第四節 その言葉

 それから一行は、ヨハンの案内の元で彼の家にまで辿り付いた。

 店の後ろ側の生活空間に並べられた布の上に、カナタとトウヤが寝かされている。睡眠もとらずにソーズウェルからここまで強行軍をすれば、体力が尽きるのも当然だろう。

 店部分のカウンターの中で小さなランプに火を灯すと、店の品物を手に取って眺めている人影が浮かび上がる。

「眠れませんか?」

「色々と考えることがあってな。横になっても、そればかりが頭を巡って、眠れそうになり」

「そうですか。粗末な寝所では眠れないと言われなくて、少しだけ安心しました」

 顔を見れば、エレオノーラはムッとしてこちらを睨んでいる。

「冗談のつもりだったんですが」

「……許そう。もっとも、今の妾の身の上で不敬も何もあったものではないがな」

 大方の事情は、道すがらエレオノーラから直接話を聞いていた。

 父王であるリューネブルクが長くないことはここ最近ではよく噂になっていたので、それほど驚くことではなかった。

 しかし、その後を継いだのが長男のゲオルクではなく、次男のヘルフリートであるというのは、予想を超えた事態だろう。

「ヘルフリート陛下は教会との繋がりが強い。もしエイスナハル教が本気でエトランゼを弾圧し、この国から追いだしたいと考えているのならば、そちらを推すのも頷ける話でしょうね。

 いえ、それだけではなく下手をすればゲオルク陛下も……」

「言うな。妾もその可能性は充分に考慮している。しかし、それは考えたくはない」

「失礼しました」

 火を起こし、お湯を沸かす。

「お茶でも入れましょう」

「……そなた、ヨハンと名乗っているな。その名はかつて父に仕えた魔導師にして、この国の歴史に名を残すほどの使い手と同じものだ。何か関係があるのか?」

 二人分のカップを棚から取り出し、カウンターに並べながらヨハンは答える。

「その人は、俺の師と仰ぐ人でした。そして今際の際にヨハンの名を受け継ぎました」

「それは本当か!?」

 伏せていた顔を上げて、エレオノーラはヨハンを見る。そこに、一抹の希望を見出して。

「ならばヨハンよ。そなたはかつて父に仕えた彼の者に認められるだけの力を持つ魔導師なのだな? もしくは、エトランゼならばそれに並ぶだけのギフトを……」

「いえ。残念ながら俺は魔法を使えないし、持っているギフトも紹介するほどのものでもない、ちんけなものです」

「……そうか。だが、ここにある不思議な道具の数々はどうだ? 妾は詳しくは判らぬが、王国の魔装にも勝る道具の数々に見える。それを生み出せるほどの腕前ならば……」

「仮に俺が貴方が望む力を持っていたとして」

 お湯が沸騰し、ヨハンはそれをティーポットに入れて揺らしてから、カップに注ぎこむ。

 甘みのある爽やかな香りと共に湯気を立てるカップを一つ、エレオノーラの手前に置いた。

「何を成すつもりです? 兄上との戦いですか?」

「……それは……!」

 即答はできない。

 エレオノーラにそのつもりはなくとも、力を手に入れ、ヘルフリートの威光に背くとはそういうことだ。否応なしに何処かで武力が必要になるだろう。

「エレオノーラ姫。貴方が高確率で助かる方法が一つあります。エトランゼの保護を唱えるのをやめて、ヘルフリート陛下の元に帰順することです」

 ヨハンが思うに、ヘルフリートがエレオノーラを狙う理由の最もたるところが彼女が唱えるエトランゼの保護と共存だろう。それは決して彼と教会の意見とは相容れない。

「それはできぬ!」

 エレオノーラの叫ぶような声が、暗闇の中に響き渡る。

 それから一拍ほど呼吸を置いて、エレオノーラははっと我に返って椅子に座りなおした。

「す、すまぬ」

 背後の二人が起きていないことを確認しながら、ヨハンは何でもないような顔で、自分の分のお茶に口をつけた。

「だが、それはできぬのだ」

「例え自分の命が脅かされても?」

「ああ、そうだ」

 はっきりと、強い意志を込めて彼女は言ってのけた。

 それに小さな関心を抱きながらも、ヨハンの胸の中では、彼女がどうしてそこに固執するのか、その理由が知りたくなっていた。

「理由を聞いても?」

「――妾も、エトランゼだからだ」

 衝撃、というほどでもないが。

 その事実には純粋に驚きを隠すことができなかった。

「正確には半分は、だがな。妾は母はこの世界に流れ着いたエトランゼで、父に見初められ側妻となった。そして生まれたのが妾だ」

 女性らしい豊かな胸に、エレオノーラの掌が触れる。

 母をエトランゼに持つ。その事実は少したりとも彼女を歪ませてはいないようだった。

「母は妾によくしてくれた。今はもうこの世にいないが、それでもその思い出は妾の中でかけがえのないものとなっている」

 見れば、彼女の腰辺りまで伸びた黒髪も、どことなくアジア系の顔立ちも、恐らくエレオノーラの母が日本人かそこに近い何処かの出身者であったであろう面影が残っている。

 懐かしむような表情に、ヨハンは自分が見惚れそうになっていることに気が付いて、お茶を飲んでその気持ちを流し込む。

「母は笑っていた。時には陰口を叩かれようと、病に冒され幾ばくない命となろうと、妾の前では笑顔を曇らせることはなかった。そして我慢できず、一度だけ妾は聞いてしまったことがある」

 その独白はまるで歌のように、ヨハンの心に染み込んでくる。

 彼女の言葉には紛れもなく魔力があった。聞く者に耳を傾けさせ、心を動かす。

「母上は、幸せだったのかと。母は何と答えたと思う?」

「……月並みなことを言えば、貴方と出会えて幸せだった、でしょうか?」

「そう。その通りだ。そして妾は思ったのだ。エトランゼである母が幸せになれたのならば、他の者達もそうなれるのではないかと」

「それは同情心からですか? 分けも判らずこの世界に飛ばされて、還る場所のないエトランゼに対しての施しとして……」

「そんなことは判らぬ。誰とて自分の心を本当に覗けはしないのだから。ただ、妾はそうしたいからするだけだ。……この世界に生きる者として、そなたらエトランゼにここを好きになって欲しい。絶望と後悔だけでなく、この世界に来てよかったと、思ってほしいのだ」

 ――それは、いつか聞いた言葉だった。

 そして、絶大な威力を持って、ヨハンの心に叩きつけられる。

「……いや、すまん。ついつい勢いに任せて語ってしまった。なかなか、恥ずかしいものだな」

 小さな灯りが、赤く染まる彼女の頬を照らす。

 照れ隠しにかお茶を口に含むその姿は少女そのもので、先程までの神々しささえ感じさせる姿は鳴りを潜めていた。

「辛い道のりになるでしょう」

「……かも知れぬ」

「幾つもの過酷な判断を迫られる日々が続きます。望まぬ戦いに身を投じ、時には同じ血を分けた同胞同士で殺しあうこともある」

「そうだな。もし、の話をしても始まらぬが。この危機を脱したとしても、そんな毎日が待っているだろう」

「……どうして、簡単にそんな覚悟をしてしまうのか」

 最後の一言は、エレオノーラに向けられたものではない。

 思えば彼女だけではない。カナタも黙って逃げてくればよかったのに、どうしてそうも簡単に、命を賭けてまで、その決断を下すことができてしまうのだろう。

 彼女等の危うい考え方を理解できない一方で、その気持ちを尊く思う。

「方法はあります。勿論、俺を信じてくれればの話ですが」

 ――だから、というわけではないが。

 そう口を継いで出てしまったことも、ヨハン自身にとっては意外なことではなかった。

 驚いていたのはエレオノーラの方で、口を開けたままヨハンの方を見つめている。

「力を貸してくれるのか?」

「何処までできるかは判りませんが」

「どうしてた? 妾の見立てでは、先程まではこちらに協力してくれる素振は全くなかったように感じたが」

「姫様のエトランゼに対する思いに感じ入ったまでのことです。心からの言葉を用いれば時に人は考え方を変える。今回は俺がそうだったんですよ」

 それは半分は嘘で、半分は本当だ。

 決定的なあの一言がなければ、協力を申し出ることはなかっただろう。

 ただ、誰かに言われたわけでもなく、その結論を導き出すことのできる人を、もう一度信じてみたくなったのだ。

 ――今度は、後悔しないように。


 ▽


 その翌日、怪我があったとはいえカナタが目覚めたのは既に日が充分に高くなった時間だった。

 横を見れば、同じように倒れるように眠っていたトウヤはいない。不思議と焦りが出てきて、そこいらに転がっているヨハンのガラクタを足で押し退けながら飛び起きる。

 急いで駆けていこうとすると、謎の黒い塊に足をぶつけて顔から派手に転んでしまう。

「もう! これ、この間ボクが持って来たオブシディアンじゃん! 使うどころか片付けもしてないし!」

 黒曜石の別名にして、固くて加工し辛い上にエイスナハルの教えでは穢れた金属とされているため、エレクトラムと並んで市場価格の低い鉱石に悪態をつきながら、どうにかこうにか寝床から抜け出す。

 店の方に顔を出しても誰もいない。疑問に思う間もなく、窓の外に見知ったローブ姿を見つけてカナタは外に出ていく。

「ソーズウェルでは五大貴族のモーリッツの指示の元、大規模なエトランゼの粛清があったようです」

 扉を開けて、照り付けてきた春の陽に目を細めていると、ヨハンのそんな声が聞こえてくる。

 見れば彼は店の前に設置された、祭壇のような怪しい装置――台の上に水晶が乗せられ、下に開けられた穴から一本の硝子の管がその更に下部に設置してあるフラスコに届いている。

 フラスコの中身は空で、何度かカナタも見たことがあるが、何に使うのか、何の意味があるのかは判らない。

 そんなものをいじりながら、横に立つエレオノーラと話していた。

「粛清といっても過激なものではなく、彼等に街に滞在するための税を支払わせるものだそうです。それが払えなければ街から強制退去させる、と」

「ふむ。そうすることによって力のあるエトランゼはソーズウェルに残り、そうでない者達が野に放たれるということか」

「適当な判断だとは思います。もし全てのエトランゼを追いだしたとしたら、当然大規模な反抗を受けることになる。例えソーズウェルにいる兵力の方が上でも、ギフトを持つエトランゼと正面から争うのは避けたいでしょうから」

「だが、それでも大多数は街を追われることになるだろう?」

「はい」と、フラスコを取り外して中身を覗き込みながら答えた。

 カナタの目には空にしか見えないが、エレオノーラも同じようで、彼の行動に対して首を傾げている。

「難民となったエトランゼはしばらくは放浪するでしょうが、やがて奪うしか食べていく方法がないことに気付くと、野盗となるでしょう。そうなれば充分な警備が敷かれた王都や五大貴族の街はともかく、この辺りやもっと遠くの集落は危険にさらされます」

「……何故ヘルフリート兄様はそんなことをしたのだ。こうなることぐらいは判っていただろうに!」

「妥当な線で考えれば、長兄の不在に自分を後押しした貴族達の圧力、でしょうね」

「……五大貴族か」

 と、そこでようやくエレオノーラがカナタに気が付いた。

 最早何の話をしているのかちんぷんかんぷんだったカナタは、必死で理解しようと努力をしているのだが、どうにも上手く行きそうにはなかった。

「おはよう!」

「うむ、おはよう」「おはよう」

 取り敢えず気持ちをリフレッシュするために大声で挨拶をして、それから話題に入り込んでいく。

「何の話してたの?」

「世間話だ。今のソーズウェルの状況と、この件の黒幕が何処にあるかについてだな」

「それって世間話じゃないよね!?」

「いや。今の俺達には何をどう足掻いてもそれらに触れる術を持たない。だから世間話だ」

「……あ、そう」

 カナタのジト目を何処吹く風で、ヨハンは作業を終える。

「それでヨハン殿。休憩は終わりにして話の続きと行きたいのだが」

 さっきの小難しい話が休憩で、今度はまた違う小難しい話を始めるのだという。

 それを聞いただけでカナタは頭が痛くなってきたので、早々に退散すべく二人に背中を向けた。

「ちょっと待て」

「うぎゅ」

 襟元を掴まれて奇妙な声が漏れた。

「こっちの準備はできたぞ。……あんたも女の子と遊んでないでさっさとしろよ」

 そこに、今度は店の裏手から、軽装鎧を身に纏い、腰に剣を付けたトウヤが現れる。荷物を肩に担ぎ、今から旅にでも出るといった風体だ。

「別に遊んでいるわけじゃない。そこで改めて確認なんだが、お前達二人はこれからどうする?」

 二人の顔を交互に見ながらヨハンがそう尋ねる。

 エレオノーラも何も言わなかったが、彼と同じ顔をしていた。

「これから俺はエレオノーラ様と行動を共にするつもりだ。目的としてはエレオノーラ様と大半のエトランゼの安全の確保と、消えたオルタリアの長兄の行方の捜索と黒幕の調査だが……。まぁ、後者に関してはすぐにできることではない。おいおいだな」

「これからは人同士の争いになる。下手をすれば戦争が起こるかも知れん。そなた達の活躍で命を救われたのは事実だし、頼りになる者達だと思っているが、無理に巻き込みたくはないのだ」

「お前達はソーズウェルからは追われる身だが、そこは心配するな。国外逃亡の当てぐらいはある」

 カナタにしてもトウヤにしても、別段この国にこだわる必要はない。むしろ他の国ならば、エトランゼがより暮らしやすい場所もあるという噂も耳にしていた。

「逃げても、何にも変わらないよ」

 そう言ったのは、トウヤだった。

 顔を上げて、ヨハンを睨むような勢いで見つめている。

「もし、あんたら二人がこの国を、俺達エトランゼの状況を少しでも変えてくれるって言うなら、俺はそっちを手伝う」

「ボクも。お姫様を助けた時点でもう覚悟はできてるよ!」

 二人の言葉に、ヨハンは短く「そうか」とだけ答える。

 一方のエレオノーラは感動しているように、両手で口を覆い、嬉し涙すら流しているような有り様だった。

「そ、そんな泣かないでくださいよ!」

「す、すまぬ。だが、妾も一人ではないということが嬉しくて……」

 そんな二人のやり取りを横目に、トウヤはヨハンの元へと大股で歩み寄る。

「で、俺達はともかく、あんたはどうなんだよ? 俺も噂は聞いてるよ、変わり者の魔法道具屋がなんで急にお姫様の手伝いを」

「理由はそのうちに説明する。それよりもそろそろ真面目に出発の準備をしたい」

「それはいいけど、何処に行って何をすればいいんだよ?」

「まずはフィノイ河を越える。そのためには船を使うか、橋を渡る必要がある」

 フィノイ河はオルタリアを含む大陸を横断するように流れる巨大な大河で、そこから発生した幾つもの支流がこの国や周辺諸国の発展の源となってきた。

 そこから点在するように村落が広がり、そこで取れる農作物はこの国の根幹を成すといっても過言ではない。

 そして川の向こうもオルタリアの領土なのだが、河を越えなければならない関係上支配力は低く、ヘルフリートが取った政策の影響力もそう高くはないだろう。

「成程な。一先ずは南の方に身を隠すってわけだ」

「そういうことだ。それ以降のことはその先で話すことにする」

「ふーん。まぁ、いいけどさ。自分の考えをあんまり話さないのって、正直信用できないぜ」

「俺を無理に信じる必要はない。自分を信じて、必要だと思うことをやってくれれば道は拓ける」

「よく言うよ」

 トウヤとの会話はそれを最後に中断された。

「カナタ。お前にもやってもらうことがある」

「なに?」

「着替えだ」

「……服くれるの?」

 カナタの一張羅は昨日の件でぼろぼろになっていた。トウヤも同様なのだが、適当に調達すればいいと考えている。

 やはり新しい服があると聞けば、年頃の少女としてはテンションが上がるのだろう。

「ああ。お前が寝ていた部屋の奥の棚――」

 そうしてヨハンの指示通りに事が終わる頃には、時間は既に昼を回り、一行がフィノイ河に到着するころには既に西日も落ち掛けていた。


 ▽


 フィノイ河には、既にモーリッツが自ら部下を率いて、大規模な見張りを展開していた。

 まるで海のような巨大な河の水は澄み切っているが、流れも早くとてもではないが泳いで向こう岸に渡れるものではない。

 数少ない移動手段の一つは魔装船と呼ばれる、魔力を動力として動く船だが、今ここにある魔装船は全てモーリッツの管理下に置かれており、無断で使用することは禁じられている。

 唯一の交通手段となった橋も同様に、見張りが何人も詰めて検問を行い、怪しい者はその場で拘束される。

 木製の塀に囲まれた砦は橋を渡りたい者達が進むための一本道と、砦内部への進入口とに分かれており、今カナタが立っているのは後者の方だった。

「……なんでボクが」

 頭にはホワイトプリム。紺色のドレスに白いエプロンを身に纏ったその姿は、まごう事なきメイドだった。

『お前が適任だからだ。つべこべ言わずにさっさと行け』

 頭の中に響いてきた声に、思わず身を竦ませる。

 先程ヨハンから貰ったイヤリング型の魔法道具で、耳につければお互いに通信できてしかも直接喋らなくても念話ができる優れものなのだが、頭の中で声がするというのはどうにも慣れそうにない。

「……行くよ。行くからね。失敗してもボクの所為じゃないよ。作戦立てたヨハンさんの所為だからね」

『いいから早くしろ』

 容赦ない言葉に背中を押され、塀に開けられた唯一の入り口へと近付いていく。

 当然そこには槍を立てて、鎧兜を身に纏った兵士が見張りに立っていて、カナタを見つけると目玉をぎょろりと動かした。

「なんだお前は? ……本当になんだ?」

 一度声を掛けてから、改めてその姿を見てもう一言。

 緊張状態、というほどでもないが。見張りをしている場所に突然メイド服の少女が現れればそうもなるだろう。

「ボク……じゃなくて、わたし、モーリッツ様のメイドです。モーリッツ様のおやつをお持ちしました」

「おやつ? お前、ふざけてるのか?」

 槍を向けるようなことはなかったが、やはり兵士は訝しんでいた。カナタは内心ではだらだらと冷や汗を流しつつ、ヨハンに詰め込まれた台詞を必死で思い出していく。

「で、でも本当にそう命令されていたんです。ほら、その証拠に!」

 取り出したる鞄の中からは、厳重に保護された蜂蜜漬けのパンと果物が覗く。長い時間立っていた所為で空腹を感じ始めていた兵士は、自分は滅多に食べることのできない甘味にごくりと唾を鳴らしていた。

「……確かに、モーリッツ様ならばそのようなこともあるか」

 美食と美女に目がないのが、モーリッツという男だ。ある意味では非常に貴族らしい。

「一応、身体を改めさせてもらうぞ」

「ど、どうぞ」

 鞄を置いて、両手を広げる。

 エプロンもスカートも魅力的な広がりを見せてはいるが、武器を隠せるほどのスペースはない。

 鞄の中を覗いても、そこに食料以外が入っている様子はなかった。

「おい」

「は、はい!」

「これもモーリッツ様の物か?」

 兵士が鞄から取り出したのは、軽く砂糖が塗された柔らかいパンだった。一口サイズに切り分けられ、よく農村では子供達のおやつとして親しまれている。

「い、いえ! これはわたしが焼いたものです。ここで勤める兵士の皆さんの疲れを少しでも癒せればと……。本当はモーリッツ様の許可を取ってから配ろうと思っていたんですけど、ちょっとだけつまみ食いしますか?」

「……ちょっとだけ、貰おうか」

 簡単に誘惑に負けた兵士はそれを摘みあげ、一口で食べ終える。

 満足そうに口をもぐもぐと動かしながら、彼は一歩引いて扉を開いた。

「怪しいものは持っていないようだしな。行っていいぞ。モーリッツ様は中央砦にいらっしゃるはずだ」

「ありがとうございます!」

 深々と頭を下げて、カナタは中へと入ると、小走りでその場から立ち去っていく。

 その姿に何か思うところがあったのか、兵士はそれを見送りながらしみじみとした声で呟く。

「エトランゼか。……気の毒だが、メイドの賃金程度ではすぐにソーズウェルにはいられなくなるだろうな。俺の娘と同じぐらいの年だろうに、不憫なものだ」

 同情はあるが、どうしてやることもできない。

 それだけ、エトランゼとオルタリア国民の間にある溝は深かった。

「それにしてもいい陽気だ。こんなにいい天気だと、眠くなってくる……」

 大きな欠伸をして、塀に背中を預ける。

 次第にそれだけでは飽き足らず、しゃがみこみ、その数分後には地面に尻を付けて足を延ばし、すっかり眠りこけていた。

 男のいびきが聞こえるようになると、ゆっくりと扉が開きそこからヨハンとトウヤが周囲の様子を伺いながら入り込んでくる。

「……寝てるな?」

「ミグ草を煎じた睡眠薬だ。明日の朝ぐらいまでは寝てるだろう」

「こんな簡単に行くもんなんだな?」

「ここからが本番だぞ。油断はするな」

「判ってるって」

 トウヤは手際よく兵士の鎧を脱がせて、その身体を塀の外の、できるだけ目立たない場所へと寝かせておく。

 そして自分が鎧を身に纏うと、腰に剣を指して持っていた槍を縦に持った。

「じゃあ俺はカナタを案内する振りをするから。あんたはあんたの仕事をしっかりしろよ」

「言われなくても判ってる。手筈通りに進めろよ」

「ああ。姫様のこともしっかり守れよ」

 それを最後に、できるだけ怪しまれないような足取りでカナタの後を追って行く。

「では、俺達も行きましょう」

「ヨハン殿、素朴な疑問なのだが」

 何もない空間から声が響く。

 光が揺らぎ、透明なカーテンが取り除かれるとそこからエレオノーラの困惑したような顔と、彼女の豊かな黒髪が零れ出た。

「このヴェールを全員に配ればそれで済む話ではないのか?」

「その生地は入手が難しく高価なので、一人分で限界です。全員分を用意する時間もありません」

「そ、そうか……。高価なのか」

「お代は後で請求するのでご心配なく。それよりも俺達も行きましょう」

「請求されるのか……。その手は何だ?」

 エレオノーラは自分の元に伸ばされた手を見て、首を傾げた。

「こちらからは姿が見えないのです。手を繋いでいなければ、逸れたかどうか判らないでしょう」

「む、それはそうかも知れんが。……だからといってそんな幼子のような」

「姫様の能力を鑑みるに、この状況では立派な幼子です。はぐれないように気を付けてください」

 ぐっと手を握り、早足で歩きだすヨハン。

 エレオノーラは戸惑っていたが、強引なその態度に唇を尖らせながらも、特に文句を言うわけでもなく引っ張られるままにその後に付いていった。

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