7 あなたがいる景色1-3

     1-3


 鍋や食器は揃えたけど華の家にはまだ炊飯器がない。電化製品は高いから、そこまで頻繁に使う訳じゃないし米は鍋で炊いている。ネットで調べたんだけど、そんなに難しくなかったから最近ではだいぶ慣れて焦がさず炊けるようになってきた。

 今日の夕飯は親子丼。それだけじゃ野菜が足りないからほうれん草の胡麻和えと大根と油揚げの味噌汁も作った。丼は三つあるけど汁物のお椀は足りないから、オレの分の味噌汁は適当な器に入れる事にして、足りない箸はコンビニでもらって余った割り箸だ。

「簡単な物ですけど、どうぞ」

 華は、オレが台所で動き回っている間は邪魔にならない距離を保って座り、まるで飼い猫みたいにオレの事を観察してる。今日はその視線に持って行く人のものも加わって、二人に見守られながら料理をした。

 三人で料理が並んだ机を囲み、華とオレは声を揃えていただきますの挨拶をする。それにワンテンポ遅れて持って行く人がきちっと両手を合わせて「いただきます」って言って、無言の食事が始まった。バイトの後で腹が減っていたオレは親子丼をかき込むように完食してから、緑色の物を自主的に食べようとしない華の口にほうれん草を運んで食べさせる。華の食事はいつも通りゆっくりで、持って行く人もまだ食べていたからお茶でも淹れようと思ってオレは空の食器を手に立ち上がった。

 お茶を淹れて戻ると、持って行く人が食べ終わっていた。

「ごちそうさまでした。美味しかったです」

 一言感想が添えられて、何だか照れる。

「寺田さんは料理が上手なんですね。手際も良いです」

 空になった食器を片付けるオレを褒める持って行く人の顔には、これといった表情は浮かんでいない。声にも抑揚がなくて、ただ事実を口にしているって感じ。

「うち母子家庭なんで、ガキの頃から台所に立ってたお陰ですかね」

 場を繋ぐ為の世間話。華はまだ食べ終わってないけど、そろそろインターバルは終了でも良い頃合いかな。

「田所さんって、華の父親と連絡取り合ってるんですよね?」

 一口お茶を飲んでから気合を入れ、話を切り出した。

「社長はほとんど海外にいらっしゃるのでメールが主ですが、定期的にお嬢様のご様子は報告しています」

 華の様子を報告するのもこの人の仕事の内って事は、父親は華に無関心って訳ではないって事なのかな。

「父親が、どうして華を放置したまま独りにしているのか、田所さんは知ってますか?」

「……私は雇われている身ですので、社長のプライベートまでは存じ上げません」

 淡々とした声音で告げられた回答。何となく予想はしてたけど、落胆する。聞く相手を間違えたのかもしれない。でも聞ける相手をこの人以外、オレは知らないんだ。

「本当に、何にも、知らないんですか?」

「存じ上げません」

 ダメ押しの即答だ。この人ってあからさまに仕事人間って感じでそれ以外の事には興味がなさそうだもんなって考え、自分を納得させるしかない。でもやっぱりがっかりしたから、隣にいる華の頭を撫でて癒される事にした。

 親子丼と味噌汁を完食した華の口の周りは汚れている。でもそれはいつもの事だから、ティッシュで綺麗に拭ってやった。

「秋のご飯は美味しい」

 口の周りを綺麗にしたら、華がにっこり笑ってオレを見上げてきた。笑顔と言葉が嬉しくて、笑みを返してからオレは可愛い唇を啄ばむ。

「お腹いっぱい?」

「いっぱい」

「そっか」

 もう一回啄ばむキスをして、食器を片付ける為に立ち上がった所で思い出した。現実逃避した所為で一瞬忘れてた、この人の存在。目の前で正座してオレと華を観察してる持って行く人。存在感薄いっていうより意識的に消したよな、絶対。でも、こういうのも報告されて焦った父親が日本に帰って来たりしたら直接会える訳だし、それはそれで有りだなと思ったから気にするのはやめにした。

「オレの事を報告するなら、母にも会っておきますか?」

 ふと思いついて、提案する。報告されるなら正確な情報を渡したい。オレが出した提案に、持って行く人は迷わず頷いた。

「お母様にご迷惑にならないのであれば、お会いしておきたいです」

「なら明日でも良いですか? 明日なら母の仕事が休みなんで、今日オレが帰って来たのと同じ時間にここへ来るよう伝えます」

「それで構いません」

 後で母親にメール入れておくかって考えながら、机の上を片付ける。これをきっかけにして華のパパにも会えたら良いんだけどなぁ。

「では、私はお暇します。明日の夕方、四時半にこちらへ伺えば宜しいでしょうか?」

「そうですね。それで良いです。鍵は持ってるんですよね?」

「お預かりしています」

「華はここで絵を描いてると思いますけど、オレと母の方が遅く着くかもしれないんで今日みたいに中で待ってて下さい」

「わかりました」

 話しながら持って行く人を玄関まで送って、靴べら使って革靴履いてる背中を見守った。

「それではまた明日」

 磨かれた革靴を履いた持って行く人は、きちっとしたお辞儀をしてから帰って行った。

 ビシッとアイロンの掛かったスーツ。磨かれた革靴。靴下も新品同様綺麗だった。そんな人が前の酷い状態だったこの家に出入りしてたなんて苦痛だったんじゃないかなって思った。でも、それでもあの人は放置してたんだからオレには関係ない。

「疲れた」

 いつか遭遇出来るだろうとは思っていたけど、いざ遭遇したら気疲れした。あの人がもっと人間味のある人だったら華は救われてたのかな。なんて、考えても仕方のない事が頭を過る。

「秋」

 ドアを開けると華が駆け寄った勢いそのままに抱き付いてきた。抱きとめてすぐにきゅーっと抱き返して、華の首筋へ顔を埋める。絵の具の匂いが混ざった、大好きな華の匂い。

「明日また来るんだって。絵を描く邪魔になっちゃうけど、ごめんね?」

「問題ない」

「ありがと。……ねぇ、キスしても、いい?」

 いつもは確認なんてほとんどしないけど、今は許可が欲しい気分。埋めていた首筋から顔を上げ、おでこを軽くぶつけて華の瞳を覗き込む。まっすぐオレを映してくれるようになった、華の瞳。

「いいよ」

 ふんわり笑った華がくれた許可で、触れるだけのキスをした。華はいつも、キスする時でもずっとオレを見てる。オレもその瞳を見返す。華の瞳にオレが映っているのが、堪らなく嬉しい。

「華、舌ちょうだい?」

 軽く触れ合うだけじゃ足りなくて、熱を込めた視線で催促したら赤い顔した華が恥ずかしそうに小さな舌をのぞかせてくれた。堪らなく美味しそうなそれに、吸い寄せられる。怯えさせないよう気を付けながら、でも夢中になって深く繋がるキスを交わした。同時に、不埒なオレの手が華の背中を下って服の下にある柔らかさを堪能。

「どうしよう。めちゃくちゃ華の事、食べたい」

 何とか理性を掻き集め、助けを求めるように願望を言葉にする。だけど手は止められなくて、辿り着いた柔らかな場所の感触を楽しんだ。

「た、たべるの……だめ」

「……残念」

 オレが言ってる意味を正確には理解していないだろう華の制止の言葉で何とか理性を取り戻し、可愛いお尻から手を離す。顔を離してから見下ろした華は、乱れた息を吐きながらオレの胸元に縋り付いている。

「あぁもう可愛すぎる。少しだけ味見させてね」

 ほんの少しだけ。細い腰へ回した手に力を込め、胸元を差し出す姿勢になるよう誘導した。露わになった喉へ唇を押し当てて、痕を付けないように気を付けながら吸ったり舌先で撫でてみたりしながら鎖骨までを味わっていく。

「…………絵、描く?」

 鎖骨に唇を当てたまま声を出すと、華の体が大きく震えた。頭上からは言葉にならない声が降って来る。視線だけで見上げてみた先で、必死な様子の華が首を小刻みに動かして何度も頷いていた。

「ならオレは、洗い物を片付けないと」

 そろそろ本当に離れないと。理性が焼き切れて、野獣になる前に。

「あ、あああ秋! え、絵を、描くっ」

 珍しくどもった華が腕の中で暴れ出す。これは本格的な止め時だ。素直に両手を離して解放したら、重力に逆らえなかった華は床にへたり込んでしまった。

「華、かぁわいい」

 視線を合わせてにっこり笑い掛け、オレは立てなくなった華を抱き上げる。描きかけの絵の前で下ろして、髪を一撫でしてから側を離れた。

 洗い物したら風呂入って頭冷やさなくちゃって考えながらオレは、台所へ向かった。



 ※次回更新は3日です※

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