藍色隘路

宮間

 藍色隘路

序、或いは件の事


 瞳。

 瞳。慟哭。呻き声。頭。角。阿鼻叫喚。この世の地獄。あの世の地獄。

 明日。天気。心も晴れず。

 昨日。天気。心も揺れず。

 僕の。隣。心は居らず。

 君の。隣。心は


 は





 雨が楽器だった。

 傘の上にぱぱぱぱぱらるら、ら、花が咲く。学生帽が濡れないように、黒の大きな傘を、深く深く被るようにした。重くて体が揺れる、揺れる。風に乗って雨の撥が雨傘を叩く。魚が跳ねた。身の丈に合っていないのは重々承知の上で、敢えてこの大きな黒を背負う。前屈みで、右足から、ゆっくりと歩けば、いつか、家には着く。灰色の空、暗い街とは相対して、電灯の光が、雨粒の一つ一つを金剛石にさせる。空は重いけれど、地面はいつもより軽い。夕立が過ぎれば、綺麗な空が、見える。

 ランドセルを頭に乗せた彼らが、隣を一息に駆け抜けた。向かい風などものともせず、軽やかに、けらけら笑いながら、楽しそうに、水溜りを蹴飛ばして。泥が足にかかる。制帽には、かかっていない。ほっと一息ついて、歩く。

 欄干の下は流れのはやい、溢れそうな渦。飲み込む龍の口。掠れた朱色の小橋を渡れば、滲む我が家。

 鍵を開けようとして、ふと取っ手を滑らせれば、鍵の必要がなかったことに気がつく。

「ただいま、もどりました」

 自然と小さくなった声を聞いたのか、扉が開く音を聞いたのか、するりと姿を表す。

「おかえり」

 右頬に大きな、肌が剥がれたような傷。新緑の髪。若草色の袴。白の襟のないシャツ。隈の酷い目元。細い目の奥から覗く、赤紫。

「今日は如何」

「雨が降りました」

「泥が跳ねている」

「隘路、見てください」

「なんぞ」

 制帽を取って、突き出した。

「濡れていません」

 隘路は頓狂な顔をして、––––でも細い目は開いているのか閉じているのかわからない––––制帽を受け取り、しげしげと手首を回しながら眺めた。

「たいせつです、ので、濡れる、は、駄目です」

 手に持ったそれを袖の内に隠し、隘路は僕の脇に、手を入れる。ひょいと、いとも容易く持ち上げて、そのまま右肩に乗せ、右手で脇のあたりを持ったまま左手で太腿のあたりを支える。

「頭が濡れておらぬは褒めてやろ」

「隘路、濡れませんか」

「それが」

 持ち上げて、歩いていく。足の親指から滴るはずだった雨の残像は、隘路の若草色に吸い込まれて、淡い草木の匂いを漂わせた。

 齋藤 迷路、僕はまだ十二歳。

 隘路は最近僕の家にやってきた、友達。

 隘路曰く、くだんという、ものらしい。

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