02.ササゲヨ

 朝霧久也は闇が充満した場所で、人影の輪の中心に居た。

 低い太鼓と詠唱の音が心地良いリズムで響いている。仏教の経とは違う抑揚があった。

 人影を見回せば僅かな炎に照らされた無数の木彫りの仮面が浮いていて、その不気味さに震えた。


「新鮮だ」

「若くて白い男だ。珍しいぞ」

「二匹も居る」

「宴だ」

「今夜は宴だ」


 人々の言葉がこだました。内容とは裏腹に、声がひどく無機質でいっそ機械的である。

 詠唱と太鼓のリズムが続く中、誰かが太鼓を一度だけ大きく叩いた。


 ――ドン!


 仮面の群れが、近付く何かの為に道を開いた。


「姫さまだ」

「道を開けろ」

「姫さまが来たぞ」

「儀式が始まる」


 どこかで見覚えがある女が前へ進み出た。首飾りや腕輪、耳輪などのアクセサリーを除けば全裸である。額から足の指まで、肌に所狭しと模様が塗られていた。

 女は何かの内臓を鷲づかみにしている。赤黒い血液が、細い指の間から地面へと滴る。

 すうっと息を吸い込み、女は右手に掴んだモノを天へと掲げた。


「捧げよ!」


 ――捧げよ!


 女に続いて、仮面の集団が復唱した。


「我らの神が生贄を欲している!」


 ――ササゲヨ!


 仮面の群れが再び復唱すると女は満足そうに大きく頷き、例の内臓を口元へと近付けた。

 次に起こるであろうことを止めようとしても、動けなかった。


 ――やめろ! 喰うな!


 誰一人として久也の声を聴いていない。

 太鼓の音や詠唱は熱と速度を増していく一方だ。

 愛おしそうに赤い舌が伸びる。


 ――それは俺の心臓だ――――!


 悲痛な叫びは洞窟の壁に反響し、そして人々の笑い声の中へと溶けて消えていった。





(ひどい夢だったな……ストレス溜まってんのか……?)


 目を覚ました久也は、まず最初に胸辺りに巣食う痛みに顔をしかめた。

 ついさっき自分に何が起きたのかを思い出す。ああそうか、ストレスが溜まるどころの話じゃなかった。

 身に着けている白いワイシャツが強引に開かれたのか、所々ボタンが欠けている。見れば、胸に開いたはずの穴が何かの葉っぱと紐によって巻かれていた。薬草だろうか、嗅ぎ慣れない妙な臭いがする。

 誰かが手当てをしたらしい。――誰が? 何故? というより、手当てしたぐらいでどうにかなる傷だったか?

 確認できたわけではないが、銛のフックが肺を抉ったような気がする。それは半端な応急処置で助かるレベルの怪我ではない。


(どうなってやがる)


 床に座らされ、腕は後ろの柱(鍾乳石?)にきつく結び付けられている。

 非常に奇怪なことだが、夢に出た場所とよく似ていた。それだけで気分が悪くなったものの、頑張って状況を把握しようと動いた。

 首を精一杯後ろへ曲げてみる。


「……拓真!」


 ぐったりとした様子の青年が目に入り、焦燥が胸を突いた。

 自分が気絶した後は一体何があったのか。最悪の可能性が頭を過ぎる。


「おい拓真、ここが異世界なのは認めるから、起きろ。起きてくれ。頼むからこんなぶっ飛んだアウェー状態で俺を独りにするな」


 拘束されたまま下半身を捻り、靴の踵で親友の腰辺りを何度か蹴る。


「お、き、ろ」


 休むことなく蹴り続ける。

 すると数十秒経った頃にいきなり拓真が覚醒した。


「――――はっ! パイナップルサワー! マンゴー・スティッキー・ライス!」

「……甘そうだな」


 こっちは心臓喰われる夢を見たって言うのにそっちはカクテルとデザートとは、幸せな頭で結構なことだ。

 なんて文句は言わずに、久也は安堵のため息を吐いた。


「よかった」

「!? それはおれの台詞だよ! 大丈夫? ぐちゃぐちゃにならなかった!?」

「最後の質問の意味が不明だが、とりあえず生きてる。お前こそ額から血が出てるけど、平気か」

「んん? 殴られて鎮静されたからかなー」

「なるほど」


 何気なく明かされた事実から、久也は自分が気絶した後の状況を察した。拓真が暴れたので連中が殴った、という単純明快な顛末だったらしい。

 他に怪我は無いのかと訊ねたら、何も無さそうだと返事が返った。

 まだ考えてもわからないことがあるが、松明の灯りが前方から浮かび上がったのでそれどころではなくなった。

 現れたのは三人。先頭を歩く中心の美女を見て、久也は生唾を呑みこんだ。銛を投げられ、夢の中でも心臓を喰われたのだから恐怖を覚えるのも仕方がない。

 女は今度は全裸ではなく、胸と腰周りに何かの革を巻いていた。サンダルも履いている。

 久也から一歩先の距離で立ち止まると、彼女は連れの二人を下がらせた。


「私の名はサリエラートゥ。『滝神タキガミの巫女姫』だ。よければお前たちにも名乗って欲しい」


 僅かに首を傾げ、巫女姫と名乗った女は二人を見下ろした。ハイポニーテールに縛られた長い髪が揺れる。


「小早川拓真だよ。拓真って呼んでね」

「朝霧久也」


 答えた後に疑問が沸いた。


(言葉が通じてる……?)


 何か得体の知れない仕掛けがあるのだろう――彼女が日本語を話しているはずが無いし、自分たちだってこの世界の言葉はわからない。


「コバヤカワ・タクマ? アサギリ・ヒサヤ? 呼びにくいな……まあそれはいい」


 サリエラートゥは久也の心臓近くへと視線を移した。

 反射的に身体が硬直したのは言うまでもない。


「……許せ。我々の集落は孤立しているゆえ、侵入者につい過剰に反応をしてしまう傾向にある」


 どこか気取った声色だったのが、急に申し訳なさそうになる。


(心臓が美味そうなのか眺めてたんじゃなくて、さっき負わせた怪我を見てたのか)


 安心した所で、返事をした。


「いや、はあ。あの状況だし、気持ちはわかるから、別に責めたりしないけど」


 ここに来てからは動揺して呆気に取られてばかりで、怒るような心の余裕が無かった。謝られると拍子抜けして、元々あまり無かった怒る気が完全に失せる。


「そうか。少し考えたら、答えに至ったのだ。だからそっちのタクマには極力危害を加えないように手加減した」

「そうだったんだ! ありがとー」

「答えって何のことだ?」


 何か重要なことを言われた気がして、久也は訊き返した。

 するとサリエラートゥは真剣な表情になった。


「生きたままの『界渡り』が最後に現れたのは、二十年前だからな。お前たちがそうだとは、すぐには気付けなかった」

「ねえサリー、カイワタリって何? あ、サリーって呼んでいい?」


 無邪気な拓真に面食らったように、サリエラートゥが仰け反った。


「あ、ああ。好きに呼べ。界渡りとはお前たちのように、異なる世界から渡って来る人間を指す総称だ」

「総称があるくらい、よくあることなのか。しかも……大多数は死んだ人間?」

「そうだ。ある条件を満たせば、この世界に渡るようになっているらしい」


 巫女姫サリエラートゥは両手を広げてみせた。


「滝神さまの生贄となる為に」

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