後編:巡る縁

 

――そして、一ヶ月弱が経過した。


 結局、学生だけの力では俺の抱いた理想には届かなかった。

 だけど、みんなの力で以前よりも格段に、エニシの神社には人が訪れるようになっている。そのことは彼女からの手紙にも書かれており、どうやら一月のノルマもギリギリで達成できたようだった。――また余談ではあるが、あの清掃に参加したクラスメイトの中でカップルが成立したらしい。それをどこか、誇らしげに思う俺であった。


 着実に、再会の時は近付いている。

 そう思っていたのだが、そこでとある問題が発生した。

 どうやらこの冬一番の大寒波が日本列島を襲うらしい。それも、一番の書き入れ時であろうバレンタインに直撃するということだった。実際に、バレンタインも間近に迫ったここ数日、雪がチラホラと舞い始めている。気温も右肩下がり。そしてある朝、気付けば外は白銀の世界へと変わってしまっていた。


 そうとなれば、やることは決まっている。

 俺はもう当たり前のように、家の倉庫にあったスコップを持ち出し、神社への道を走っていた。どうにも大雪の影響で、電車はストップ。大幅な遅延をしている様子であった。そのため、俺は無意識のうちに、こうして彼女のいる場所へと向かって駆けている。


 それは、どこか――あの日にそっくりであった。


 息を切らせて、俺は走る。

 心臓はやはり、爆発しそうなほどに跳ね回っている。

 そしてあの時のように、道路を走っていた車に思い切り水をかけられた。


「はぁっ……はっ……――」


 それでも俺は止まらない。

 冷たい風が肌を裂くような、そんな感覚にあっても止まらずに走った。吐く息は白く、しかしそれを見送るはことなく。俺はただただそれを追い越していく。だんだんと火照っていく身体は、まるで夏のあの日に戻っていっているような、そんな不思議な感覚をもたらしていた。


 だけども、それは――あながち間違いではなかったらしい。


「――……!」


 彼女のいる場所にたどり着いた、その時。

 俺は思わず息を呑んだ。そして「あぁ」――と、感嘆の声を漏らしてしまった。

 あの日に俺は帰ってきたのだ、と。そんな、あるはずもない感想をつい、抱いてしまった。


 なぜなら、白い雪化粧をまとった彼女の場所は――


「……ただいま。エニシ」



 ――……まるで、彼女の心象世界のように美しかったのだから。


◆◇◆


 それからは、毎朝の除雪作業が俺の日課となった。

 朝起きて、まだ始発もない時間帯。走って神社へと向かい、参道に積もった雪を拓く。そして、終わればすぐに家に帰って学校へ。日中に降り積もれば、放課後にまた神社へ向かう。そんな生活が一週間程度続いていった。


 だけども、苦とは思わない。

 これが今の俺に出来る最善のことのはずだったから。

 ただ一つ願うことがあれば、もうすぐやってくるバレンタインデーを彼女と共に過ごしたい。それだけが、どうしても俺にとっての心残りだった。

 気が付けばもう二月十三日。その日は、明日に迫っていた。

 だから――


「だから夜な夜な、俺は一人で……――」

「――雪かきしてるんですから、誤解を招きそうなこと言わないで下さい。イズモさん」


 耳元で変なことを言っている美女が、面倒くさくて仕方なかった。

 美女――イズモさんは黙々と作業をしていた俺のもとを訪れて、度々このように茶々を入れてきていた。それこそ今のように、思わずツッコみを入れたくなるようなことを。しかも、まるで心を読んだかのように言ってくるので、なおのことたちが悪かった。


「ふふふっ、すみません。必死になっている鵜坂さんが、とても面白――こほん。とても、可愛らしく思えましたので」

「………………」


 ツッコまないぞ。面白いって、言いかけたことなんて。

 俺は彼女を無視して、黙々と雪かきを続行する。ただでさえ今日は雪の量が多くて、時間がかかっているのだ。急がなければ学校へ遅刻してしまう。

 しかしイズモさんは、そんな俺のことを無視して話し始めた。


「それにしても、毎日毎日、よく続きますね? わたくしにしてみれば、到底考えられないことですわ。思ったりしないのですか? ――もう、よいのではないか? と」

「…………」


 ふわり、宙を舞うように移動しながら彼女は続ける。


「たしかに、貴方は初めの頃は力なく待ちに徹していました。しかし、もうそれを補って余りあるほどの力を尽くしていると私には思えます。――本当は、無理をしているのではありませんか?」

「…………無理なんて、してませんよ」


 俺はつい、言葉を返してしまった。

 それをイズモさんは、嬉しそうな微笑みで受け止める。見惚れてしまいそうなほど神々しいそれではあったが、俺は手を止めず、作業を続けながら答えた。


「無理なんて、してないんです。ただ、今もエニシは頑張ってる。だから、俺だけ休んでるわけにはいかないんですよ。それに――」

「――……それに?」


 すると意外にも、イズモさんの口から虚を突かれたような声が漏れる。

 彼女はピタリ――動きを止めて、俺のことを値踏みするかのようにして、見つめてきた。その目は先ほどまでの冗談めいて細められたものではなく、鋭いもの。

 だから、俺もそれを受け止めるようにして一度、作業する手を止めた。

 そしてハッキリと、こう言い切る。


「……嬉しいんですよ、変な話ですけど。だから辛いけども、苦しいとは思わないんです」


 そう。俺にとって、この作業は苦ではなかった。

 たしかに辛いけれども、苦しくなんてない。きっとそれは、エニシの存在があるからだ。自分の苦労はエニシの力になっている。そう思えるだけで、疲れなんて吹き飛ぶのだ。

 これは、理屈の話じゃない。ただ純粋な感情きもちの話だった。


 だから、理解なんてされなくてもいい。

 そう思っていたのだが――


「――なるほど、です。成長なされましたね、鵜坂さん」


 さすがは神様、といったところか。

 イズモさんはそれだけですべてを理解したかのように、本当に優しく微笑んだ――という、その時であった。俺はイズモさんのことを倒すかのような勢いで、神社の奥へと押し込んだ。


「――きゃっ!? な、ななななな、なにをっ!?」


 すると想定外のことであったのか、彼女は聞いたこともないような女の子らしい悲鳴を上げる。だけども俺にとっては、それに構っていられる場合ではなかった。

 だから――


「――しっ! 声を出さないで!」

「はいぃ……っ!」


 強めに、命令するようにそう言うと――またもや意外や意外。

 イズモさんは小さく、従順にそれを聞き入れた。それは、俺にとって好都合、なので――


「――あの制服。俺の学校の、だよな」


 俺は陰からこっそりと、神社への訪問客のことを観察することが出来た。


 神社に入ってきた人物――それは、俺の通っている学校の制服を着た女子である。

 どこかオドオドとしている少女に、俺は何故か既視感を覚えた。その理由はとんと思いつかなかったが、とりあえず驚かせないのが最優先だろう。ぐっと、息をひそめる。


 すると女子生徒は、ゆっくりとした足取りで賽銭箱の前まで歩を進めた。そして、五円玉を置くように入れてから鈴を鳴らす。その後はもう、いつまでやってるのかと、思わずツッコみを入れたくなる程に祈りをを捧げていた。――おそらく、数十秒。いや、下手をすれば数分か。


 そこまでやって、ようやく決心がついたのか。彼女は深々と頭を下げて去って行った。

 その後ろ姿はどこか自信に満ち、来る時とは別人のような足取りで。


「なんだったんだろう……」


 俺は、それを見送ってから自然とそう呟いていた。

 それは先ほどの女子生徒についてではなく、その子に覚えた既視感について。あんな光景を、いつだったか、どこか別の角度から見ていたような。そんな気がした。


 ――と。

 そんなことを考えていると、背後からこんな声がした。


「う、鵜坂さん? その……もう、よろしいですか……?」

「あ……」


 その弱々しい声の主は、イズモさん。

 そして、冷静になった今になって気付いたことがあった。


 ――あぁ、そうだった。神様は普通、人には見えないのだった。


 これは、確実に怒られる。

 俺はそう思って、おずおずと後ろを振り返った。すると――


「あ、れ……?」


 ――そこにいたのは、イズモさんによく似た人物だった。

 というのは冗談で。ただ、そこにいたのはイズモさんらしからぬイズモさん。

 頬を上気させ、視線はどこか余裕がなく、ほんの少しはだけた衣服を恥ずかしそうに正していた。そして、ゆっくりと立ち上がった彼女は口元に手を当てて、視線を合わせようとはしない。


「し、失礼しますっ!」


 そんな、奥ゆかしき女性はそう言って――光りの中に溶けていった。

 一人取り残された俺は、その場に立ち尽くす。

 そして、思った。


「……うん。今のは、見なかったことにしておこう」――と。


◆◇◆


 ――そして、その日を迎えた。

 そう。バレンタインデー当日である。


 学校内の空気は、男子生徒を主として完全に浮き足立っていた。

 されども俺には関係のない話である。何やら甘ったるい空気から逃げるようにして、放課後、俺はいつも通りにエニシの神社へと足を運んだ。――するとすぐに、ある異変に気付いた。


「ん? ……神社の前に、誰かいる?」


 それは、俺と同じ制服を身にまとった男子生徒であった。

 背丈は俺よりも高く、服を着ていても分かるほどの体格が良い。そして、俺はその生徒に面識があった。何故なら彼は、クラスは違うものの同級生なのだから。――名前は、忘れたけど。


「こんなところで何してんだ?」


 だから、俺はそこそこ気楽にそう声をかけた。

 すると男子生徒は俺を見て、少し意外そうな顔をする。


「なんだ、鵜坂じゃないか。こんなトコで会うなんて珍しいな」


 ――ヤバいこれ、あっちだけ名前を憶えてるパターンだ。


「お、おぉ……そうだな」


 俺はバレないことを祈りつつ、少し緊張しながら彼に答える。

 すると彼は、とくに意に介した様子もなく、再び神社の方へと向き直った。それを確認して、ホッとする。――良かった。バレなかったようだ。

 なので俺は、普段通りの口調で彼にこう尋ねた。


「……で。どうして、ここにいるんだ?」

「ん?」


 俺の問いに、彼はピクリと眉を動かす――そしてどういう訳か、少し恥ずかしそうに笑った。

 その理由が分からずに、小首を傾げる。すると彼は、そんな俺にこう言った。


「実は、さ。……彼女が、出来たんだよ」

「え……っ?」


 頬を掻きながら笑う彼。

 そんな彼に対して、俺は呆然としてしまった。


「それで、さ。その彼女が『神様にお礼が言いたい』って、言うもんだからさ……」


 そして、彼がそう口にしたところで、ようやく現実に引き戻される。

 それって、つまり――


「――あぁ。戻ってきた」


 考えようと必死になっているところに、降ってくる彼の声。

 俺は、思考を一度中断し、彼の視線の先を見た。

 そして――


「――……あっ」


 思わず、声が出た。

 神社から出てきた女子生徒には、見覚えがあった。それは昨日のような既視感ではなく、しっかりとした記憶として。ハッキリと憶えていることとして。


「ご、ごめんねっ! なんか、神様が話しかけてくれた気がしてっ!」

「なに言ってんだよ――」


 そして彼は、笑いながら彼女の名を口にした。


「――千枝」――と。


 その瞬間、不思議と胸が空いていくような思いがした。

 どういう訳か泣きたくなった。その理由は、自分でもよくは分からない。だけれども、この二人には幸せになってほしい、と――そう、心から思った。


 男子生徒が俺に軽く声をかけ、二人は笑い合いながら去って行く。

 その後ろ姿に――俺は思わずこう、叫んだ。


「絶対、幸せになれよっ!!」――と。


 すると二人は驚いた顔をして、こちらを振り返った。

 だけど、すぐ笑顔になって――


「――おう!」

「――はい!」


 そう、答えた。


◆◇◆


 ――そして。


 二人を見送った俺は――放たれた弾丸のように、神社へと駆けこんだ。

 そして、鳥居をくぐり、彼女の名を呼んだ。



「出てきてくれ! ――エニシっ!」



 もう、いいだろう。

 俺はもう十分に、待っただろう。

 もう彼女に会わせてくれたって、いいだろう?


 気持ちがはやる。


 早く会いたい。

 彼女に会いたい。

 エニシに、会いたい。


 そして、もう何度か分からなくなるほどに、その名を呼んだ瞬間――



「……まったく。うるさいな、ユウよ。儂はそこまで耳は遠くないぞ」



 ――声が、聞こえた。

 それは、愛おしい彼女の声。大切な、大好きな彼女の声。

 その声は、あの場所から――俺達が想いを伝えあった、あの場所から。


「――エニシっ!」


 俺は半分、涙目になりながら声のした方へと目を向けた。

 すると、大きな切り株そこの前には――



「今度は、本当に久しぶり、だな――――ユウ」



 愛しい、愛しい、廃神様が真っ赤なジャージを着て、立っていた――

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