リサの場合

第6話 【リサ】9月27日(月)

「それじゃあ、明日もお互いがんばろうね」

 タケシという名の男との電話を切ったのは二十一時二十分。予定より五分もオーバーしてしまった。わたしはこのあと、曳舟のこの部屋から錦糸町のお店に戻らなければならない。休憩は一時間しかもらっていない。

 昨日からわたしはタケシと住む部屋を交換している。タケシというのが本名かどうかは知らない。どっちでもいい。

「一週間だけ、お互いの部屋を交換しませんか?」

 見ず知らずの女からのこんな怪しげな誘いを簡単に受け入れたあの男。絶対にどこか病んでいる。もちろんそれをわかった上で、わたしは確信をもって誘いをかけたのだけれども。

 そんな男がわたしの部屋にいるのかと思うと吐き気がするけどしかたない。わたしはじっくりとこの部屋で探し物をしなければいけないのだ。

 それにしてもこの部屋はつまらない。

 テレビ、ベッド、小さなテーブル、安っぽいソファに数種類のゲーム機。

 夜のせいか昼間に来た時よりも不気味さを感じる。霊感なんてまったくないけど、背中がチリチリして、誰かの視線を感じるような気がする。

 たばこを吸う。灰皿は見当たらないけど、今はわたしの部屋なんだからいいだろう。

 見渡す限りの壁紙はたばこのヤニで黄色がかっている。押入れの襖はところどころ穴が開いたままだ。

 そのまんまじゃんか、と笑いが漏れた。大家のおばさんは住人が替わったのになにも手を加えなかったのだ。

 タケシは「無理言って破格の家賃で貸してもらってるんだよ」と得意げに笑っていた。あと半年でこのアパートが取り壊されることはわたしも知っている。

 時期的にみてタケシの直前、わたしはここにほぼ住んでいた。当時の恋人のケンジがここを借りていた。

 ケンジ――。

 勝手にわたしに劣等感を抱き、こっちは勝負なんてしていないのに勝手に負けて姿を消した愚かな男――。

 愚かなわたしの元彼は、現在、危ない組織から命を狙われている。

 

 四日前のことだ。

 休日の夜、わたしは自分のマンションでDVDを見ていた。大好きな俳優のジャック・ブラックが出ている「ホリディ」という映画。それは「ホームエクスチェンジ」という聞き慣れない言葉がテーマになっているものだった。

 海外の映画を見ているといつも思う。あのスターと呼ばれる女優とわたしはなにが違うんだろうかって。わたしもアメリカで生まれてさえいれば、人生を逆転することができたんじゃないかって。

 でも、今さらアメリカ人に生まれ変わることなんて無理だし、だからみんな自分の部屋でDVDを見るのだろう。

 二十一時ごろだったと思う。

 予定にない来客があった。

 このタイミングは友人のミサキに違いないと、確認もせず無防備にドアを押し広げた。とたんに宅配業者風の三人の男が、ずかずかと部屋に入ってきた。

 わたしは押されるがまま後ずさり、怖がる間もなく囲まれていた。

「ケンジってのはいるか」

 真ん中の背の高い男が言った。その右横にも同じくらいの身長の男。少し後ろに背は低いけどラガーマンみたいにガッシリした男がいた。彼らは帽子を目深に被り人相はよくわからなかったけど、わたしと同じ二〇代前半くらいだろうと感じた。

「それか、金。さっさと出せ」

 わたしは混乱のあまり黙っていた。それを彼らは反抗の沈黙ととらえたみたいだった。

「いい度胸してるじゃねえか」

 真ん中の男が合図を出すと、後ろのラガーマンっぽい男が携帯を取り出した。少ししてわたしのスマホが震えた。画面には「公衆電話」と表示されていた。

 真ん中の男を見ると「出ろよ」という風に顎をしゃくった。

「こんばんは。びっくりさせちゃったかな?」

 ここにいない第四の男からの連絡だった。親しげな物言いに、誰かからのサプライズかと一瞬気が緩んだけれど、続く言葉にわたしはすぐに緊張を取り戻した。

「月末までに、ケンジが俺らからかっぱらった金を用意してほしいんだ。もしくはケンジを差し出してくれてもいい。方法は問わないよ。もちろん両方だと素晴らしいけどね」

 男の言った通り、びっくりしすぎて声が出せない。公衆電話は丁寧な口調のまま先を続けた。

「ケンジがどこかに金を隠しているのは間違いないんだ。それがあんたのところなら今すぐに出してくれ。違うと言うなら必死に探してもらいたい。これは全て嘘じゃない。論拠を示す気はないが、俺が嘘じゃないと言ったらそれは嘘じゃないんだ」

 疑問が浮かび過ぎてひとつに絞れない。そのまま黙っていると公衆電話はわたしの疑問のうちのひとつを答えた。

「もし、どちらかでも用意できなかった場合は、申し訳ないがリサさんに責任をとってもらう。俺らはリサさんのことはだいたい知っている。この言葉の意味はわかるよね」

 そこでようやく恐怖という感情が体に沁みる。わたしは携帯番号も自宅の住所も知られている。わたしは強張った唇を頑張ってひろげる。

「……もうずっとケンジとは連絡をとっていません。どこでなにをしているのかも知りません。もう、関係ないんです」

「そうなんだ。でも、あんたたちの関係性がどうなってるかとか、俺らにも、関係ないんです」

 公衆電話がわたしの言い方を真似る。目の前の男が声を殺して笑っていた。

「毎日、公衆電話から君に連絡を入れるよ。それは君のことが心配だからだ。だからあと一週間、がんばっていただきたい。リサさん、いや、錦糸町のサリナさん、かな? キャバクラ嬢から風俗業界へキャリアアップを目指しているなら話は別だけどね」

 さらに気持ちが重くなる。この人はわたしのお店もきっと知っている。

「一週間後、三十日の午後九時ぴったりに伺わせてもらうよ」

 電話が終わると、男たちは何も言わずに引き上げて行った。サングラスやマスクで顔を隠していないところが、彼らの自信の表れのようで怖かった。

 残された私はとりあえず映画の続きを流した。とにかく興奮しているようなよくわからない状態だったけど、画面の向こうの世界と今の自分の世界が繋がっているような気がした。


 そこから自分なりに調べてみて、ケンジは以前住んでいた今はタケシが暮らす部屋に隠すしかないと結論づけた。というか、それ以外の手がかりなんてわたしにはなくて、現在、この部屋に私は潜入している。

 出際にふと思いつき、風呂場を覗く。すぐにユニットバスと違って天井裏なんてない造りだったと思い出す。置いてあったシャンプーが若い女性に人気の高価なものだったのが意外だった。

 ポーチの中でスマホが震えた。きっちり三コールで切れた。表示を確認しなくてもわかる。公衆電話からの定時連絡だ。あれから毎日、三コールで切れるもののきちんと連絡をくれている。

 公衆電話の男の話だと、ケンジの現在の女、つまりわたしの次の女をしぼりあげたらしい。女は簡単にケンジを裏切って、知ってることを残らずゲロったようだった。

 ケンジが大金を手に入れたと興奮していたこと。それをどこかに隠したこと。そして――、錦糸町のサリナを忘れられていないこと。

 わたしよりも、簡単に男を売るようなゲス女を選んだケンジが情けない。結果的に、前の女に迷惑がかかっているのを、あのプライドの高い男はどう思うのだろうか。

 ひとまず今日のところはお店に戻らなきゃいけない。

 約束の月末までまだ四日ある。なんとかなるだろうと自分を安心させつつわたしは部屋を出る。

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