彼方の大地で綴る

しいたけ農場

一章 ようこそ彼方の大地へ

第一節 やってきた少女

 彼方の大地で綴る


 第一章 エトランゼ


 第一節 ようこそ彼方の大地へ


「なんでこんなことになっちゃったんだろう……」

 少女の声が薄闇の中に漂い、誰の耳に入ることもなく消えていく。

 四方を石に囲まれた薄寒い地下牢。嫌な匂いの漂う格子の中に、『朝霧かなた』は一人、申し訳程度に積まれた藁の中でその身を横たえていた。

 何が起こったのか、彼女自身にも全く理解できていない。

 いつもの学校の帰り道だったはずだ。その証拠に、土に汚れてはいるが今来ているのは学校指定のセーラー服。スカートのポケットには生徒手帳も、財布も、換えたばかりの携帯電話も入っている。

 気が付いたとき、彼女は紅い月の下に立っていた。

 空が深い紅に染まり、薄紫色のオーロラが大地を照らす不気味な夜。

 直前の記憶も曖昧なままに、見たこともない草原の下に放り出されていた。

 足音が階段を降りてくる。地下にあるこの場所に、何者かが近付いて来ていた。

 無意味だと判っていながら半ば本能的に身を固めてそれに備えていると、やってきたのはカナタをここに連れて来た奇妙な格好の男だった。

 大柄だが何処か愛嬌のある顔立ちのその男はまるでコスプレのような鎧を身に纏い、背中には大きな金槌、腰には短剣を差している。

「まったく、困ったよう」

 本当に困っているのかいないのか判らない口ぶりで、男はカナタの牢屋の格子の前にある椅子に腰かけると、水筒を取りだして中の水を口に含む。

 それを一気に飲み干して一息ついてから、カナタの方を見た。

「あー、疲れた。お前の所為で無駄に苦労したよ。結局お前が逃がした奴は捕まらなかったしさ」

 カナタがこの世界に来たとき、彼女は一人だったわけではない。

 他の男女一組、互いに全く知り合いではなかったが、三人でほぼ同じ場所に立っていた。

 三人は混乱し、戸惑いながらもどうにか現状を把握しようと、大声で助けを呼びながら草原を練り歩いた。

 そうしているうちに現れたのが、目の前の男だ。

 男は突然刃物を突き付け、三人を捕まえようとした。しかし、カナタが機転を利かせて残り二人を逃がすように仕向けたことで、結果としてカナタ一人だけが捕まった。

「お前もとんだお人好しだよな。あの二人、初めて会ったんだろ? エトランゼがここに来るときは大抵そうだから、おれにも判るんだ」

「エト……?」

「エトランゼ。お前等みたいに余所の世界からこっちに流れてくる奴等のことだよ」

「余所の世界って……。ドッキリ?」

 看板を持った仕掛け人の登場を期待しても、一向にそれらはやってこない。

「うん。捕まえたエトランゼの十人に一人ぐらいはそれ言うけど、違うよ。可哀想だけど、おれの飯のためにお前は売られるんだ」

「売られるって……それ犯罪だよ!」

「エトランゼに限ってはそうじゃない。犯罪だけど黙認されてるんだ。お金になるからね」

 男は「よいしょっと」という掛け声と共に、椅子から立ち上がる。ごそごそと懐を探り、赤茶けた塊をカナタの方へと放り投げる。

「死なれたら困るから、それでも食っとけよ。夜明けには移動するからな」

「移動するって、何処に!?」

「うーん……。それを決めるのはボスだからなぁ。まずはエトランゼを集めてる貴族のところか……。お前結構可愛い顔してるから、娼館かもなぁ。まだ小っちゃいけど、将来有望そうだし」

 一瞬、締まりのない顔をしてから、男は表情を引き締めなおす。

「しょうかん……?」

「っとと。おれも油売ってばかりもいられないんだ。紅い月の夜にしかエトランゼは来ないんだから、今夜のうちにもう二、三人は捕まえないとボスにどやされる」

 どたどたと階段を駆け上がって行き、再びその部屋にはカナタ一人になった。

 ゆっくりと藁の上から身を起こし、床に投げ込まれた干し肉に手を伸ばす。小さくお腹が鳴って、この状況が夢でないことを自覚させられる。

「……ボク、売られちゃうの?」

 当然だが返答はない。

 売られるということは、例えそれが何処であれ、ろくな未来は待っていないだろう。

「……なんでこんな……。ボク、何も悪いことしてないのに」

 恐怖と、不安と、それから余りの理不尽に対する怒りが胸の中で交じりあい、言葉にならない感情が雫となって目から零れる。

 彼女ほどの年齢ならば大声で泣き喚いても無理もないようなこの状況で、涙を拭い、これ以上溢れないように気をしっかりと持つ。

「駄目だ。弱気になっちゃ駄目。泣いても何も解決しないんだから」

 プラス思考、能天気だけが取り柄と友達によくからかわれていた。そんな彼女の言葉を期待して相談を持ち掛けられたことも、一度や二度ではない。

 泣いても何も解決しない。気合いを入れると、意を決して赤黒い肉の塊にかぶりつく。

「固くて不味い」

 でも大丈夫。食欲があるのならきっと何とかなる。

 そう自分に言い聞かせ続けるカナタの耳に、思ったより早く男の帰還を知らせる粗暴な足音が響いてきた。

 先程上がっていった階段を、十分も立たずして戻ってきた男はカナタと食べかけの干し肉を一瞥する。

「まったく、こんなことなら肉やるんじゃなかったよ、勿体ないことしたなぁ」

 やはり何処か間抜けな、間延びした声でそう言いながら、鍵を取りだして鉄格子を開けた。

「出してくれるの?」

「買い手がついたんだよ。後ろの」

 落ち着いた足音が階段を降りてくる。

『買い手』という言葉に身を竦ませながらそれを待ち構えていると、やってきたのはゆったりとした服に身を包んだ、黒髪の青年だった。年齢はカナタよりも十ほど年上だろうか。何処か落ち着いた態度で、不思議な安心感がある。

「本当は駄目なんだけどなぁ。収穫がなかったらおれがボスに怒られるし」

「だから色を付けて渡してやったんだろう。その金で遠くに行って、人身売買なんかじゃなくて違う商売をやるんだな」

「そうは言うけどさぁ。おれみたいなはぐれ者に他にできることもないって」

「そう言わずに探してみろ」

 そこで一度会話を切って、その青年はカナタを見やる。

「旦那も好きだねぇ。確かに可愛いけど、見ての通りまだ子供だよ。金返せって言っても返さないからね」

 じゃらりと、大柄な男の手の中で中身が詰まった袋が揺れた。

 その言葉に身を掻き抱くようにするカナタだが、青年の視線には厭らしい類のものは全く感じ取れず、ゆっくりと警戒を解いていく。

「一先ずここを出るぞ」

 どうしていいか判らず、身動きの取れないカナタを導くように、大きな手が小さな手を握る。

 無理矢理ではなく、促すように、ゆっくりと先導する青年に従って、カナタも少しずつではあるが歩を進めていった。

「毎度~」

 場違いな男の声など、最早耳にも入らない。

 それは一種の錯覚のようなものに過ぎなかったのかも知れない。

 自分でも判らないが、彼に対する警戒心は薄れ、ただ黙ってその後に付いて階段を昇っている自分がいた。


 ▽


「取り敢えず、腹が減ってるだろう?」

 それから何処をどう歩いたのか、よく覚えていない。

 気が付けばカナタは男の家に連れられていて、木製のテーブルに並べられた料理を目の前に、椅子に座らされていた。

 温かそうに湯気を立てる野菜の入ったシチューとパン。たったそれだけの食事だが、空腹と不安に襲われていたカナタにはご馳走にように見えた。

 窓から見上げる空には紅い月。

 真紅の光はその周囲に現れる紫色のオーロラと交じりあい、赤や黒、紫の絵の具をぶちまけたキャンバスのような不快感がある。

「こんな日に出歩くのは余程の物好きか、さっきの奴みたいな人攫いぐらいだ。後は、この世界にやってきたエトランゼだな」

 さっきまでカナタがいた建物を脱出する道すがら、カナタは目の前の男から諸々の説明を軽く受けていた。

 決して納得できたわけではない。胸の中では理不尽に対するやり場のない怒りがぐるぐると渦を巻き続けている。

 夢であれと、何度も心の中で唱えた。

 だがその度に、手を引いている男は視線でそれを否定する。

「自分も、他にも大勢来たエトランゼがそう思い、願ったが、残念ながらこれは全て現実である」と。

 エトランゼ、それはカナタが元居た世界から流れ着いた者達の総称。

 カナタのセーラー服が示す通り、彼等はその直前まで普通に生活していた。

 ある者は学校へ行き友人と談笑し、またある者は会社で上司に頭を下げ。

 家族と団欒を過ごしていた者達もいるだろう。紛争地域で命のやり取りをしていた者もいるらしい。呼び出されるのは、何も日本人だけに限った話ではない。

 その誰もに共通しているのが、理不尽に、昨日までの全てを奪いさられて、身に付けた荷物だけをそのままにこの地に呼び出されたということ。

「お前、自分が囮になって他のエトランゼを助けただろう?」

 口にしていいものか、カナタが迷っていると、目の前にカップが置かれる。真っ黒なそれは、香りからして珈琲のようだった。

「そいつらが偶然、俺のところにやってきた。自分の代わりに捕まった女の子がいるから助けてほしいってな」

 ぐっと、スプーンを握る手に力が籠る。

「その人達はどうしたんですか?」

「近くの街に届けた。一応、安全なはずだ。……飲むか食べるかしろ。冷めるぞ」

「珈琲、苦くて飲めません」

「……気が利かなかったな」

 棚をごそごそと漁り、砂糖が入った大きな瓶が目の前にどんと置かれた。

「ミルクそれを作るので切らしてしまった」

 こくりと頷いて、スプーンで砂糖を入れる。うんと甘いものが飲みたくて、五杯も六杯も入れては溶かして掻き混ぜる。

 そうして最早珈琲とも呼べない甘い何かを飲んでから、シチューに手を付けた。

 スプーンですくって口に含むと、シチュー独特の甘みのある味が舌の上で蕩けるように広がった。

「……ぐすっ」

 その温かさに、安心したのだろう。

 張りつめた心が解けて、抑えられていた感情が溢れだす。

「泣くほど不味かったか?」

 彼なりの冗談なのだろうが、全く面白くはない。

「おいじくは……ないです」

「そうか」

 涙の粒が頬を伝い、シチューの中に落ちる。

 それからは無言で食事を食べ続け、やがて全ての完食した。

 全てを食べ終えたのを見届けたから、青年はカナタを家の外に連れていく。

 二人で珈琲の入ったカップを持ちながら、建物の外に出ると、目の前に広がる光景が少しずつ変化していっていた。

「……月が沈む」

 男が誰に言う出もなく呟く。

 その言葉は半分は偽りだった。月が沈んだわけではなく、紅い色が消えていくだけだ。

 ――だが、それはカナタに信じられない光景をもたらした。

 その奇跡のような美しさを、カナタは両手でカップを持ちながら見つめている。

「きれい……」

 零れた言葉は無意識のものだ。

 先程までとは打って変わった、蒼い月光と、空から見たこともないほどの満天の星々から降り注ぐ輝きが、地上全てを眩く照らしている。

 その輝きは草花や、遠くに見える澄んだ泉に反射して、まるで地上全てが光り輝いているようだった。

 その光景を写真に納めたくて、カップを地面に置いて、スカートのポケットから携帯電話を取りだして、ふと我に帰る。

 残り電池残量が半分を切った携帯電話から、電話をかける相手はもういない。

 幾らこの景色を記録に残そうと、それを見せたい相手はこの世界にいない。

 もう、会うことはできないのだと。

 その事実に、カナタは気付いてしまった。

「ボク、もう帰れないんですよね?」

「断定はしない……が、少なくとも俺がこっちに来てから数年、元の世界に戻る方法は耳にしたことはない」

「……そっか」

 諦念の籠った声。

 それは別に、元居た場所を心の中で切り離せた証ではない。

 むしろ、嵐の前の静けさ、前兆であった。

「ボク、帰れないんだ。もう、お母さんにもお父さんにも会えない。友達にだって……会えないんだ」 

 走馬灯のように、記憶が流れていく。

 優しかった両親。能天気で行動力ばかり無駄にあるカナタに、苦笑しながらも一緒に過ごしてくれた友人達。

 様々な思い出が奔流のように頭の中を流れては、消えていく。

「もう、会えない」

 いや、消えたわけではない。

 その目から涙となって、流れている。

 地面を濡らす光に気付いたのは、カナタよりも男の方が早かった。

「泣きたいなら泣け。少し離れたところにいてやる」

 気遣いを見せる彼に対して、カナタが取った行動は余りにも理不尽極まりない。

 その服の裾を掴んで引きとめると、彼の胸に向かって全力で飛び込んだ。

 そうして小さな両手で、その胸板を叩き続ける。

 髪を振り乱し、涙が流れることも構わずに、相手の都合など知ったこともなく、ふつふつと湧き上がる怒りと悔しさを、見知らぬ恩人にぶつけているのだ。

「なんで、どうしてボクなの!? ボク、何もしてないよ! 明日の授業の準備をして、放課後に友達を遊ぶ約束をして……! 冷凍庫にあったアイスも食べてないし、もうすぐ誕生日だったから、お父さんがケーキ買って来てくれるって約束もしてたのに!」

 なんで惨めな八つ当たりだ。

 頭では判っていようと、理性が幾らそれを抑えようとしても身体は止まらない。口からは支離滅裂な言葉が零れ続けて、もはや全ての出し尽くすまで果てることはない。

「帰りたい……。帰りたいよ」

 ふわりと、頭の上に手が乗せられた。

 男の大きな掌が、子供にそうするように、安心させるようにと優しく頭を撫でている。

 最大級の無様を晒した相手を笑うわけでもなく、ぶつけられた理不尽に怒るわけでもなく。

「来たばかりのエトランゼと会うのはもう何度目かのことだが、こういう手合いは初めてだ。これで気がまぎれるとは思わないが」

 低く、できるだけ優しくしようと努力が垣間見える声色が、カナタの耳を打つ。

 それが、最後の決壊を読んだ。

「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 男の胸に顔を埋めて泣き喚く。支離滅裂どころの騒ぎではない。言葉ですらなく、ただの叫び声が幻想の大地に木霊する。

「彼方の大地へようこそ、エトランゼ」

 男の小さな呟きは、カナタの泣き声に消される。

 ただ、彼女が落ち着くまで、彼はそのままそうしていてくれた。

 そんな二人の出会いの物語を知っているのは、夜空に浮かぶ先程までとは違う、優しい蒼色の月だけだった。


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